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未来編2 千の悪夢 ひとつの絶望

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人々は強く抵抗した。
抗体を打ち続け、耐えた。

だが、例えば自分の子供を死なせるぐらいなら
人は他人を犠牲にできるのだ。
初期に移植をうけたもののほとんどが、小さな子供たちだった。


やがて、移植に抵抗し抗体を打ち続けた一人の男が亡くなった。
人間の尊厳を守りきったと、人々が彼をもてはやした。
移植の中止を求めてデモが始まった。
第二政党がここぞとばかりに賛同し、TVで連日報道される騒ぎとなった。


ある日、一人の学者がニュース番組に登場した。
学者は男が生涯打ち続けた抗体はN-OT9 10人分を超えると説明した。
「もちろんこれは全血液を抜いた場合の計算です。献血方式でいくならば
 1人につき最低3人N-OT9がいれば、十分な抗体を確保できるでしょう」
ピークのすぎたお笑い芸人がコメントした。
「全人類の4分の3がN-OT9になるってことですか」

抗体を打ち続けている自分たちは、日々彼らを消費している。
日々彼らを殺していたのだ。

そして、人類のほとんどをN-OT9にする。
これもまた、許容することが出来るわけもなく
少しずつ騒ぎは下火になり、やがて新しい話題に夢中になっていった。
N-OT9はもう人類ではないのだ。牛や豚の生涯を憐れむように
人々はあわれなモルモットを思ってひそやかに涙を流した。



しばらくして、そんな罪悪感から、1000人に1人を生かし育む法律が可決された。
名前をつけられ、児童養護施設または一般家庭で育てられるようになった。

当時、小学校の教科書にはN-OT9の歴史、
英雄化された物語、顔写真が載せられていた。
先生がみなに向かっていった。
「はーい、では代表としてXXXくんに、お礼をいいましょう
 助けてもらった命をみんなは大切にしましょうね」
その時 壇上に立たされた彼がどのような表情をしていたかは記録に残っていない。

思春期に入る頃にほとんどのクローンが死んでしまった。
その多くが事故だったとも自殺だったとも言われている。

やがて、人里離れた森の一角にN-OT9クローン専用の集落が作られた。
18歳まで外部の情報を遮断し、同じ顔の子供たちしかいない環境で育てられた。
こうして彼らはようやくそれなりに幸福な日々を送り始めた。
何十億という同胞の屍の上に。




「コラ!エイイチまちなさい!」
中年の男性教員が逃げようとした少年を捕まえた。
便器に大量の砂を詰め込み、水を溢れさせて遊んでいたのだ。
「ちがうよ、ぼくじゃないよタツオだよ!」
叱られると思い、べそをかいていた男の子が名指しされ、びくっとした。
タツオはエイイチよりも年上で力も強いのに、気が弱いのだ。
「タツオが砂をとってきて、タツオが入れたんだ」
「そうなのか?タツオ」
タツオは震えながら頷いた。
「・・・ごめんなさい・・黒田先生」
「ほらぁ!!」
勝利を確信し、ニヤニヤしているエイイチを見て 黒田はため息をついた。
「・・・タツオ、トイレに砂を入れようって言ったのは誰だい?」
明らかにエイイチがあせりはじめた。
「タツオ!それもタツオだって!な!な!」
「・・・エイイチくん」
「タツオ!!ウソウソ!こいつウソついてん・・」
鬼の形相になった黒田に気づき、エイイチは愛想笑いをした。
「いいか、17時までに砂を全部取り出せ。じゃなきゃ夕飯は抜きだ」
「いっ!?むりだよそんなの!」
「タツオは校庭を10周!これにこりてエイイチにいいように使われるんじゃないぞ
 ほら!はじめ!」
元気よく返事をして校庭に走り去っていたタツオと対照的にエイイチは未だ粘っていた。
「先生、おねがい!許して!っね!っね?」
「ダメだ。さっさとはじめる!」
黒田はエイイチをトイレに残して立ち去ってしまった。
あきらめて、しぶしぶ便器に手を突っ込んだ。
「うぇええ」
顔をなるべく近づけないように、砂をつかんではバケツにいれる。
今日の夕飯は好物のエビフライにゼリーまでつくのだ。
絶対に食いっぱぐれたくない。
ー今度から何かするときは嫌いなメニューのときにしよう
堅く決心した。


結局、夕飯抜きになったエイイチは2段ベットの上でふて寝した。
くやしいやらかなしいやらで涙が零れる。まだ8歳なのだ。
「エイイチくん」同室のタツオが話しかけてきた。
無視して、エイイチは布団を頭まで被った。
「これ、あげるよ。
 ぼくはそんなに好きじゃないから」
嫌いな奴なんているんだろうか、みんなが楽しみにしてるゼリーだ。
皿ごと持ちだして、きっとあとで怒られるにちがいない。
「・・・いらない。タツオが食べろよ」
タツオは困った顔をして2段ベットの下に入った。
「・・・俺さタツオが困ってたら絶対助けるから」
返事はなかった。
「聞いてんのか、タツオ。あ!なんで食ってんだよ!」
下を覗き込むとタツオがゼリーを食べていた。
飛び降りてゼリーを奪い、エイイチは怒りながら食べ始めた。
小さな背中、年若い友達はそういう時だけ相応の幼さが見えた。

やがて廊下の明かりが消えた。消灯時間になったのだ。
「さきに寝るよ、おやすみ」
タツオが声をかけても、エイイチは答えなかったが
やがて暗闇が訪れた部屋の中で 小さく「ありがとう」とつぶやいたのだった。




「あなたは自分が何を言っているか理解しているんですか」
黒田は嫌悪を顕にした。急にやってきた移植コーディネーターと名乗る男性が
政府の要人の娘に急遽移植手術が必要になった。
だが、赤んぼうの臓器では成人女性には小さすぎる。
だから、こちらの少年を一人よこしてほしい、というのだ。
「彼らは法律で決められた『人間』です。そんな真似はできません」
それはわかっていますがそこをなんとか、とコーディネーターは食い下がる。
施設長の席に座ってる老人はただ黙って目を伏せていたが
やがてその重苦しい口を開いた。
「C5A6T20 をお譲りしましょう」
「ありがとうございます!すぐ職員をよこしますので」
コーディネーターは黒田を押しのけ、急ぎ口で喋った後、逃げるように帰っていった。

「なにを言ったか分かっているんですか?」
目を真っ赤にしながら黒田がつめよった。

「・・・キミは考えたことがないかね?
 あの法律は本当に彼らのために作られたか と


 ・・・こういう時のためだよ」




ガラガラガラガラ

深夜、学院の廊下を走るストレッチャー。
消して静かではない音だが子供たちは目覚めない。
夕食には睡眠薬が入っているのだ。
黒田はその物々しい集団を率いて、エイイチとタツオの部屋の前で立ち止まった。
「・・・この部屋です。ベッド上段がC5A6T20タツオです」

黒田は彼らを平等に愛していた。それはエイイチに対しても同様だった。
そしてガラス鉢の中で生涯を終えたC70F0A0に対しても。
だからこれでつじつまがあう。不条理が解消される。

ー元々お前は選ばれていなかったのだから

夕飯を食べ損ねたエイイチはもしかしたら目を覚まし 恐怖を感じながら連れていかれるのかもしれない。
気づいたら黒田は涙を流していた。エイイチに心底同情できる自分に歓喜した。
その涙をハンカチでぬぐい、その場を後にしたのだった。
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