わたしの正体不明の甘党文通相手が、全員溺愛王子様だった件

あきのみどり

文字の大きさ
40 / 68

兄弟たちの衝突 2

しおりを挟む
 廊下に短い悲鳴がとどき、その声を耳にしたフォンジーは厨房のなかへ駆けこもうとした。

「ロア──」

 しかしその入り口で、彼の足はギクリと止まる。

 ──厨房の奥で、ロアナが兄に向って平伏している。

 その姿は、フォンジーに昨日のいたましい光景を思い起こさせた。
 自分の母親の命令で鞭打たれ、ひたすらたえていたロアナ。そのつらそうな横顔を思い出したフォンジーは、愕然とした。

 頭を下げつづけるロアナに、兄は昏い視線を注いでいる。(※ウルツ、困惑中)
 いったい何があったのだとフォンジーが息を呑むと、その間に兄は、どこかぎこちなくロアナの傍らにひざまずいた。
 もしここで、兄の表情が少しでも柔らかければフォンジーの不安も軽くなっただろうが……ウルツの顔は、いつにも増して偏屈に歪められていた。
 兄はゆっくりと片手を持ち上げて、その手がロアナの肩に触れそうになった瞬間に、フォンジーは飛び出していた。

 慌てて厨房に駆けこんで、彼女の頭側にいた兄と彼女の間に割って入る。と、兄が驚いたような顔をしたのが分かったが、フォンジーはそれにはかまわなかった。
 まず床の上の彼女の顔を覗きこむ。
 ……と、近づいてきた気配に気がついたのだろう。一生懸命頭を下げていた娘が、ハッとしたように顔を上げた。
 そこに現れた、怯えたような表情を見た瞬間、フォンジーはカッとなっていた。

「……兄上、なぜこんな……怪我をしている女の子になんてことをさせているの⁉」
「……」

 弟の責めるようなまなざしに、ウルツは沈黙。
 
(フォンジー? ……戻ってきたのか……)

 弟に押しのけられるような形でロアナとの間に割りこまれたウルツは、いぶかしげに弟を見た。
 ……これは彼の悪い癖だが……あまり人に理解されようという気のないウルツは、何かにつけて黙してしまう。
 きちんと釈明すればいいところを、そうはせず、自分の中での思考にこもり時間をかけるので、それがまわりには誤解を与え、『何を考えているかわからない』と言われることにもつながる。
 今回も、一連のことを己の中で振り返ったウルツは、自分には重大な過失があるようには思わず、弟に説明してやる義務を感じなかった。
 彼はただ、クッキー生地に突っこんでいった娘を助けただけである。
 それに、何も知らない弟に、いきなり責めるような口調で睨まれたことも気に入らず、ウルツはフォンジーを無視し、ロアナを見下ろした。

「……おい」

 ウルツが低く呼び掛けると。急に戻ってきたフォンジーに気を取られていたらしいロアナの肩が跳ねる。

「! は、はいウルツ様!」

 ロアナは改めてウルツに向かってかしこまる。
 ウルツに驚いて(ビビッて)跳びあがってしまってからは展開がめまぐるしく、彼女はウルツに魔法で助けられたことも、まだわかっていなかった。
 しかも、先に帰っていったはずのフォンジーが、なぜか厨房に戻ってきている。
 彼を引っ張っていったイエツはどこへ行ったのだろうか?
 それになぜ、戻ってきた彼は怒っているのだろうか?
 いつもほがらかなフォンジーの怒りの表情がロアナをさらに戸惑わせていた。

 と、そんなロアナに、ウルツがいくらか沈んだ声で言った。

「……驚かせて、悪かった」
「え……?」

 これに小さく声を上げたのは、ロアナではなくフォンジー。
 彼は、この兄が父やイアンガード以外の人間に謝罪をしているのを見たことがなかった。
 それも、すべてが政務に関すること。それ以外では、この冷たくそつのない兄が誰かに謝っているところなど、フォンジーははじめて目撃する。
 どこか神妙な面持ちの兄に、フォンジーは戸惑う。

 片や、その言葉を向けられたロアナも戸惑いを見せたが、自分が第三王子に謝罪されているのだと理解すると、彼女は慌てて首を横に振る。

「そんな……わたくしめこそ大げさに驚いてしまって……本当に申し訳ありませんでした!」
「……いや、」

 再度頭を下げる娘に、ウルツはなんだか申し訳なくなり言葉が続かない。
 先ほどフォンジーが駆けつけてきたとき、顔を上げたロアナがとても怯えた顔をしていたのを、彼もしっかりと見ていた。
 彼女のことを守ろうとしてやったことだが、彼女にあの顔をさせたのは間違いなく自分。
 落胆を感じた彼は、ロアナのかたわらで自分を凝視してる弟に目をやった。
 すると美しいと評判の弟は、大きな目を細めて警戒のまなざし。
 それが正義感からなのか、他の感情からなのかは、人間感情の機微に疎いウルツには測ることができないが……。
 どうやら弟がロアナを特別に想っている。それは、彼がわざわざここに引き返してきたことからも明らかだった。

(……これは、引き下がりそうもないな……)

 ウルツは、誰にも悟られぬ程度のため息をかすかにフッと吐く。──ならば、こたびは自分が引き下がるしかない。
 ここで引くのは非常に悔しいが……自分はすでにロアナの菓子作りを邪魔してしまっている。これ以上、ここで弟と揉めて、作業の中断を長引かせるのはあまりにも忍びない。
 彼女と菓子を作るというせっかくの機会が失われるのはとても惜しいが……残りの作業はきっと、今そこで自分を睨んでいる弟が喜んでするのだろう。
 もちろん許されるのなら、それは自分がやりたかった。
 それに、なぜか当たり前のようにロアナの隣によりそう弟の姿にも、非常にいらだちを感じたが……。

「……」

 ウルツはそれらのもやもやとした感情はみじんも顔に出さずに、二人の前で身をひるがえした。
 弟はまだ彼に物言いたげだが、そのけして愉快ではないだろう兄弟のやりとりを、ロアナに見せるつもりは毛頭ない。
 そして青年はわずかにロアナを横目で見て、「……残りはそやつに手伝ってもらえ」と、言い捨てた。

「え……あの、殿下……?」

 ウルツは感情を殺したつもりであったが、声に、ほんのわずかに不満が滲んだ。
 そのささやかな違和感に気づき、ロアナが気がかりそうな顔をする。控えめな様子で自分の顔を見ようと首を伸ばした娘に、ウルツは、低い声で言い添えた。

「…………身体に触れて悪かった」
「え?」
「えっ⁉」

 その言葉を聞いたとたん、ロアナはキョトンとし、フォンジーの眉間には深いしわが刻まれた。
 青年はそれはいったいどういう意味だ、触ったってどこに⁉ と、焦ったようにロアナと兄とを凝視している。が、その間に。
 聞き捨てならないセリフを残したウルツは、慌てている弟を冷めた目で一瞥すると、そのままさっさと厨房から出て行ってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』

透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。 「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」 そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが! 突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!? 気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態! けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で―― 「なんて可憐な子なんだ……!」 ……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!? これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!? ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?

はくら(仮名)
恋愛
 ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。 ※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。

花嫁召喚 〜異世界で始まる一妻多夫の婚活記〜

文月・F・アキオ
恋愛
婚活に行き詰まっていた桜井美琴(23)は、ある日突然異世界へ召喚される。そこは女性が複数の夫を迎える“一妻多夫制”の国。 花嫁として召喚された美琴は、生きるために結婚しなければならなかった。 堅実な兵士、まとめ上手な書記官、温和な医師、おしゃべりな商人、寡黙な狩人、心優しい吟遊詩人、几帳面な官僚――多彩な男性たちとの出会いが、美琴の未来を大きく動かしていく。 帰れない現実と新たな絆の狭間で、彼女が選ぶ道とは? 異世界婚活ファンタジー、開幕。

彼氏がヤンデレてることに気付いたのでデッドエンド回避します

恋愛
ヤンデレ乙女ゲー主人公に転生した女の子が好かれたいやら殺されたくないやらでわたわたする話。基本ほのぼのしてます。食べてばっかり。 なろうに別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたものなので今と芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただけると嬉しいです。 一部加筆修正しています。 2025/9/9完結しました。ありがとうございました。

え、恩返しが結婚!?エルフの掟では普通なんですか!?

小野
恋愛
うっかり怪我をしたエルフを助けたら恩返しとしてエルフに誘拐されてめちゃくちゃ大事(意味深)されちゃう女の話。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...