Seele―目が見えるようになったのは奇跡ではなく、罰だった―

真紀

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第一章

op.11『多分大丈夫』

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 二人の様子をにこにこ見ていた委員長が窓から廊下を覗く。

「となりのクラスも終わったみたいだな。あ、和ちゃん今日も早退だっけ?」
「うん」
「最近多いな」

 和沙はここのところレッスンが立てこんでいて、学校にいない時間が増えた。

「なんの曲やってんだ?」
「バッハの平均律」
「あら渋いこと」
「和いないんなら、今日は『 seele 』の練習はないな」

 東音祭の練習はなくても、通常のオケ練はある。三人でAオケ専用のホールへ向かったところで光は、突然背後から襲いかかられ首に腕をからめられて前のめりにコケそうになった。

「あーッ! 和ボー! 聞いたぞさっき! おっまえジュネーヴ受けるんだって!?」

 大きなコンクールの名前に周囲の生徒が一斉に振り向く。
 ホールの入り口から楽器を持った生徒がドドドッと飛び出して来て囲まれる。

「くくく苦しい、せんぱい、拓也たくや先輩違う、和沙じゃない、和沙じゃない!」
「え? 光ボー?」

 パッと腕がほどかれる。
 間違われるのなんて、もう慣れっこで、この、一つ上の先輩である拓也など三回に一回は間違っている。大体、見えない光ですら拓也たちのことを間違ったりしないのだからいい加減間違わないでほしい。自分には見えないけど、一体自分と和沙はどれくらい似ているのだろう。

 中からオーボエの生徒が楽器を片手に出て来た。

「あれ、光ちゃん? 和ちゃんはどうしたんだよ、帰ったのか?」
「今日レッスン大阪だから昼で帰りましたよ。和沙に何か用事?」
「用事っておまえ……」

 拓也が、再び光の首を腕でしめた。

「和ボー、ジュネーヴ・ジュニア国際音楽コンクール受けるんだって!?」

「くるしいっ! 行くまで内緒って言ってたのに、どこからバレたんだろ」

 ジュネーヴ・ジュニア国際音楽コンクールは、16歳の和沙でも受けられる数少ない国際コンクールだ。通常はオンライン開催が多いコンクールだが、今年は実際に現地で開催されることもあり、若手の音楽家の間で話題になっていた。

 達哉がため息をつく。

「ピアノ科の子なら、教授らの動き見てりゃ分かるだろ。あのコンクール出るってのは和沙なら射程範囲だったんだし、みんな知らん顔しながら周りの様子うかがってる世界だぜ。だからここんとこ和、レッスン漬けだったのか。よくおれと委員長にまで黙っていられたな」

 言いながら光を睨む。

「このおしゃべりスズメが」

 呆れたような怒ったような、複雑な顔で達哉が愚痴るけれど、そんな複雑な表情は光には見えない。委員長もさすがに呆れ顔で言った。

「ほーんと。エリザベートはずっと夢だったからいつかは受けるんだろうと思ってたけど、まさか十八歳前にもういっちょ国際コンクールいっちゃうとは思わなかった。いつこっち発つの?」

「来週。あっちの先生のところでレッスン始まるから」

 内緒にされたのは頭にくるけれど、和沙はエリザベート王妃国際音楽コンクールを受けることをずっと目標にしていたので、エリザベートを受ける前に年齢制限にかからないジュネーヴの方で一度世界を見てくる算段なのだろう。

「選考会、しばらくあるんだよね? じゃあその間おまえ、一人で淋しいなぁ」

 いたずらっぽく肩を叩いて光の顔を覗き込んだクラスメイトは、光の顔を見て思わずその手を下ろした。

「ごめんね。大丈夫だよ、おれらちゃんと色々手伝ってあげるから」

 光はいつも和沙と一緒だった。
 クラスは違ったけれど、自分の授業が終われば和沙は光の教室に迎えに来ていたし、光はそれまで、教室で達哉に付き添われてじっと待っていた。委員長と達哉と双子の四人が揃ってAオケ専用ホールへ行く姿を誰もが毎日見ている。
 和沙と光が離れ離れになるというのは、光にとっても、高凌の生徒にとっても初めてのことだったのだ。

「今までどーり達哉も委員長もちゃんといてくれるんだし。おれらもいるし」
「そうだよ光、施設に一人でいるのいやだったら、二十一時過ぎはうちにいなよ。おれ、寮だから遠慮いらないから。一人くらいまぎれてても絶対バレないから」
「こら、寮長の前でそんな話?」

 苦笑いしながら委員長が割って入る。委員長はクラスの委員長であるだけでなく、高凌の敷地内にある寮の『寮長』でもあった。

 ヴァイオリン専攻の委員長が『委員長』になったのは、初等部の一年生の頃だ。それまでは、名前で『やすくん』と呼ばれていた時代もあるにはあった。けれどそれを、ほとんど誰も憶えていないほど、委員長歴が長すぎてそのまま『委員長』と安易なあだ名がついていた。

「でも光ちゃん、ほんと、一人で待ってるの辛かったら、寮にいてもいいよ」

 高凌の生徒はみんな、光の目が見えないことに対してどう動けばいいかを心得ていた。いつも光がどうしているか目をやる習慣が出来ていたし、大抵同じクラスの達哉と委員長が傍にいるのが当たり前になっていた。
 ただそれも、和沙にバトンタッチするまでの時間のことだ。養護施設で二人がどう過ごしているのかを、みんなあまり知らない。

「うん。ありがとう。多分一人で大丈夫」

 にっこり笑ってみせたけど、無意識に『多分』と言ってしまったのは、光本人も自信がまったくなかったからだった。それに気付いて達哉と委員長はちょっと困った顔を見合わせた。
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