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エリック
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アベル・モーガンは、昼前から既に酔っていた。何杯目か分からない酒を、ぐっと勢いよく飲み干す。かつて国軍の魔術剣士として名を馳せた彼は、大怪我をして右足を失って退役した今は、その日暮らしの自堕落な日々を送っている。
アベルはとにかくむしゃくしゃしていた。さっき酒場に向かう途中で、弟のトーマス・モーガン医師に呼び止められたからだ。
「おい、兄さん!また真昼間から飲みに行くのか!いい加減にしろ!少しはオリバーの相手もしてやれよ!父親がいつもいないから寂しがってるぞ!」
モーガン医師は、真っ白な白衣に身を包み、眉間に深い皺を刻んでいる。彼はアベルのたった一人の身内だったが、顔を合わせる度に説教になるのでうんざりしていた。
「うっせえな、ほっとけよ」
アベルは吐き捨てるように言った。
「オリバーは、お前たち夫婦が面倒見ればいいだろ。お前たち子供もいないし、ちょうどいいから養子にでもしてくれよ」
アベルにとって、オリバーは存在自体がお荷物だった。放置していたら、弟が自分の家に住まわせて面倒を見るようになっていた。そのまま、引き取ってくれと思っている。
「じゃあな」
弟を乱暴に振り切って路地へ出ると、今度は小さな人影とばったりと出くわした。
「……あ、お父さん。どこ行くの?」
オリバーだった。彼は、モーガン医師が買ってやった大きなレンズの眼鏡の奥から、怯えと期待の入り混じった目でアベルを見上げた。
アベルはフン、と鼻を鳴らすとその視線を完全に無視し、義足の右足を引きずりながら酒場へと向かって歩き出した。背後に、オリバーの肩が小さく震える気配を感じたが、アベルが振り返ることはなかった。
日も暮れたころ、酒場からの帰り道で、アベルはある女性を見かけた。
女性は町の教会の石段を、人目を避けるようにして早足で上って行った。地味だが、上等な装い。地元の名士である大富豪の夫人、ミリー・アッシャーウッドだった。
(ミリー、すっかり金持ちの奥様ヅラかよ)
アベルとミリーはかつて、恋人同士だった。今の、彼女のまばゆいばかりの優雅な生活と、泥にまみれたような自分の底辺の暮らしとの落差が、アベルをよりいっそう苛立たせる。
ミリーは告解室へと入っていったようだ。
アベルは酒で鈍った頭に鞭打ちながら、教会の外壁に張り付き、身を潜める。そして、杖を振り、小声で呪文を唱え始める。告解室は魔術で中の音を遮断するようになっているが、それを破り盗聴することはアベルには造作もないことだった。
『牧師様、わたくしは……私は、おのれの罪に、耐えられそうにありません』
震える声で、ミリーは続ける。
『私は息子……エリックを殺そうといたしました』
アベルの酔いは一気に覚めた。
『毒を盛りました。首を絞めました。窓から突き落としました。燃え盛る暖炉の中に放り投げたこともございます。
ですが……あの子は何事もなかったように戻ってくるのです』
彼女のすすり泣きが聞こえてきた。
『そして、私に笑って言うのです。‶母さん、もう諦めなよ”って……。あの子は人間ではない。湖の魔物とのたった一回の過ちで、こんな……』
そこまで聞き、アベルは術を解いた。もう十分だった。とんでもない秘密を知ってしまった。
告解を終え、教会から出てきたミリーは、すっかり憔悴し、疲弊していた。その目の前に、酒臭い息を吐く男が立ちふさがった。
「よう、ミリー。いい趣味じゃねえか。教会で懺悔たぁよぉ」
「アベル……」
聞かれていた。悟った彼女の顔は青ざめ、がくがくと全身が震え始める。
夫にばらされてしまう。この裕福な生活はすべて終わりだ。また、あの朝から晩まで働き詰めだった貧しい日々に戻るのかという恐怖で、彼女の足は縫い付けられたように動かない。
「安心しろよ、俺はこう見えて口は堅いぜ。何なら、力になってやってもいいぜぇ~」
アベルは一歩踏み出し、酒臭い息をミリーの耳元に吹きかけた。
「俺がよぉ~、お前のガキ、消してやるよ」
ミリーは絶望したような表情で首を振った。
「無理よ。あの子は……本当に殺せない。私が何をしても、まるで時間が巻き戻ったかのように、全部なかったことになる。あなたは、あの子の恐ろしさを知らないから、そんなことが言えるのよ」
これまで、ありとあらゆる方法でエリックの殺害を試みた。しかし、どれも彼は無効化してしまうのだ。
そう聞いてもアベルは自信満々だった。もはや前線に出ることはできなくても、彼にはまだ魔術の力があったからだ。日銭を稼ぐために、呪詛による殺しを請け負うのが彼の今の仕事だった。
「できると思うぜ?俺ならよぉ。忘れたか?俺は魔術師だ。魔物の始末はお手の物なんだよ」
ミリーは目をパチパチさせ、アベルをじっと見つめた。彼女の震えはもう止まっていた。
アベルはニヤリと笑って言った。
「いくら払う?」
アベルはとにかくむしゃくしゃしていた。さっき酒場に向かう途中で、弟のトーマス・モーガン医師に呼び止められたからだ。
「おい、兄さん!また真昼間から飲みに行くのか!いい加減にしろ!少しはオリバーの相手もしてやれよ!父親がいつもいないから寂しがってるぞ!」
モーガン医師は、真っ白な白衣に身を包み、眉間に深い皺を刻んでいる。彼はアベルのたった一人の身内だったが、顔を合わせる度に説教になるのでうんざりしていた。
「うっせえな、ほっとけよ」
アベルは吐き捨てるように言った。
「オリバーは、お前たち夫婦が面倒見ればいいだろ。お前たち子供もいないし、ちょうどいいから養子にでもしてくれよ」
アベルにとって、オリバーは存在自体がお荷物だった。放置していたら、弟が自分の家に住まわせて面倒を見るようになっていた。そのまま、引き取ってくれと思っている。
「じゃあな」
弟を乱暴に振り切って路地へ出ると、今度は小さな人影とばったりと出くわした。
「……あ、お父さん。どこ行くの?」
オリバーだった。彼は、モーガン医師が買ってやった大きなレンズの眼鏡の奥から、怯えと期待の入り混じった目でアベルを見上げた。
アベルはフン、と鼻を鳴らすとその視線を完全に無視し、義足の右足を引きずりながら酒場へと向かって歩き出した。背後に、オリバーの肩が小さく震える気配を感じたが、アベルが振り返ることはなかった。
日も暮れたころ、酒場からの帰り道で、アベルはある女性を見かけた。
女性は町の教会の石段を、人目を避けるようにして早足で上って行った。地味だが、上等な装い。地元の名士である大富豪の夫人、ミリー・アッシャーウッドだった。
(ミリー、すっかり金持ちの奥様ヅラかよ)
アベルとミリーはかつて、恋人同士だった。今の、彼女のまばゆいばかりの優雅な生活と、泥にまみれたような自分の底辺の暮らしとの落差が、アベルをよりいっそう苛立たせる。
ミリーは告解室へと入っていったようだ。
アベルは酒で鈍った頭に鞭打ちながら、教会の外壁に張り付き、身を潜める。そして、杖を振り、小声で呪文を唱え始める。告解室は魔術で中の音を遮断するようになっているが、それを破り盗聴することはアベルには造作もないことだった。
『牧師様、わたくしは……私は、おのれの罪に、耐えられそうにありません』
震える声で、ミリーは続ける。
『私は息子……エリックを殺そうといたしました』
アベルの酔いは一気に覚めた。
『毒を盛りました。首を絞めました。窓から突き落としました。燃え盛る暖炉の中に放り投げたこともございます。
ですが……あの子は何事もなかったように戻ってくるのです』
彼女のすすり泣きが聞こえてきた。
『そして、私に笑って言うのです。‶母さん、もう諦めなよ”って……。あの子は人間ではない。湖の魔物とのたった一回の過ちで、こんな……』
そこまで聞き、アベルは術を解いた。もう十分だった。とんでもない秘密を知ってしまった。
告解を終え、教会から出てきたミリーは、すっかり憔悴し、疲弊していた。その目の前に、酒臭い息を吐く男が立ちふさがった。
「よう、ミリー。いい趣味じゃねえか。教会で懺悔たぁよぉ」
「アベル……」
聞かれていた。悟った彼女の顔は青ざめ、がくがくと全身が震え始める。
夫にばらされてしまう。この裕福な生活はすべて終わりだ。また、あの朝から晩まで働き詰めだった貧しい日々に戻るのかという恐怖で、彼女の足は縫い付けられたように動かない。
「安心しろよ、俺はこう見えて口は堅いぜ。何なら、力になってやってもいいぜぇ~」
アベルは一歩踏み出し、酒臭い息をミリーの耳元に吹きかけた。
「俺がよぉ~、お前のガキ、消してやるよ」
ミリーは絶望したような表情で首を振った。
「無理よ。あの子は……本当に殺せない。私が何をしても、まるで時間が巻き戻ったかのように、全部なかったことになる。あなたは、あの子の恐ろしさを知らないから、そんなことが言えるのよ」
これまで、ありとあらゆる方法でエリックの殺害を試みた。しかし、どれも彼は無効化してしまうのだ。
そう聞いてもアベルは自信満々だった。もはや前線に出ることはできなくても、彼にはまだ魔術の力があったからだ。日銭を稼ぐために、呪詛による殺しを請け負うのが彼の今の仕事だった。
「できると思うぜ?俺ならよぉ。忘れたか?俺は魔術師だ。魔物の始末はお手の物なんだよ」
ミリーは目をパチパチさせ、アベルをじっと見つめた。彼女の震えはもう止まっていた。
アベルはニヤリと笑って言った。
「いくら払う?」
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