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47 セシリア嬢の企み

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 いつだったか。父がセシリアの前に連れてきた男は、身なりこそ豪奢に着飾っているものの、凡庸で、見た目も気に入らなかった。男は大臣の親戚筋の長子らしく、気位が高そうなのも鼻についた。
 セシリアに言わせれば、いくら親の身分が高かろうとも、結婚相手は友人たちに誇れるような相手でなくては意味がない。
 貴族の娘たちの世界はとても狭い。
 婦人たちの間で催される日々の茶会や夜会、そんな場所で胸を張れる身分があるのは大前提。それだけではなく、財もあり、強く、功績もあって、見た目も群を抜いていなければ。この麗しい自分の隣に立つに値しないのだ。
 父は権力や派閥争い、商売の利益ばかりを考えてセシリアに見合いをさせようとするが、彼女にとっては、友人たちに誇れるパートナーこそが一番大切なことだった。

 ──しかし、そんな彼女が目をつけているスタンレー・ブラックウッドへの縁談の申し込みは、父がなかなか頭を縦に振らない。
 なぜかと言えば。父がへつらう大臣が人族至上主義を掲げていることも大きいが、それよりも、華々しい戦歴を誇る未婚の騎士団長の妻の座を狙う娘がセシリアだけではないからである。
 高官の娘はもちろん、大貴族や現国王の娘──つまり王女もその座を望む現状で。名門ブラックウッド家との縁は欲しいが、それぞれの娘たちの実家との関係悪化も怖いと危惧する父は、セシリアに『お前が騎士団長を射止めたら……』と言葉を濁す。そうすれば、侯爵としても『団長が我が娘を望まれたのだから……』と、言い訳も立つということらしい。なんとも弱腰の父には腹も立つが、この件でセシリアがいよいよ焚き付けられたのも事実だった。
 普段はどうあっても。自分のほうが女として上だとは思っていても、頭を下げなければならない王女や公爵家の娘たちを差し置いて、自分がスタンレーに選ばれたとしたらどれだけ胸がすくことだろう。
 そのためならば、どんな無茶だってやって退けると企むセシリアは──

 数日前、ある屋敷へ出向き訴えた。

『悪女がいます』と。

 いつも通り、清純さを全面に押し出した顔で、涙をいじらしく見える程度にほどほどに浮かべ。その美しい黒き毛並みの狼族の貴婦人に。

『スタンレー様を毒する娘が騎士団に居座っています』

 そう震える声で告白すると、貴婦人は驚いたような顔をして。その傍らに立っていた短い髪の、まるで戦士のような身なりの婦人は表情をぐっと険しくした。
 狼族のたおやかな貴婦人は、すぐにセシリアの傍までやって来て。うろたえたような顔で、それはどういうことなのと、涙ぐむ彼女の両手を取った。そんな婦人を見上げ、セシリアは“騎士団本部の窮状”を目一杯に訴えた。

 ──こんなことは告げ口するようでしたくはなかった。
 しかし、スタンレーたちが日に日に女につけ入られているのを黙って見過ごすことができなかった。
 そう言って、計算し尽くした涙をホロリと頬に転がすと、婦人の目はいよいよ痛ましいものを見るような目になって。いっそうセシリアに優しくなった。──この婦人がとても情に脆いことは、セシリアはもうよく心得ていた。

 婦人は彼女を促すと、つい先程まで自分が腰掛けていた上等な長椅子に彼女を座らせて、自分もその隣に腰を下ろし、もう一度彼女の手を取ってセシリアに問う。その問いに、セシリアが一瞬瞳を伏せてためらいを見せると、婦人は大丈夫よと彼女の手を強く握る。
 あなたから聞いたとは言わない。だから安心して話して頂戴と。そのセリフを婦人から引き出したセシリアは、俯いた下でほくそ笑み。悲しげに顔を上げ、婦人の優しさに耐えられなくなったようなフリをして、ことの次第を打ち明けた。

 騎士団に居座る邪悪な女。スタンレーの獣鳴病のこと。──もちろんスタンレーの獣鳴病のことも、それを悪化させたのは、その“悪女”のせいだということにしておいた。
 自分が優秀な魔法使いを雇い解呪を試みたが、それを女がことごとく邪魔するのだ。
 女は狡猾で、全ては自分セシリアのせいということにされてしまって、スタンレーはすっかり女に騙されてしまった。私はこんなにも彼を慕っているのに、彼は突然冷たくなってしまったのだと。いや、そもそもその獣鳴病だって、もしかしたらあの者が仕掛けた罠だったのかもしれないと匂わすのも忘れなかった。

 もちろん証拠だって用意してあった。
 ここでセシリアの侍女ヘレンの出番だ。
 ヘレンはもう黙ってはいられませんという体で飛び出して来て『お嬢様には内緒で私が調べた』と、驚くセシリアの隣から、貴婦人たちにその書類を差し出した。
 貴婦人たちが受け取った書類には、“悪女”はどうやら王女に雇われたらしいと、王女と女との繋がりを示す文言が並んでいて。女が城下町で魔法薬の販売の傍ら、金を積まれればなんでも請け負うような仕事をしているらしいとヘレンは青白い顔で訴えた。
 つまり、彼女は王女に雇われて、仲睦まじいセシリアとスタンレーを引き裂こうという魂胆なのだと貴婦人たちに聞かせると、その隣でセシリアが悲痛な表情でヘレンを止める。
『そんなことはいい。そんなことよりも、スタンレー様の呪いが心配で堪らない』とセシリアが涙ながらも毅然というと。
 そんな健気なセシリアとヘレンを見ていた貴婦人たちは、顔を見合わせ、なんてこと、と、つぶやいた。
 ヘレンは尚もセシリアが止めるのも聞かず訴えるのだ。
 女はスタンレーや騎士たちの前では純情なフリをしていて、すでに騎士団本部の一部の騎士や、従騎士たちを手懐けていて手に負えない。あの女は、お嬢様を突き飛ばして嘲笑ったんです。
 ……そう侍女は悔しそうに言って、『やめてヘレン』と首を振るセシリアの袖を捲り、婦人たちの目の前にそのアザを見せる。
 貴婦人たちは、セシリアのほっそりとした腕に残る、痛い痛しい鬱血の痕を見て顔を顰め──もう、黙って聞いてはいられないと立ち上がった。

『もう大丈夫よセシリア』

 狼族の婦人は、セシリアの手を固く握りしめると、『安心してね』『そのような娘にもう勝手はさせない』と。彼女に固く誓ってくれたのだった。


 そうして彼女たちが急いだ様子で部屋を出ていくと──……
 残されたセシリアは──片側の頬を持ち上げて笑った。

『──うふ』

 彼女は客間に自分たち以外誰もいなくなったのを見ると、しおらしい様子で揃えていた足を崩し、気取った調子でそれを組む。
 満足げに微笑みながら、隣に立つ侍女に手をひらひら差し出して。その手にヘレンが手鏡を慌てて手渡すと、早速涙に濡れた目元の化粧を確認し始める。

『嫌だわ、目が赤くなってしまったわ。次からは目薬でも使ったほうがいいかしらね』
『お、お嬢様、本当に大丈夫なのですか……? 王女様の名前をお使いになるなんて……』

 平然と鏡を覗き込む主人に、ヘレンはおどおどした様子で小さく問う。
 命じられた通りにしたものの、相手は王家の娘である。侍女はこわばった顔で主人を見る。しかしセシリアはけろりとしたものだった。

『あらだって。これで奥様方の王女に対する心証はぐっと悪くなるじゃない? 大丈夫よヘレン。私がこれまでどれだけ奥様方に取り入るために努力してきたと思っているの? ぽっと出の下賤な娘なんかにその信頼が負けるはずがないわ。大丈夫、奥様たちも、まさか王女の行動を追及なんてできないわよ。排除されるのはあの下賤な女だけ。おまけに目障りな王女が奥様に嫌われてくれたら一石二鳥だわ』

 セシリアは、悪びれなく鼻で笑う。

『で、ですが、もしスタンレー様が本当のことをおっしゃったら……』
『いいのよ。奥様たちはいっつもスタンレー様の奔放さに手を焼いておいでだし。女にたらしこまれていると言っておいたから、奥様たちは何を言っても耳を貸やしないわ。色に目が眩んでいると思われるだけよ。奥様たちは“かわいそうな”私の名前は出さないと約束してくださったし……』

 あとは私がスタンレー様を射止めれば完璧よ──と……

 そんな、数日前の出来事を頭に思い浮かべながら──セシリアは、今目の前にいるスタンレーへとニッコリ微笑みかけた。
 目の前でやや困ったような顔で片眉を上げているスタンレー。けれどもこれまでそうだったように、さまざまな方法を駆使し、邪魔者を排除していけば、結局は彼も、他の男たち同様に自分に夢中になるに違いないと、セシリアは信じて疑わない。
 セシリアはニッコリと、天使のような微笑みを彼に向ける。

「スタンレー様、少し私とお散歩にでも行きませんこと?」

 ──セシリアの思惑通りなら、もうすぐその一団はここへ来る。




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