匁喰いの村

然々

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1話:血の匂いの校庭

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瑞希は天夜戸村に到着した瞬間、空気の“重さ”に気づいた。
山に囲まれた景色ではなく、ひんやりする風でもなく、村全体に漂う“人の気配”がどこか歪んでいることに。


母の再婚相手・湧田の家は狭かった。
義妹の莉々は瑞希に冷たく、母はそれに気づかないふりをした。
瑞希に残された部屋は薄暗く、窓から見えるのは錆びた校庭だけだった。


歌声が遠のき、校庭の向こう側に薄く霧がかかり始めていた。
日が落ちるのが早い。山に囲まれた村は、都会と違って夕暮れが深い。


「か~ってうれしい、はないちもんめ」
「ま~けてくやしい、はないちもんめ」

その歌が、異様にゆっくり聞こえた。

瑞希は目を細めた。
輪の中心の砂地に、黒ずんだ“引きずり跡”がついていたのだ。

昨日雨が降ったのに、そこだけ乾いていない。
まるで“何かの汁”が染み込んで固まったような、そんな色だった。

勝った子どもたちが叫んだ。

「○○ちゃん、いらない!」
「じゃあ、この子、あげる!」

“いらない”と指さされた少女の顔が引きつった。
次の瞬間、後ろにいた大人が無言で肩を掴み、
少女は叫ぶ暇もなく校庭の外へ引きずられていった。

瑞希は凍りついた。
周囲の子どもたちは誰一人として止めない。
むしろ歌い続けた。

瑞希は足をすくませながら、校庭の端まで下がった。
胸の中で鼓動が早まる。


怖い。
でも、目が離せなかった。

───あんなの、普通じゃない。

霧の向こうから、誰かの足音が近づいてきた。
砂を踏む、静かな気配。

「……大丈夫?」

その声が落ちてきた瞬間、瑞希は肩を震わせた。

振り向くと、そこにいたのは、淡い栗色の髪を肩で揺らす少女だった。
白い肌に、黒い瞳が縦に長く光っている。
年齢は瑞希より少し下だろう。
制服の袖口から覗く手首が、異様なほど細い。

「さっきの……見ちゃったんだね」

少女は瑞希の視線を追い、校庭中央の黒ずんだ乾いた跡をちらりと見た。
その目は一瞬だけ、深い悲しみなのか、諦めなのか、それとも別の“何か”なのかわからない感情で影をさした。

瑞希は声を失い、ただ小さく頷いた。

少女は少しの間だけ迷うように唇を噛み、
それから、ほっとするように微笑んだ。

「わたし、葵(あおい)。
転校生だよね?瑞希ちゃん、で合ってる?」

聞いてもいないのに名前を知っていた。
それを指摘しようとしたが、言葉が喉に引っかかった。

───なぜ名前を?

しかし葵は気づいていないふりで、当たり前のように瑞希の隣に立った。

「瑞希ちゃん、すごく顔色悪いよ。
初日であれはきついよね。……ごめんね、誰も助けなくて」

「助けて……って、あれ……なに……?」

「なにもないよ」

一瞬で答えが返ってきた。
あまりにも早すぎて、瑞希は息を呑んだ。

葵は気まずそうに笑ったが、
その笑みに“力”が入っていることがわかった。
作り笑い。
だけど、どこか切実でもあった。

「わたしは……瑞希ちゃんと仲良くしたいな。
もしよければ、少し村を案内させて。
この村、知らないままだと危ないから」

「危ない……?」

言い返す前に、葵の黒い瞳が瑞希の目を真っ直ぐに射抜いた。

その表情には、先ほど校庭で見せた悲しみも怯えもなく、ただひとつの感情だけが浮かんでいた。

───選ばれた。

そう言っているように見えた。

瑞希は背筋がぞわりと震えた。
理由はわからない。
ただ、葵の目の奥に“人ならざるもの”が一瞬潜んだのを確かに見た。

葵は軽く首をかしげ、瑞希の手をそっと握った。

「大丈夫。
瑞希ちゃんは、まだいらない子じゃないから」

「……『まだ』?」

瑞希が問い返すと、葵はぎくりと肩を揺らした。
自分が何を言ったのか、ようやく気づいたように口を閉じた。

一瞬、葵の横顔が暗がりに溶けて“別の誰か”の顔に見えた。

そして次の瞬間、葵は微笑みながら、瑞希を見て言った。

「ねえ、瑞希ちゃん。
わたし、ずっと……待ってたんだよ」

「……え?」

「こうして話せるのを、ずっと前から。
瑞希ちゃんに、やっと会えた」

葵の言葉が、瑞希の胸に冷たい重さで落ちた。

まるで───
はじめまして、のはずなのに、最初から瑞希の存在を知っていたような口ぶり。

「わ、わたしのこと……知ってたの?」

葵は首を横に振る。
けれどもその動きはぎこちない。

「ううん。知らないよ。
でも、知ってるみたいな気がするの。
あなたが来ること、なんとなく……ね」

夕陽が落ちきり、山の黒い影が二人を包み込むように伸びてきた。

校庭からはまだ、子どもたちの歌声が続いていた。

「か~ってうれしい、はないちもんめ」
「ま~けてくやしい、はないちもんめ」

その声がひどく遠く、
ひどく近く聞こえた。

葵は瑞希の手を放し、代わりに胸元に手を当てて囁いた。

「私、瑞希ちゃんを見てると……
胸が痛くなるの。
“選ばれた時の自分”を思い出すから」

「……選ばれた?」

葵は微笑んだ。
笑っているのに、その瞳だけが泣いているようだった。

「ごめんね。
わたし……一回、“いらない子”になったことがあるの」

風が止み、世界が一瞬だけ無音になった。

瑞希は思った。
この子は優しそうで、儚げで、どこか人懐こい。
だけど同時に、この村でいちばん“危険な何か”を抱えている。

葵は歩きだした。

「行こ、瑞希ちゃん。
日が落ちると、この村は……
“選ばれなかった子”が出るから」

瑞希の心臓が跳ねた。

「選ばれなかった子、って……なに?」

葵は振り返り、もう一度だけあの笑みを見せる。
夕暮れの中、輪郭が歪むような、不自然な笑み。

「見たら、わかるよ」

葵は静かに言った。

「この村で、いちばん怖いのは——
“いらない”でも、“ほしい”でもない子。
どちらにも選ばれなかった、残された子だから」

その言葉が瑞希の皮膚の下に冷たい刃のように沈んだ。

そしてこの瞬間から、瑞希と葵の運命は、血と歌で結ばれた儀式の渦中へと飲み込まれていく。
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