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三章

16 辺境伯とごはん ②

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 心配していたよりもずっと気楽にしても大丈夫だと分ったミリヤムは、苦戦しながらもなんとか人狼親子との食事を終えた。
 正直おっかなびっくり食事をしている自分の方が、ギズルフの豪快な食べ方よりも幾らかマシだと思えた。

 そうしてほっと安堵しながら食後の茶に手を伸ばしていると、同じ様にもっふりした(短い)手で茶を飲んでいた辺境伯がそれをテーブルに戻し、ミリヤムの方を見た。

「それで……ミリヤムそなた、息子とはどうなっている? ああ、ヴォルデマーの方だ」
「え……ああ、えっと……どうなっている……?」

 そう言われたミリヤムは、ふと、どうなってるんだろう? と考え込んだ。
 それをテーブルの反対側からギズルフが何だ何だと見ていると、ミリヤムは行き成り、ぼんっと真っ赤になってわなわなと戦慄き始めた。

「!? 何だ!?」
「何でも……何でもありません!」

 叫ぶミリヤムの顔は赤い。どうやら何かを思い出したらしい。風呂の事とか。色々。
 ミリヤムは汗をかきながら辺境伯を見た。伯は未だミリヤムの顔をじっと見て言葉を待っている。

「あ、あの……と、とっても、その、仲良くさせて頂いております……」

 やっとの事で小さくそれだけを言うと、ギズルフが不満そうに「なんだそれは」と、突っ込んでくる。

「仲良くって何だ!? 子供かお前は!!」
「いや、説明とか……無理ですから無理無理無理無理無理」
「!? そんなに爛れた関係なのか……」
「やめろ」(ミリ)

「……」

 そんな二人のやり取りを眺めながら、辺境伯はやれやれと苦笑してほのぼのお茶を飲んでいる。
 
 散々口喧嘩をした二人がやっと休戦に入った頃、伯はゆっくりと口を開いた。

「もうよいか?」
「あ……御前で……申し訳ありません……」

 ぐったりと疲れた様子のミリヤムと向かい側で同じくぐったりしている息子に、もう一度茶を出すように給仕に命じた辺境伯は、それでは、とミリヤムに向き直る。

「息子やアデリナから聞いているかもしれないが……当家としてはお前達の仲を認められない」
「……う」

 途端ミリヤムの顔が苦しそうに歪む。そのきっぱりとした先制攻撃は、そう言われると分っていたミリヤムの胸にもずしんと来た。
 辺境伯は淡々と続ける。

「無情と思うかも知れぬが、次男とは言えヴォルデマーもこの領、そして我々人狼社会を支える大切な柱の一つだ。息子にはその勤めを果たして貰わねばならぬ。血を薄めるわけにはいかないのだ」
「……」

 ミリヤムは居住いを正して辺境伯の顔を見た。

「ヴォルデマー様がそれをお望みにならなくてもですか……?」

 伯は頷く。

「ああ。一度前例を許してしまえば先々の子孫らの内でもそれを望む者が出てくるだろう。その度に我等人狼族の系譜は脆くなってしまう。もし──どうしてもと望むのならば、側女としてなら添わせることは可能だが──」
「側女……」
「……」

 ギズルフは茶を啜りながら、二人の様子を黙って見ている。
 
「そうだ、どうした? それでは不服か?」

 呟いたきり黙りこんだミリヤムの様子を不満と受け取った辺境伯が問う。と、ミリヤムは──じっと己の様子を窺っている人狼の顔を、意を決した様子で見返した。

「あの……私は……私は別に側女でもなんでも構いません」

 その言葉に伯の眉が上がる。向かい側で黙って聞いていたギズルフもぴくりと片眉を上げてミリヤムを見た。

「ほう?」
「いえ、別にそういう何かの立場を与えてもらうことも不要で……血統以前に──自分の身分がとても低いということは勿論重々承知していますから……」

 ミリヤムは困ったようにテーブルの上のお茶に視線を落とした。
 それはずっと考えていたことだった。
 辺境伯の息子と洗濯番の自分。初めから共に食卓に着くことにすら抵抗のあったミリヤムである。
 ヴォルデマーに恋をして、その傍に居たいと心から思っている。子が欲しいと──言われもした。だが──
 
 ミリヤムは顔を上げて辺境伯を見た。

「……ただ……傍に居させて頂けないでしょうか……今まで通り、ベアエールデで洗濯番として──私が望むのはそれだけです」
「ほう、それでは我等が息子に別な娘を正式に妻として迎えてもよいということになるが……それでも構わぬということか?」

 細い目のまま辺境伯がそう言うと、ミリヤムの手が握り締められる。だが、顔は下ろさなかった。

「……嫌です。それはもちろん。でも、構うも構わないも……それをどうこう出来る力を私は持ち合わせていません。今言ったとおり私はただの洗濯番です」
「息子に望まれていること、それ自体がその力とは思わぬのか?」
「思いません。ヴォルデマー様が望んで下さる気持ちは気持ちです。権力ではありません、そんな風に考えたくありません」

 ミリヤムはぺっとはね付けるように言った。

「……ふむ……ではつまりは正妻の座は諦めて側女として傍におるという事で、よいのかな?」
「諦め……」

 辺境伯のその言葉に、ミリヤムの心の中には急に寂しい風が吹き込んできたような気がした。
 ミリヤムはしんと沈んだ静かな目を伯に向ける。

「……閣下達のようなご身分ではお分かりにならないかもしれませんが……私達みたいな階級の者達はいつでも諦めに直面しているものです。どんなに豪華で羨ましい生活を目にしても、自分の物にはならぬと諦め、わきまえて粛々と職務に勤しむ。それが出来ぬ者は使用人としては生きていけません」
「……そうか、では良いのだな?」

 ひたりと己を見る伯の目に、ミリヤムは思った。
 
 それでも傍に居られるなら

「……は──」



 い、とミリヤムが口を開いた時、背後からぬっと黒い腕が伸びて来た。それは顔の両側からミリヤムの口を塞ぐ。

「!??」
「……やめておけ。そこまでにしろ」

 その手の主に、辺境伯が目をパチパチさせている。

「ギズルフ」

 ミリヤムの口を封じたギズルフは、目を細めて父を見て、鼻から息を噴出した。

「阿呆が、容易く言質を取らせるな。後々後悔するぞ」
「う……」
「どうしたギズルフ。何故止める?」

 辺境伯が意外な行動に出た息子を笑いながら問う。するとギズルフは憮然とした顔のままそれに返す。

「この娘の考えがどうかは知りませんが、ヴォルデマーの為です。これはおそらく弟の望むことではございません」
「……ほう?」
「まったく……ああもう面倒だ!」
「うわっ!?」

 ギズルフは顰め面でミリヤムを背に放った。放られたミリヤムはギズルフの首の後ろに慌てて張り付いて目を白黒させている。

「ふん、では父上、本日はこれで失礼致します」
「え!? いいんですか!? あの、え!?」
「煩い、貴様はもう黙っていろ!!」

「……」

 荒々しく息子達が出て行ったのを見送ったアタウルフは、暫しの沈黙の後、噴出した。
 一番年嵩の給仕が慌てたように彼に駆け寄って、彼と彼の息子が出て行った扉とを交互に見ている。

「閣下……よ、よろしいのですか?」
「ははは、いやいや……見たか? あのギズルフが娘を気づこうておったぞ。ヴォルデマーの為などというあやつの台詞、初めて聞いたわ!」
「閣下……しかし……」
「よいよい。娘の気持ちは分かった。それにその気質もな。此度はそれが収穫よ」

 アタウフルは成程成程と言いながら、くつくつと笑い続けるのだった。





 そして城の廊下では──

 ミリヤムがギズルフにめっちゃ怒られていた。
 ギズルフはミリヤムを背に張り付かせたまま険しい顔で廊下をずんずん進んでいる。

「お前な……言いたいことを言えばいいという物ではないぞ!? 後々あの時ああ言ったではないかと言われたらどうする。本気でヴォルデマーの側女になるつもりか!?」
「だって……身分差天地ごとし、ですよ。おまけにご両親に反対されていて……私人狼になるの無理ですもん……」

 全部本当の事です、とミリヤムはギズルフの背でしゅんとしている。

「現実は見ておかないと生きてはいけないんですよ若様……」
「だからと言って本気で他の正妻を許すのか!? 貴様父を説得するつもりだったのではないのか!?」

 そういうギズルフは既に自分がアデリナに命じられてミリヤムを攫ってきたことを忘れかけている。
 そうしてこちらも攫われたことをうっかり忘れかけているミリヤムは、深くため息をついた。

「だから……洗濯番でいいからヴォルデマー様のお傍に置いて下さいって……」
「何!? それのことだったのか!?」

 てっきりミリヤムがヴォルデマーとの婚姻を許してもらうつもりなのだと思っていたギズルフは目を丸くした。
 ミリヤムはしおしおした顔で「だって、」と呟く。

「だって……私には純血の子供産めないし……正妻……ウラ様なら………………」

 と、言った所でヴォルデマーに寄り添うウラを想像してしまったミリヤムの瞳からは、ぼろぼろと涙があふれ出す。
 ミリヤムはウラの事が少し好きだった。怖くて綺麗、そして優しい。けれど、やはり彼女がヴォルデマーと婚姻を結ぶのかもと思うと酷く悲しかった。だが、他の知らない誰かよりは何百倍もマシだとも思った。

「!? おい!? 今頃泣くのか!?」
「泣いてなんぞいない!!! だって!!! 現実問題そうでも言わなきゃヴォルデマー様、ご実家を出るとか言いそうじゃないですか!! 身分を捨てたら砦の長も辞めなくちゃいけないんですよ!? そんな事したら皆絶対悲しむ……!! イグナーツ様なんかあんなにヴォルデマー様の事好きなのに……! 砦の長が変わったらイグナーツ様が絶対萎れた大根みたいになってしまわれる……!!!」
「お、お前……」

 おんおん己の背の上で泣き出したミリヤムに、ギズルフが慌てている。

「な、泣くな! おい!」
「泣いてなんぞいないって! 言ってるでしょ!!!」

 あー!!!!! と、ミリヤムはギズルフの背中にしがみ付く。

「!? ど……これ……どうしたらいいんだ!? どうしたら……!!??」

 ギズルフは廊下の途中でミリヤムを背負ったまま、あたふたしている。

 勿論、ギズルフは……泣く子をあやした事も、ない。






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