春夏秋冬

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トライアングル編

3.偽りのクラウン ※R18

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 大河にとって、楠結斗は人生そのものだった。
 十九で知り合い、二十歳はたちになってから仕事で顔を合わせる機会が増え、二十一の冬に恋人と呼び合うようになり、二年と少し経った頃、結斗から切り出された別れを受け入れた。
 あとひと月ほどで、大河は二十四になる。
 共に過ごした日々と変わらず、今も結斗を想う心は、大河の人生に深く絡みついて離れない。
 生きてきた中でのたった三年だ。
 けれど、それまでの価値観が覆されるほどの人生を、この三年で大河は歩むようになった。
 そこには常に結斗がいた。
 これからもずっとそうだ。結斗のいない人生など、大河の人生ではない。
 楠結斗は、大河の人生そのものを象徴する存在であり続けている。
 今でこそ大河はバンド活動以外でも仕事をしているが、そもそもはロックミュージシャンとして芸能界に身を置いており、それは現在でも変わらない。
 結斗とまだ出会う前、大河はプロを目指してバンドの結成と解散を繰り返し、そのうち仲間に期待することを諦め、自分の音楽さえやれればいいと、他人と深く関わることを面倒だと思うようになっていた。
 小さなライブハウスにひとりで出演したり、サポートに呼ばれたバンドのバックで演奏していたのは十九のとき。
 音楽活動は出費がかさむばかりで、食うためには他に働かざるを得ない。
 カラオケ店の厨房や、知り合いの紹介で花屋のアルバイトをしていたが、稼いだ金のほとんどを音楽に費やすと、いつも生きるだけでぎりぎりの懐具合だった。
 ある日、花屋の店先で客のいない隙にベースを弾いていたところ、レコード会社の者だと名乗る男に声を掛けられた。
 大河に興味を示され、ライブを見てもらう機会があり正式にスカウトを受けると、ソロで活動させてくれるならという条件でその男のレコード会社の音楽レーベルと契約して現在に至る。
 結斗とは同じレーベルに所属したことをきっかけに出会った。
 第一印象は煩い奴。
 一方的に名前と顔だけなら知り合う前から知ってはいた。
 大河が小学生の頃に、結斗はすでに芸能界で仕事をしていたからだ。
 同じ年頃の子どもがテレビの中で歌う姿を目にしていたことを、おぼろげながら覚えている。
 タイガだからとらちゃんだね! と、結斗は初対面から勝手なあだ名で大河を呼び、よく喋り、馴れ馴れしい男だとあまり良い印象はなかった。
 肩書きはアーティストらしいが、音楽番組で歌う姿よりも、バラエティ番組の数合わせに呼ばれているのを目にする機会が多い男だった。
 音楽と真剣に向き合わない男など大河は興味がなく、当初は結斗と関わることがほとんどなかった。
 初めて結斗の存在を大河がはっきりと認識したのは、レーベル主催の音楽祭で共演したときだ。
 何組か出演していた合同ライブで、結斗は楽屋でも移動中もとにかく騒がしく、気づけば誰かと話しては笑っていた。
 大河にも声を掛けてきたが、うるせぇ、とだけ答えてろくに会話を交わした記憶はない。
 けれど、自分の出番を終えた大河が直後に見かけた、舞台裏で出演を待つ結斗の姿は、ずっと脳裏に焼き付いている。
 暗がりでのスタンバイ場所で、周りには誰もおらず、結斗はひとりでそこにいた。
 見たことのない真剣な顔つきは、パフォーマンスへの集中を高めていたのだろう。
 その表情だけでも大河は意外に思って、印象的だった。
 そして結斗はステージに向かう直前、鋭い眼差しでにっと口角を上げ、好戦的に笑ったのだ。
 大河は少し距離のある位置から、その横顔を見ていた。
 誰に見せたわけでもない結斗の顔に、大河の鼓動がどくんと大きく跳ねた。
 アーティストと言いながら実際はバラエティータレントか何かなのだろうと軽く見ていた男を、かっこ良い、とただ素直にそう思ってしまった。
 胸の高揚はライブ後の余韻か、それとも。
 観客の前に姿を見せた結斗を追い掛けるように、ステージの裏に用意されていたモニターへ目を移すと、そこには紛れもなくアーティスト、歌手である〝楠結斗〟がいた。
 いつも以上に満開の笑みを見せて歌って踊る、楠結斗を完璧に演じきる男がいたのだ。
 その翌年、大河がソロでのライブを行った際に、結斗が観に来たことがあった。
 終演後に差し入れを持って楽屋へ挨拶に訪れた結斗は相変わらず喧しかったが、すっごく良かったよ! と興奮気味に褒められたので、悪い気はしなかった。
 そのうちに事務所で見掛ければ会話を交わすようになり、何度か顔を合わせているうちに結斗が、一緒に何かやれたらいいね、と言い出した。
 結斗は所属事務所から仕事を与えられるのを待つだけではなく、自らの人脈を仕事に繋げることもあるらしい。
 物心がついた頃から児童劇団に所属し、子役としてショーやミュージカルのステージに立っていた結斗は、十二でCDデビューした。
 子役アイドルと呼ばれて世間からもてはやされ、デビュー曲はずいぶんと有名になった。
 けれどそれきり、何を歌っても泣かず飛ばずでそのうちに世間から忘れ去られ、曲だけが当時の流行として残っている。
 十四になった結斗はひっそりと児童劇団を退団した。
 今の事務所に移ってからは音楽以外の仕事もこなしながら、細々とだが当時からのファンに支えられて歌い続けている。
 自分を売り込む営業力の高さは、過去を踏まえ客観的に〝楠結斗〟を商品として見ているからこそ為せるのだろう。
 どうすれば相手が喜ぶかを常に考えており、ファンだけではなく、仕事先のお偉いさんやら現場のスタッフが望む楠結斗を自在に操り演出する。
 芸能界の華やかさと辛辣な現実、どちらも知っているからこそ結斗は鋭いバランス感覚で人を、周りをよく見ていた。
 自然に気を回しながら、そうと感じさせない雰囲気すら作って纏う。
 自身が損な役回りになっても大袈裟に嘆いて深刻に見せず、面倒ごとも率先して引き受けた。
 それが自分の役目だとでも言うように。
 誰とでも気軽に話し、いつもスタッフや共演者に囲まれている結斗だったが、本人は他人を頼ろうとしていないのだと大河が勘づいたのはいつだったか。
 他人を信じることを諦め、余計な人間を寄せつけなくなっていた大河だから気づいたのかも知れない。
 上辺だけで笑ってやり過ごし、他人に心を許さず、本音を見せていないのではないか。
 大河には結斗がそう見えた。
 本当の楠結斗はどこにいるのか。大河は気づけば結斗を目で追うようになっていた。
 ステージに上がる前の、あの横顔が忘れられない。
 その顔、誰になら見せるんだ。
 おれには見せろよ、と胸に芽生えた欲求は、日に日に増していくばかり。
 その頃からずっと、大河は楠結斗に恋をしている。



 ソロライブが終わって少し仕事が落ち着いていた二十一の冬、結斗と一緒にラジオ番組のパーソナリティーに就任することが決まった。
 仕事が増えるのは有り難いが、突然の抜擢に首を傾げていると、事務所のスタッフから結斗が大河を相方に推薦したのだと教えられた。
 確かに何か一緒にやりたいとは言っていたが、本気だったのか、と驚く気持ちが強く、どうしておれなんだ、と結斗に尋ねたときのことは、きっと一生忘れない。
「初めて一緒に出た音楽祭のことを覚えてる? とらちゃんの全力パフォーマンスを見てたらさ、ぼくってそういうタイプじゃないのに、自分を抑えられそうにないくらい影響されちゃったんだよね。それで、この子と一緒に何かやれたら、絶対楽しいなって思ったんだ」
 大河の胸に結斗が刻まれた日の記憶だ。
 結斗もその日、大河から受け取ったものがあったと言う。
 あの顔は、おれがさせたものだったのか。
 そうと知ったら、もう溢れる想いを止められなかった。
 おれのそばにいろよ、という言葉で想いを伝えると、結斗が、嬉しい、と応えてふたりは結ばれた。
 惚れた相手に触れるのが、触れられるのが、心も体も満たしてくれるのだと、大河は初めて知った。
 恋人になった結斗との音楽ユニットが始動したのは、それから数ヶ月後。
 大河をプロの世界へと誘った恩人が、ふたりでやってみろよと言い出した。
 結斗は嬉しそうにふたつ返事でやりたいと答えたが、大河は簡単に頷けなかった。
 メンバー間での色恋沙汰が原因でバンドが崩壊したこともあった過去のせいで、恋と仕事は切り離していたかった。
 結斗との付き合いを大事にしたいからこそ断ろうとしたが、自分を拾ってくれた恩人、レコード会社の社長が熱心に説得するものだから、乗り気でなくとも了承するしかなかったのである。
 社長の計らいでマニピュレーターの望と、作詞にルカの参加が決まって、四人となる音楽ユニットのプロジェクトは始まった。
 慣れないバラエティ番組に出演したり、ライブと言えば拳を突き上げるようなロックバンドしか知らない大河は、ペンライトや文字の書かれたうちわを振られることに戸惑った。
 当初は一曲歌って終わりにするつもりだった四人での活動は好調で、継続的なグループとして正式に結成されたことが、大河の人生における最大の転機と言えるだろう。
 音楽だけが人生のすべてだと思っていた。音を奏でるために生きているのだと。
 けれど、大河はもう知ってしまった。
 結斗のパフォーマンスは音楽を聴かせるだけじゃない。
 独りよがりの音ではなく、聴いて、見ていてくれるファンのアクションを受け止め、さらにパフォーマンスで応える。
 アーティストの言動を受け取ったファンの声援が、また自分が輝くための糧となる。
 大河はこれまで、ファンという存在を意識したことがなかった。
 応援してくれる存在はありがたいが、そこに人の感情があるのだと考えたことはなかった。
 自分がやりたい音楽をやって、聴きたいやつが聴けばいい。
 それ以上の言葉は必要ないし、それが音楽だと思っていた。
 グループとして活動することで、自らが信じる音楽の道について来てくれるファンに、もっと届けられるものがあるのなら、本気で、全力でやってやりたい。
 ソロアーティストとしての自分と、グループの一員としての自分は相反するものではなく、共存するものだ。
 大河がそれを自覚するようになったのは、その頃ずっとそばに結斗がいた影響が大いにある。
 人生観が変わるくらいの意識との出会いを結斗はたくさんくれた。
 だから楠結斗は、大河の人生そのものなのだ。



 結斗の言動に違和感を持つようになったのは、いつの頃からだろう。
 隣にいるはずなのに、大河の心を掴んで離さない楠結斗は、とんと顔を見せない。
 代わりに居るのは、馬鹿みたいに笑って、道化を演じる男だった。
 結斗が笑うたびに、大河の苛立ちがつのっていく。
 だって大河は知っているから。
 結斗には誰にも見せない素顔があることを。笑顔の裏に何かが潜んでいることを。
 恋人としての月日を重ねても、徐々に知っていくのは結斗の抱えているものの正体ではない。
 何を隠しているのか、まだ明かしてもらえないという現実だけだ。
 どんなに大河が本気でぶつかっても、結斗はのらりくらりと躱す。
 苛立つのは本心を見せない結斗になのか、見せてもらうことが許されない自分自身になのか。
 他の誰にも見せない楠結斗を自分だけのものにしたいのに、結斗のすべてを暴いてやりたいのに、その方法がわからないままフラストレーションは溜まるばかりだった。
 そして大河は気づいてしまう。
 ずっと隣で、結斗だけを真っ直ぐに見続けていたからこそ、知ってしまった。
 結斗には、大河への恋情が存在しないのだと。
 じゃあなんでおまえはおれといるんだ。
 同情でもしているつもりか、とまた怒りが込み上げるのに、それでも隣にいてくれる結斗に甘えて、気づいていることを言葉にしなかった自分にも嫌気が差す。
 始まりの日には、そばにいろよ、と言った。恋人でありながら隣にいることが当たり前ではないのだと自覚させられるたびに、そばにいたいと願った。
 とっくに綻び始めていたふたりを結ぶ糸は、数ヶ月前に結斗がほどいてしまって、大河は恋人という立場すら失った。
 きっかけは結斗の浮気だったけれど、決定打となったのは大河がそれを許したからだ。
 大河は結斗に恋をしている。だから結斗に触れたくて、結斗もそれに応えてくれていた。
 結斗が男を恋愛対象にできないと知って、それでも。
 ずっと我慢を強いていた自覚はあったから、浮気の相手が女なら、仕方がないと諦めただけだ。
 結斗を失うことが何より怖かった。
 大河の想いが結斗を傷つけ、これ以上は同等の好意を返せないと結斗の下した決断が、恋人としての決別だった。
 恋人関係が解消されてもふたりが仕事仲間であることには変わりなく、互いの希望はグループの活動継続で一致した。
 何か一緒にやりたいね、と願った結斗は、今でも大河と共に歌い続けることを望んでいる。
 それだけが希望にも思えた。結斗に対する大河の感情は揺らがない。
 共にパーソナリティーを務める番組も、そろそろ放送開始から三年目を迎えていた。
 収録で定期的に顔を合わせるし、最初から楽屋もずっと共有しているので、今更別にしてくれと言い出せば要らぬ憶測を呼ぶだろうと、今でもそのままにしている。
 仕事ではもちろんプロとして、ふたりは私情を一切見せない。
 楽屋でも大河が普通に接すれば、結斗も自然体で答えた。
 それに安堵するところもあったけれど、結斗の中ではもう終わったことになっているのかと思うと、大河の胸はまたぎしぎしと軋む。
 一度、おれの前で無理に笑うな、と言ったら、無理してるつもりはないんだけどな、と結斗は困ったように笑った。
 そう答えたのが本当の楠結斗なのか、今の大河にはもうわからない。
 関係は平行線のまま、春を迎える前に終わった恋を引きずって夏を過ごした。
 その間も互いに個人の仕事で忙しく、先日にはグループとしても新しくCDが発売された。
 結婚をテーマに掲げ、四人で歌詞を紡いだものだ。
 大河の言葉には、いつだって魂を込められている。
 今回もそうだ。おまえはおれの人生なのだと、その想いをしたためた。
 結斗に、届いていれば良いのに。
 きっと大河の想いには気づいていて、知らないふりをするのだろうけれど。



 毎週金曜日の午後、ラジオ番組の収録前に楽屋で結斗と顔を合わせる。
 今週も例外ではなかった。
 新曲をライブで歌う際のパフォーマンスについて結斗と相談していると、大河はふと結婚がテーマのドラマにタイアップが決まったときのことを思い出した。
 結斗は、ありえないからおもしろい、と言っていた。
 自分たちに結婚が無縁なのだとしたら、恋愛は?
 芸能界には表向き恋愛禁止を求められるアイドルという職業も存在するが、大河には当てはまらない。結斗はどうなのだろう。
 大河との付き合いが結斗にとって恋愛だったのかどうか、今となっては確認したくもないが、女になら恋情を抱くこともあるのだろうか、と疑問が頭をよぎった。
「おまえ、浮気した女と付き合ったりしてんの」
 机を挟んで向かいに座る結斗の顔を、大河は頬杖をついて視線を上げ、じっと見つめる。
 仕事の話をしていた大河が急にそんなことを言うものだから、結斗はタイミング悪く口に運んでいたお茶をうまく飲み込めなくて、ごほごほと咳き込んだ。
「しっ、してないよ! ……連絡先も知らないし」
「そんな相手に手ェ出したのか? 最悪だな」
 仕事で関わった女と聞いただけで相手は知らないし、知る意味もないから聞く気もない。
 結斗が本気でその女に惚れたと言うなら、まだ救いになっただろうか。
 しかし結局はその場限りの関係で終わったらしく、その程度の相手にすら自分が劣る気がして、大河は嫌悪感を露わにした顔で舌打ちした。
「ちょっといろいろ不可抗力だったの! ていうか、嫌じゃないの? こんな話」
「胸くそ悪ぃに決まってんだろ」
 目元を歪めて睨むと、結斗は大袈裟に震えて見せた。
「怖いよ! じゃあなんで聞くのさ」
「なんで、って?」
 好きだから、聞きたくないのに、知りたいのだ。
 それを大河に尋ねるのはさすがに無神経だったと、結斗はばつが悪そうに俯いた。
「……ごめん」
 謝られると余計に惨めで、もうこの話を続けるつもりはなくて顔を逸らす。
 けれど、今度は結斗がちらりと目線だけを上げて、大河を見つめた。
「とらちゃんは結婚とか、考えたことないの?」
「ねぇよ」
「とらちゃんはさ、いろんな人に目を向けた方が絶対いいよ」
「必要ねえ」
 大河は結斗が初めての相手で、他を知らないから、こいつでなければだめだと思い込んでいるのではないか、と結斗は心配している。
 大河の想い全部を幻想のようなものだと言いたいのなら、随分と酷い話だ。
 結斗は好きでいることすら許してくれない。
「とらちゃん。ぼくはね、きみがいつか結婚して、子どもが生まれたりしてさ。そういう、普通の幸せも、あるんじゃないかなって」
「オンナに興味ねぇっつってんだろ!」
 抑えきれない苛立ちが咄嗟に爆発する。
 まるで大河のために自分たちは離れた方が良いとでも言うような、残酷な愛情。
 そんなものは大河にこれっぽっちも必要ないのに。
 女を恋愛対象に見られない大河は性衝動の対象が男で、だけどそれをこの場で言葉にしてしまえば、結斗にまた拒絶されると思って言えなかった。
 結斗が男との行為を気持ち悪いと感じていると知っていて、どうにもできなかった自分を責めるしかない。
「なんだ? おまえはこどもが欲しいのか」
「そういうわけじゃ……そりゃ先のことはわからないし、いつかは欲しくなるかも知れないけど」
「じゃあどっかで作ってこいよ。おれが育ててやる」
 結斗が自分のこどもを望むのなら、本気でそう思った。
 大河には結斗のこどもを宿してやることができないけれど、それを一緒にいられない理由にされたくない。
 真っ直ぐに睨む大河に、結斗は呆然として固まった。
 それから徐々に、丸くした目が歪んでいく。
「……とらちゃん、本気で言ってるの?」
 疑心を抱いた声がいつもの結斗らしくなくて、ぞくりと大河の背中がざわついた。
「きみはほんとにぼくが好きなの? 意地になってるだけなんじゃないの?」
「おれはおまえと違って好きでもねぇのに好きなふりなんかしねぇよ!!」
 好きだから、他の誰かを抱いても我慢してやるとまで思うのに。
 その想いすら疑うなんて、存在すべてを否定されているようなものだ。
「ほら、また。きみはぼくにひどいことを平気で言うよね」
 大河の怒鳴り声に、結斗は悲痛な表情を浮かべる。
「きみはぼくが何を言われても傷つかないと思ってるの?」
「思ってねえから言うんだろ! 嫌ならちゃんと怒れよ!!」
「ケンカ、したくないんだもん」
 結斗にしてみれば大河を好きなふりなんてした覚えは一度もないし、想いを恋にしたかったことも嘘ではなかった。
 恋人として過ごした間、散々大河の愛憎を浴び続けて、受け止めることも受け流してやることもできなくなっただけだ。
「ぼくはずっと、とらちゃんに笑っていて欲しかったよ」
 伏せた目がもうこちらを見てくれなくて、大河の心臓は切り裂かれたように痛い。
 結斗を傷つけることしかできなかった、自分で切りつけた痛みだ。
 いつだって本当の結斗を探していた。けれど、こんな顔をさせたかったわけではない。
「おれだって、そうだ」
 偽物の笑みではなく、心からの感情で笑って欲しかった。
 想いの伝え方が不器用だったなんて、言い訳にならない。
 確かに想い合って始まったはずなのに、繋いだ絆を最初に壊したのは自分なのだと自覚する。
「おまえが笑えて、ずっとそばにいるなら、それでいいんだ」
 大河はただ結斗のそばにいたいだけだと願った。
 この恋情が受け入れられなくてもそれは変わらないのだろうかと自問するが、答えは出ない。
 じわりと大河の胸を愁傷が侵食して、視界が揺れる。
「泣かないで、とらちゃん」
「泣いてねぇ」
 俯く大河に結斗が腕を伸ばした。しかし触れる直前でその手は躊躇する。
 触れてしまえば、また大河を縛ることになるのではないか、と。
 戸惑いながら、それでも突き放すことはできなかった。
 結斗が席を立ち、今度は迷わず大河の髪を撫でた。
 ふわりと近づいた香りに大河の涙腺が緩む。結斗の匂いだ。
 こんなに近くで結斗を感じたのはいつ振りだろうか。
 最後に触れたのは別れる少し前だったから、もう半年ほどが経っている。
 すぐそばに一番愛おしいぬくもりがあるのに、大河は抱きしめることもできない。
 これ以上結斗を苦しめたくはないのだから。
 大河が動けずにいると、結斗が涙の滲む目を伏せ、灰色の髪を胸に抱き寄せた。
「ぼくも、ずっと一緒にいたいよ」
 声を震わせた結斗の静かな言葉は、きっと本物なのだ。
 恋ではないのだとしても、まだ隣にいたいと言ってくれるのか。
 それだけで大河はたまらなく嬉しくて、目の前のからだに触れてしまいたい。
 それでも必死に、込み上げる愛しさを噛み殺した。
 結斗がそれを望まないと、もう痛いくらいに知っているから。
 恋人となって、お互い距離を測りながら付き合い方を模索していた頃に、こうして結斗の気持ちを考えてやれていたら、こんな未来はなかったのだろうか。
 もう一度最初からやり直せば、今度はもっと優しくしてやれたなら、ふたりはこれからの人生を、共に歩んでいけるのだろうか。



 みっともなく泣いて、心を曝け出しても結斗との距離は結局なにも変わらぬまま。
 過去は振り返らない主義の大河だが、失敗と反省から学ばなければ先に進めないことくらい嫌でも実感していた。
 一度決めたことを妥協するのは主義に反する。結斗との恋を諦めたくはない。
 けれどひとりではから回るばかりで、今日もまた足踏みどころか後退したような気分になって自己嫌悪に苛まれた。
 こんな感情は自分らしくない。
 鬱々と煮えきらない思考を、頭を振って無理やりに飛散させる。
 どうしようもないフラストレーションは、音にして発散するのが大河の生き様だ。
 収録が終わると事務所からほど近くのスタジオに向かい、がむしゃらに弦をかき鳴らした。
 感情のままに荒削りの歌詞と曲のベースラインを書き上げ、靄を吐き出した心が少しはすっきりしたところで、ふと時計の針がもうすぐ真夜中を指し示すことに気づいた。
 集中していたとはいえ、遅くなりすぎた。
 今から自宅に戻るなら、タクシーを使うしかない。
 一応これも仕事のうちなのだから経費で落ちるだろうけれど、節約が身に染み付いてる大河は、経費とは言え完全な無駄金を払うことに抵抗があった。
 ならばどうするか、と思案していると、ここからそう遠くはない洋館が頭に思い浮かぶ。
 住人はもう眠っているだろうか。
 それならこっそりリビングのソファでも寝床に借りてやろう、と勝手を思った。
 大河は、徒歩で向かえば半時間程度の距離にあるその邸宅の鍵を所有している。
 それでも、鍵を手にしているとは言えさすがに無許可で立ち入るのは気が引けて、大河はスマートフォンで一言だけ連絡を入れた。
 今から行く、と簡潔に送信したメッセージを眺めていると、そのうちに「既読」の文字が表示される。しばらく待っても返信はなかった。
 認識しておきながら来るなと言わないのなら、無言の許可と受け取って、大河はそろそろ通い慣れた邸宅までの道のりを足早に歩いた。
 洋館の住人であるルカは、大河と共にグループとして活動するメンバー。
 それ以上でも以下でもなく、どちらかと言えば犬猿の仲、口を開けば互いに悪態をつく。
 出会ってからずっと、それは今でも変わらない。
 そんな相手の自宅の鍵を、なぜ大河が所持するに至っているかというと、話は半年ほど前に遡る。
 最初のきっかけは、酒のせいで覚えていない。
 二度目は自らの意思で、その後は流れでなんとなく。
 ルカの自宅で、もう何度も身体を繋げている。
 互いに恋情はなく、ただ性欲を発散させるための行為だ。
 少なくとも大河にとっては、それ以外の意味などなかった。
 相手がルカだと思えば気をつかうことも、優しくしてやる理由もないし、自分の欲をありのままに吐き出せた。
 それが思いの外、心と身体を軽くしてくれることにそろそろ気づいてしまってはいるが、だからこそ、これは恋心などでは一切ないのだ。
 罪悪感ならそれなりにあって、ルカの住まう居館へ赴くたびに、いつ終わっても良い関係だと自分に言い聞かせていた頃、合鍵を渡された。
 ルカが仕事で帰れなかった際に愛犬の世話を頼まれて預かった鍵を、返さずにいる。
 それまでは仕事で一緒になったときになんとなく共に向かうだけだったのに、今ではなんとなく大河が先にルカ邸へ上がり込んでおくこともある。
 なんのために? ルカを抱くためだ。
 それ以外に、大河が訪れる理由などない場所。そこにまた、足を踏み入れようとしている。
 あくまで今日のところは、帰りが遅くなったから寝床を借りに行くだけだ、と己に言い聞かせたくなるが、むしろそれは言い訳にならない。
 自分たちは理由もなく、困っているからと自宅を寝床に提供してもらえるような関係などではないのだから。
 ならばそこに行くということは、どうしても頭のどこかでルカとの行為を考えてしまう。
(そういやもうゴムなかったな)
 前回、置いていた分を使い切った記憶があった。ルカがわざわざ買い足しておくとも思えない。
 向かう前にコンビニにでも立ち寄って、購入して行くべきか思案する。
 けれどスマートフォンの画面を再度確認して、必要ないか、と結論づけた。
 ルカからの返信は未だになく、メッセージを確認したあと、眠ったのかもしれない。
 それならそれで、やはり、あくまで寝に行くだけだ。そういうことにしておいた。
 目覚めればきっと口煩く罵ってくるだろうが、その時はこちらも応戦してやればいい。
 住民たちの寝静まった静かな住宅街、館の前で大河は合鍵を取り出した。
 時間を考えれば自然と音を立てないようにそろりと扉を開けて、暗闇の中に侵入する。
 リビングに向かうと、寝室に続く階段から人影が落ちていることに気付いた。
 見上げると階段の上から大河の様相を確認して、ルカが顔を顰めている。
「まずは風呂だ。用件なら後で聞いてやる」
 それだけ促すと、ルカはふいっと階上に姿を消した。
 起きてたのか、と思いながら自分の服や腕を確認すると、自覚していたより汗くさい。
 このまま屋敷内をうろつくなということだろう。
 ソファを借りるにしても確かに体の汚れは落とすべきだと納得して、大河はバスルームへ向かった。
 浴槽は使わず、シャワーだけで済ませて浴室を出ると、大河のシャツとジャージが脱衣場に用意されていて、なんだか胸がむず痒い。
 いつだったか、ライブのリハーサル帰りにここへ来て、稽古着にしていた衣服を忘れて帰った。
 捨てられてるかもなと思っていたら、次に来たときには洗ってあったから、なんとなく着替えとして置いたままになっている。
 使用頻度は高くないものの、きちんと洗濯し、保管されているのだ。
 それを大河のシャワー中にルカが用意した、と思うと、なかなかに複雑な心境だった。
 そんなことをさせるような関係ではないはず、ではなかったか。
 ルカが何を思っての行動なのか、大河には見当もつかなかった。
 バスルームを出てリビングに向かうと、ソファにいるだろうと思っていたルカがいない。
 階段を上がって三階を覗くと、橙色のフロアランプだけが灯る寝室で、ルカはベッドに潜り込んでいた。
 こちらに背を向けていて、表情は見えない。
 ベッドサイドまで近寄ってみたものの、寝ているのなら声を掛けて起こすほどでもないかと思って、大河は踵を返そうとする。
「おい」
 階下のソファで寝ようとした大河の気配を感じたのか、ルカがゆらりと上半身を上げた。
「お前は、ここに何をしに来た」
 冷酷な声が静寂に凛と響く。
 普段聴いている声よりも、一段と鋭く突き刺さるような声色だった。
「いや……スタジオで遅くなったから寝に来たっつーか、」
「私に用がないのなら今すぐ立ち去れ」
 やはりそんな理由で屋敷を使わせてやる義理はないと言いたげに、ルカは顔を歪める。
「もう寝てたんじゃねぇのかよ」
「お前が連絡を寄越したんだ」
 待っていたのなら何か反応くらい返せと思わなくもなかったが、深夜に突然の訪問を受け入れさせた手前、言葉を飲み込んだ。
「あ——……悪かった」
「適当な謝罪など必要ない」
 下手に出てやっても、機嫌が頗る悪いルカの声は唸るように重い。
 居心地が悪く、なんでこいつに謝らなきゃなんねぇんだ、と苛立ちかける。
「用件はなんだ?」
 歯切れの悪い大河を訝しみながら、ルカが顔を見上げてきた。大河がこの館を訪れる理由はひとつだけのはずなのに、触れる意思がない様子にルカは眉を吊り上げている。
 眠りを妨げられ気分を害しただけなのか、何を言わせたいのか、ルカの意図が読めない。
 どちらにせよもう後には引けず、大河はベッドの端に腰を下ろした。
 シーツの中に手を差し入れ、寝巻き越しの太ももを撫でてみたが抵抗はない。
 一度触れてしまえば、じわじわと手のひらから伝わる熱に期待してしまう。
「……ここで寝ていいのかよ」
「後でソファくらいなら貸してやる」
 事後には出て行けという冷酷さに、ルカの肌を撫でる手に力が籠る。
 これまでも寝室に招かれることは滅多になくて、ベッドで身体を繋げても、情事が終われば追い出されることは珍しくなかった。
 けれど今日に限って、大河はそれが酷く煩わしい。
「じゃあ最初から下で寝るっての」
「ならば帰れと言っている!」
 頑なに譲らないルカの態度が気に入らなくて、かっと頭に血がのぼる。
 咄嗟に寝着の胸ぐらを掴んで、ルカをベットに押し倒した。
「やりてぇならそう言えよ!」
「お前が請わないのなら相手をする気はない!」
 身体を繋げることだけを求めているくせに、大河からのアクションがなければ行為すら必要がない、という口振りに苛立って仕方ない。
 確かに最初は大河の身勝手な欲望を押しつけただけだった。
 けれどそれを受け入れたルカだって、その行為を愉しんで、互いの立場は対等なはずなのに。
「っ、クソッ、やりゃあいいんだろ!」
「触るな、無礼者!」
「ああ!?」
 寝着を剥ぎ取ろうとした手を掴み、鋭い眼光が大河を睨みつける。
「お前が私を必要としないのなら、私もお前に用などない」
 一語ずつゆっくりと冷酷な低音で唸り、ルカは歯を食いしばった。
 怒っている、のだろう。けれど、瞳の揺らぎにどきりとする。
 なんでそんな、傷ついたみたいな顔をするんだ。
 歪んだ顔が苦渋の表情に見えて、大河はルカの胸元を乱暴に押さえつけている手を緩めた。
「……いらねぇとは言ってねぇだろうが」
 うまくやっていると思っていた。互いに好意などないからこそ、成り立っているのだと。
 嫌味なやつだし、信用ならない。気が合わずに言い争うのが日常だ。
 数ヶ月前までならいっそ、互いの音楽だけあれば良かったのかも知れない。
 言い換えれば、詩を重ね、音を紡ぐために、欠けてはならないもの。
 そばにいることが当たり前になっていた。
 恋愛関係にないとはいえ、グループとしてルカの言葉を歌い続けている現状は一蓮托生、運命共同体のようなものだ。
「もう一度だけ聞いてやる。ここに、何をしに来た?」
 答えを間違えれば、すべてが終わる気がした。
 ここに来る理由、大河が求めるもの。
 感情の必要ない行為だけが目的なのだろう、と。
 そうでなければ、この関係は何なのだ、と問われている。
 言葉で答える代わりに、大河は掴んだままの胸元を肌蹴けさせ、ルカの喉元に噛みついた。
 露わになる直肌に手のひらで触れ、脇腹から伝って腰を撫でる。
 肌の温もりを確かめながら、下半身を隠す衣服に手を掛けた。
 布の中に指を差し入れ、そのまま下着ごとずり下ろすと、橙の明かりが白い裸体を照らし出す。
 もう何度も見た身体だが、自分のものとは骨格も、肌の色も違う。
 このおそろしくきれいな男の身体を、今から犯すのだ。
 無意識にごくん、と喉が鳴る。
 目の前の肉体を好きにできるとなれば、急速に大河の欲は血を滾らせた。
 下半身まで包み隠さず大河に晒したルカは、腕で口元だけ覆って表情を見せない。
 自らの身体に雄の反応を示す大河を、目を細めて見つめていた。
 一切の羞恥を見せず、昂然と差し出された肢体は、その自信に相応しい淫楽を約束している。
 熱情に任せて今すぐ身体の奥を抉ってやりたくなるけれど、視覚だけでも十分に大河の興奮を煽った。
 胸の突起に触れ、親指で捏ねると次第につんと硬くなる。
 ぎゅっと摘めばぴくりと胸が跳ねた。
 自分が与える刺激で反応するところを、もっと見たいと欲が湧く。
 相手を気持ちよくしてやりたいなんて、恋仲みたいな感情には蓋をした。
 自分が触りたいから触るだけ。
 これはあくまで、自分のための行為なのだと自身に言い聞かせる。
 芯を持った乳首に舌を這わせた。吸い付くと呼吸で上下する胸が焦れるように身動ぐ。
 軽く噛んで、舌で転がしながら、もう片方は指先で引っ掻いた。
 徐々に膨らむ大河の熱が、ルカの下肢に当たる。
 欲情の証を知り、ルカはくっと喉を鳴らして微かに嗤った。
 乳首を弄る姿を嘲けられ、屈辱に感じて思わずむっと唇を結ぶ。
 主導権を握られているようで癪に触り、上半身を起こして一度ルカの肌を離れた。
 体温の上がる身体に服が不快で、大河は着ていたシャツを捲り上げて首から抜く。
 ルカの片足を跨いで膝立ちになっていると、素肌の太ももが大河の股間をすり、と擦った。
 少しも待たない淫らな身体に、またも興奮を煽られる。
 右手で艶かしい下肢を撫で、もう片方でルカの手を取り、すでに緩く勃ち上がった自身の性器に誘導した。布越しに触れる指は躊躇なくそれを逆手に握り、緩慢に上下する。
 確実に熱を育てようとしてくる手の動きで、性器はあっという間に硬度を上げた。
 ルカの内腿に差し入れた手が、足の付け根をなぞってじわじわと尻に近づく。
 まだかたく閉ざされた穴に指を這わせると、ルカが目蓋を伏せて小さく吐息を漏らした。
 入口をほぐすように捏ね回し、ひくひくと反応してきたところで二本の指を押し込む。
「——ん、ァ……ッ」
 浅いところを抜き差しする動きに合わせて吐息は喘ぎに変わった。
 次第にそこは柔く口を開いて、指を増やすときゅうきゅうと締め付けてくる。
 大河を無理なく受け入れられるように少しずつ侵入を進め、内壁の膨らみを圧迫するように指の腹で何度も穿ってやったら、中からの刺激にルカの腰がびくびくと跳ねた。
 快感は欲情の証にルカの性器にも血を溜めていく。
 十分な大きさのそれが嫌味に思うけれど、ぴくんと震える様子は淫猥でうつくしい。
 ルカに握られた大河の性器は下着の中でどくどくと脈打っている。
 早く熱を解放したくて、急いだ手つきで下衣をずりさげた。
 ルカの尻穴もそこに埋める熱を待ち望んでいるように、大河の指を咥え込んでいる。
 指を引き抜きながら、すでに上を向いた性器をどうやって捻じ込んでやろうかと動きを止めた一瞬の隙に、ルカは大河を隣に倒れ込ませて下肢を跨いだ。
 開いた脚の間に大河の性器を自らの手で突き立てる。
 見上げると片方の手が後ろで尻を拡げているのが卑猥で、生唾を飲み込んだ。
「……ゴムねぇんだけど」
「必要、ない」
「おまえがいいなら、いいけどよ……」
 そのまま飲み込もうとするルカに一応の申告をしてみたが、いっそ潔い返答にこちらが戸惑う。
 ここでまたするかしないかと揉めたくはないので、ルカの好きにさせることにした。
 これまでも挿入時につけろと言われたことはないし、つけずに挿入したことで事後に責められたこともない。
 用意があれば、大河が自主的に使用しているだけではある。
 けれど、受け入れる側は身体的にも気分的にも、不快ではないのだろうか。
 大河が抱く疑問は、自ら性器を尻に当てがうルカを見ていたら、杞憂なのだと思わされる。
 先端が侵入する感覚に目を瞑って眉を寄せ、ぎちぎちと拡げられていく尻穴に性器を埋めていくと、はあ、と薄く開いた唇は甘い吐息を溢した。
 どんなに薄い材質のものでも、直に触れ合うこの感覚だけは再現できない。
 粘膜同士の交わりが与える快楽に、ルカは全身で蕩けている。
「おまえ、ナマ好きだよな……」
 腰を上下させるたびに性器が揺れ、反らせた背中がびくびく震えるルカを、ぼうっと眺めた。
 気持ちよさそー、と思いながら、大河だってダイレクトに性器を中で扱かれて、そろそろ思考は正常に回らない。
 何もかも忘れて没頭するなら、より快感を得られる方が肉体は満足するに決まっている。
 相手もそれを求めるなら、罪悪感が少なくて良い、と喜ぶべきところなのだろうか。
「っ……? 異物を、好む者もいるのか」
「いや、好むっつか」
 結斗にはどんなムードでも必ず挿入の前につけるよう促されていたし、感染症の予防だとか、自分たちには関係なくとも避妊具としてだとか、使用するのが当然と認識している自分がおかしいのかと不安になりそうだ。
 異国で生まれ育ったルカとは、性知識すら相入れないのかも知れない。
 隔てるものは何もなく、大河のにくだけが内壁を擦る。
 このまま奥に打ちつけながら射精できたらどんなに気持ちよいだろう。
 単純に快楽だけ貪り合うのなら、そうしてしまえばいい。
 けれど、ぎりぎりのところでまだ大河の理性は働いていた。
 いくら相手がルカだとしても、己の欲望が赴くままに中で精を放つほど、非情になれない。
「ちょ、待て、も、出そ……」
 ルカの体を気遣っているつもりなのに、当の本人は絶頂が近づく大河に、ふ、と艶かしく微笑んだ。まるで勝ち誇ったような顔で、満足そうに目を細めている。
「抜け、って、ルカ!」
「……無様だな」
 いやおまえが良いのかよ! と言ってやる暇もなく、ルカは愉しそうにますます挿入を深めた。
 このまま出させた方が勝ちだとでも思っているのか、それはそれで確かに負けた気分になるから悔しい。
 けれど感情を捨ててしまえば、緩急をつけて締めあげてくる内壁が与えてくれる、外に出すのとは比べ物にならないほどの快感に浸ってしまえるのだ。
 規則的に揺さぶって射精感を追い詰める腰の動きが、大河の正常な判断能力を奪う。
 もうどうにでもなれと半ば自棄になる頃には、ルカの尻を両手で掴み、先端を何度も奥に打ちつけていた。
「あっ、ア……ッ、」
 嬌声を隠さないルカは大河の腹に片手をつき、身体を支えながら腰を振る。
 内壁から伝わる快感で勃起した性器を己の手で握ると、先端に滲む体液を絡めてぐちぐちと扱いていた。
 まるで見せつけてくるような行為から目が離せない。
 咥え込んで離してくれない熱を一番奥にぶち撒けた瞬間は、こいつマジでクソエロいな、とぼんやり思ったことしか記憶にないほど、快楽に溺れるからだに大河も夢中になれた。
 射精後の気怠さを徐々に自覚して、はあはあと荒い呼吸で大河は空気を貪る。
 上下する胸にぱたりと倒れ込んだルカも、いつの間にか腹の上に精を吐き出していた。
 汗ばんだ素肌同士の密着が不快なのに、どっどっと速いリズムを刻む心音が響き合って心地良い。
 大河の耳元に、はあ、と熱い息がかかる。
「用が済んだのなら下で寝ろ……」
「まだ言うのかよめんどくせえ……」
 懲りずに意地を張っているだけのような態度に呆れるしかない。
 先ほどまで甘く啼いていたのは誰だ。
「馬鹿と共に眠る理由などないからな」
 ずるずると大河の上からうつ伏せのまま隣に降りながら、息を整えたルカはツンと態度を尖らせる。
 急速に体温が離れてしまうと、何故だか無性に心細い。
「……起きたらすぐできるだろ」
 顔の横に落ちたブロンドの髪へ、無意識に指を絡めた。
 理由がなければふたりの距離を変えることができないのは、大河だけではない。
 わざとらしく理由を与えてやると、ルカはむうっと唇を結ぶ。
「勝手にしろ」
 ふいっと顔を背けるルカの言葉は、了承を意味するのだとそろそろ覚えてしまった。
 身体を繋げるだけの仲だとしても、ここまで許容されると悪い気はしない。
 大河が求めれば応えるからだは、同時に大河を求めている。それが大河の自尊心を満たすから。
 肌を合わせた情に絆されてるわけではないと思いたい。
 ただ、触れてしまえば温かな人肌を、手放したくなくなった。
 結斗に荒んだ心をこじ開けられたせいなのかもしれない。
 元恋人への想いはまだ大河の中に確実にあって、気を抜けば今でも吐きそうなほど、胸の靄は消えてくれない。
 ルカは大河の過去を知っていて、隣にいる。
 結斗への想いも、全部。
 心と体のアンビバレンツに苦しむ大河に気を遣ってくることもなく、だからこちらも気兼ねせずに済むから、ここは随分と居心地がいい。
 思考回路は読めないし、いつだって見下してくるし、どこに地雷が埋まってるのかさっぱりわからない。
 これからも顔を合わせるたびに何度でも喧嘩を繰り返すのだろう。
 それでもまた、大河はルカの元を訪れる。
 その目的はひとつだけ。
 たった一言、会いに来た、と言えれば簡単なのに。
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