34 / 94
二章
23 決裂
しおりを挟む
頑固者同士の角の突き合わせは、お互い意見は変わらぬという気迫に満ちていた。
いや、曲げられるところは曲げるという意志があるだけ、ヴォルデマーの方がまだ柔軟だったかもしれないが、その一番譲れぬところを母が最も譲歩させたいのだというのが厄介だった。
小一時間程を掛けて、お互い一通り自分の言いたいことを出しつくした二人は、お互いに相手の頑固さに呆れつつ睨み合っていた。
「……」
「……はあ、まったく誰に似てこんなに頑固なのかしら……とにかく、私が言うべきことは言いました。それはつまり旦那様のご意向です。お前は当家の一員としてそれに従わなければなりません」
「余地がないという事に疑問を感じます。種を守るということは勿論大事なことですが、今のまま母上の思うように私が婚姻を結んでも種が残るとは思えません」
私はウラ殿と子を残しませんよ、とヴォルデマーが平然と言うと、アデリナが壮絶に顔を顰めた。
「……この子ったら……お前それをウラに言うんじゃありませんよ!!」
「分かっています。しかしそれが事実であり現実です。母上も冷静に考えればお分かりになるはず。私が今までどれだけ長い間女人を傍に置かなかったか、私がどれだけ気が長いか。つまり、どれだけ時を掛けてもそれが変わることは無い」
「……お前という息子は……本当に!!」
アデリナは扇を持つ手をわなわな震わせて、今にもそれを握り潰してしまいそうな形相である。それでもヴォルデマーが意に介した様子はない。
「領地を守る伯の子としてしっかり育ててきたと言うのに……! もし兄に何かあった時はお前が領地の柱となるのですよ!? 許されるわけがないでしょう!!」
怒ったアデリナは「話にならぬ」と言って憤るように席を立った。
「母上、どちらへ?」
「お前と話していると腹が立って仕方がない!! 各所へ挨拶へ行って来ます! しばらく滞在するからそのつもりで居なさい!!」
アデリナはそう言葉を叩きつけると執務室を出て行った。
「……」
残されたヴォルデマーは椅子の背もたれに身体を預け、天を仰いでため息を吐く。
「……やれやれ、困ったお人だ……」
「そっくりでいらっしゃいますわ。貴方様と」
不意に扉の方から声がした。ヴォルデマーが弾かれたように顔を上げると、そこに民族衣装の艶やかなウラが立っていた。
「……いつからいらした……」
「初めからですわ。私、気配を消すのは得意なんです。人狼ですから」
ヴォルデマーが問うと、ウラは事も無げにそう返す。
「……」
「アデリナ様に許可は頂いてますから入らせて頂きます」
ウラはそう言うと、一礼して優雅な身のこなしで執務室の中へ入って来た。その言葉にヴォルデマーが怪訝に片眉を上げる。
「……許可?」
「はい。しばらくの間ヴォルデマー様の身の回りのお世話をするようにアデリナ様に命じられました」
「……その様なものは不要です」
「いいえ拒否されても無駄ですわ。これは、アデリナ様と辺境伯様のご命令ですもの。私は従わざるを得ないんです。嫌ならばアデリナ様と辺境伯様を説得して下さい」
ウラはにこりと微笑む。その顔は言外に「出来るものならば」と語っている。
ずっと居たと言う言葉が本当なら、ウラはヴォルデマーの様々な発言を聞いていたはずだ。それでも引き下がるつもりがないという気迫がその言葉の端々には滲んでいる。
「……」
ヴォルデマーは押し黙った。現実的に考えても、アデリナは現時点でこの命令を覆さないだろう。おまけに辺境伯──父を説得するにしても、領地へ戻るか、手紙を送る必要がある。そしてそれが帰ってくるのにも時を要し、また、そこで“不可”と断じられれば元も子もない。
つまり──それは今、直ちにそのこの強かそうな娘を部屋から追い出すことは出来ないという事だった。
ヴォルデマーはどっと身体に疲れを感じた。
「……」
「あら、どちらへ?」
無言で長椅子を立ち上がったヴォルデマーに、ウラが問う。
「言っておきますけれど、私、嗅覚もとても良いんですからね。お逃げになっても無駄ですわよ」
ウラがそう抜け目のない顔で微笑むのを見て、ヴォルデマーはその顔をひたりと見つめる。彼がじっと金の瞳を注ぐと、ウラは少し狼狽したようだった。
「……ヴォルデマー様……?」
いつでもうっとりと見つめるばかりだったその瞳が、今、己を捉えているのだと思うとウラの動悸は高鳴った。
しかし──
「……逃げはしません」
ヴォルデマーは毅然とウラに向き直る。
「え?」
「それ故に、貴女には私に着いて来るのをお勧めせぬ」
「……どういう意味ですか……?」
ウラの怪訝そうな顔を少し伏せ目がちに見ながら、ヴォルデマーは静かに続けた。
「……私は逃げず、隠れもしないでしょう。もし貴女が真に私を好いて下さっているのだとしたら……それはきっと辛い事である筈です」
「……」
「私は、今、愛を注ぐべきと自分が思うものに、それを躊躇う事はしません。例え貴女がいようとも、それが母であったとしても。ですから……貴女は私に着いて来るべきではない」
そのはっきりとした物言いに、ウラが一瞬ぐっと押し黙る。ウラが父から正式に彼に紹介されたのは、以前彼女達の集落で催された宴が初めての事ではあったが、彼女の方ではずっと昔からヴォルデマーを見てきたのだ。それだけに彼の誤魔化しのない人柄は良く分かっていた。
「……そうだとしても……言った筈です。私は命令を覆せません」
「……」
「獣人も人も、心は移ろい易いもの。結局は相応な者と道理を通して共になるほうが幸せだと貴方様にきっと理解して頂きます」
ウラはそう言って、挑むような視線でヴォルデマーを見上げるのだった……
いや、曲げられるところは曲げるという意志があるだけ、ヴォルデマーの方がまだ柔軟だったかもしれないが、その一番譲れぬところを母が最も譲歩させたいのだというのが厄介だった。
小一時間程を掛けて、お互い一通り自分の言いたいことを出しつくした二人は、お互いに相手の頑固さに呆れつつ睨み合っていた。
「……」
「……はあ、まったく誰に似てこんなに頑固なのかしら……とにかく、私が言うべきことは言いました。それはつまり旦那様のご意向です。お前は当家の一員としてそれに従わなければなりません」
「余地がないという事に疑問を感じます。種を守るということは勿論大事なことですが、今のまま母上の思うように私が婚姻を結んでも種が残るとは思えません」
私はウラ殿と子を残しませんよ、とヴォルデマーが平然と言うと、アデリナが壮絶に顔を顰めた。
「……この子ったら……お前それをウラに言うんじゃありませんよ!!」
「分かっています。しかしそれが事実であり現実です。母上も冷静に考えればお分かりになるはず。私が今までどれだけ長い間女人を傍に置かなかったか、私がどれだけ気が長いか。つまり、どれだけ時を掛けてもそれが変わることは無い」
「……お前という息子は……本当に!!」
アデリナは扇を持つ手をわなわな震わせて、今にもそれを握り潰してしまいそうな形相である。それでもヴォルデマーが意に介した様子はない。
「領地を守る伯の子としてしっかり育ててきたと言うのに……! もし兄に何かあった時はお前が領地の柱となるのですよ!? 許されるわけがないでしょう!!」
怒ったアデリナは「話にならぬ」と言って憤るように席を立った。
「母上、どちらへ?」
「お前と話していると腹が立って仕方がない!! 各所へ挨拶へ行って来ます! しばらく滞在するからそのつもりで居なさい!!」
アデリナはそう言葉を叩きつけると執務室を出て行った。
「……」
残されたヴォルデマーは椅子の背もたれに身体を預け、天を仰いでため息を吐く。
「……やれやれ、困ったお人だ……」
「そっくりでいらっしゃいますわ。貴方様と」
不意に扉の方から声がした。ヴォルデマーが弾かれたように顔を上げると、そこに民族衣装の艶やかなウラが立っていた。
「……いつからいらした……」
「初めからですわ。私、気配を消すのは得意なんです。人狼ですから」
ヴォルデマーが問うと、ウラは事も無げにそう返す。
「……」
「アデリナ様に許可は頂いてますから入らせて頂きます」
ウラはそう言うと、一礼して優雅な身のこなしで執務室の中へ入って来た。その言葉にヴォルデマーが怪訝に片眉を上げる。
「……許可?」
「はい。しばらくの間ヴォルデマー様の身の回りのお世話をするようにアデリナ様に命じられました」
「……その様なものは不要です」
「いいえ拒否されても無駄ですわ。これは、アデリナ様と辺境伯様のご命令ですもの。私は従わざるを得ないんです。嫌ならばアデリナ様と辺境伯様を説得して下さい」
ウラはにこりと微笑む。その顔は言外に「出来るものならば」と語っている。
ずっと居たと言う言葉が本当なら、ウラはヴォルデマーの様々な発言を聞いていたはずだ。それでも引き下がるつもりがないという気迫がその言葉の端々には滲んでいる。
「……」
ヴォルデマーは押し黙った。現実的に考えても、アデリナは現時点でこの命令を覆さないだろう。おまけに辺境伯──父を説得するにしても、領地へ戻るか、手紙を送る必要がある。そしてそれが帰ってくるのにも時を要し、また、そこで“不可”と断じられれば元も子もない。
つまり──それは今、直ちにそのこの強かそうな娘を部屋から追い出すことは出来ないという事だった。
ヴォルデマーはどっと身体に疲れを感じた。
「……」
「あら、どちらへ?」
無言で長椅子を立ち上がったヴォルデマーに、ウラが問う。
「言っておきますけれど、私、嗅覚もとても良いんですからね。お逃げになっても無駄ですわよ」
ウラがそう抜け目のない顔で微笑むのを見て、ヴォルデマーはその顔をひたりと見つめる。彼がじっと金の瞳を注ぐと、ウラは少し狼狽したようだった。
「……ヴォルデマー様……?」
いつでもうっとりと見つめるばかりだったその瞳が、今、己を捉えているのだと思うとウラの動悸は高鳴った。
しかし──
「……逃げはしません」
ヴォルデマーは毅然とウラに向き直る。
「え?」
「それ故に、貴女には私に着いて来るのをお勧めせぬ」
「……どういう意味ですか……?」
ウラの怪訝そうな顔を少し伏せ目がちに見ながら、ヴォルデマーは静かに続けた。
「……私は逃げず、隠れもしないでしょう。もし貴女が真に私を好いて下さっているのだとしたら……それはきっと辛い事である筈です」
「……」
「私は、今、愛を注ぐべきと自分が思うものに、それを躊躇う事はしません。例え貴女がいようとも、それが母であったとしても。ですから……貴女は私に着いて来るべきではない」
そのはっきりとした物言いに、ウラが一瞬ぐっと押し黙る。ウラが父から正式に彼に紹介されたのは、以前彼女達の集落で催された宴が初めての事ではあったが、彼女の方ではずっと昔からヴォルデマーを見てきたのだ。それだけに彼の誤魔化しのない人柄は良く分かっていた。
「……そうだとしても……言った筈です。私は命令を覆せません」
「……」
「獣人も人も、心は移ろい易いもの。結局は相応な者と道理を通して共になるほうが幸せだと貴方様にきっと理解して頂きます」
ウラはそう言って、挑むような視線でヴォルデマーを見上げるのだった……
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。