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74 エドガーの思惑

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 ──彼女のことは絶対に詮索するな。

 昨晩も、馬車に乗る前も、友人に鬼のような顔でそう釘を刺されたエドガーではあったが。
 もちろん、彼は、今目の前でにこにこしている娘の正体が薄々わかってきている。

 ヘルムートらは、彼の前では彼女のことを“ステラ”と呼ぶが、公爵夫人は明らかに彼女を娘として扱っていた。
 だが、公爵邸で使用人たちから聞き出した話によると、夫人には娘は一人しかおらず、養女を迎えた話もない。
 ならばその正体は自ずと知れるというもの。

 エドガーは、なるほどとチェリーレッドの髪の娘をしみじみと眺める。

(そうか彼女が、ヘルムートが言っていた“賢いグステル嬢”か……)

 その話なら、友から聞きだしたことがあった。

 ──それは彼らが王立学園の学徒であった頃の話。
 麗しい友人ヘルムートの、残念なシスコンブラコンの話は昔から界隈では有名な話ではあったのだが。
 彼らが年頃になり寄宿舎生活に入ると、家族のもとを離れたせいかその印象も薄まり、ヘルムートに対する女性たちからの誘いはひっきりなしだった。
 それなのに、友がその手の話を受けたことは一度もない。
 美しいと評判の王族の姫や、愛らしいと有名な令嬢でも、誰からの申し入れにも、友は決まって“弟妹たちの面倒を見ることで忙しい”と、きっぱり断りを入れる。
 そんな頑なすぎる友に呆れたエドガーがある時言ったのだ。
 確かにラーラは可愛いが、そうは言っても弟妹たちばかりに青春を捧げてどうすると。
 それでもヘルムートは友の言葉に耳を貸そうとしなかったが、ある時渋々白状した。……きっと、再三女遊びに誘ってくるエドガーが心底鬱陶しかったのだろう……。

『自分には心に決めた人がいる』
『弟妹たちのためと書くのは、相手の詮索をされては相手方のご家族に迷惑をかけかねないから』だと。

 それを聞いたエドガーは当然興味津々で、この口の重い友からその“お相手”の話を聞き出すのに躍起になった。が、苦労の末に聞き出してみると……その想い人は、なんと数年前に誘拐された令嬢グステル・メントラインだという。これにはエドガーも驚いた。
 当時はまだ彼女は救出されていなくて、死亡説が囁かれていた頃である。
 そんな令嬢を想っているという友に、エドガーはかける言葉がなかった。つまり、ヘルムートが相手方に迷惑をかけたくないというのは、その相手方が『子を失った親』であるからという意味でもあったようだ。
 これではいくらエドガーが軽薄な性格でも、さすがにもう友を女遊びには誘えない。
 エドガーも彼を気遣うことが多くなり、それで、この性格が正反対の青年らの友情は続いてきた。

 けれども。
 その後喜ばしいことに、かの令嬢は奇跡的に救出され公爵家に戻ってきた。
 エドガーも、友はさぞ喜んでいるだろうとホッとしたのだが……。
 そのグステル・メントライン嬢をどこかで見かけたらしいヘルムートが、怒りの眼差しでエドガーに漏らしたのだ。

『……あれは違う』と。

 当時の友の重苦しい言葉を思い出し、エドガーはなるほどなと口の端を持ち上げる。
 あの時は、友の言葉の意味がよく分からず戸惑ったが……こたびの件で彼にもやっとわかった。
 つまり公爵家は、偽物の令嬢を立てていたのだ。
 狙いはきっと娘を使って権勢を広げることなのだろうが……なんとも大胆な手を打ったものである。

 だが、この情報はエドガーにとっては非常に有益。きっと、現在その偽物令嬢に王太子との恋路を邪魔されているラーラにも大いに喜ばれるはずだと思うと心が躍った。
 王太子との間に割り込んできた公爵令嬢が、実は偽物だったとなると、ラーラはその排除にはそう苦労しないだろう。
 エドガーは以前本気でラーラを好きだったこともあって、彼女には幸せになってほしいと願っている。
 この情報を差し出せば、彼女はとても喜んでくれるだろう。その時彼女が自分に見せてくれる笑顔は、きっと極上のもののはず。そう思うとエドガーは、今すぐラーラのもとへ飛んでいきたくなる、……が……。

 しかし、現在彼の目の前にいる娘、推定本物のグステル・メントラインに入れあげているらしい友のことを考えると、迷いが生じるのだ。
 彼女と共にいるヘルムートの甲斐甲斐しい様子から察するに。おそらく友は、それが彼の妹のためであっても、エドガーが勝手な告口をすることを許さない。

(……この娘が本当にヘルムートが思い続けたグステル嬢なら……最悪縁を切られるな……)

 彼はヘルムートに、『ラーラに頼まれて兄の様子を見にきた』とは言ったが、ラーラが兄と共にいる娘を怪しみ、調査してくれと言ってきたことは伝えていない。もしそれを白状したら、ヘルムートはラーラに憤慨するかもしれない。それはぜひ避けたいところ。

(……うーん、なかなか難しいな、ここはラーラの頼みを取るか、ヘルムートを取るか……)

 エドガーには実に悩ましいところである。

 とはいえ。
 まずは、真実の見極めが大切である。
 エドガーにはまだ、目の前に座っている娘がどういうつもりヘルムートを連れ回し、公爵家の陰謀の図にどう関わっているのかも見通せていない。
 もしヘルムートが、恋心ゆえに彼女に利用などされているのなら、エドガーとしても看過できぬこと。
 こうして図らずも二人で話ができる状況を得たのなら、彼女の思惑を探っておきたいところである。

 エドガーは邪気のない顔で微笑み、車窓から外を眺めている娘に尋ねる。

「……でも本当になぜこちらに? ヘルムートの馬車に乗れば、あやつが喜んでお世話したでしょうに」

 彼にとってこの状況は、彼女のことを探る願ったり叶ったりの機会だが……彼女の方からそれを望んできたことが不可解である。

(女性好きの俺のほうが軽くて御しやすそうだと乗り換えを検討中か……?)

 正直、ラーラが不快感を持っているこの娘には、エドガーもあまりいい感情は持てない。
 その正体が、ヘルムートの昔からの想い人と知って警戒感は少しだけ和らいだが……。しかし、彼女はこれから父である公爵に会いに行くという。ならば、きっとその目的は、彼女自身の“公爵令嬢”という身分の回復だろう。
 エドガーは、そのためにヘルムートが利用されているのではないかと心配なのだ。

 おまけに彼女が自分の馬車に乗り込んできたことも、実はエドガーは気に入らない。
 この状況は確かに彼の情報収集には有益だが、しかし。ヘルムートは、彼女と公爵夫人を再会させるためにかなり力添えしたはず。そんなヘルムートを避け、別の男と二人きりになるとはいったいどういう了見なのだろう。
 彼女がこちらの馬車に乗ると言ってきた時のヘルムートの絶望っぷりはものすごかった。
 それなのに、そんな男に一目もくれず、彼女はエドガーの前に平然と座っている。
 友として、友人が蔑ろにされているのを見るのはかなり不快。

 エドガーは冷ややかな気持ちを隠し、グステルに微笑みを向ける。
 もし、この娘が少しでも自分にすり寄ってくる素振りを見せたら、ヘルムートになんと言われようとも、彼女をハンナバルト家の兄妹の前から排除してやろうと思っている。

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