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第二章 サソリの毒針

41 補給袋

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 俺の右腕から放たれたのは、光の束なんかじゃなかった。

 もはやムチですらない。

 光の、扇だ。

 射程数百メートルにも及ぶライムグリーンの扇が、俺の右腕を中心として出現していた。

 その光はキッサやシュシュまでも覆っている。

 二人が唖然とした表情で俺を見ているのがわかった。

 どうやら俺が敵意を持っていない対象物に対しては害がないらしい。

 ただし、法術はその限りではないようで、キッサの創りだした法術障壁は俺の光の扇によってバチバチと爆ぜ、あっさりと消失した。

 それはリューシアのサソリの尾も同じだった。光に触れた途端に大きな破裂音とともに雲散霧消する。


「……これは……すごいね……」


 リューシアが驚きの声を出す。

 だがまずは飛竜だ。

 腹部をリューシアに刺し貫かれて地面に横たわっているヴェルに向かって、飛竜が一直線に急降下してきているのだ。


「そいつに……触るなあ!!」


 俺は叫びながら飛竜に向けて光の扇をぶつける。

 ムチの、線の攻撃じゃない。

 扇型の、面の攻撃だ。

 飛竜は避けることもできない。

 一瞬にして飛竜の巨大な身体は光に包まれ――


「ゴガァァァァァ!」


 ――人間ごときが……これほどの力を……?


 俺の発した光の扇は飛竜の身体を透過した。


「ゴァ、グガァァ……」


 ――脳が……焼き切れる……。


 飛竜は空中で溺れているかのようにもがいていたが、数秒もしないうちに全身をビクンと痙攣させ、あとはそのまま地面に向かって墜落していく。

 巨大な翼を持ったドラゴンは、小麦畑にまるで隕石みたいに激突した。

 パァーン! という破裂音、そしてグシャリという骨の砕ける音。

 あとに残ったのは、白い骨と黒い血液をあたりに撒き散らしてひしゃげた肉の塊。

 この俺が、たった一人でこんなにもあっさりとあの飛竜を殺したのだ。

 リューシアが相変わらず無機質な表情のまま、グレーの瞳で俺を見つめた。


「ヘンナマリに騙されたよ。蘇生させた異世界人の力はたいしたことないって言ってたのに」


 俺は横たわるヴェルにちらりと視線を送る。

 苦しそうな表情をしているが、まだ生きている。

 腹部の傷から流れ出る大量の血。

 これをやったのはリューシアだ。


「リューシアとかいったか。一応聞いておくぜ。降伏して軍の指揮権を俺たちに渡せ」

「馬鹿言わないでほしいな。庶民の家に生まれ、運良く士官学校に入学できたあと、ボクはね、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺してここまで出世してきたんだ。タナカ・エージ、君、ボクに勝てるつもりでいるのかい?」

「ああ、そのつもりだぜ」

「うん、ボクもそう思う。今のボクじゃ君に勝つのはちょっと厳しいね。だから――」


 リューシアの臀部から生えた数本のサソリの尾が、地面に突き刺さった。

 そのままリューシアの小柄な身体を持ち上げる。

 サソリの尾が昆虫の節足のように見えた。

 キモい。


「ボクは、逃げるよ」


 サソリの尾が、まさに昆虫の足のようにガサガサと動いて、リューシアは逃げ出した。


「待て、この虫野郎!」


 俺は右腕を振るい、光の扇で叩き潰そうとする。

 だがリューシアはサソリの尾の一本を扇に向けて突き出す。

 扇とサソリの尾の先が激突する。

 ギャリギャリ、という金属同士が擦れあうような音がする。

 だけどそれも一瞬で、ライムグリーンの扇はあっという間にサソリの尾を破壊した。

 ただし、その衝撃でこちらの扇も跳ね返される。

 その隙に、リューシアはさらに逃げ出した。

 まだ俺の攻撃範囲内だ。

 俺も走りだし、リューシアのあとを追おうとする。


「ちょ、エージ様、待って!」


 キッサがシュシュの襟首をひっつかんでついてくる。

 そうだった、俺から三十メートル離れると二人の奴隷姉妹は拘束術式で死んでしまうんだった。

 追跡を諦めるべきか、と思ったとき。

 横倒しになった荷馬車(馬はどこかに逃げたようだ)のそばで、リューシアはピタリと動きを止めた。


「タナカ・エージ、調子に乗らない方がいいよ。ヴェルとの戦闘でボクは法力をほとんどつかっちゃったからね、今のボクじゃ勝てない。でも、法力を補充さえすればいいだけの話なんだ。ヴェルとの戦闘でほとんど使っちゃったけど――ほら、でもまだ少し、法力の補給袋が残ってるよ」


 見ると、確かにリューシアの周囲には、十ほどの真っ赤な麻袋が転がっていた。

 法力の補給袋……?

 そんなのもあるのか……?

 でも俺はすぐに思い出す。

 ヴェルから聞いたという、キッサの言葉。


『戦闘で消耗した法力を奴隷たちで補充しながら戦うそうです』


 まさか……?

 真っ赤な袋はちょうど人が入るほどの大きさだ……。

 嫌な予感で胸が締め付けられる。

 そう。

 この麻袋はもともと赤かったんじゃない。

 これは血の色!

 つまり、この袋の中には……。

 奴隷が……?

 よく見ると、三つほど、まだ麻本来の褐色を保った袋がある。

 そしてそれは……。

 もぞもぞと、まるで逃げようとしているかのようにうごめいている。

 手かせ足かせで拘束されているという奴隷が、この中にいるってことか……。


「ヴェル用に持ってきた補給袋だけど、まさかそれ以外の人間との闘いでこれが必要になるとは思ってなかったよ。ほんとはヴェルから補給できればよかったんだけど、ほとんど法力残してなかったみたいだった、がっかりだよ。じゃ、さっそく……」


 サソリの尾の一本が長く伸びた。

 そして、リューシアから離れようともぞもぞ動く麻袋のうちの一つに向かっていく。


「やめろっ!」


 俺は反射的に叫ぶが、


「やめるわけないよね」


 ドッ、という低くて鈍い音とともに、リューシアの尾の先が、麻袋を突き刺した。

 それきり麻袋は動かなくなり、血の色で赤く染まっていく。

 リューシアは小柄な身体をブルブルと震わせ、そして、


「……あふぅっ」


 と吐息を漏らすと、一瞬だけビクンっと身体を硬直させた。

 昆虫の節足のようなサソリの尾で支えられているリューシアの身体。

 その少女は内股にきゅっと膝をしめ、下腹部に手をあてる。


「んん……んふぅ……」


 リューシアは全身をくねらせながら、さらに大きくブルンと全身を痙攣させる。


「んんぅ! ……んはぁ……」


 直後に彼女の全身が弛緩し、唇の端からよだれが一滴糸を引いてたらりと地面に落ちる。

 ビクッビクッと腰が余韻の痙攣をおこす。

 リューシアは白かったほっぺたを真っ赤に染め、


「はふう……、ふふ、やっぱり法力をこうして補充するときの絶頂感といったらないよ……」

「……お前みたいなクズ野郎、初めて見たぜ……」

「うん、よく言われるよ。じゃ、いくね」


 ひときわ大きなサソリの尾が一本、出現した。

 直径一メートルほどはあるかもしれない。

 どす黒いオーラがその尾を覆っている。

 でもリューシアの臀部から生えたそのサソリの尾は、空中で力なくだらんとぶら下がっている。

 恍惚とした表情で俺を眺めながら、リューシアが詠唱を始める。


「我と契約せしスティラの神よ……敵の血を我が快楽とせしめよ! 突き破るは人の肉なり!」


 するとサソリの尾がドクン、と大きく脈動し、むくむくとさらに大きさを増し、硬直していく。

 まるで興奮した男のアレみたいだ。

 くそ、能力まで変態かこいつか。


「エージ様、あいつの攻撃準備を待つことはありません! 早く!」


 キッサが叫ぶ。

 そりゃそうだ、なんで俺はあいつがパワーアップするのを呆けて見ているんだ?

 ギチギチに屹立きつりつしたサソリの尾を俺に向け、唇から垂れるよだれを拭ってリューシアが言った。


「じゃあ、君もボクの法力になっちゃいなよ」


 そして大きく固く棒状となったサソリの尾を、俺めがけて放とうとするその瞬間、


「ざけんじゃねえ!」


 俺も硬貨を握りしめた右手をこの変態サイコパスに向けた。

 先程よりも狭い幅の光の扇。

 狭い分だけ力が圧縮されて強くなっているはずだ。

 そいつが、リューシアのサソリの尾と衝突する。

 不快な破裂音。

 俺の扇がサソリの尾に削られ、緑色の光の破片が飛び散る。

 だけど俺の光の扇もまた、サソリの尾の先、一番細くなっている部分をへし折った。

 ライムグリーンの光の扇と、禍々しい形をしたサソリの尾とが、空中でぶつかり合っている。

 力が均衡し、つばぜり合いのようにお互いの力が押し合っている。

 リューシアの身体に当たりさえすれば、飛竜のように倒せると思うのだが、サソリの尾のパワーが強くて思うようにいかない。


「くそ……てめえ……」

「すごいね、法力を補充したボクとここまで力が拮抗させられるなんて、タナカ・エージ、君の力は帝国でもトップクラスじゃないか。君は昨日蘇生召喚されたばかりなんだろう? 君はヴェルに対してそこまでの義理はないはずだ。どうだい、むしろ裏切ってボクやヘンナマリと一緒に新しい秩序を打ちたてないかい?」


 今まさに法術で力比べをしているというのに、余裕のある口調でリューシアがそう言った。

 そしてそのまま、臀部から生えた多数の尾の一つで、小麦畑の中をもぞもぞ動く麻袋を貫く。

 麻袋はしばらく暴れるようにグニグニと動いていたが、血で赤く染まっていくにつれ動かなくなった。


 ――食い物にしてやがる。人間の命を、食い物に!


 俺の中でさらに怒りが激しくなった。

 強いものが弱いものを食って、さらに強くなる。

 俺が一番理不尽に感じ、嫌悪……いや、憎悪することだ。

 俺自身、今までさんざん食い物にされてきたからな!

 人を馬鹿にし、利用し、そして踏み台にする。

 この世界にやって来る前からずっと俺がやられ、嫌ってきたことだ。

 それを、このボーイッシュな少女は、命そのものでやっているのだ。

 こんな奴と共闘なんてできるはずがねえ!


「ああ、てめえの言うとおり、帝国に命かけるほどの義理は俺にはねえ。この世界の仕組みもまだよくしらないくらいだ。だけどな」

「ん?」


 薄紅の髪の毛を揺らしてリューシアが首をかしげる。


「だけど、お前が『悪』だってことくらいはすぐわかるぜ!」

「よくわからないなあ。善とか悪とかわからない。自分自身が得するか損するかいい気分になるかそうじゃないか、それが一番重要なんじゃないかな」

「んなわけあるかあ!」


 ミーシアは(趣味で)自分を傷つけることはあっても、人を傷つけようとするような人間じゃない。

 ヴェルは脳筋だし口も悪いけど、奴隷にすぎないシュシュを助けるために危険を冒し、今まさに自らの命を失おうとしている。

 キッサはずっと俺や妹のシュシュを守るために力を尽くしているし、まだ九歳のシュシュも役に立とうとして戦闘の最中に営業カバンをとりにいった。

 俺が守るべきなのは、こいつらだ。

 そして、俺の目の前にいるこいつは、倒さなきゃいけない、『悪』だ。

 俺は一度腕を引く。

 光の扇とサソリの尾が離れる。

 さらに精神を集中させる。

 数十メートルはあった扇の幅はさらに狭まり、今はもう、直径数十センチにまで凝縮されている。

 そいつを頭の上まで大きく振りかぶり、俺は叫んだ。


「おるぁぁぁぁぁぁ!!」

 
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