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三話 母
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「正人さんって、どういう人?」
佃煮を頬張ろうとした私に、母が突然切り出した。
「どうって、ボンボンかな。幼稚園から私立で、大学も私立。それで私と同じ企業で」
「それで?」
「それでって……性格は、優しい。いや、優柔不断なのかも。なんかナヨナヨしてて、芯がない感じ」
母は「ふーん」と言って、角煮をとった。私にはその「ふーん」が多くの意味を含んでいるようで、焦りからか訊かれてもないことを早口で話してしまう。
「もしかしたら私もちょっとおかしかったのかもね、あんな人と付き合って、本気になって、プロポーズも真に受けて。東京に呑まれて変なブランド意識みたいなのがこべりついていたというか」
べらべらと嘘を吐いた。舌がこれでもかと回り正人さんも私も、貶める。
母は二度目の「ふーん」をした。今の私には、その「ふーん」がどんな言葉よりも鈍く突き刺さる。それでも私は舌を回して、目から涙が込み上げるまで嘘をついた。そしてそれを隠すように佃煮をもう一度口に放り込み、おかずより多分な米を押し込んだ。
食器をもって、振り向きながら呟いた「ごちそうさま」に、二人は反応することはなかった。
翌日、実家にうーちゃんが訪ねてきた。高校出てもちょくちょく会っていたとはいえ、まともに話すのは久しぶりだ。こんな田舎に一人、同い年の友人がいるのはありがたいものだ。
うーちゃんは弟のハタ坊と赤ん坊を連れてやってきた。ハタ坊は海の男らしくすっかり焼けて、体格も筋肉質になっていた。一方の赤ん坊はハタ坊が隣にいるせいか、めっきり白くて柔い存在に見える。
私はうーちゃんが何か言う前に、その赤ん坊がうーちゃんの子だとわかった。目尻の垂れ具合がそっくりだ。しかし、うーちゃんの子だとわかっても、いや、わかっているからこそ、その赤ん坊に私は驚きを隠せなかった。
「ほら、アキラ。前に言わんかったっけ?」
うーちゃんは抱えたアキラをわずかに上げた。たしかに、以前聞いたのかもしれない。おそらく、私が忙しかった頃だ。あの時は仕事も恋愛も順調で、人が結婚しようが子供産もうが大した関心はなかった。人の幸せ報告を聞いたところで、私はもっと幸せになる確信があったし、そのための現実で精一杯だった。
けれども今、私はこういう状況で、うーちゃんはアキラを抱いている。そう思うと、このアキラが奇跡の子であり、幸福の象徴であり、嫉妬の対象にも捉えられた。
私は「おめでとう」と言って、アキラを軽く撫でた。毛はうーちゃんと同じで繊細な触り心地だった。ちょっとでも乱暴に扱うと壊れてしまうような人間がここにいて、それが怖くて私はすぐに手を離す。アキラは眠そうにこっちを向いていた。
ちぐはぐな一連だったと思う。何でもない客相手ならいくらでも表情を作れるのに、この時は感情覚えたてのロボットみたいになっていた。
「次、私いい?」
居間に着くやいなや、アキラの展示ショーが開催された。アキラは順々に抱かたり、頬を突かれたりしている。私とうーちゃんの再会のはずが話は一向に進まず、何度も抱いてるはずのハタ坊までとうとう立候補し始めた。
ハタ坊の番が終わると、うーちゃんが「香澄は?」と訊ねた。別にやりたい訳でもないが、そう言われるとしないわけにもいかないので、ハタ坊からアキラを預かった。
アキラは想像以上に重かった。右の二の腕にずしんと頭の重みが伝わって、そこに命があるのだとまざまざと伝えてくる。そのくせ肉体の、今にも崩れそうな脆さもあって、私は内心恐ろしくなった。
そして突如、アキラは泣き出した。目をぎゅっと瞑り、口は半開きで、これでもかというほど多大なエネルギーを込めて泣いていた。
私は半ばパニック状態だった。怖くて、困惑して、私の方こそ泣きたい気分だった。しかしそんな私の両腕から、うーちゃんはするりとアキラを取り上げて、躊躇いもせずシャツを捲り、乳房をアキラの口に当てた。
アキラはそれを静かに咥え、数分足らずでご機嫌に眠っていった。私が硝子細工のように恐怖していたその子は、今や羽毛布団に包まれた天使のようになっている。
私はそれをただ呆然と眺めていた。何もできず、わずかな安堵とともにうーちゃんの所作を見ているだけだった。しかしうーちゃんは素早くアキラの要望を察知し、慣れた手つきでこんなにも幸福に至らしている。そこに私の知っているうーちゃんはいなかった。
うーちゃんは、大人しくて、でも言い知れない頼もしさがある子だった。でもそれはあくまでも友人としての範疇で、私の知っているうーちゃんは何歳になっても一人の女の子だった。
けれど、私の目の前にいるうーちゃんには、女の子という言葉は似合わない。それは女であり、母であり、私が持てなかった全てをうーちゃんは備えている感じだった。
風に揺れる欅と、がさがさと殻をつんざく蝉くらい、うーちゃんと私には隔たりがある気がした。
佃煮を頬張ろうとした私に、母が突然切り出した。
「どうって、ボンボンかな。幼稚園から私立で、大学も私立。それで私と同じ企業で」
「それで?」
「それでって……性格は、優しい。いや、優柔不断なのかも。なんかナヨナヨしてて、芯がない感じ」
母は「ふーん」と言って、角煮をとった。私にはその「ふーん」が多くの意味を含んでいるようで、焦りからか訊かれてもないことを早口で話してしまう。
「もしかしたら私もちょっとおかしかったのかもね、あんな人と付き合って、本気になって、プロポーズも真に受けて。東京に呑まれて変なブランド意識みたいなのがこべりついていたというか」
べらべらと嘘を吐いた。舌がこれでもかと回り正人さんも私も、貶める。
母は二度目の「ふーん」をした。今の私には、その「ふーん」がどんな言葉よりも鈍く突き刺さる。それでも私は舌を回して、目から涙が込み上げるまで嘘をついた。そしてそれを隠すように佃煮をもう一度口に放り込み、おかずより多分な米を押し込んだ。
食器をもって、振り向きながら呟いた「ごちそうさま」に、二人は反応することはなかった。
翌日、実家にうーちゃんが訪ねてきた。高校出てもちょくちょく会っていたとはいえ、まともに話すのは久しぶりだ。こんな田舎に一人、同い年の友人がいるのはありがたいものだ。
うーちゃんは弟のハタ坊と赤ん坊を連れてやってきた。ハタ坊は海の男らしくすっかり焼けて、体格も筋肉質になっていた。一方の赤ん坊はハタ坊が隣にいるせいか、めっきり白くて柔い存在に見える。
私はうーちゃんが何か言う前に、その赤ん坊がうーちゃんの子だとわかった。目尻の垂れ具合がそっくりだ。しかし、うーちゃんの子だとわかっても、いや、わかっているからこそ、その赤ん坊に私は驚きを隠せなかった。
「ほら、アキラ。前に言わんかったっけ?」
うーちゃんは抱えたアキラをわずかに上げた。たしかに、以前聞いたのかもしれない。おそらく、私が忙しかった頃だ。あの時は仕事も恋愛も順調で、人が結婚しようが子供産もうが大した関心はなかった。人の幸せ報告を聞いたところで、私はもっと幸せになる確信があったし、そのための現実で精一杯だった。
けれども今、私はこういう状況で、うーちゃんはアキラを抱いている。そう思うと、このアキラが奇跡の子であり、幸福の象徴であり、嫉妬の対象にも捉えられた。
私は「おめでとう」と言って、アキラを軽く撫でた。毛はうーちゃんと同じで繊細な触り心地だった。ちょっとでも乱暴に扱うと壊れてしまうような人間がここにいて、それが怖くて私はすぐに手を離す。アキラは眠そうにこっちを向いていた。
ちぐはぐな一連だったと思う。何でもない客相手ならいくらでも表情を作れるのに、この時は感情覚えたてのロボットみたいになっていた。
「次、私いい?」
居間に着くやいなや、アキラの展示ショーが開催された。アキラは順々に抱かたり、頬を突かれたりしている。私とうーちゃんの再会のはずが話は一向に進まず、何度も抱いてるはずのハタ坊までとうとう立候補し始めた。
ハタ坊の番が終わると、うーちゃんが「香澄は?」と訊ねた。別にやりたい訳でもないが、そう言われるとしないわけにもいかないので、ハタ坊からアキラを預かった。
アキラは想像以上に重かった。右の二の腕にずしんと頭の重みが伝わって、そこに命があるのだとまざまざと伝えてくる。そのくせ肉体の、今にも崩れそうな脆さもあって、私は内心恐ろしくなった。
そして突如、アキラは泣き出した。目をぎゅっと瞑り、口は半開きで、これでもかというほど多大なエネルギーを込めて泣いていた。
私は半ばパニック状態だった。怖くて、困惑して、私の方こそ泣きたい気分だった。しかしそんな私の両腕から、うーちゃんはするりとアキラを取り上げて、躊躇いもせずシャツを捲り、乳房をアキラの口に当てた。
アキラはそれを静かに咥え、数分足らずでご機嫌に眠っていった。私が硝子細工のように恐怖していたその子は、今や羽毛布団に包まれた天使のようになっている。
私はそれをただ呆然と眺めていた。何もできず、わずかな安堵とともにうーちゃんの所作を見ているだけだった。しかしうーちゃんは素早くアキラの要望を察知し、慣れた手つきでこんなにも幸福に至らしている。そこに私の知っているうーちゃんはいなかった。
うーちゃんは、大人しくて、でも言い知れない頼もしさがある子だった。でもそれはあくまでも友人としての範疇で、私の知っているうーちゃんは何歳になっても一人の女の子だった。
けれど、私の目の前にいるうーちゃんには、女の子という言葉は似合わない。それは女であり、母であり、私が持てなかった全てをうーちゃんは備えている感じだった。
風に揺れる欅と、がさがさと殻をつんざく蝉くらい、うーちゃんと私には隔たりがある気がした。
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