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第三王子の謎の沈黙 6
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命じろと命じられたロアナが、その不可解さに困っている。
たまご色の生地の上でせっせと働いていた手がすっかり止まってしまい、その分、王子の命について一生懸命思考を巡らせているらしい娘に──ウルツは、やってしまった……と思った。
ロアナが今、非常にオロオロしているのは目を見ればわかる。
(……しまった……いらぬことを言って作業の邪魔をしてしまったか……)
よけいな言葉をかけてしまったと後悔するが……。
しかし、先ほどこっそりロアナとフォンジーのようすをうかがっていた彼は、彼女が弟にはもっと気やすく作業を頼んでいたのをしっかりと目撃していた。
もちろんそれは、フォンジーの明るさと気さくさがあってこそのたまものだが……彼は、同じように、いや、弟以上に彼女の力になりたいと熱望していた。
だが、ロアナの動きは止まったまま。
こわばった顔も気やすさとは程遠く、その緊張はウルツにも伝わって、青年王子は内心ではとてもハラハラしていた。
(だ……大丈夫だぞロアナ! 俺になんでも言え!)
なんでもやってやるぞとウルツは気合をこめたまなざしで、ロアナが口を開くのを待っていた。※威圧。
が、ロアナの口はなかなか開かない。
ウルツは思った。
(……これはもしや……俺になど、菓子作りは任せられないと思われている……?)
まあ、それは分からないでもなかった。
実はとんでもない甘党であるウルツにとっては迷惑なことこのうえないが……世間では、甘い菓子は女子供が食べるものというイメージが強い。
菓子職人でもなければ、特に貴族階級の男が菓子をつくっているというと軟弱と笑われ……ましてや王子という立場の彼がそれをやろうとすると、『そんなことは高貴な者はするべきではない』と眉をひそめるやからもいる。
しかし──。
これは彼の弟フォンジーも勘違いをしている点だが──実は、ウルツはかなり菓子作りには詳しかった。
なぜならば。
彼にはここ二年ほど、菓子作りの大好きな文通相手がいる。
いや、最初は彼も菓子作りなどまったくわからなかったのである。
けれどもウルツは、どうしてもロアナとのやりとりをできるだけ長く続けたいと願った。
激務で倒れそうなとき、彼は何度もロアナの菓子に助けられてきた。
教えてもらった引きだしの中には、いつもまるい蓋つきの陶器の菓子器入れが入っていて、その中には焼き菓子がみっちり。
クッキーやマドレーヌ、パウンドケーキやスコーン……。
はじめはその菓子をこっそりもらって、つどいくばくかの材料費を残すだけにしていたが……。
そのうち彼は、なんとなく、ロアナに会いたくなった。
それで彼は、ときおりあの日と同じように姿を変えてフラリとロアナに会いに行くようになったのだが……すると、彼女はその少し怪しい風体の甘党男を、いつもほがらかに歓迎してくれた。
『もう砂糖つぼの砂糖なんか飲んじゃだめですよ』などと苦笑しながら、手作りの菓子と共にいたわりの言葉をかけてくれる。
それに対してウルツはけして口数が多かったわけではないが、それでも彼女は嫌な顔などしなかった。
たいてい彼がこの厨房を訪れるのは、ロアナの仕事終わりの夜の時間。彼女も疲れていて、互いに二三言葉を交わす程度。
だが、静かにふたりでその日の充足感にひたるような時間は、彼にとってはあまりにも心地よかった。
ゆえに、ウルツは彼女に執着している。
手紙を残しはじめたのは、彼女におすそ分けをもらった他の者たちが、そうしているのを見たゆえなのだが……。
しかし、悲しいかな、彼はあまりにも対人能力が低く、特に女性と話すボキャブラリーが死滅していた。
そんな彼が、ロアナと話題を合わせたいがためにやったのが、職務の合間にとにかく菓子のレシピ本、製菓指南書をかたっぱしから読みまくるという、涙ぐましい努力だったのである。
結果──ウルツはいつの間にやら、いかめしく冷淡な見た目からは想像もつかぬような菓子作りの知識を身に着けた、というわけである。
たまご色の生地の上でせっせと働いていた手がすっかり止まってしまい、その分、王子の命について一生懸命思考を巡らせているらしい娘に──ウルツは、やってしまった……と思った。
ロアナが今、非常にオロオロしているのは目を見ればわかる。
(……しまった……いらぬことを言って作業の邪魔をしてしまったか……)
よけいな言葉をかけてしまったと後悔するが……。
しかし、先ほどこっそりロアナとフォンジーのようすをうかがっていた彼は、彼女が弟にはもっと気やすく作業を頼んでいたのをしっかりと目撃していた。
もちろんそれは、フォンジーの明るさと気さくさがあってこそのたまものだが……彼は、同じように、いや、弟以上に彼女の力になりたいと熱望していた。
だが、ロアナの動きは止まったまま。
こわばった顔も気やすさとは程遠く、その緊張はウルツにも伝わって、青年王子は内心ではとてもハラハラしていた。
(だ……大丈夫だぞロアナ! 俺になんでも言え!)
なんでもやってやるぞとウルツは気合をこめたまなざしで、ロアナが口を開くのを待っていた。※威圧。
が、ロアナの口はなかなか開かない。
ウルツは思った。
(……これはもしや……俺になど、菓子作りは任せられないと思われている……?)
まあ、それは分からないでもなかった。
実はとんでもない甘党であるウルツにとっては迷惑なことこのうえないが……世間では、甘い菓子は女子供が食べるものというイメージが強い。
菓子職人でもなければ、特に貴族階級の男が菓子をつくっているというと軟弱と笑われ……ましてや王子という立場の彼がそれをやろうとすると、『そんなことは高貴な者はするべきではない』と眉をひそめるやからもいる。
しかし──。
これは彼の弟フォンジーも勘違いをしている点だが──実は、ウルツはかなり菓子作りには詳しかった。
なぜならば。
彼にはここ二年ほど、菓子作りの大好きな文通相手がいる。
いや、最初は彼も菓子作りなどまったくわからなかったのである。
けれどもウルツは、どうしてもロアナとのやりとりをできるだけ長く続けたいと願った。
激務で倒れそうなとき、彼は何度もロアナの菓子に助けられてきた。
教えてもらった引きだしの中には、いつもまるい蓋つきの陶器の菓子器入れが入っていて、その中には焼き菓子がみっちり。
クッキーやマドレーヌ、パウンドケーキやスコーン……。
はじめはその菓子をこっそりもらって、つどいくばくかの材料費を残すだけにしていたが……。
そのうち彼は、なんとなく、ロアナに会いたくなった。
それで彼は、ときおりあの日と同じように姿を変えてフラリとロアナに会いに行くようになったのだが……すると、彼女はその少し怪しい風体の甘党男を、いつもほがらかに歓迎してくれた。
『もう砂糖つぼの砂糖なんか飲んじゃだめですよ』などと苦笑しながら、手作りの菓子と共にいたわりの言葉をかけてくれる。
それに対してウルツはけして口数が多かったわけではないが、それでも彼女は嫌な顔などしなかった。
たいてい彼がこの厨房を訪れるのは、ロアナの仕事終わりの夜の時間。彼女も疲れていて、互いに二三言葉を交わす程度。
だが、静かにふたりでその日の充足感にひたるような時間は、彼にとってはあまりにも心地よかった。
ゆえに、ウルツは彼女に執着している。
手紙を残しはじめたのは、彼女におすそ分けをもらった他の者たちが、そうしているのを見たゆえなのだが……。
しかし、悲しいかな、彼はあまりにも対人能力が低く、特に女性と話すボキャブラリーが死滅していた。
そんな彼が、ロアナと話題を合わせたいがためにやったのが、職務の合間にとにかく菓子のレシピ本、製菓指南書をかたっぱしから読みまくるという、涙ぐましい努力だったのである。
結果──ウルツはいつの間にやら、いかめしく冷淡な見た目からは想像もつかぬような菓子作りの知識を身に着けた、というわけである。
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