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三章
37 泣きと叱咤の訪問者
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時は瞬く間に過ぎて行き、あれから一月程の時間が過ぎた。
ヴォルデマーは砦の長の任を解かれ、今も領都に幽閉されたままだった。
今も気力の無さは変わらない。食が細ったせいで身体の毛艶も悪くなった。(よくそれを見て腹を立てたギズルフが一生懸命弟をブラッシングしている)でもあんまり上手じゃない)
ヴォルデマーの口の重さは以前よりも酷くなって、最近ではギズルフやヘンリック医師ですら彼の声を殆ど聞くことが出来なくなっていた。時が経っていっても、彼の辛さは薄れるどころか日毎降り積もって行っているようだった。
辺境伯も、流石のアデリナもそんな息子を心配していたが、ヴォルデマーの物言わぬ岩状態は頑なで、手の出しようがない。
そんな現状に、アデリナも少しづつ後悔し始めているようだった。
それを誰かに漏らすことはなかったが、彼女自身も徐々に食が細っていき言葉少なに過ごす事が多くなった。
それを見たギズルフや辺境伯も思い悩まずに居られる筈がなく──……家族らの苦悩したその様子に、城の中の空気はすっかり沈んだものとなって行った。
そんなある日──
ヴォルデマーを訊ね、城へある二人の客人がやって来た。
イグナーツとウラだった。
ヴォルデマーを案じた辺境伯が彼の為にイグナーツを招き、それを知ったウラが是非にと着いて来た形だ。
そうしてその暗い部屋に案内されたイグナーツは、久々のヴォルデマーの姿を見るなりさめざめと泣き始めた。それを見たウラが眉間を寄せて叱咤する。
「ちょっと……イグナーツ様!! めそめそなさらないという約束だったでしょう!? ヴォルデマー様がお困りになられているではありませんか!!」
「ぅうううぅ……」
イグナーツはぎらりと睨まれて呻いたが、それでも涙は止まらないようだった。白豹は立ちつくしたまま、流れる涙を己の腕で拭っている。
「おいたわしい……ヴォルデマー様……」
「イグナーツ……すまない。砦は大丈夫か?」
長い付き合いの側近の様子に、流石のヴォルデマーも沈黙を破る。
その労わりの言葉にイグナーツの頭が激しく縦に振られる。が、ヴォルデマーの声の張りのなさに──彼の瞳からは一層涙が溢れ出した。泣いているせいで返答が上手く言葉にならない。あうあう言うイグナーツを見たウラはやれやれと首を振り、そしてヴォルデマーに向き直った。
「ベアエールデは大丈夫です。イグナーツ様が隊長の座を固辞なさるから未だその席は空いておりますが、サラ様が全面的に上にお立ちになって楽しそうにやっていらっしゃいます。驚きましたわ……あの方がヴォルデマー様の御祖母様だったなんて……砦でもごく一部の方しかご存知ではなかったそうですね?」
その言葉にヴォルデマーが「ええ」と頷く。
「申し訳ない……老後は気楽に過ごしたいと言うので……」
ウラは首を振る。
「いえ、滅相も無い。サラ様は私達の集落の事もよく面倒見て下さっていらっしゃいますからとても助かっております。それに辺境伯様が隊士の補充もして下さったそうです。イグナーツ様がそれを上手く使えるようになれば大丈夫よ~と。サラ様が」
「そうですか……」
ウラがそう言うとヴォルデマーの表情が僅かにほっとしたようなものに変わる。
そこでようやく涙がひと段落したらしいイグナーツが顔を上げ、ヴォルデマーの傍に跪いた。
「ずみまぜん!! もっと早く駆けつけたかったのですが……砦の激務が……!!」
「いや……すまない、私のせいだな……砦の皆には本当に申し訳ないと思っている……何れ此処から出ることが出来たら、役職がなくとも何らかの形で必ず償わせてもらいに行く」
それまで待って欲しいとヴォルデマーが頭を下げると、イグナーツは再び、だっと涙した。
「あの……」
ウラは少し言いづらそうにヴォルデマーの顔を見た。
「……ヴォルデマー様……アデリナ様と、少しはお話になられましたか?」
「……」
「……その……本当に、あの子……」
行ってしまったんですか。と、聞こうとしてウラは押し黙る。
それを耳にしたヴォルデマーの顔が明らかに曇ってしまったから。
彼の金の瞳には陰りが落ちて、その拳は歯痒そうに握られていた。そこからは、己を情けなく思いながらも、どうしてもその苦悩から逃れられないという彼の葛藤が見えるようで──……
結局……ウラもイグナーツも、それ以上はミリヤムの事を聞くことが出来なかった。
ヴォルデマーの部屋を辞した二人は暫しの間、無言で並んで歩いていた。
そうして暫らく消沈した様子で雰囲気の暗い城内を目にしながら進んだ後、二人はそれぞれにため息をついて口を切る。
「……とても、具合がお悪そうでしたね……」
「……ヴォルデマー様……ミリヤム……。フロリアン殿はどうしてこんな……」
イグナーツは理解できないとぼやいた。辺境伯からイグナーツに宛てた召喚状には大まかな事情が記してあって、そこにはフロリアンがアデリナの依頼でミリヤムを連れて行ったことも書かれていた。
イグナーツの悲しそうな顔にウラが答える。
「まあ……両家の関係を考えるとアデリナ様の依頼ならあちらは無下には出来ませんし、彼にとってもあの子が譲れない存在だったということでしょう……腹は立ちますけどね」
以前ヴォルデマーに似たような感情を寄せていただけに、ウラはその心情もわからないでもないと思った。だがウラはそれはいいと切り捨てる。
「その方の心情などはどうでもいいですわ。兎に角、今はヴォルデマー様です。あの方はこの領都の娘達の宝ですもの、何とか立ち直っていただかないと…………今更私の色仕掛けは通用しないでしょうしねえ……」
「っ!??」
ウラの言葉にイグナーツが思い切り噴出している。が、ウラには無視された。
「私……ちょとアデリナ様にお会いしてきます」
「え? あ、あの!?」
「ああ、私、勝手に帰りますからお構いなく」
戸惑うイグナーツを置いて、ウラは颯爽と立ち去って行く。
「……そうよ、ヴォルデマー様は私達の宝なのに……あんなに悲しませるなんて、あの子、やっぱりいつか絶対に引っ掻いてやる!!」
ウラの咆哮のような怒号が廊下に残されて。
それを聞いたイグナーツ以下居合わせた使用人達が皆、一瞬気圧されたように仰け反っていた。
ヴォルデマーは砦の長の任を解かれ、今も領都に幽閉されたままだった。
今も気力の無さは変わらない。食が細ったせいで身体の毛艶も悪くなった。(よくそれを見て腹を立てたギズルフが一生懸命弟をブラッシングしている)でもあんまり上手じゃない)
ヴォルデマーの口の重さは以前よりも酷くなって、最近ではギズルフやヘンリック医師ですら彼の声を殆ど聞くことが出来なくなっていた。時が経っていっても、彼の辛さは薄れるどころか日毎降り積もって行っているようだった。
辺境伯も、流石のアデリナもそんな息子を心配していたが、ヴォルデマーの物言わぬ岩状態は頑なで、手の出しようがない。
そんな現状に、アデリナも少しづつ後悔し始めているようだった。
それを誰かに漏らすことはなかったが、彼女自身も徐々に食が細っていき言葉少なに過ごす事が多くなった。
それを見たギズルフや辺境伯も思い悩まずに居られる筈がなく──……家族らの苦悩したその様子に、城の中の空気はすっかり沈んだものとなって行った。
そんなある日──
ヴォルデマーを訊ね、城へある二人の客人がやって来た。
イグナーツとウラだった。
ヴォルデマーを案じた辺境伯が彼の為にイグナーツを招き、それを知ったウラが是非にと着いて来た形だ。
そうしてその暗い部屋に案内されたイグナーツは、久々のヴォルデマーの姿を見るなりさめざめと泣き始めた。それを見たウラが眉間を寄せて叱咤する。
「ちょっと……イグナーツ様!! めそめそなさらないという約束だったでしょう!? ヴォルデマー様がお困りになられているではありませんか!!」
「ぅうううぅ……」
イグナーツはぎらりと睨まれて呻いたが、それでも涙は止まらないようだった。白豹は立ちつくしたまま、流れる涙を己の腕で拭っている。
「おいたわしい……ヴォルデマー様……」
「イグナーツ……すまない。砦は大丈夫か?」
長い付き合いの側近の様子に、流石のヴォルデマーも沈黙を破る。
その労わりの言葉にイグナーツの頭が激しく縦に振られる。が、ヴォルデマーの声の張りのなさに──彼の瞳からは一層涙が溢れ出した。泣いているせいで返答が上手く言葉にならない。あうあう言うイグナーツを見たウラはやれやれと首を振り、そしてヴォルデマーに向き直った。
「ベアエールデは大丈夫です。イグナーツ様が隊長の座を固辞なさるから未だその席は空いておりますが、サラ様が全面的に上にお立ちになって楽しそうにやっていらっしゃいます。驚きましたわ……あの方がヴォルデマー様の御祖母様だったなんて……砦でもごく一部の方しかご存知ではなかったそうですね?」
その言葉にヴォルデマーが「ええ」と頷く。
「申し訳ない……老後は気楽に過ごしたいと言うので……」
ウラは首を振る。
「いえ、滅相も無い。サラ様は私達の集落の事もよく面倒見て下さっていらっしゃいますからとても助かっております。それに辺境伯様が隊士の補充もして下さったそうです。イグナーツ様がそれを上手く使えるようになれば大丈夫よ~と。サラ様が」
「そうですか……」
ウラがそう言うとヴォルデマーの表情が僅かにほっとしたようなものに変わる。
そこでようやく涙がひと段落したらしいイグナーツが顔を上げ、ヴォルデマーの傍に跪いた。
「ずみまぜん!! もっと早く駆けつけたかったのですが……砦の激務が……!!」
「いや……すまない、私のせいだな……砦の皆には本当に申し訳ないと思っている……何れ此処から出ることが出来たら、役職がなくとも何らかの形で必ず償わせてもらいに行く」
それまで待って欲しいとヴォルデマーが頭を下げると、イグナーツは再び、だっと涙した。
「あの……」
ウラは少し言いづらそうにヴォルデマーの顔を見た。
「……ヴォルデマー様……アデリナ様と、少しはお話になられましたか?」
「……」
「……その……本当に、あの子……」
行ってしまったんですか。と、聞こうとしてウラは押し黙る。
それを耳にしたヴォルデマーの顔が明らかに曇ってしまったから。
彼の金の瞳には陰りが落ちて、その拳は歯痒そうに握られていた。そこからは、己を情けなく思いながらも、どうしてもその苦悩から逃れられないという彼の葛藤が見えるようで──……
結局……ウラもイグナーツも、それ以上はミリヤムの事を聞くことが出来なかった。
ヴォルデマーの部屋を辞した二人は暫しの間、無言で並んで歩いていた。
そうして暫らく消沈した様子で雰囲気の暗い城内を目にしながら進んだ後、二人はそれぞれにため息をついて口を切る。
「……とても、具合がお悪そうでしたね……」
「……ヴォルデマー様……ミリヤム……。フロリアン殿はどうしてこんな……」
イグナーツは理解できないとぼやいた。辺境伯からイグナーツに宛てた召喚状には大まかな事情が記してあって、そこにはフロリアンがアデリナの依頼でミリヤムを連れて行ったことも書かれていた。
イグナーツの悲しそうな顔にウラが答える。
「まあ……両家の関係を考えるとアデリナ様の依頼ならあちらは無下には出来ませんし、彼にとってもあの子が譲れない存在だったということでしょう……腹は立ちますけどね」
以前ヴォルデマーに似たような感情を寄せていただけに、ウラはその心情もわからないでもないと思った。だがウラはそれはいいと切り捨てる。
「その方の心情などはどうでもいいですわ。兎に角、今はヴォルデマー様です。あの方はこの領都の娘達の宝ですもの、何とか立ち直っていただかないと…………今更私の色仕掛けは通用しないでしょうしねえ……」
「っ!??」
ウラの言葉にイグナーツが思い切り噴出している。が、ウラには無視された。
「私……ちょとアデリナ様にお会いしてきます」
「え? あ、あの!?」
「ああ、私、勝手に帰りますからお構いなく」
戸惑うイグナーツを置いて、ウラは颯爽と立ち去って行く。
「……そうよ、ヴォルデマー様は私達の宝なのに……あんなに悲しませるなんて、あの子、やっぱりいつか絶対に引っ掻いてやる!!」
ウラの咆哮のような怒号が廊下に残されて。
それを聞いたイグナーツ以下居合わせた使用人達が皆、一瞬気圧されたように仰け反っていた。
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