偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

文字の大きさ
53 / 94
三章

9 腕を二倍

しおりを挟む
「おい貴様、何故死んでいないと言わなかった。無駄に走ってしまった……」
「……お言葉ですが……若様……」

 不愉快そうにそう言う黒い大きな人狼に、ミリヤムは平らな顔で手を上げた。

「私めはちゃんと死んでおらぬと申告しておりました!! してましたよ! ねえ!?」

 ミリヤムが大きい人狼──ギズルフの背中から背後を振り返ると、そこにいた人狼達が一斉に頷いた。
 それを見たギズルフがまたぺたんと耳を後ろに倒す。

「……兎に角お前はもう走るな」
「そんなに柔じゃないって言ってるではありませんか。人族も走って転んだくらいでいちいち手足を外していられませんよ。一回試しに引っ張ってみられたらいいではありませんか……ほら! ほらほら!!」

 ギズルフに背負われていたミリヤムは、そこからもそもそと黒い長毛をかき分けて、白い腕を彼の鼻先へ突き出す。その行動にギズルフがぎょっとした。

「やめろ! なんだその筋肉の無い木の枝のような腕は……見ているだけで鳥肌が立つ! しまえ!!」
「ええ? 砦で鍛えられて人生最高に筋肉がついたと思っていたのに……?」
「そんな腕を引っ張れだと……? ……いやだ。俺は絶対に引っ張らない。虫の手足のように落ちるのは目に見えている」
「……」

 乗った背がぶるぶる震えだして。ミリヤムは怯えたようなその横顔に呆れる。

「若様……ファイトです! 人生何事も挑戦ですよ!?」
「嫌だ。貴様私を誰だと思っている。強要するな。その手首を倍の太さに鍛えてから出直せ」
「倍……は……厳しいですね……」

 ミリヤムが腕を引いてまじまじとそれを見ていると、ギズルフはやりきれないという様子で呻く。

「まったく……母上も厄介なものを預けてくれる……父上に合わせる前に息絶えさせてしまったら俺はどうしたらいいんだ……」
「……そんな虫みたいにすぐ息絶えませんが……」
「朝から肉は嫌だなどと言っているからそのように脆弱なのだ。貴様ら人族は肉食ではないのか!?」
「雑食ですねえ……」

 ミリヤムは駄目だこりゃ、と思った。
 


  結局ミリヤムはまた客間に戻された。

「サンルームが良かった……」
「駄目だ。貴様また走るだろう……思ったのだが、お前鎧をつけて見てはどうだ? 少しは身体の守りとなろう」
「お断りです」

 ミリヤムがきっぱりお断りすると、ギズルフは「まあそうか」と神妙な顔つきで素直に頷いている。おそらく心の中で「重さで潰れるのだな」「硝子細工だからな……」などという事を考えているのだろうなあという事は、ミリヤムにもなんとなく分ったが、とりあえず黙っておいた。部屋で重い鎧なんて冗談ではない。

 弱々しいと思っていてくれるほうが彼等も何かと油断してくれるのでは……と一瞬思ったミリヤムではあったのだが、ギズルフはミリヤムが弱々しいと思い込めば思い込む程に怯えて警戒が強まるようだった。強い人の考える事は分からん。と、ミリヤムは思う。


「あの……若様、そろそろお仕事にでもお戻りになられたら如何ですか……」

 客間に戻ったのというのに、一向に部屋を出て行く気配の無いギズルフにミリヤムがそう言うと、彼はじろりとミリヤムを睨む。その、ヴォルデマーにそっくりな顔に浮かぶ冷淡な表情にミリヤムがちょっとよろめく。

「う、……ちょっとその目……どきどきします! ヴォルデマー様のそんな冷たい顔見たことがないせいでしょうか!?」
「煩い! 貴様がもし誰も見ていないところで息絶えていたらと思うとおちおち仕事なんぞしていられんのだ! もしその様な事になれば俺はヴォルデマーに絞め殺されるかもしれん……」

 何せ、母の命令だとはいえ、砦から娘を担いで攫ったのは自分なのだ。しかもそのせいでミリヤムが体調を崩しているとなると、現時点でも既に兄弟喧嘩の勃発は避けられないと思われた。

「その上貴様の腕の一本でももげようものなら……」

 ギズルフが、ちーんと消沈した。大きな背をがっくり丸めて項垂れる人狼の様に、ミリヤムがちょっと慌てる。

「ちょっ、落ち込まないで若様! ええと……っ」

 ミリヤムはあわあわしながら左右へ視線を走らせて、目に入った椅子を引っ張って来た。
 それをギズルフの隣に置き踏み台にすると、その頭をわしわし撫でる。

「御兄弟なんですから絞め殺されるなんてことありませんよ……ヴォルデマー様はとってもお優しいではありませんか……」
「……いいや、俺は知っている。ヴォルデマーは昔からとにかく人や物への執着が薄かったが、一度気に入ってしまうとそれはもう執着が物凄い……中でも母の反対を押し切って、という状態は、もう最悪だ。奴はそれを絶対に手放そうとしないし、母は母で、いつもはあまり逆らう事の無い息子が抵抗するものだから余計反発する……」
「はあああ……な、成程……若様にも色々ご苦労があるわけですね……」
「そうだ! だから俺は……貴様の指一本もぐ訳には行かぬのだ!!」
「だから……もげませんって……」

 ミリヤムが疲れたようにため息をつくと──……唐突に、ギズルフが己の耳の後ろをわしわし撫でていた娘のその手をがしりと掴む。

「おう!?」

 行き成りの事に驚いていると、次いでギズルフの黒い鼻先がぬっと目前に迫って来る。ミリヤムは思わず目を見開いて仰け反った。男は顰め面でミリヤムの顔を睨んでいる。

「何故そう言い切れる……! 貴様……自分の指が如何に脆弱か分っておらぬな!? 見ろ! この虫の足のように細い指を!!」
「……いや……いつも見ておりますけど……その虫扱いそろそろやめて頂けませんか……」

 顔近いなあ、と思いながらミリヤムは、折るではなく、もぐと言っているあたり、ギズルフは本気でミリヤムを虫扱いしているのだなとしみじみ思う。

(はー……やっぱりヴォルデマー様につくづく似ていらっしゃる……)

 ミリヤムがじろじろ見ていることにも気が付かずに、わなわなしている様子は似て非なるような気もするが。

「くそ……見ているだけで毛並みの下に鳥肌が立つ……!! 此度の諍いも、きっと俺が貴様のこの指一本もいでしまえば、もう二度とヴォルデマーは母の事も俺の事も許さぬだろう……どうすればいい……どうすればいいんだ俺は!! こいつを鍛えるしかないのか!?」
「え」
「肉を食わせて毎日走らせれば……しかしこの指はどうしたらいい……? 素振り……? そうか素振りか!!」

 ぽかんとするミリヤムの前で、ギズルフは、よし、と真顔になった。

「お前、今日から我等の訓練に混じれ。俺がお前の腕を二倍にしてやる」
「…………二倍に……」
「そうと決まれば行くぞ! 稽古場だ!!」
「……ほう……」

 神妙な顔をしているミリヤムをギズルフは椅子から下ろし、その手を引いた。その相手の意見をまったく聞こうとしない様子にミリヤムは、やっぱりこの方嫡男だなあ、と思う。あと、硝子細工はどうした、とも。

「どうした? 行くぞ」
「……ええまあ、此処に閉じ込められているくらいなら行きますし、熱血指導も受けますけどね……」
「そうかそうか、よし行く……ぃ……く…………ん……?」

 そうしてミリヤムを部屋から連れ出そうとしたギズルフは、ふと、己がミリヤムの手を握り締めていることに気がついた。

「……ひっ」
「ん?」

 行き成り目を見開いて自分の手を振りほどいた人狼に、ミリヤムが瞼をパチパチさせている。
 ギズルフは叫んだ。

「貴様……! 何故俺の手を握っている! 引っ張ってしまったではないか!!」

 もげるだろう! 虫め!! ……と慄いている辺境伯家嫡男に、ミリヤムは──

 この方若干おもしろいな……と、そっと思うのだった。




しおりを挟む
感想 152

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。