春夏秋冬

いろは

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イチャモメ編

VS "BE PERFECT"

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 触れるだけの口づけから徐々に唇を啄んで、そのうちに舌が絡み合う。
 肩を掴んでくる大河の手の強さに、このままここで抱かれることを悟って、ルカは自然とソファに背中を沈ませた。
「おまえ明日オフだよな?」
「ん、」
 キスの合間に囁やかれた問いかけに頷き、吐息だけで答えると大河はますます口づけを深める。
 翌日に休めるのなら、多少の無茶は許せということなのだろう。
 明日に仕事のスケジュールが入っていたとすれば、きっとソファで始めたりしない。
 そういうときは充分な睡眠を確保する時間を気にしながら、ルカの体に負担が掛からないような配慮をしたりもする。
 何度必要ないと言っても、気持ちの問題だと大河は譲らなかった。
 翌朝を気にする必要がないと確認した大河は、時間をかけてルカの肌に触れた。
 互いに満足したあとは風呂に連れられて、ルカがまだ惚けているうちに、体は綺麗に洗われた。
 共にベッドで眠りについたのは夜も深く、ルカは眠気と体の火照りでとろけながら、大河の腕の中にいたのを覚えている。
 自分は朝から仕事のくせに、大河が時間を気にした様子は、ルカの意識が途切れるまで見えなかった。



 程良い倦怠感のおかげでぐっすりと睡眠を得たルカが目を覚ますと、隣に大河の姿はすでになかった。
 サイドチェストに置いたスマートフォンを手に取って、確認した時刻は午前九時を過ぎていた。
 大河はきちんと遅れずに起床して、館を出たのだろう。
 まだ眠い目を無理やり開きながら眺めた携帯端末の画面は、大河からのメッセージが届いていることを通知している。
 タッチパネルを操作して内容に目を通し、ルカはベッドからむくりと起き上がった。
 螺旋階段を降りて向かったキッチンで、テーブルの上に三段重ねのホットケーキを見つけた。
 朝から焼いたとは、なかなかに手が込んでいる。
 脱衣所からはゴォンゴォンと、ドラム式洗濯機の回る音が響いていた。
 昨夜に脱ぎ散らかした服や、使用済みのタオルを放り込んで行ったのだろう。
 主人の起床を察知して駆け寄ってきた愛犬は、いつもなら朝食や散歩を心待ちにしてそわそわとしているのに、今朝は何やらすでに随分と満足した様子だ。
 ルカは改めてスマートフォンのメッセージを読み返した。
〝菓子の前に朝メシを食え
 洗濯物は乾燥が終わったら取り出しておけ
 アシュリーは散歩いってメシ食った〟
 寝起きの回らない頭で反芻しながら、傍らのアシュリーに視線を落とす。
 大河はジョギングでも兼ねて共に走ったのだろうか。
 楽しかったです! と言わんばかりの顔で、アシュリーはルカを見上げていた。
 顔を洗ってからコーヒーを入れてテーブルにつき、ルカはホットケーキを口に運びながら、眉間に皺を寄せる。昨夜から焼かれ尽くした世話の数々に、苦々しく目元を歪めた。
 岸波大河とは、惚れた相手に存外一途で甲斐甲斐しい、そういう男なのである。
 わかっていたつもりだったが、実際に相手が己となると、酷く全身がむず痒い。
 大河の言動は、すべて自分がしたいからする、という自身のためのものであり、ルカに感謝されようなどとはきっと微塵も考えていないだろう。
 本人が特に意識をしていないからこそ、余計に心は乱される。
 ただ純粋な想いから、大事にされているだけなのだと、嫌でも伝わってくるのだから。
 ルカが大河に与えられているのは、目に見える物だけではない。
 馬鹿正直な男は、自分の感情を真っ直ぐに曝け出して、すべて隠さず手の内を見せる。
 理由もなく世話をしているわけではないと、何が目的かと聞けば、下心があるのだと答える男だ。
 その言葉に嘘はなく、大河は欲のままルカに触れる。
 下心という名の恋心が、大河にルカを求めさせるのだ。
 まだ大河と恋仲になるより以前、体だけの関係を始めた当初は、望まれるまま受け入れてやって、求められることでルカの心身は満たされ、それだけでよかった。
 大河の心まで欲しいなどと望むだけ無駄だと割り切っていたし、実際にどうにかしようと考えたこともなかった。ふたりを繋ぐ関係を、恋にしようと決めるまでは。
 これは契約だ。自分を大河に差し出す対価に、大河が自分のものになるという。
 一般的に日本人が口にする、付き合う、という約束事を、ルカはそう理解している。
 けれど、今更ふたりの関係に恋人同士という名前がついたところで、大河への感情が変わることなどないと思っていた。
 鬱陶しいほどに焼かれる世話に、充分なほど触れてくれる大きな手。
 それに満足しないわけがない。抱えきれないほどの想いを、大河は与えてくれている。
 大河が勝手にしたいからしているのだろう、と言い捨てることは簡単だが、今はもう対等な立場で成立している恋仲なのだ。
 さすがにもらい続けるばかりでは、ルカの気が済まない。
 大河には、何ひとつ負けたくなかった。
 想いの根深さも執心も、全部。もらった想いはちゃんと形に変えて、仕返してやりたい。
 けれど、何を?
 どうすればこの想いを大河にわからせてやれるのか、ルカは策を巡らせた。
 名案は浮かばぬままの翌日、ルカは所用で事務所に立ち寄った。
 会議室でひとり椅子に座って、グループとして参加する仕事の企画資料に目を通しながら、思案するのは昨日のこと。
 改めて、大河へ何かしてやれることがあるだろうかと、ひとまず奴の好むものを思い浮かべていく。
 音楽。服。靴。
 倹約家のくせに身形には金をかける男だから、好みの衣類やアクセサリーなども貰えれば素直に喜びそうなものだが、何かどれもしっくりとこない。
 それはルカが大河に与えて意味のある物だろうか。誰が渡しても同じ物では駄目なのだ。
 ルカだからこそ大河にしてやれることでなければ意味がない。
 手元の書類と思考に集中しながらも、会議室のルカを見つけて背後からそろりと近づいてくる男の気配には、もちろん気がついていた。
 頭の後ろから回された両手にルカの目は覆われ、陽気な声が頭上から降る。
「だ~れだっ」
「死にたいのか?」
 間髪入れずにルカが冷酷に言い放つと、結斗は冷や汗をかいて一瞬で手を引っ込めた。
 この男は毎度飽きもせず、余計なことしかしない。
「じょ、冗談だよ~! いや~今日もご機嫌ナナメだね! またとらちゃんと喧嘩したの? ていうか喧嘩してないときあるの?」
「お前に答える義理はない」
「も~! るかちゃんのいじわる~!」
 不機嫌の理由がすべて大河にあると思われているとは気に食わず、大袈裟な言動も鬱陶しくて、氷のように冷たい態度を崩さなかった。
 しかし結斗を相手にしていると、やはりどうしても大河と並ぶ姿が目に浮かぶ。
 結斗なら、大河へのお返しをすぐに思いつくのだろうか、と考えてしまって、ルカはじっとその暢気な顔を睨みつけた。
「えっ、何? ぼく、そんなに怒らせるようなことしちゃった……?」
 冷酷な視線に結斗が怯える。
 この男に、大河についての意見を求めることはしたくなかった。
 結斗の方が大河をよく知っていると、認めることになる気がするから。
 大河と結斗は仕事上で組むことが多く、ルカの知らないふたりの仲も当然あるのだから、否定できない部分はあるのかもしれない。
 それを悔しいと思ってしまうこともまた屈辱だが、事実なのだから仕方ないと納得はしている。
「強いて言うならお前が存在していることだな」
「え!? そ、存在か~それはどうしようもないな~……」
「冗談だ」
 すでに過去の話とは言え、大河の一心に向けられる愛情が結斗のものだった事実が消えることはない。それがルカを苦しめるのなら言い訳もできなくて結斗は肩を落とすが、拗らせると面倒なのですかさず否定してやった。
 いくら結斗が大河をよく理解しているのだとしても、今は自分の方がより深い仲であることは間違いない。
 結斗の知らない大河を、他の誰にも見せない顔を、ルカだけが知っている。
 ルカの心中は読めずとも、若干の敵対心を察して結斗は苦笑った。それがまた腹立たしい。
「ま、何かあったら結斗お兄さんを頼ってよ。ぼくはいつでもるかちゃんの味方だよ」
 ウインクして見せた結斗の言葉に偽りはなく、大河と付き合うルカを案じている。
 この男もまた年長者として、無条件でルカを甘やかすのだ。
 不要な気兼ねだと煩わしく思いながら、ルカがその存在に甘えているのも、不服だろうと事実なのだった。
 ルカの顔を見ただけで満足した結斗が、またねと手を振って部屋を出たあと、しばらくしてから大河も企画資料を受け取りに事務所へ姿を見せた。
「おまえはまた結斗に余計なこと吹き込まれたんじゃねぇだろうな」
「あの男が勝手に騒いでいっただけだ」
 事務所を出る結斗とすれ違ったらしく、何を言われたのかうんざりした様子で大河はルカの隣に腰をおろす。
「……あんまり結斗と変な話してんなよ」
 大河にとって、恋人に絡む男として結斗は鬼門だ。
 自身の元恋人であり、ルカに手を出した前科もある。
 それぞれの関係をはっきりさせた今、大河とルカの付き合いを邪魔するような真似はしないだろうけれど、度を越した揶揄いは心底うざったい。
「おまえに言われたくはないな」
「この前あいつと焼肉行ったのまだ怒ってんのか? 収録終わりにメシ食っただけだろ」
 大河に他意は一切なく、だから隠すこともしない。
 事実そういう食事の場でなら結斗とは、仕事についての話題がほとんどだ。
 ルカも今更ふたりの間に何かあるとは微塵も思っていないが、けれど、時間は有限である。
 他の誰かと過ごした分、大河の時間が消費されたのだと思うと不満が沸いた。
 もう充分すぎるほどの想いをもらいながら、まだ大河のすべてを手中に収めていたいと望んでしまう。
 どれだけ考えても、自分には返せるものが何もないのに。
 押し黙るルカの頬へ、大河が宥めるように手を伸ばした。
 こうして触れるのはおまえだけだ、とでも言われている気がする。
 いつでも大河は、想いを真っ直ぐに寄越すのだ。
「……私には何も返せない」
 大河の体温に頬擦りしながら、ルカはむすっとふくれた。
「いきなり何の話だ」
「お前が私に何をしようと、見返りなど期待できないということだ」
「別におまえから何かもらおうなんて思ってねぇよ」
「それが不本意だと言っている」
 拗ねたように目を伏せるルカが続ける言葉を、大河は静かに待つ。
 真意を素直に伝えるだけで良いのに、どんな言葉を選ぶべきか複雑に考えてしまって、口が重い。
「私には、自身以外に何もやれるものがない」
 物心のついた頃から、いずれ父親と同じく祖国に尽くす地位に就くのだと己を律し、それ以外の感情はルカに必要のないものだった。
 母親がルカを残して父の元を離れ、自分の存在で父親を困らせたくなくて、後見人の助力があり、身ひとつでこの国へやって来た。
 他人を思いやる心も、誰かを喜ばせる方法も、何も知らない。
 好意を抱かせるために打算で動くのは得意だ。
 祖国では大人たちの顔色を窺って、他人の思惑を掌握する術も学んできた。
 それを利用して、モデルや文筆家などという肩書きで活動している。
 大河のように単純で、裏のない想いの表現が、ルカには随分と難しい。
 偽りなく差し出せるものは、自身の体だけだ。
 契約を交わした時点でそれもすでに大河のものなのだから、これではお返しにならないと思い煩う。
「いいよそれで。つーかそれがいい」
 それでも大河は、迷いなくルカ自身を求めた。
 ゆっくりと引き寄せられ、大河の腕がルカを抱く。
「おまえがここにいれば、おれはそれでいいんだよ」
 そばに居るだけで、他に何もいらない、と。
 生温い戯言のような望みで満足するなんて、やはりこの男は馬鹿なのだと思った。
 馬鹿で単純だから、想いがそのまま形になった言葉は真っ直ぐで、嘘がない。
 他人を疑わずに受け入れている己が不思議でならないのに、ルカの胸をやさしく締めつける大河の言葉は心地良く、瞳を閉じて身を任せる。
 この腕の中が、この国でのルカの居場所だ。
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