Seele―目が見えるようになったのは奇跡ではなく、罰だった―

真紀

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第一章

op.4『なにをしても、笑うから』

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 二人は生まれたその日に、名前を書いたメモ一枚と一緒に学院附属教会の前に捨てられていた。

 拾われた瞬間は、姿形はまるきり同じに見えた一卵性双生児の二人だったが、光の方は幼い頃から視力が弱く、視覚が十分に育たないまま、五歳を迎える前にほとんど見えなくなった。

 その後、光と和沙は、教会のアルベール神父を後見人に立て、教会附属の児童養護施設で育てられた。幼稚舎に入学する頃には、二人とも教会のオルガンを軽々と弾きこなすほどの才能を見せていた。

 それでも学院の援助がなければ、二人はここにいられない。
 だからこそ、学院に“必要とされ続ける実力”が必要だった。

 オーケストラ練習用の小ホールは学内にたくさんあるが、Aオケ専用とされるこのホールは、ピアノの状態が一番いいのと、自販機に近いということで生徒たちに羨ましがられていた。
 新しい楽譜を配られるということで、Aオケのメンバーも楽しみなのだろう、まだ早朝だというのに今日は随分と集まりがいい。

 中に入るなり、ピアノの周りで光が笑う声が聞こえて、みんながつられて微笑む。

「明るい子だねぇ……見えないのに。あ……」

 言ってからまた、まずいことを言ったなと口ごもる。

「いやあの……なにをしても、笑うから。光」

 一卵性の双子で、見た目だけだと自分たちには見わけもつかないのだけれど、あんなふうに笑うのは光の方で、それを幸せそうに見ているのが和沙の方だというのは分かる。

「楽譜全員行き渡った~?」
「おれがもらったところでなぁ」

 チューバを抱えて、男が苦笑いする。

「選抜メンバーには選ばれないと思うからさー」
「そんなの分からないでしょ。とにかくAオケのメンバーは全員弾けるようにしておくことー」
「ひー」

 悲鳴を上げながらも、新しい楽譜を手に、みんな嬉しそうだ。

「ま、真っ黒」
「これどこで息継ぎするの」
「なんて曲?」

 みんなが、作曲者である和沙の傍に寄って来る。

「えっとね、『Seele』っていうんだ。ドイツ語で、魂とか精神とか……そういう意味」
「ゼーレ、ね……」

 つぶやいたクラスメイトの横で、光はポンと手を打ってしまった。

「ああ! なるほどね、精神ね! そーいう意味かあ! ……はっ」

 言ったあとで、しまったと口を覆ったが、もう遅かった。

「光……まさか知らないで歌ってたんじゃないだろうね?」

 知らなかった。

「ゼーレくらい知っていそうなもんだぞ」
「知らなくたって歌えたじゃん!」

「感情移入の仕方がどうも違うと思ってたんだ! まさか意味も解らず歌ってやがるとは思ってなかった! あとで訳してやるから、一から譜割りのやり直し!」

「いーちーかーらー!」
「光ちゃん、どんな解釈で歌ったの」

 委員長が言って、周囲が光を急かす。

「光ー、早く歌ってくれよー」
「もったいぶるなよ和沙-」

 いろいろ声をかけてくるけれど、みんな光と和沙の区別がついているとは思えない。早く歌えと言われた和沙は、苦笑しながらピアノの前に座った。

「じゃ、光、軽くいきましょう」

 ピアノと歌だけで、アウトラインを弾いて聞かせることになり、光が小さく発声する。

「和沙のピアノだけでいいのに。おれの歌が乗ってなくても雰囲気は伝わるだろ」
「歌詞の意味も知らずに元気に歌いきりやがる歌い手さんだしね」
「う……」
「みんな楽しみにしてるんだ、高凌の歌姫の歌声。聴かせてあげて」

 光には見えなかったけれど、いつもよりギャラリーが多いのは気配で分かる。

「フルは出ないぞ」
「朝からあれだけ機嫌よく歌っていたじゃないか。鳥まで集めて。たっぷり温まってるだろ。コーダなしね」

 和沙は譜面をめくりピアノに指を乗せた。和沙の指が浮くのと、光が息を吸い込むのとが同時だった。さらに、和沙が最初の和音を叩くのと、光の声が同時に響いた。

「げっ、イントロなし? 見えないくせに」

 指揮なしで、ぴったりと同時にスタートをきった双子に、悪気はなかったがつい言葉が漏れた。周囲が苦笑し、言った本人はバツが悪そうに咳払いした。光の声が引く。

「ここからオケが入ります。第一ヴァイオリンだけね。いきなりフォルテピアノの連続で悪いけど」

 ピアノを弾きながら和沙がオーケストラの旋律を歌ってみせる。綺麗だけれど、不協和音だ。聴いている方がせつなくなってくる。

「不安定なコード使ったなぁ」
「ボーカルが入るとせつなくなるね。光の声じゃないと、こりゃ出ないわ。男の声域じゃねぇよ」

 しゃべっている時は少し高めかなという位の光の声も、歌い始めたらハッキリと高くなる。

「光、ここでこの音歌える?」

 ポーンと、ピアノが響く。

「高いな」
「一楽章の中の一番高い音、ここで使いたい。ここまでにガーッと下ってるから、ちょっと効果を狙って」
「危険が大きすぎるよ。下りのスラー音程がややこしいから、そこで集中しちゃってるし、ブレスもないし……外す確率の方が高い」
「かもねぇ……」
「でも下りの音程、かっこいいから変えたくないな」
「いきなりここまでの高音じゃファーストヴァイオリンにも外されるかもしれないな。もう少し考えてみるよ。ここ、ピアニッシモだけど前打音しっかり歌って……ええと、こんな感じでいこうかなと思ってるんだ。オーケストラの方、よろしくね」

 和沙が言うと、まわりからワッと声が上がった。

「ついていけるかな、光の声に、うちのオケが」
「光ちゃん、また上の声域上がったんじゃない? どこまでファルセットなしでいくんだ」

 ホールに入ってきたクラスメイトに前髪をくしゃくしゃにされて、光が嬉しそうに破顔する。

「雑誌見た? 前評判凄いよ。ビジュアルで一歩リードの藤宮兄弟、って」
「ちっとも歌の評判じゃないじゃん」
「あーそれおれも見た! 楽壇きっての美少年って書いてて笑っちゃった」

 その言葉に光と和沙がうへへと照れ笑いを浮かべた。

「失礼な奴だなおまえ、なんで笑うかなぁ」

 光が和沙を、和沙が光を指さして声を揃えた。

「楽壇きっての美少年~? おれのことじゃないでしょ、この人だよ」
「……おまえら謙遜してるつもりか? 同じ顔して」

 ホール中に、あたたかい笑いがおきる。

「いい曲だね」
「聴いてる分にはね。歌うの大変」
「ひひひ頑張ってねー」
「弾くのも大変そうだぜ、ファーストもだけど、二楽章なんてフルート難しそう」
「……うそ」
「ひひひ頑張ってねー」

 言って笑った光の頭を、友人たちはグシャグシャとかき回した。

「あんまり難しかったら、書き直すように和ちゃんに言ってくれよな、お兄ちゃん」

 光の声じゃなきゃ歌えない曲を書いてあげるよ。
 和沙はそう言ってこの曲を書いてくれたのだ。自分でなきゃ歌えないこの曲は、信じられないくらい綺麗で、光の宝物になった。

 歌っている時、喉がコロコロして気持ちいい。時折現れる不安定なコードは和沙が見つけた光の声の揺れだ。取り込み方でこんなにせつなくなるなんて思わなかった。

「それにしてもイントロすごいね。光見えないのに、ピアノ叩く瞬間よく分かるねぇ」

 これも悪意のない感想だったのだろう。スラリと言われた。周りが慌てる。気配を感じて光が笑った。

「和沙の指が動くの、空気で分かるから大丈夫。ちょっと距離あっても大丈夫なんだ」
「……そっかぁすごいね、双子だからこそかな」

 達哉が、ポンと手を叩く。達哉は指揮を専攻していた。歌姫の光と同じように、達哉は、Aオケ専属の指揮者だった。

「じゃ、各自練習しておいてね。東音祭選抜メンバーに選ばれた人は、発表後すぐ練習開始だからねー」
「選ばれた人は、ね」

 思わず全員が苦笑いし、達哉も笑った。

「おれ含めてね。おれこそ、ちゃんと勉強しねーと、これ振れない」

 戦いはもう始まっている。

「Aオケに入れただけでも全力だってのに、このうえ選抜メンバーなんて無理だー」
「そんなのわかんないでしょーが。じゃ今日はここまでねー!」
「和沙和沙、ここなんだけどさー」

 曲披露が終わり、たくさんの生徒たちが和沙の周りにやってきて、楽譜の不明点を質問攻めし始める。委員長もヴァイオリンの主席だったから、しばらく帰れそうにない。楽器を持たない声楽科の光と指揮科の達哉は、手持ち無沙汰になってため息をついた。

「こりゃ和も委員長も当分帰れないな。コーヒー買いに行くか」
「うん」

 目が見えないとは思えない足取りで光が達哉に駆け寄る。彼は、幼稚舎からのクラスメイトで、司祭とクラス委員長以外で唯一、光と和沙の区別がつく人である。両手を伸ばしてきた光の指をとって、達哉が自分の袖を掴ませた。

 学院内では、光は白杖なしで歩けた。皆が無意識に道を整えてくれているからだ。なにしろこの敷地の外にはほとんど出たことがないから、車幅感覚は完璧だ。

 和沙は教室が違ったから、授業が始まってしまえばそのほとんどの時間を光は達哉の袖につかまって過ごすことになる。幼稚舎のころから双子を知っている達哉はその役回りをとても誇りに思っていて、光が自分の制服の袖を掴むたびに嬉しくなるのだった。

 幼いころ、達哉の袖口のボタンが取れていたことがある。それを『目印みたいだ』と光が喜んだから、それ以来達哉は、服を買うたびにすべて片ほうだけ袖口のボタンを取り除いた。

 達哉は光の歩調に合わせたりしない。光も、とくに困った様子もなく達哉に並んで歩いた。

「すっげえいい曲だな。楽しみにしてた甲斐があったよ」
「おれも聴いたの昨日だよ。ずっと、和沙聴かせてくれなかったから。そっから歌叩きこまれて」
「あいつ、曲の製作過程見られるの嫌がるもんなぁ。っていうか作曲科いけばいいのに。そっちでも才能伸ばせそうじゃない?」
「だめだよ、おれは和沙のピアノじゃないと歌えねーもん」
「歌わない、の間違いでしょ」

 光がふふふふと笑うのを見て、達哉も一緒に嬉しくなりながら光の笑顔を見ていた。

 ―――ふいに笑顔が消える。

『明るい子だねぇ なにをしても、笑うから。光』

 さっきのギャラリーの会話は、達哉にも聞こえていた。

 目が見えるころ、光は四人の中で一番泣き虫だった。変わったのは、目が見えなくなると知ってからだ。
 目が見えなくなった光は、本当によく笑った。暗い表情を、一切見せなくなった。和沙の倍は表情が豊かだ。

 目が見えない光が、人より笑顔を多く見せる理由を達哉は知っていた。

 十六年間一緒に生きてきた。何気ない会話の中で傷つくたびに、袖を掴む光の手に力がこもるのを、達哉は誰より感じていた。

 相手が故意でない分、光は、その相手のためにいつもすべてを笑い飛ばしてあげていた。だけどそのたびに、自分の袖を掴む光の手にぎゅっと力がこもって、達哉はなにも言えずに十六歳になったのだ。

 光の障害は、見た目で判りにくかった。それが光にとっていいことかは達哉には解らないのだが、光にだけの苦労がありそうで、達哉は光の傍を離れずにいる。

 光の方が泣き虫で淋しがり。
 和沙の方が心配性で怖がり。

 多分、この双子のことは自分が一番よく知っている。

「……でもいい曲だ、ほんと。お前の声じゃないと合わないな」

 最高の賛辞をくれたとき、自販機の前に着いた。

 

 

  和沙が光のために書いた、世界で一つだけの曲。
 それでもその時の光にとって『Seele』は、気持ちよく歌える、ただそれだけの曲だった。
 ――その時は。

『Seele』は、
 和沙の遺言になった。
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