王命により、婚約破棄されました。

緋田鞠

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 野営地に到着したのは、太陽が西に傾く前だった。
 魔獣討伐があったため、予定外の時間がかかっているはずだけれど、当初からこの地で野営をする想定になっていたのだろう。
 大きな街道を少し逸れた森の中に、突然、ぽっかりと何もない円状の広場が現れたときには、自分の目を疑った。
 おそらく、長い年月、魔王討伐隊がここで野営を行ってきた結果、今では行きかう旅人の休憩場所として定着したのだ。
 地面が踏み固められ下草も少なければ、安定して天幕を張ることができるし、利用者が多いということは、水場が近く水を確保しやすいことがわかる。
 利便性の高い場所が野営地として選ばれるのは、当然のことだ。
 森の中のデメリットとして、視界の狭さが挙げられる。
 このような場所では、平時であれば、盗賊の襲撃に注意しなくてはならないけれど、今の私たちが気をつけなくてはならないのは、魔獣のみ。
 いかな悪党であっても、世界を救おうとする魔王討伐隊の行く手を阻むことはない。
 彼らだって、魔王が斃されなければ未来がないのだから。
 『魔王討伐隊』は、聖女、アンスガル殿下を含む十二名で構成されている。
 けれど、実際に同行している者たちは、聖女の侍女や浄化を担当する上級司祭、一般の騎士、下働きの者を含めると、二百名は下らない。
 今回の討伐隊は全員が、騎乗しているか馬車に分乗しているため、馬車の台数も多い。
 ざっと見ただけで、三十台はあるだろう。
 それに加えて、道中で必要となる荷物を積んだ荷馬車がある。
 聖女の身の回りの品だけで一台埋まっている、と聞いて、気が遠くなった。
 しかし、当初はもっと台数が多く、アンスガル殿下と大喧嘩になった末に、一台で折り合いをつけたのだとも聞いた。

(物見遊山ではないのに……)

 聖女について考えると、ちりっ、と胸に引っかき傷のような痛みが走る。
 その痛みの原因が、私が彼女に抱く苛立ちであることにも気づいている。
 この苛立ちは、アンスガル殿下が、ステファンお兄様が、オリヴェル様が――この世界の数多の人々が聖女に抱く希望に、彼女が向き合っていないように見えるせいだ。
 でも、これからなのだと思う。
 聖女は今日、瘴気の浄化を目の当たりにして、魔獣がどんな生き物なのかを理解したはず。
 これからはきっと、私たちの言葉が届くようになるだろう。

 改めて、野営の準備が行われている広場を眺めてみる。
 中心で、火が起こされている。
 この火は、中心位置を知らせるためと、夜間の明かり、魔獣除けの意味を兼ねる。
 火から少し離れた位置に、同心円状に天幕が四十張ほど、さらに外には馬車が停車されている。
 いずれも、即座に動き出せるよう、他の馬車と干渉しない進行方向を向いている。
 聖女の馬車は南を向いて停車され、いざというときには王都を目指してひた走る想定だ。
 同時に、盾になるよう、周囲を他の馬車で囲われている。
 何があろうとも聖女を失うわけにはいかないため、彼女の生存が第一なのだ。
 侍女の馬車は、聖女の馬車の隣。
 天幕もまた、馬車から近い。
 夜番以外の三人で一張使用できるので、他の人々と比べるとゆったりと使える。
 下働きの人々は、男女別に雑魚寝状態になるのだと聞いた。
 初めて修道院のベッドを使用したときは、家のベッドとまったく異なる硬さに一睡もできなかったけれど、今ならば、魔獣の毛皮を敷いた床の上に寝ることにも、そこまで衝撃を受けないだろう。
 オリヴェル様が昔、話していた通り、何事も経験だ。
 馬車を引くための馬は、何か所かに分けて繋がれている。
 緊急の合図があったら、即座に御者が馬車に馬を繋ぎ、動き出せるよう、あらかじめ、動線が定められているのだ。

(聖女様の避難ルートの確認は、これで大丈夫ね)

 事前に図面を渡されてはいるけれど、実際に現場を見てみないとわからないことはたくさんある。
 これまでにも、休憩するために馬車を停めたことはあるものの、一晩を過ごすのは初めてだ。
 単なる休憩と宿泊では、配置がまったく変わってくる。
 しかし、大きく開けた広場であっても、聖女に許されている行動範囲は狭い。

 お休みになる専用馬車。
 清拭の際に使用する侍女たちの天幕。
 トイレ。
 打ち合わせに使用するアンスガル殿下の天幕。
 
 どの場所からでもスムーズに避難できるように、実際に自分の足で歩き、目で見て確認しておくことが肝要なのだ……というのは、オリヴェル様の受け売りなのだけれど。

(……本当に、一体どれだけ、オリヴェル様に教わったことが多いのかしら……)

 彼のことを考えまい、と思っていても、生活しているだけで教わった様々な事柄が思い出されて、彼を忘れられた日なんて、一日たりともない。
 そして、そんな状況なのは私だけなのだ、ということもよくわかっている。
 オリヴェル様が、幼馴染として、かつての婚約者として、私を気にかけてくださっているのは事実だ。
 でも、一方で、私が彼に影響を与えるようなことはない。
 彼はいつでも私に施す側で、私はただ、受け取るばかりだったのだから。

「いい匂い……」

 考えながら歩いていたせいだろうか。
 いつの間にか、広場の端まで到達していた。
 そこでは、忙しく行きかう人々の邪魔にならないように煮炊きが行われている。
 大鍋に煮えているのは、今日、討伐した魔獣肉を入れたスープだろう。
 魔獣の肉は、家畜の肉と比べて、青みがかっている。
 これは、流れる血が青いためなのか、他の理由があるのかはわかっていない。
 
(何も知らなければ、魔獣肉を使用しているとは気づかないと思うけれど……)

 初めての食材に抵抗があるらしい聖女。
 ヨエル卿とのやり取りで、今日の夕食に魔獣肉が出る可能性に気づいている彼女は、この食事に手をつけてくれるだろうか?

(そうだわ。アンスガル殿下にお願いして、魔王討伐隊の方々とともにお食事をなさるのはどうかしら)

 聖女は、こちらの世界のテーブルマナーがなかなか身につかず、王宮での晩餐会に参加したことがないと聞いた。
 食が細いのは、いつも一人で食事をしているのも理由の一つかもしれない。
 それならば、目の前で知人が美味しそうに食事を取っていたら、触発されて食が進むのではないだろうか。
 くる、ときびすを返して、アンスガル殿下の天幕を目指す。
 最終目標は、魔王を討伐すること。
 そのためには、聖女に聖魔法を完全に会得していただく必要がある。
 しかし、まずは、私たちに慣れ、この世界に親しみを持っていただくのが先だ。
 聖女の侍女に選ばれた以上、少しでも心安く過ごしていただかなくては。



 アンスガル殿下は、快く晩餐のお約束を受けてくださった。
 聖女は討伐隊の令息が全員参加されると聞くと、口では「仕方ないなぁ」と言いつつも、どこかうきうきした様子だった。
 わざわざ、ドレスを着替えたということは、楽しみにしているのだろう。
 場所は、アンスガル殿下の天幕。
 作戦本部でもあるため、天幕の中でも一際大きい。
 そこにテーブルを設え、クロスを敷き、可能な限り、過ごしやすくしたつもり、だったのだけれど……

「やっぱ無理」
「聖女」

 口をつけずに、スープを一瞥しただけでそう切り捨てた聖女を、アンスガル殿下が宥めるような口調で呼ぶ。

「食わず嫌いという言葉もあるぞ? 体質的に肉を受け付けないのでなければ、一口くらい、試してみてはどうだ? 味は、家畜肉よりも深みがあって美味いと思うのだが」
「だって、気持ち悪い。何、なんで肉なのに青いの?」
「なんで、と問われると難しいな。苺が赤いように、葡萄が紫なように、この肉は青いというだけだ。魚も、一色ではなかろう? 種類によって、赤身や白身の魚がいる」

 聖女が不満を漏らすことに慣れているのか、アンスガル殿下は淡々と説明する。
 私にはわかりやすい説明だったけれど、聖女は納得いかなさそうに頬を膨らませた。
 目の前で食事している人がいるというのに、『気持ち悪い』と言い切ってしまうあたりに幼さを感じてしまう。
 溜息をつきながら二人のやり取りを見ているフィリップ卿、これみよがしにばくばくとスープを口に運ぶヨエル卿、視線を逸らして自分の食事に集中するステファンお兄様。
 私が頼んだ晩餐の場だというのに雰囲気が悪くて、給仕のためにそばに控えているだけでも心臓に悪い。

「見た目が問題だというのであれば、見なければいいのでは?」

 そう口にしたのは、黙って様子を窺っていたオリヴェル様だった。

「味は一般的な食肉と変わりませんから。瘴気が浄化されていることは保証しますよ」
「でも、見ないと食べられないじゃない」
「ならば、侍女の手を借りる、というのはいかがですか?」

 言いながら、ちら、と私に視線を向ける。
 その程度で聖女が魔獣肉を口にしてくれるならば、いくらでもお手伝いするけれど……
 聖女もまた私の顔を確認した後、オリヴェル様に向き直って、にっこり笑った。

「じゃあ、それはオリヴェルがやって?」

 そう言いながら、私に挑発的な視線を向ける。

「はい?」
「要するに、『あーん』ってことでしょ? だったら、オリヴェルにお願いするわ」
「……それは……」

 異界ではどうか知らないけれど。
 こちらの世界では、異性に食事を与える行為は、よほど親しい仲でなければありえない。
 親しい仲、というのは、夫婦や恋人、ということだ。
 珍しく言葉に詰まったオリヴェル様を援護するように、アンスガル殿下が口を開く。

「テーブルマナーは履修済みではなかったか? みずから、異性に給仕を求めるなど、はしたないと言わざるを得んぞ」
「また、テーブルマナー? いいじゃん、減るもんじゃないんだしさぁ。じゃ、食べるのやぁめた!」

 あっさりとそう言って、聖女は手にしていたスプーンを、ぽい、とテーブルに投げ捨てた。
 カチン、とテーブルにぶつかる音に、それまで視線を逸らしていた人々も顔を上げる。

「ねぇ、甘いもの持ってきて」
「ですが、聖女様……」
「何よ、食べたくないって言ってるでしょ? 食べたくないってことは、体に必要ないってことなの! 早くお菓子持って来てよ!」

 アンスガル殿下が、私を見て小さく頷く。
 こうなったら、聖女が梃子てこでも動かないことを、よくご存じなのだ。

(甘やかしている……わけではなく、)

 どれだけ口うるさく聞こえようとも、我儘を諫めるのは、健全な成長を期待してのことだ。
 それなのに、討伐隊の面々が聖女に苦言を呈さないのは……
 
(諦めて、いらっしゃるのね……)

 異界にただ一人呼び寄せられた聖女の寂しさを癒すため、心の交流を図ることを望んでいた彼らは、これまでの経験から、すでに聖女に見切りをつけてしまっている。
 もう何も、期待していない。
 彼らと聖女、それぞれが望む関係性が異なる以上、仕方がないと思う反面、とても寂しく思えた。

(このままでは、聖女様は本当にお一人になってしまわれるわ)

 一体、どうすればいいのだろうか。
 単に聖女の要望を受け入れれば、それで済む話なのだろうか。
 魔獣肉を拒絶し、討伐隊との交流を拒絶し、その先に聖女を待つものは?
 悩んで、とっさに動き出せなかった私を見て、アンスガル殿下が口を開く。

「ならば、私が給仕をしようか?」
「え? アンスガルが?」
「別にオリヴェルでなくとも構わんだろう? 私がその『あーん』とやらをしよう。王族手ずから食事を与えるなど、滅多にあるものじゃないぞ?」

 そう、茶化したような口調で続けるアンスガル殿下に、聖女は、パッと顔を明るくした。

「どうしたの? 珍しく優しいじゃん」
「まぁ、これくらいならな」

 アンスガル殿下は鷹揚な笑みを浮かべているけれど、その笑みが固いことに聖女だけが気がついていない。
 王子殿下が異性に食事を与えた、なんて知られた日には、醜聞になってしまう。
 しかし、アンスガル殿下は、聖女とこの先、魔獣肉の件でぶつからないための選択をした。
 この意味を、同席している討伐隊の面々は、よく理解している。
 スプーンを差し出したアンスガル殿下に向けて、聖女は、

「あ~ん」

と言いながら、大きく口を開けた。

「ん⁈ 美味しい!」
「食わず嫌いだと言っただろう? 私たちと味覚もそう変わらんようでよかった」

 結局、聖女はスープと焼きたてのパンをしっかり食べきった。
 男性一人前と同じ量だから、相当、気に入ったのだろう。
 満足そうにお腹を撫でる聖女に、

「では、ご就寝前の準備をいたしましょう」

と声をかけると、素直に立ち上がる。
 アンスガル殿下が身を挺して聖女の機嫌を取ったのを見て、令息方が何かと気を使って話しかけ、気持ちを盛り立ててくださったのが功を奏したのかもしれない。
 こうして、初めての野営の晩餐は、なんとか丸く収まったのだった。



 けれど。
 何事もすべて順調とはなかなかいかないもので……

「え⁈ お風呂じゃないの⁈」

 侍女のために用意された天幕に、大きなたらいと熱めの湯を用意して、聖女の清拭を手伝おうとしたところ。
 衝立の裏で湯着に着替えた聖女が、盥を見るなり、声を上げた。

「はい。旅の間、宿に泊まれない晩はこのように、熱い湯に通して固く絞った布で、お体を清めさせていただきます。この先の宿には、浴槽のないところも多いので、その際も同様にいたします」
「嘘でしょ……お風呂に入れないとか、耐えられる気、しないんだけど……」

 リングバリ夫人からの引継ぎで、聖女が入浴を特に好んでいることは知っていた。
 異界では、毎日、肩まで湯に浸かることが常識だったらしい。
 けれど、元々、この国では湿度が高くないこともあり、湯に浸かる習慣がない。
 かつての聖女が持ち込んだ習慣から、王宮やラルセン家の屋敷には全身を沈められる浴槽が設置されているけれど、高位貴族の屋敷であっても一般的なものではない。
 これまで聖女が宿泊していた宿に浴槽があったのは、聖女の宿泊を見込んで事前に用意させていたからなのだ。

「申し訳ございません。浸かれるほどの移動用浴槽を運ぶことも、それを満たすだけの湯を準備することも、今の状況では難しいのです。聖女様のご要望にお応えできません」

 聖女に心を開いてもらうため、可能な限り、希望を叶えたいと考えているのは事実だけれど、できないものはできない、と線を引いておくことも大事だ。
 時間に制限のない旅ならば、多くの荷物を持って、準備に時間のかかる浴槽を用意することも可能かもしれない。
 しかし、この旅の目的は魔王討伐。
 観光旅行ではない。
 それでも、できるだけのことはしたい、と精一杯の準備をしたつもりだった。
 今、用意されている湯だって、エリンとヒルダが水場を三往復して溜めてくれている。
 湯を沸かすのは火属性の魔石に頼ったけれど、それでも、その労力は相当なものだ。

「あ~、もう、ほんっと、最悪……魔法がある世界なんでしょ? お湯くらい、呪文一つで溜められないの?」
「聖女様がご存知の他の世界では、そのような便利な魔法があるのですか?」
「~~~~もういい!」

 魔法は、万能ではない。
 水属性の魔法を扱えるからといって、何もない場所から水を生み出すことはできない。
 もちろん、そんな魔法の基礎知識については、家庭教師から教わっているはず……だから、聖女は叶わないと知りつつ、我儘を言ってみただけなのだろう。
 投げやりに吐き捨てた聖女は、苛立ちを隠す様子もなく、渡した手拭で乱暴に体を拭う。
 背中だけお手伝いしたけれど、それに対する言葉も何もなく、結局、馬車で休むまで彼女は一言も口を利くことはなかった。
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