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衛兵の目撃談 7 ロスウェル、悶える
しおりを挟むそんな王子たちの諍いの裏で。王子の背中に顔面接触したロアナは、ウルツの背中を真剣に見つめてある種の決意を固めていた。その顔は、青い。
(……汚してしまったからには、洗濯するしか方法を思いつかない……。ならば、それはつまり、殿下に上着を引き渡してもらわねばならぬということよ……)
しかし、どうやってそれを果たしたらいいのだろうか。
現在その上着の持ち主第三王子は、第四王子との睨み合いの真っただ中。
早々に背後に追いやられてしまったロアナには、彼の表情は見えないが……その背には怒りがみなぎっていた。
ここでロアナがそれを成そうとするならば、彼女はまずこの兄弟ゲンカに割って入らねばならない。
……そこはケンカが終わってからにすれば? と思われるかもしれないが……。
“兄弟ゲンカ”というものが非常に嫌いなロアナの頭には、まずはこれを止めなければという意識が強くあった。
(もういっそ、勢いで割って入って押し切ってみる……? ウルツ殿下だけなんとかここからお連れして……でも、それだとお二人は引き離せるけど……第四王子殿下は、なんだかとても厄介そうな……いえ、たいへんやんちゃなお方みたいだし……)
こういうタイプは、何かとっかかりを見つければ、それを倍にも数十倍にもして、相手をからかうネタにしてしまう。その場合のとっかかりはなんでもよく、相手を困らせたり、口ごもらせたりして自分が勝てたと思えればなんでもいい。
(……ここでもし、わたしがウルツ殿下を連れ去ったら、よけいに変な誤解でウルツ殿下がからかわれてしまう気がするわ……)
それではこの場でのケンカはひとまず収まっても、後日またそのことをきっかけにウルツが困った状況におかれてしまうかもしれない。
(……なら、ウルツ殿下は衛兵にまかせて、わたしがロスウェル殿下を──? いや、それはではふりだしに戻ってしまう……)
そもそもこの騒動は、自分が酒に酔ったロスウェルに絡まれていたところを、ウルツが止めてくれてはじまった。
ここで再び自分がロスウェルと二人になってしまっては、きっと状況は悪化する。
(な、なら、衛兵に二手に分かれてもらって──……)と。
ロアナが解決策を模索し、ウルツの背の後ろでうんうん唸っていたときのことだった。
そんな娘の肩に、ふいに、のしっとした重み。ふたたびの感触に、ロアナはハッとして横を見る。と、そこには案の定、喜色に満ちたロスウェルの顔が。
「っう⁉」
思い切り動揺した娘の口からは、困惑が短い音になってもれる。
「──ねえ、君。本当に王宮の使用人だったの?」
「ぁ……」
「名前は? 所属はどこ? ウルツとはどういう関係?」
興味津々という顔の青年から、立て続けの質問。迫ってきた顔にも戸惑うが、ロスウェルは質問しながら、彼女の肩に乗せていた手を、するすると彼女の腰まで落とす。当然驚いた娘は、目を丸くして身を固くして──……
そこがウルツの堪忍袋の限界であった。
ロスウェルが笑いながら「もしかして──」と、続けてロアナに訊ねたとき、その身体は見事に宙で一回転していた。
ウルツにきれいに投げ飛ばされた男は、廊下に転がり「ぐっ」と、鈍い声。
これにはロアナも、周りで傍観していた衛兵も仰天。
ロアナはまず、「で、殿下⁉」なぜ⁉ と、ウルツを凝視し、「殿下⁉」大丈夫ですか⁉ と、廊下に放り投げられたロスウェルに駆けよろうとする、が──できなかった。
「⁉」
「………………」
──気がつくと、手首がウルツに捕まえられている。
引き留められたロアナは、ポカンとウルツを見上げるが……青年は、なぜか彼女とも、投げ飛ばした弟のほうとも違うそっぽを向いている。と、その間に駆けつけた衛兵たちに助け起こされたロスウェルは、床の上で胡坐をかいて……こちらもなぜなのか──肩をゆすって笑っている。
……この状況には……。
「⁉ ⁉」
戸惑うべくして戸惑っているロアナのこわばった顔が、ものすごいことになっていた。
痛そうな顔をしてはいるが、どうやら痛みより、愉快さのほうが勝っているらしい。
立ち上がった弟がなおも笑い続けているのを見て、ウルツは眉間のしわを深める。
「……何を笑っている」
「だって……わかりやすすぎる……」
そう言って、ロスウェルは噴出して再び笑う。
これには鈍感なウルツは意味が分からない。
「なんなんだ貴様は……」
「なんなんだ……? なんなんだって、なんなんだだって! ねえ聞いた⁉」
「⁉ やめろどさくさに紛れて触るな!」
言いながらロスウェルはウルツの隣にいるロアナにしな垂れかかったが、そんな弟をウルツが慌てて引きはがす。……ちなみに、ロアナはずっと困惑と怪訝さの境で立ち尽くしている……という表情。こちらはこちらで状況がつかめていない。
「貴様……なぜそんなに懲りない⁉ わたしが言っていることを聞いているのか⁉ 宮人にはみだりに触れるなと──」
「なぜって? そりゃあ、こんなおもしろいことやらないでいられる? それにさ、今その宮人ちゃんにみだりに触れているのは、お前だろ」
「⁉」
その指摘にウルツがハッとして己の手を見下ろす。
と、そこで自分がロアナの手首をがっしり握りしめているのを見て、彼は目を剥いた。
愕然とした青い目がさっと手首の主を見ると、彼女は困惑のさなか。そのこわばった表情を見て、ウルツは怒りで青白かった顔を、さっと赤らめた。
そうして慌てて手を離す兄を見て。ロスウェルは、(気がついてなかったのか……)と生温かく笑む。
普段はムカつくほどに冷静な兄が、思い切り動揺しているのがおかしくておかしくて。弟は、ちょっと気が遠くなったという表情。
「ちょ、もう、どうしよう……おもしろすぎて悶える……!」
「⁉」
背を折ってくつくつと笑い震える青年に──彼の笑いの意味がちっとも理解できぬウルツは、未知の生物でも見たかのごとき表情。
いつもは自分の顔を見ると、へらへらと言い訳を並べてさっさと逃げていく弟王子が、自分を見て腹を抱えて震えているようすは、奇怪でしかない。
そしてロアナもまた、同じく奇異なものを見る目。
(な──なんなんだろう……?)
ウルツの顔がものすごいことになっていてとても怖いのに……そのそばで平気で馬鹿笑いしている王子が更に怖くて仕方なかった……。
これは、ロアナが今までに遭遇したことのない類の兄弟ゲンカである。
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