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三章
15 辺境伯とごはん ①
しおりを挟む辺境伯との食事──と言われてまずミリヤムが頭に浮かんだのはテーブルマナーが大丈夫かという事だった。
侯爵家で給仕をする事もあった訳だからその辺の知識は勿論ある。
しかし──それはあくまで給仕としてのマナーである。給仕する側から見たマナーである。
煌びやかな食堂に入っていくと(ぶら下げられて行くと※ギズルフ背)立派な食卓の向こうに辺境伯がちょこんと座っているのが見えた。クロスの掛けられたテーブルの上には、銀食器やグラスが並んでいる。テーブルの周りには幾人もの人狼の給仕が控えていた。
ミリヤムが青い顔でギズルフの背にへばりついたままでいると、そのうちの一人が後ろからひょいとミリヤムを持ち上げた。
「!?」
「おい、そやつは崩れやすいから気をつけろよ」
崩れやすいとはなんだ、とミリヤムは思ったが、ギズルフが給仕にそう言うと、頷いた給仕はそのまま辺境伯の傍の席にミリヤムを着席させた。
ギズルフはその向かい側にやれやれと腰を下ろす。伯のかなり近い位置に座らせられたミリヤムが緊張で泡を吐きそうになっているが、それを見てギズルフは「蟹みたいなやつだ」と思った。
二人が席に着いたのを見ると、辺境伯がつぶらな瞳を和らげてミリヤムに微笑みかけた。
「良く来た。調子はどうだ?」
「は、はいもう大丈夫です!」
と、伯の美声の問いに答えるミリヤムの顔汗は酷い。
「閣下、あの、昨日は……申し訳ありませんでした……」
何よりも先に謝らなければと思っていたミリヤムが、そう頭を下げると辺境伯は軽快に笑う。
「“おいでー”か? まあよい。気にするな。領を出た時には偶にあることだ」
「は、はあ……」
聞くと、よく何も知らない隣の領民に同じ様な反応をされると言う。隣の領民とは、勿論フロリアン達の領の事であろう。ミリヤムは、もし侯爵領に戻ることがあれば絶対に辺境伯様の噂を正しておこう、と思うのだった……
「それよりも……ギズルフ」
辺境伯は息子の方へ視線を向ける。
「お前なんだその恰好は……何故服を着ておらぬ」
「ん? ああ……」
「!?」
ミリヤムはしまったと思った。言うまでも無く、ギズルフが上半身裸なのはミリヤムがそれを奪い取って雑巾にしたからだ。ミリヤムの顔色は青を通り越して真っ白になった。
そんなミリヤムを知ってか知らずか──ギズルフは事も無げに言った。
「さっきそやつに脱がされました」
「う゛……」
ギズルフがミリヤムを指差すと、辺境伯のつぶらな瞳が更に丸くなった。周囲の給仕達からもぎょっとしている空気が伝わってくる。
ミリヤムの顔汗はまた酷いことになっている。
「……ほう」
「時間を拘束する正当な見返りとして寄越せと言うので、まあ、やっても良いかと」
「服が欲しかったのか? 着替えは用意させているであろう。気に入らなかったか?」
辺境伯にそう顔を向けられたミリヤムは「ええと、」と視線を彷徨わせた。流石にこの空気の中、雑巾にしましたとは言いづらい、と思っていたら、またギズルフがさらりと言う。
「床や窓を磨く物が欲しかったらしいです」
途端再び周囲の空気が凍る。
背後から突き刺さるような視線を幾つも感じて──ミリヤムは、無言の下で、どうでもいいがこのお方は正直者だな、と思った。
げっそり其方を見ていると、斜め向かいにいる辺境伯がくつくつと笑い始めた。思わずミリヤムの身体がビクッと震える。
「息子よ、お前、脱がされたと言ったが……この様にか弱き娘に服を取られたのか? お前がか」
伯はさも可笑しそうである。ギズルフはそれを見てお言葉ですが、と小さく眉間に皺を寄せる。
「貧弱であるがゆえに抵抗が難しいのです。腕の一振りでその骨を砕くかもと思うと恐ろしくてとても抵抗できませんでした」
「まあ……お前はよく物を壊すゆえなあ。そうか……。……娘よ」
「は、はい!?」
辺境伯が急に自分の方に顔を向けたのでミリヤムがまた身体を震わせる。
「名はミリヤムだったか? ミリヤムよ、お前はどうやらこの息子に慎重さをも教えてくれているようだな」
「は、い? えーっと“をも”、とは……?」
ミリヤムは不思議そうにしながらぎこちなく首を傾けたが、アタウルフは静かに笑うばかりだった。
「ふふふ、さて、ではそろそろ食事を取ることとしよう」
「は……!?」
気がつくと、いつの間にかミリヤム達の前には前菜が運ばれて来ていて──
ミリヤムはテーブルマナー良く分らないよ問題を思い出した。心の中で「神様フロリアン様どうすれば!!? なんでお貴族様の食卓にはこんなにカラトリーの数が多いのですか!!!??」と──慌てていたのだが──
そんな心配は不要だった。
「わ、若様……」
「あ? なんだ。さっさと食え」
「……」
ミリヤムの目の前で食事をするギズルフは、テーブルマナーなど完全無視で食事を進めていく。
「おい、さっさと肉を持って来い」
給仕が慌てて持ってきた大きな肉は最早フォークを使われることも無く──ぽいとその大きな口に放り込まれていく。それを見たミリヤムは流石に仰け反った。
「おいちょっとそこの御嫡男様!! きちんとなさいませ!?」
「あ? 母も居らぬ身内だけの食卓だぞ、固い事を言うな……」
「私め身内じゃありませんけど……!?」
「……まあ……お前は……背乗りの小猿みたいな……」
「猿……」
もうすっかりペット扱いである。
そこに呆れたような美声が挟まれた。
「ギズルフよ……お前、その娘にそんな事を言っていて大丈夫か?」
ヴォルデマーに殴られるのでは? と伯は苦笑をもらしているのだった……
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