わたしの正体不明の甘党文通相手が、全員溺愛王子様だった件

あきのみどり

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イアンガード様のでばがめ

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 ……静かな室内に、眠るように長椅子にもたれかかっていた婦人の口から、ほう、と、ため息のような声がもれる。

「なるほど……」

 その声には、かすかな驚嘆と愉悦がにじむ。

「イアンガード様? いかがなさいましたか?」

 主の異変に気がついた侍女がそばによってきて彼女に声をかけるが、イアンガードは柔和な顔で微笑み、なんでもないといって首を振る。
 彼女は、口が堅いマーサ以外には、魔法で密かに知り得た息子のことについては語るつもりはなかった。しかし侍女が下がっていくと、彼女は再び独り言ちる。
 虚空を見て、離れた空間をのぞく彼女の目は、冴え冴えと魔法の色に輝いている。

「……おもしろい。普段は陽気で寛大な者が強情さを見せ、対してこだわりが強く偏屈な方が退いたのか……」

 なるほどのう、と、イアンガードは繰り返す。
 ひとは恋に落ちると、思わぬ一面を見せてくることがある。
 身を引いたのが自分の息子とあっては笑ってばかりもいられないが、ただ、あの冷淡で無感動な息子が、誰かを気遣ったという点は母を明るい気持ちにさせた。

(……それが若い娘であるということは、驚嘆に値する)

 イアンガードは、別に普段から息子の様子をのぞき見しているわけではない。
 しかし、こたびの異変には、どうあっても興味がつきないのである。
 なにせこれまで彼女は、息子ウルツの女性に対する冷淡さには、本当に毎度がっかりさせられてきた。

 実はウルツには、以前は婚約者がいた。
 といってもそれは、幼い頃のこと。
 ウルツが九つくらいのことで、もちろん取り計らったのは父王。そこにウルツの意思はない。
 相手は公爵の娘だが、これがなんとも相性が悪かった。
 おそらく父王としては、勉強ばかりして無口なウルツの相手には、明るく闊達かったつな娘がいいと考えたのだろうが……彼女はとにかくおしゃべりすぎた。

 顔を合わせ、ひとたび会話が許可されると、彼女は自分のことを怒涛のようにしゃべりだした。
 聞いてもいないことずっとしゃべり続け、そのとめどない独壇場は物静かな少年を唖然とさせた。

 もしかすると、その令嬢としては、ウルツに自分のことを分かってもらいたくてそうしていたのかもしれないが……。
 彼女は絶えず絶えず話し続けて、ウルツには口を挟む隙も与えぬのに、彼が黙ってそれを聞いていると、どうしたことか、しまいには『なぜ何もいってくれないのですか!』と、テーブルに泣き伏した。
 目の前でわんわん泣く令嬢に、辟易したウルツが言ったことは。

『……貴様がやっているのは会話ではない』と、いう実に冷たい言葉だけ。

 これには感情豊かな令嬢は怒髪天。
 怒った彼女は、その場のいら立ちをまわりに吹聴してまわった。
 自分の側仕えや友人の令嬢たちに、婚約者ウルツの愚痴をぶちまけて、それは同じように口の軽かった者たちによって社交界のすみずみまで届けられてしまった。
 噂では、ウルツはすっかり女性に無礼で、人とは会話もしたがらない冷血漢ということになり、王子としての資質までもが疑われるような事態になった。

 そんな噂の発信元の彼女への対応を……あの頑固なウルツが喜んでするわけもなく……。
 少しでも仲良くなるようにと設けられた席でも、ウルツは令嬢に氷のまなざし。心はすっかり閉じ切って、二度と開くことはなかった。
 この様子には、親たちもこれはダメだと判断。婚約は、数回の顔合わせののち解消された。
 その恨みもあったのだろう、令嬢はその後もあることないことまわりにしゃべりまくり、ウルツの評判はさらに落ちる。
 以来、それまでもけして友好的とはいえなかったウルツの女性に対するまなざしは、ずっと厳しいままだった。
 年齢も年頃になり、当然両親は女性たちとの交流を持たせようとしているが、ウルツの目はいつも警戒心に満ち、あからさまに面倒そうな色をにじませる。
 相手が使用人であっても、マーサのような古参の侍女で、よほど信頼のできる者でなければそばには近寄らせたがらない。
 言葉も年々辛辣になっていくしで、イアンガードは本当に困り果てていたのである。

 そんな息子が……今、彼女の宮の若い侍女、ロアナにだけはひそやかに心を開きはじめている。
 けれども二年見守っても、息子は正体をいつわって彼女と交流するだけにとどまっている。これはもう、黙って見ているだけではいられなかった。

 機嫌がよさそうにゆったり長椅子に背を預けた側妃は、くつくつと忍び笑いを浮かべている。

「……ロアナよ……けして逃がさぬぞ……」
「……おやめくださいませ、まるで邪悪な魔女のようでございます……」

 いつの間にやらやってきていたマーサが、悪い顔で愉快そうに肩をゆすっている婦人を咎めた。が、イアンガードはケロリとして優美に微笑む。

「どうせなら、魔王妃にしておくれ」

 その生気に満ちた表情に、マーサはため息。

「まだ何か企んでおいでなのですね……」
「ほほほほほ。このまま息子に引き下がらせるだけでこなたが満足するわけがない。あの朴念仁め……見ておれよ、そのすました顔を絶対に惚けさせてやろうぞ! ほほほほほ!」
「……」

 マーサの呆れ顔には、ロアナへの深い深い同情がにじんでいた。




「ロアナ……! 触られたって……いったいどこを⁉」

 イアンガードが高笑っていたのと同じころ。
 ウルツが去った厨房では、兄の不穏な言葉に青くなった青年が、戸惑うロアナから真実を聞き出そうと必死になっていた。
 
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