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138 ヴァレリア⑧
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強くならなければならない。
心を強く、持たなければ。
父、母、三人の姉、ウォルト家に関わる全ての人たちの為に、大切な家族が傷付くことのないように。
どんな悪意にも耐えられるように、どんな悪意にも傷付かないように、私は強くならなければ。
けれど、強くなるにはどうしたらいいのだろう。
どうすれば、心を強くすることが出来るのだろう。
そんなことは誰にも分からない。
「お久しぶりです。」
「お久しぶりです、ヴァレリア様。
本日は…もしかして監査で来られました?」
「ええ、そうです。部下に全て任せても良かったのですが…キリム殿と会うのも久しぶりですしね。今はもう、こうした機会でもない限り花街に来る事がありませんから…。」
「はは、ですね。もうヴァレリア様はサイカの婚約者として、沢山の人たちに知られていますし…必要がない限り来られない方がいいでしょう。僕もその方が安心します。サイカと皆様が仲睦まじく過ごしている証拠ですからね。」
「ふふ、ええ。お陰様で幸せな日々を過ごしています。」
「あはは!そうですか…!それは良かった!」
久しぶりに訪れた花街。
昼間の花街は夜よりずっと静かで、人も疎ら。
国へ提出している収支報告書の通りか、不正がないか。それから店の環境が劣悪ではないか。
商いをしている所には抜き打ちで監査が入る事がある。
私が今日花街に来た理由はその監査の為だった。
「こちらが店の帳簿全てです。
宜しくお願いします。」
「ありがとうございます。全てに目を通し確認させて頂いた後、返却します。返却は恐らく十日後くらいになると思います。」
「分かりました。店の中も見回っていかれますか?」
「ふふ。…キリム殿が経営するこの店がどんな店か十分、分かってはいますが…仕事ですので。確認しても構わないでしょうか?」
「ええ、ええ。構いませんよ。」
移転してからもサイカに会う為、何度も通った月光館。
月光館の中で私が知っている部屋はキリム殿が仕事をしている部屋と、サイカを待つ間に通される控え室、それからサイカの部屋だけ。
けれど、このキリムというオーナーは娼婦を商品としても人としても大切にしている方だとよく知ってもいる。
何の不安も、心配もなかったけれど仕事は仕事。
キリム殿に案内されながら娼館を見回る事に。
「…ここに来る前に二軒、娼館を監査したのですが…やはり、この月光館は素晴らしい娼館だと思います。
娼婦たちの顔がとても穏やかですね。」
「ありがとうございます。ええ、その自覚がありますよ!
娼婦たちは皆、自分に出来る事を探して、お互いが協力しながら過ごしているんです。
…サイカのお陰で変わったんですけどね!」
「…ふふ。そうでしょう。どんな風に変わっていったか…何となく想像出来てしまいました。」
「はは!恐らくごヴァレリア様の想像通りですよ。
…あの子が来る前は、娼婦同士の仲はよく無かった。ああ、派閥って言うのかな…高級娼婦同士は仲が良くて、っていう感じです。
高級娼婦たちは下を見下していましたし、醜い容姿の子たちをよく思ってもいなかった。」
「……。」
「高級娼婦たちがそういう風だから、普通の容姿の娼婦たちも醜い容姿の子たちを毛嫌いしてたんですよね。
でもサイカが来てから少しずつ変わりました。
あの子はあのとんでもない美しい容姿でありながら高級だとか普通だとか関係なく人と接する子で…お客の取れない醜い容姿の子たちともすぐ仲良くなった。そんなサイカの姿を見て、彼女たちの心の中では何かが変わっていったんでしょうね。」
「…分かります。サイカは人の心を動かす。惹き付けて、離さない。サイカの優しい、温かな世界は凄く居心地がいいですから。」
「ええ。僕…私も、ここにいる沢山の娼婦たちも。
…そういうサイカの世界を知った人間たちです。
サイカのいた頃の“当たり前”は、サイカがいなくなっても続いているんです。
だから、ここはあの子がいた頃から変わらない。」
目に映る光景。
他とは違う広い部屋に、大勢の娼婦たちが集まって、楽しそうに笑いながら会話をしている。
美人と称される女性、普通の容姿の女性、醜女と呼ばれる女性。
色んな女性がその部屋に集まって、賑やかに笑っている。
「いい光景でしょう?」
「ええ。…本当に。」
私とキリム殿の存在に気付いた娼婦たちは一瞬だけ驚いたように目を見張り、次の瞬間、頭を下げた。
見目のいい女性が私に近付いて、にこりと笑う。
嫌悪しているような嫌な様子は感じられなかった。
「ご婚約、おめでとうございます。
サイカは変わりないでしょうか。」
「あの子のこと、どうぞ宜しくお願い致します。」
『月光館一同、心よりお祝い申し上げます…!』
呆然としながら「ありがとうございます」とお礼を伝える。
本当に、心から祝福しているのが伝わって…驚いてしまった。
サイカと出会って私が変わったように、この月光館の人たちも同じく、サイカに変えられた。
サイカを見て、サイカと接する内に。
「ご協力、ありがとうございました。
帳簿を返却する際は部下が参りますので。」
「分かりました。
ヴァレリア様、お忙しい身でしょうがどうぞお元気でいて下さい。」
「キリム殿も…お元気で。
また、別の日にお会いしましょう。楽しみにしています。」
「此方こそ!」
月光館の監査を終え、一人、花街を歩く。
こうして昼間の花街を何度も歩いた。
強くなる為に、悪意に馴れる為に。
誰かの悪意ある視線や言葉に、一々丁寧に傷付いて、家族に負担をかけたくなくて。
一年間、昼間の花街に通っても強くはなれなかった。
花街から帰って来ては落ち込んで、塞ぎ混んで、余計に家族を心配させていた。
強くなるにはどうしたらいいのだろう。
悪意に馴れるのは、いつになるのだろう。
一年、頑張っても変わらない。
変わらず視線が恐い。言葉が恐い。人そのものが恐ろしい。
いつまで、傷付けばいいのだろう。
あとどれだけ傷付けば、平気になるのだろう。
あの頃の私には全く分からなかった。
「…うわ、ぶっさいくな男。」
「…やだ…気持ち悪い…!」
こうしてただ歩いてるだけでも、やはりこうした言葉は聞こえてくる。
「あんなの相手にしたくないわ…。
私のお客様が貴方で良かった。」
「はは!あの男がお前を指名したら私に知らせろ。何処の誰だか知らないがあんな醜い男に私の可愛いお前を触れさせるものか。」
「素敵…!」
ふふん、と。娼婦と歩いていた貴族風の男が私に向け嫌な笑みを浮かべる。
その顔はまるで、“羨ましいだろう”と言わんばかりだった。
「下らない。」
呟いて、気付く。
以前は凄く傷付いていた言葉や態度だろうに、今は何も思わない。
強くなる為に一年歩いた昼間の花街。
あの頃と同じように一人で歩いて、感じる視線も向けられる言葉も何ら変わらないけれど、今は俯く事もしない。
だからどうしたというんです。
不細工?気持ち悪い?だから何だと言うんです。
あんなの相手にしたくない?相手をして頂かなくて結構です。私も貴方のような心の醜い女性は心の底から嫌です。
それに、そんな心の醜い娼婦を侍らせ自慢をしてくるなんて、程度の低い男ですね。でもお似合いですよ、お二人。
昔と今。昼間の花街を一人で歩く…同じ状況であるけれど、目に映る景色も違う。
以前は自分以外の存在がとても大きく見えていたけれど、今は小さく見える。
誰かの悪意が気にならなくなっただけではなく、心の底からどうでもいいと思う。
「…本当ですね、サイカ。
本当に、下らないと思えます。」
誰かの悪口や陰口、嫌悪感を隠しもしない視線を向ける人たちなど下らない。
彼らや彼女たちのような人間のせいで私が傷付く必要もなければ、気に病む必要もなく、気にする必要もない。
こうして改めて振り返ってみると気付く。
私自身の心持ちが、随分変わっている事に。
「私も強く、なれたのですね。」
心を強くする方法など、未だに分からない。
方法という方法はなく、自身の気持ちの持ちようとしか言えない。
一年花街を歩いた経験も、糧になったのか分からない。
もしかしたら目に見えないけれど効果はあったのかも知れないし、無かったのかも知れない。
でもきっとサイカなら…決して無駄な事ではなかったと言ってくれるでしょう。
何より。花街を歩いていたからこそ、サイカに出会えたのだから。
監査を終えて城に戻ると、タイミングよくカイル殿に会い、ふと、訊ねてみた。
「…心を強くする方法…?」
「そうです。結局は自分自身の気持ちの持ちようだと思うのですが…カイル殿は人からの悪意を気にしない方でしたか?
…気になる方であれば…気にしないようにする為に、何か…特別な事をしていましたか?」
「……気にならない、事はなかった。
気にしないように、してたって……気になる事、多かったし…。」
「…はい。私は、凄く気になる方でした。一々丁寧に傷付くくらい…。」
「…俺も…似た感じだった、かな…。
…特別な事は、してない。ただ、毎日を過ごしてた…だけで。でも気にはなるし、傷付くことも、あった。」
「…そうですか…。でも、不思議ですよね…。気持ち一つでこうも変わる。サイカに出会う前と後…強くなりたいと思う気持ちは同じだったんですよ。でも、サイカに出会う前の私は…努力しても、変わらなかった。…それが、不思議です。」
サイカがいるといないで、どうしてこんなに違うのか。
強くなりたい気持ちは同じだったのに、結果は全く違う。それが、今更ながら不思議に感じた。
そんな私の言葉に対し、カイル殿はうーん…と首を傾げながら…ああ、と府に落ちた様子で私を見た。
「…孤独じゃ、なかったから。」
「…?」
「俺は、そう…。
俺は、ずっと…家族と、上手くいってなかった…。
団長は気にかけてくれてる、でも、上司で、友達…じゃない。家族でも、ない。
差別されてきた者同士の、…うーん、何て言ったらいいか…分からない、けど。そういう、関係…分かる…?」
「…ええ。分かります…。」
「…うん。でも、孤独だって、思った。
多分、子供みたい…だけど。団長は、“俺だけじゃない”から。仲のいい、家族がいて、友人が、いて。今は、すごく慕われてる…から?同じじゃ、ないんだなって…そういうの。」
「…成る程…。…でも、何となく分かります…。
皮肉れた考えですけど…差別されている同士でも、私と他の誰かは同じ環境じゃない、私とは違うって、思ってしまうんですよね…。私の方が不幸じゃないかって…。」
「…そんな、感じ。
…でも、サイカがいた。娼婦と客…だったけど、その時でさえ、親身で。
辛かったこととか、話すと…泣いてくれたり、励ましてくれたり…。しんどい、辛いと思った時に、会うと…癒してくれたり…。サイカと会ってから、一人じゃないって、そう思えたよ。…俺は。」
ヴァレリアも、そうじゃない?
そうカイル殿は言って、仕事に戻られた。
ああ、そうか。確かにそうだと納得した。
私も孤独に感じていた。
家族が私を愛してくれていると知っていても、大切にしてくれていると知っていても、私は家族の中で異端だとそう思っていたから。
どれだけ言葉をかけられても、自分自身で納得していなかったから。
あの頃の私はとても卑屈だった。
私さえいなければ…私の大切な家族は幸せなのに、と。そんな風に思っていた。
「…そうですね。…確かに、孤独には感じませんでした…。」
一人、ごちる。
確かにそうだ。例え側にいなくても、一人ではないと思えた。
私の情けない話を呆れもせず、笑う事もなく、親身になって聞いてくれたサイカ。
苦しい、悲しい、恐ろしい。心の中にあった気持ちの悪い感情は…サイカと会い、話すと小さくなって消えていく。
会うたび私を癒して、励ましてくれた。
気が滅入って、サイカに会って、癒されて、励まされてまた頑張る日々を繰り返す。
立ち向かう心の中にサイカがいたから、孤独ではなかった。
強くなるにはどうすればいいだろう。
結局は気持ちの持ちようとしか言えないけれど。
味方がいるといないとではその気持ちさえも全く違うということ。
下げていた視線を上げれば、遠目に愛しい女の姿が見えた。
後ろを着いて歩く侍女たちは…私と同じく差別を受けてきただろう容姿をしている。
けれど、今日月光館で見た光景と同じように…笑顔だった。
「…いい光景ですね…。」
その楽しそうな姿に、此方も思わず笑顔になる。
じっと見つめていると…私に気付いたサイカが侍女たちに向かい何やら話し、小走りで此方に向かってきた。
「ヴァレ…!」
嬉しそうにニコニコと笑って、私との偶然の出会いを喜んでいる。
サイカの喜びが十分に伝わってきて、私もとても嬉しくなった。
「サイカ…ふふ。」
「もしかしてヴァレも休憩中ですか?
休憩中なら、一緒に過ごしませんか?」
「それは素敵な提案です。
…では、仕事に戻る少しの間になってしまいますが…貴方の時間を、私に下さい。」
「喜んで!」
サイカの小さく華奢な手をそっと取り、指を絡める。
サイカの黒い、美しい瞳が私を映し、陽だまりのような笑顔が私に向けられる。
ああ、それだけで何て幸せ。
それだけで、まだまだ頑張ろうと思える。気力という気力が泉のように湧いてくる。
「今度…二人でゆっくりと過ごしたいです。時間を作りますから、サイカも時間を作って下さいますか?」
「嬉しい…!勿論です。約束ですよ?」
「ええ、約束です。」
サイカを見ただけで、こうしているだけで、力がみなぎってくるから不思議。
家族も私にとってとても大切な存在。
家族とサイカ、優劣なんて付けられない程どちらも大切。
けれど、こうして色んな力がみなぎってくる存在はサイカだけ。
「ヴァレとゆっくり過ごすの…楽しみだなぁ…。」
「…私も、楽しみで仕方ないです。」
二人でゆっくりと。
その日のことを想像するだけで、まるで子供のように胸が踊ってしまう。
嬉しくて、楽しみで。まだいつにするかも決まっていないのに。その日までにきっと、憂鬱な事だって沢山あるのに、やる気が満ち溢れている。どんな事も頑張るぞ、否、どんな事があっても頑張れる。
そんな確信しかない。
そうして今日も、私はサイカの存在に癒され、励まされている。
心を強く持ち、力に溢れ、楽しんで生きていることを実感した。
心を強く、持たなければ。
父、母、三人の姉、ウォルト家に関わる全ての人たちの為に、大切な家族が傷付くことのないように。
どんな悪意にも耐えられるように、どんな悪意にも傷付かないように、私は強くならなければ。
けれど、強くなるにはどうしたらいいのだろう。
どうすれば、心を強くすることが出来るのだろう。
そんなことは誰にも分からない。
「お久しぶりです。」
「お久しぶりです、ヴァレリア様。
本日は…もしかして監査で来られました?」
「ええ、そうです。部下に全て任せても良かったのですが…キリム殿と会うのも久しぶりですしね。今はもう、こうした機会でもない限り花街に来る事がありませんから…。」
「はは、ですね。もうヴァレリア様はサイカの婚約者として、沢山の人たちに知られていますし…必要がない限り来られない方がいいでしょう。僕もその方が安心します。サイカと皆様が仲睦まじく過ごしている証拠ですからね。」
「ふふ、ええ。お陰様で幸せな日々を過ごしています。」
「あはは!そうですか…!それは良かった!」
久しぶりに訪れた花街。
昼間の花街は夜よりずっと静かで、人も疎ら。
国へ提出している収支報告書の通りか、不正がないか。それから店の環境が劣悪ではないか。
商いをしている所には抜き打ちで監査が入る事がある。
私が今日花街に来た理由はその監査の為だった。
「こちらが店の帳簿全てです。
宜しくお願いします。」
「ありがとうございます。全てに目を通し確認させて頂いた後、返却します。返却は恐らく十日後くらいになると思います。」
「分かりました。店の中も見回っていかれますか?」
「ふふ。…キリム殿が経営するこの店がどんな店か十分、分かってはいますが…仕事ですので。確認しても構わないでしょうか?」
「ええ、ええ。構いませんよ。」
移転してからもサイカに会う為、何度も通った月光館。
月光館の中で私が知っている部屋はキリム殿が仕事をしている部屋と、サイカを待つ間に通される控え室、それからサイカの部屋だけ。
けれど、このキリムというオーナーは娼婦を商品としても人としても大切にしている方だとよく知ってもいる。
何の不安も、心配もなかったけれど仕事は仕事。
キリム殿に案内されながら娼館を見回る事に。
「…ここに来る前に二軒、娼館を監査したのですが…やはり、この月光館は素晴らしい娼館だと思います。
娼婦たちの顔がとても穏やかですね。」
「ありがとうございます。ええ、その自覚がありますよ!
娼婦たちは皆、自分に出来る事を探して、お互いが協力しながら過ごしているんです。
…サイカのお陰で変わったんですけどね!」
「…ふふ。そうでしょう。どんな風に変わっていったか…何となく想像出来てしまいました。」
「はは!恐らくごヴァレリア様の想像通りですよ。
…あの子が来る前は、娼婦同士の仲はよく無かった。ああ、派閥って言うのかな…高級娼婦同士は仲が良くて、っていう感じです。
高級娼婦たちは下を見下していましたし、醜い容姿の子たちをよく思ってもいなかった。」
「……。」
「高級娼婦たちがそういう風だから、普通の容姿の娼婦たちも醜い容姿の子たちを毛嫌いしてたんですよね。
でもサイカが来てから少しずつ変わりました。
あの子はあのとんでもない美しい容姿でありながら高級だとか普通だとか関係なく人と接する子で…お客の取れない醜い容姿の子たちともすぐ仲良くなった。そんなサイカの姿を見て、彼女たちの心の中では何かが変わっていったんでしょうね。」
「…分かります。サイカは人の心を動かす。惹き付けて、離さない。サイカの優しい、温かな世界は凄く居心地がいいですから。」
「ええ。僕…私も、ここにいる沢山の娼婦たちも。
…そういうサイカの世界を知った人間たちです。
サイカのいた頃の“当たり前”は、サイカがいなくなっても続いているんです。
だから、ここはあの子がいた頃から変わらない。」
目に映る光景。
他とは違う広い部屋に、大勢の娼婦たちが集まって、楽しそうに笑いながら会話をしている。
美人と称される女性、普通の容姿の女性、醜女と呼ばれる女性。
色んな女性がその部屋に集まって、賑やかに笑っている。
「いい光景でしょう?」
「ええ。…本当に。」
私とキリム殿の存在に気付いた娼婦たちは一瞬だけ驚いたように目を見張り、次の瞬間、頭を下げた。
見目のいい女性が私に近付いて、にこりと笑う。
嫌悪しているような嫌な様子は感じられなかった。
「ご婚約、おめでとうございます。
サイカは変わりないでしょうか。」
「あの子のこと、どうぞ宜しくお願い致します。」
『月光館一同、心よりお祝い申し上げます…!』
呆然としながら「ありがとうございます」とお礼を伝える。
本当に、心から祝福しているのが伝わって…驚いてしまった。
サイカと出会って私が変わったように、この月光館の人たちも同じく、サイカに変えられた。
サイカを見て、サイカと接する内に。
「ご協力、ありがとうございました。
帳簿を返却する際は部下が参りますので。」
「分かりました。
ヴァレリア様、お忙しい身でしょうがどうぞお元気でいて下さい。」
「キリム殿も…お元気で。
また、別の日にお会いしましょう。楽しみにしています。」
「此方こそ!」
月光館の監査を終え、一人、花街を歩く。
こうして昼間の花街を何度も歩いた。
強くなる為に、悪意に馴れる為に。
誰かの悪意ある視線や言葉に、一々丁寧に傷付いて、家族に負担をかけたくなくて。
一年間、昼間の花街に通っても強くはなれなかった。
花街から帰って来ては落ち込んで、塞ぎ混んで、余計に家族を心配させていた。
強くなるにはどうしたらいいのだろう。
悪意に馴れるのは、いつになるのだろう。
一年、頑張っても変わらない。
変わらず視線が恐い。言葉が恐い。人そのものが恐ろしい。
いつまで、傷付けばいいのだろう。
あとどれだけ傷付けば、平気になるのだろう。
あの頃の私には全く分からなかった。
「…うわ、ぶっさいくな男。」
「…やだ…気持ち悪い…!」
こうしてただ歩いてるだけでも、やはりこうした言葉は聞こえてくる。
「あんなの相手にしたくないわ…。
私のお客様が貴方で良かった。」
「はは!あの男がお前を指名したら私に知らせろ。何処の誰だか知らないがあんな醜い男に私の可愛いお前を触れさせるものか。」
「素敵…!」
ふふん、と。娼婦と歩いていた貴族風の男が私に向け嫌な笑みを浮かべる。
その顔はまるで、“羨ましいだろう”と言わんばかりだった。
「下らない。」
呟いて、気付く。
以前は凄く傷付いていた言葉や態度だろうに、今は何も思わない。
強くなる為に一年歩いた昼間の花街。
あの頃と同じように一人で歩いて、感じる視線も向けられる言葉も何ら変わらないけれど、今は俯く事もしない。
だからどうしたというんです。
不細工?気持ち悪い?だから何だと言うんです。
あんなの相手にしたくない?相手をして頂かなくて結構です。私も貴方のような心の醜い女性は心の底から嫌です。
それに、そんな心の醜い娼婦を侍らせ自慢をしてくるなんて、程度の低い男ですね。でもお似合いですよ、お二人。
昔と今。昼間の花街を一人で歩く…同じ状況であるけれど、目に映る景色も違う。
以前は自分以外の存在がとても大きく見えていたけれど、今は小さく見える。
誰かの悪意が気にならなくなっただけではなく、心の底からどうでもいいと思う。
「…本当ですね、サイカ。
本当に、下らないと思えます。」
誰かの悪口や陰口、嫌悪感を隠しもしない視線を向ける人たちなど下らない。
彼らや彼女たちのような人間のせいで私が傷付く必要もなければ、気に病む必要もなく、気にする必要もない。
こうして改めて振り返ってみると気付く。
私自身の心持ちが、随分変わっている事に。
「私も強く、なれたのですね。」
心を強くする方法など、未だに分からない。
方法という方法はなく、自身の気持ちの持ちようとしか言えない。
一年花街を歩いた経験も、糧になったのか分からない。
もしかしたら目に見えないけれど効果はあったのかも知れないし、無かったのかも知れない。
でもきっとサイカなら…決して無駄な事ではなかったと言ってくれるでしょう。
何より。花街を歩いていたからこそ、サイカに出会えたのだから。
監査を終えて城に戻ると、タイミングよくカイル殿に会い、ふと、訊ねてみた。
「…心を強くする方法…?」
「そうです。結局は自分自身の気持ちの持ちようだと思うのですが…カイル殿は人からの悪意を気にしない方でしたか?
…気になる方であれば…気にしないようにする為に、何か…特別な事をしていましたか?」
「……気にならない、事はなかった。
気にしないように、してたって……気になる事、多かったし…。」
「…はい。私は、凄く気になる方でした。一々丁寧に傷付くくらい…。」
「…俺も…似た感じだった、かな…。
…特別な事は、してない。ただ、毎日を過ごしてた…だけで。でも気にはなるし、傷付くことも、あった。」
「…そうですか…。でも、不思議ですよね…。気持ち一つでこうも変わる。サイカに出会う前と後…強くなりたいと思う気持ちは同じだったんですよ。でも、サイカに出会う前の私は…努力しても、変わらなかった。…それが、不思議です。」
サイカがいるといないで、どうしてこんなに違うのか。
強くなりたい気持ちは同じだったのに、結果は全く違う。それが、今更ながら不思議に感じた。
そんな私の言葉に対し、カイル殿はうーん…と首を傾げながら…ああ、と府に落ちた様子で私を見た。
「…孤独じゃ、なかったから。」
「…?」
「俺は、そう…。
俺は、ずっと…家族と、上手くいってなかった…。
団長は気にかけてくれてる、でも、上司で、友達…じゃない。家族でも、ない。
差別されてきた者同士の、…うーん、何て言ったらいいか…分からない、けど。そういう、関係…分かる…?」
「…ええ。分かります…。」
「…うん。でも、孤独だって、思った。
多分、子供みたい…だけど。団長は、“俺だけじゃない”から。仲のいい、家族がいて、友人が、いて。今は、すごく慕われてる…から?同じじゃ、ないんだなって…そういうの。」
「…成る程…。…でも、何となく分かります…。
皮肉れた考えですけど…差別されている同士でも、私と他の誰かは同じ環境じゃない、私とは違うって、思ってしまうんですよね…。私の方が不幸じゃないかって…。」
「…そんな、感じ。
…でも、サイカがいた。娼婦と客…だったけど、その時でさえ、親身で。
辛かったこととか、話すと…泣いてくれたり、励ましてくれたり…。しんどい、辛いと思った時に、会うと…癒してくれたり…。サイカと会ってから、一人じゃないって、そう思えたよ。…俺は。」
ヴァレリアも、そうじゃない?
そうカイル殿は言って、仕事に戻られた。
ああ、そうか。確かにそうだと納得した。
私も孤独に感じていた。
家族が私を愛してくれていると知っていても、大切にしてくれていると知っていても、私は家族の中で異端だとそう思っていたから。
どれだけ言葉をかけられても、自分自身で納得していなかったから。
あの頃の私はとても卑屈だった。
私さえいなければ…私の大切な家族は幸せなのに、と。そんな風に思っていた。
「…そうですね。…確かに、孤独には感じませんでした…。」
一人、ごちる。
確かにそうだ。例え側にいなくても、一人ではないと思えた。
私の情けない話を呆れもせず、笑う事もなく、親身になって聞いてくれたサイカ。
苦しい、悲しい、恐ろしい。心の中にあった気持ちの悪い感情は…サイカと会い、話すと小さくなって消えていく。
会うたび私を癒して、励ましてくれた。
気が滅入って、サイカに会って、癒されて、励まされてまた頑張る日々を繰り返す。
立ち向かう心の中にサイカがいたから、孤独ではなかった。
強くなるにはどうすればいいだろう。
結局は気持ちの持ちようとしか言えないけれど。
味方がいるといないとではその気持ちさえも全く違うということ。
下げていた視線を上げれば、遠目に愛しい女の姿が見えた。
後ろを着いて歩く侍女たちは…私と同じく差別を受けてきただろう容姿をしている。
けれど、今日月光館で見た光景と同じように…笑顔だった。
「…いい光景ですね…。」
その楽しそうな姿に、此方も思わず笑顔になる。
じっと見つめていると…私に気付いたサイカが侍女たちに向かい何やら話し、小走りで此方に向かってきた。
「ヴァレ…!」
嬉しそうにニコニコと笑って、私との偶然の出会いを喜んでいる。
サイカの喜びが十分に伝わってきて、私もとても嬉しくなった。
「サイカ…ふふ。」
「もしかしてヴァレも休憩中ですか?
休憩中なら、一緒に過ごしませんか?」
「それは素敵な提案です。
…では、仕事に戻る少しの間になってしまいますが…貴方の時間を、私に下さい。」
「喜んで!」
サイカの小さく華奢な手をそっと取り、指を絡める。
サイカの黒い、美しい瞳が私を映し、陽だまりのような笑顔が私に向けられる。
ああ、それだけで何て幸せ。
それだけで、まだまだ頑張ろうと思える。気力という気力が泉のように湧いてくる。
「今度…二人でゆっくりと過ごしたいです。時間を作りますから、サイカも時間を作って下さいますか?」
「嬉しい…!勿論です。約束ですよ?」
「ええ、約束です。」
サイカを見ただけで、こうしているだけで、力がみなぎってくるから不思議。
家族も私にとってとても大切な存在。
家族とサイカ、優劣なんて付けられない程どちらも大切。
けれど、こうして色んな力がみなぎってくる存在はサイカだけ。
「ヴァレとゆっくり過ごすの…楽しみだなぁ…。」
「…私も、楽しみで仕方ないです。」
二人でゆっくりと。
その日のことを想像するだけで、まるで子供のように胸が踊ってしまう。
嬉しくて、楽しみで。まだいつにするかも決まっていないのに。その日までにきっと、憂鬱な事だって沢山あるのに、やる気が満ち溢れている。どんな事も頑張るぞ、否、どんな事があっても頑張れる。
そんな確信しかない。
そうして今日も、私はサイカの存在に癒され、励まされている。
心を強く持ち、力に溢れ、楽しんで生きていることを実感した。
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これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。
そんな人生だったはずだ。
「ここ、、どこ?」
瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。
_______________....
「レイ、何をしている早くいくぞ」
「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」
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