獣人少女は幸せな明日を夢見る

豆茶

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第三章 シイナの知らない世界

22話

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 お互いの紹介が終わるとシイナとアドリアーナは書斎から二階の空き部屋に移った。その空き部屋は誰も使っておらず、シイナが勉強を受けるために急遽整理された部屋だった。
 部屋の中にはシイナの体に合わせた勉強机と椅子、そして移動式の黒板が置かれていた。
「それじゃあ、シイナ様。勉強を始める前に少しお話ししましょう」
 シイナが席につき、アドリアーナがシイナの机の前に立つ。そしてにっこりと笑った。
「お話し、ですか?」
「そう、お話しです。そうですね……シイナ様はどんなことを学びたいですか?」
「私は……絵本を読めるようになりたいです」
 アドリアーナの質問に少し考えてから答える。
「絵本がお好きなんですか?」
「はい。絵本を読んでると、いろんな自分になれる気がして好きです」
「そうですか。それでは、他に何かありますか?」
「他に……?」
 アドリアーナはシイナが困ったように眉を下げるのを笑ったまま見つめていた。シイナはアドリアーナの質問に答えようと頭を必死に働かせる。シイナには学びたいことはたくさんあった。だけどどれをどんなふうに伝えればいいのかわからなかった。
「失礼ですが、シイナ様はまずご自身の考えを纏めて、言葉にするところから始めなければなりません。……勉強とはただ学んだだけでは意味がありません。学んだことを活かし次に発展させなければいけません。そのためには自分の頭の中で思考を整理し、まとめ、言葉や行動に移す必要があります」
 アドリアーナは丁寧に説明してくれた。シイナはその言葉を少しずつ丁寧に飲み込んでいく。
「今は難しいかもしれませんが、おいおいできるようになっていきましょう。そのためにも、今日はシイナ様のお話をお聞かせください」
 アドリアーナは優しく笑いかける。シイナがその言葉の意味をしっかりと理解するのにはまだまだ時間が必要だろう。だけどなんとなくシイナはアドリアーナが言いたいことが分かったような気がした。
(この人も、私の話をちゃんと聞いてくれる。私が私のことを話すことを待ってくれてる)
 アルベリヒやこの屋敷の人たちと同じだとわかりシイナは安心した。そしてゆっくりと先ほどの質問をもう一度考える。慌てずに、自分の言葉で学びたいことを伝えられるように。
「数字を学びたいです」
 ポツリと話始める。アドリアーナは微笑みながらシイナの言葉を待つ。
「数字を学んで、自分でお買い物できるようになりたいです。そうしたら、お父さんに、何かをあげたいです」
「侯爵様にですか?」
「こう……?」
 初めて聞く呼び方にシイナは首を傾ける。するとアドリアーナは「あら」と声を上げる。
「侯爵様、というのはアルベリヒ様の肩書のことを指します。アルベリヒ様はこの国で国王様を頂点に考えた時、国王様の血族を除けば最も権力のあるお方にあたります。その方を私たちは侯爵と位でお呼びするのです」
「お父さんは侯爵様?偉い人ですか?」
「えぇ、とても偉い人です。この国にはアルベリヒ様と同じ侯爵の位を戴く方が他に三人おります。その方達をまとめて四大侯爵と呼ぶことがございます」
「侯爵様……偉い人……」
 シイナは口の中でその内容を頭にインプットするように言葉を反芻する。シイナはアルベリヒのことを強くてかっこいい人だと思っていたが、そこに付け加えて偉い人でもあったのだと改めて知った。
「この国にはたくさんの身分を割り振った階級がございます。それについてはおいおい学んでいきましょう」
「はい。わかりました」
「それではお話しの続きをしましょう。他にやりたいことはありますか?」
 アドリアーナの問いかけにシイナは目を伏せる。シイナの頭の中には一つのことが思い浮かんでいた。
 あの日のたくさんの視線を思い出す。幼い頃から奇異の目で見られていたことを思い出す。人とは異なる体の作りと特徴的な耳。誰もがその違いを指さしてこう言うのだ。
 バケモノ、と。
 シイナは体を震わせながら小さな声で話し始める。
「私は……私はどうして、バケモノと呼ばれるのですか?」
「!」
「私は、獣人は、この国ではどうして嫌われているんですか?……私は何も知りません。孤児院みたいな世界が外の世界にも広がっているなんて考えたことありませんでした」
 シイナは思わず泣きそうになるのを堪える。そうだ、シイナは知らなかった。世界がこんなにも獣人に厳しく、辛い世界だということを、想像もしなかったのだ。
 アルベリヒもこの屋敷の使用人たちも、みんなシイナの存在を受け入れ、優しく接してくれる。シイナの存在を尊重してくれる。だからあの日のことは余計に心に重くのしかかっていた。
「外の世界は、絵本の世界みたいにキラキラと輝いていて、幸せに満ち溢れているんだと思っていました。でも……」
 シイナは口を閉ざし、視線を彷徨わせる。頭でどれだけ考えても、この気持ちを伝えるためにぴったりな言葉が思いつかなかった。アドリアーナはシイナのことを痛ましそうに見つめると、僅かに首を振って気を取り直す。そしてシイナの横に立つと、椅子に座るシイナに合わせてその場にしゃがみ込む。
 シイナは同じ目線の高さになったアドリアーナのほうをじっとみつめる。アドリアーナはシイナの固く結ばれた手を解くように自分の手を合わせる。
「シイナ様、それはとても、難しいお話しです。シイナ様にはこれからこの国のこと、この国以外のこと、そしてシイナ様が本来過ごされていたかもしれない国のことについてもお話ししていくつもりです」
「私が本当は過ごしていたかもしれない国?」
「そうです。その国では多くのシイナ様のお仲間が、私たちの国のように集まり、一つの文化を形成していました。ですが、その国は人々の過ちによって今は無くなってしまいました」
 アドリアーナは少しずつシイナでもわかるように丁寧に説明してくれた。
「シイナ様には酷かもしれません。それでも、なぜシイナ様がこの国では酷い扱いを受けるのか、人々がシイナ様のような獣人を恐れるのか理解する必要があります」
 そこで言葉を切ると視線を彷徨わせる。ここまではっきりと喋り続けたアドリアーナにしては珍しく言葉にするのか悩んでいるようだった。
「こんな簡単な言葉で片付けてはいけないのかもしれませんが、私たち人間は獣人のことを誤解しているのだと思います」
「誤解……?」
「はい。獣人の方々が優しく、義に厚いこと、絆を何よりも重んじることを侯爵様の配下の者達は十分に理解しております。そして獣人族が無闇矢鱈にその力を振るわないことを理解しております。ですが、多くの人は過去から続く先入観からかその事実を見ようとしないのです。だから双方の認識に誤解が生じ、それが争いの火種になっているのだと、私は思っております」
 アドリアーナの言葉を理解するにはあまりにシイナはこの国のこと、獣人のことを知らなさすぎた。それでも、二つの種族のすれ違いは大きくなりすぎてしまっていることだけはなんとなく理解できた。
「もっといろんなことを学んでいけば、私にもわかるようになりますか?」
「ええ、もちろん。きっとシイナ様なら理解できるようになりますわ」
 シイナの言葉を肯定するように強く頷いた。シイナは少し考えてからこくりと頷いた。そして小さい声ではあったが、はっきりと自分の気持ちを口にする。
「私は、この世界のこと、もっと知りたいです」
 この国のこと、獣人のこと、その二つの種族のすれ違いなど、シイナはもっとよく知らなければいけないと思った。知ることによって双方にとって良い道が開けるのではないかと思ったのだ。
 いや、そうしなければいけないと漠然とではあるが思った。
 どうしてかは分からないけれど、シイナの心を突き動かす何かがそこにはあった。
 決意を込めた瞳を真正面で受け止めたアドリアーナははっと何かに気がついたように目を見開く。先ほどまでおどおどと自信のなさそうな様子だった少女はどこにもいなかった。
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