169 / 194
168 不文律と思い込み
しおりを挟むその日は結局、ヘルムートがグステルのもとを再訪することはなかった。
慌ただしく帰っていった彼の身に、いったい何があったのだろうと心配していると、陽が落ちそうな頃ヴィムがやってきた。
彼が預かってきたヘルムートの手紙で、グステルはその事情を少しだけ知ることができた。
「……ああ、妹君関連ですか、なら仕方ないですね」
「……あれ?」
ため息をついたものの、それはどちらかというと安堵で。落胆も見せずあっさり納得したグステルに、ヴィムはきょとんとしている。
「えっと……それだけですか?」
「ん?」
不思議そうにしげしげと顔色をうかがわれたグステルも、不思議そうにヴィムを見る。
「ええと? だって、ヘルムート様ですからね?」
「です、けど……」
ヘルムートは彼女に『また来る』と約束していたが、結果、それは破られることとなった。そうせざるを得なくなった主としても、これは不本意だったはずだが。ヴィムは、ヘルムートに会えなくなった彼女が、とてもがっかりしてしまうのでは、と、かなり心配していたのだった。
彼は長年何事においてもラーラを最優先にするヘルムートを見てきていたが、ゆえに、女性が“自分のことを第一に考えてもらえなかった場合”の基準も、無邪気なラーラに準じていた。
すなわち“悲しむ”“ムッとする”“すねる”で、ある。
けれどもグステルはといえば、あっさりと事を呑み込んで恨めしそうな顔一つしない。
ヴィムのそんな小さな戸惑いが、なんとなくわかったグステルは小さく笑う。
彼女からすると、ヘルムートがヒロインラーラの為に、愛情と時間と労力を割くのは当然で、それがこの世界の不文律だと思っていた。
だってこの物語世界は、ラーラの為に回っている。そこを超えて、自分を優先してくださいとは厚かましすぎて言えない。
もちろんグステルだってヘルムートには会いたいが、その焦がれるような気持ちを自分の中に、静かに、大切に、溜めておくことくらいはできる。……それくらいには、自分は大人だと、彼女は理解している。
「ヴィムさん、そういう気持ちの表現方法は、人それぞれなんですよ。私は力一杯感情を表現できるラーラ様もとっても素晴らしいと思います」
「でも……ヘルムート様は困っておいでの時もあるんです……」
「そりゃあ、感情は目には見えませんからねぇ、行き過ぎ、やりすぎのラインも見えませんもの。誰だって、そのラインをうっかり超えて、相手を困らせてしまうことはありますよ。──でも。そういう時は、誰かが叱って、やりすぎですよって教えて差し上げればいいのでは?」
「叱る、ですか……」
つぶやいたきり、考え込んだヴィムの難しい顔を見ながら、グステルは。そういえば自分も昼間ヘルムートを、彼がかわいらしすぎて叱れなかったんだわと思い出した。
人間、愛情を傾ける相手にはどうしても甘くなってしまうのよねと、一人苦笑。
「それで……ヴィムさん。ラーラ様は、大丈夫だったのですか?」
ヘルムートからの謝罪の手紙をたたみながら、グステルはヴィムに訊ねた。
その手つきがとても大切そうなので、ヴィムはなんとなくとても申し訳ない気持ちになった。
あっさりとしてはいても、彼女が主のことを大切に想っているということは、こうした些細なしぐさからよく伝わってくる。
ヴィムは思った。ここは少しでも、自分が彼女の助けになろうと。
青年は張り切って背筋を伸ばす。
「ええと、はい、なんでも気晴らしがしたかったとのことで、一人で書店にいらっしゃったそうです!」
「そうなんですか、なんにせよ、ご無事で何よりです」
グステルもつい安堵のため息を漏らす。もし、ラーラに何かあれば、ヘルムートがどれだけ胸を痛めるか分からない。
「きっとラーラ様は、王太子殿下と例のお嬢ちゃまの件で苦しんでおいでなんでしょうね……ヴィムさん、ヘルムート様には“こちらは大丈夫なので、傍にいてさしあげてください”とお伝えください」
その表情は責任を感じているのか少し硬い。
ただ、グステルは小さな引っ掛かりを覚える。
(でも……単に気晴らしがしたいのなら、お付きをまく必要はないと思うのだけど……)
彼女が頼めば、お付きはきっと彼女の邪魔はしないだろう。書店の前で待たせておいて、自分だけで入店すればいいだけだ。
その点をグステルは不思議には思った。
しかし、この時点でのグステルには、圧倒的に欠けている視点があった。
それは、物語の絶対的正義、正ヒロインが、敵にならいざしらず、味方である兄やヴィムたちに対して“嘘をつくかもしれない”という視点。
だが、それもしかたない。
グステルは前世で、この物語の読者であった。
その時、ラーラに感情移入して物語をたどった彼女は、無意識にも、完全なるヒロインの味方。どうしてもラーラが悪いことをするはずがないと思い込んでいるふしがあった。
彼女にとってラーラは、不完全なところもありつつも、物語を通して成長していく、明るくひたむきで善良な乙女。
まさかそのヒロインが──ヴィムのような純朴な存在に嘘をついているとも、その挙句に自分たちの拠点にまで乗り込んできて、イザベルと喧嘩していたなんてことは露ほどにも思わない。
ラーラの内面が少しずつ変わりつつあるなどとは考えもしなかったし……もし変わっていくにせよ、その方向が悪い方向に向かうなどとは思わない。
ましてや、今やそんな彼女の怒りの矛先が、出会ってもいないはずの自分に向いているなんて。
考えもしなかったのである。
(うーん……早くなんとかしてさしあげたいわねぇ……)
ラーラの窮状に思いをはせて、腕を組み難しい顔をしているグステルに。するとヴィムが両手の拳を握って志願。
「あの! 僕、ヘルムート様に代わりにいろいろお助けするように言われてきたんです! ステラさん! 何かお手伝いできることは──」
と、青年が意気込んで言った瞬間。力んだ拍子にヴィムの腹が派手に鳴った。
ぐぅっ、きゅるるる……と、可愛らしい音が辺りに響き、途端青年は真っ赤になって腹を押さえる。その音を聞いたグステルは、あららと眉尻を下げた。
「す、すみません、今日は忙しくて……」
「まあまあ、なんで謝るんですか? ね、ヴィムさん、少し寄っていかれません? マフィンがありますよ」
「いいんですか?」
グステルが家の中を示して誘うと、ヴィムはくったくなく瞳を輝かせる。
実は、ラーラの行方が知れなくなったせいで、本日のハンナバルト邸は大わらわ。
使用人たちは、料理番も半分捜索に駆り出されて、使用人たちの分まで料理を作っている余裕がなかった。そのうえヴィムは、早くこの報せをグステルに持っていこうと慌てていたので、昼食も夕食もとるどころではなく、ずっと空腹を我慢していた。
マフィンと聞いてウキウキしながらそのことをグステルに告げると、グステルは自分が悪いわけでもないのに申し訳なさそうな顔。
食堂の椅子に座らせた青年の前に、ありったけの料理を並べつつ、グステルは神妙な顔で同席者らに言い渡す。
「──さて。それではちびっ子のお腹を適切に満たしつつ。我々は今後についての見通しを立てていきたいと思います」
72
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた
夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。
そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。
婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。
転生したら悪役令嬢だった婚約者様の溺愛に気づいたようですが、実は私も無関心でした
ハリネズミの肉球
恋愛
気づけば私は、“悪役令嬢”として断罪寸前――しかも、乙女ゲームのクライマックス目前!?
容赦ないヒロインと取り巻きたちに追いつめられ、開き直った私はこう言い放った。
「……まぁ、別に婚約者様にも未練ないし?」
ところが。
ずっと私に冷たかった“婚約者様”こと第一王子アレクシスが、まさかの豹変。
無関心だったはずの彼が、なぜか私にだけやたらと優しい。甘い。距離が近い……って、え、なにこれ、溺愛モード突入!?今さらどういうつもり!?
でも、よく考えたら――
私だって最初からアレクシスに興味なんてなかったんですけど?(ほんとに)
お互いに「どうでもいい」と思っていたはずの関係が、“転生”という非常識な出来事をきっかけに、静かに、でも確実に動き始める。
これは、すれ違いと誤解の果てに生まれる、ちょっとズレたふたりの再恋(?)物語。
じれじれで不器用な“無自覚すれ違いラブ”、ここに開幕――!
本作は、アルファポリス様、小説家になろう様、カクヨム様にて掲載させていただいております。
アイデア提供者:ゆう(YuFidi)
URL:https://note.com/yufidi88/n/n8caa44812464
モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します
みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが……
余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。
皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。
作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨
あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。
やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。
この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。
幼馴染みが描いた悪役令嬢ものの世界に「メイド」として転生したので、6年後の断罪イベントをどうにか回避したい
ゆずまめ鯉
恋愛
通勤途中、猫好きではないのに轢かれそうな黒猫をうっかり助けてしまい、死んでしまった主人公──水縞あいり(26)
鳥の囀りで目を覚ますとそこは天国……ではなく知らない天井だった。
狭い個室にはメイド服がかかっている。
とりあえず着替えて備えつけの鏡を見ると、そこには十代前半くらいの子どもの姿があった。
「この顔……どこか見覚えが……」
幼馴染みで漫画家、ミツルギサイチ(御剣才知)が描く、人気漫画「悪役令嬢が断罪されるまで」の登場人物だということに気がつく。
名前はミレア・ホルダー(本名はミレア・ウィン・ティルベリー)
没落貴族の令嬢で、現在、仕えているフランドル侯爵によって領地と洋館を奪われ、復讐のために、フランドル侯爵の長女イザベラが悪役令嬢になるのを止めず、むしろ後押しして見事断罪されてしまうキャラだった。
原作は未完だが、相談を受けていたのでどういう結末を迎えるのか知っている。
「二期アニメもまだ見てないし、どうせ転生するなら村人Aとかヒロインの母親がよかった……!!」
幼馴染みの描く世界に転生してしまった水縞あいり=ミレアが、フランドル侯爵家で断罪回避するべく、イザベラをどうにかお淑やかな女性になるように導いている途中。
病弱で原作だと生死不明になる、イザベラの腹違いの兄エミールに、協力してもらっているうちに求愛されていることに気づいてしまい──。
エミール・ディ・フランドル(20)×ミレア・ウィン・ティルベリー(18)
全30話の予定で現在、執筆中です。2月下旬に完結予定です。
タイトルや内容が変更になる場合もあります。ご了承ください。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~〈本編完結済〉
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
本編完結済み。
続きのお話を、掲載中です。
一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!
夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」
婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。
それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。
死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。
……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。
「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」
そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……?
「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」
不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。
死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる