光と音を失った貴公子が望んだのは、醜いと厭われた私の声でした。

緋田鞠

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   ***

 それからのランドールは、記念式典準備の最後の詰めの他、チートス、特にレナルドの動向を探って忙しく動いていた。
 和平を結んでいるとは言え、恒久的なものと安心出来るわけではない。
 特に同じ大陸にある他の三国には、常に密偵を放って様子を探らせている。
 だが、市井の様子を窺いながら、国力や国政の方針を探る事が主な任務なので、大きな問題に発展していなければ、貴族同士の関係や王族内の勢力抗争等は関知しない。
 貴族や王族の情報を得るには、国の中枢に近づく必要があり、正体が露見する可能性が上がるからだ。
 その事を今回程、ランドールは悔やんだ事はなかった。
 アンジェリカと直接対面してみて、彼女の話の通じなさに、いっそ恐怖を覚えた。
 レナルドの子は、正妃、三人の側室の子を含めて十一人に上るが、人数も多いし、側室から生まれた王女だから国政に影響しない、と、表面上の情報だけをさらっとなぞるだけで済ませてしまったのは問題だった。
 後宮を抱えていると言う噂だけで十分に危険人物だったので、可能な限り接触しない、と判断済みだったのも悪かった。
 もしも、より詳細な情報を事前に手にしていたのなら、二人だけで晩餐をするような下手は打たなかっただろう。
 事件の後、アンジェリカを送還する際に、ユリアスが国王レナルドと面会しているが、その謝罪は常識的なものだったと言う。
 過剰なまでに下手に出るでも、居丈高に切り捨てるでもない対応からは、アンジェリカの異常性を、チートス王家がどう捉えているのか、全く見えてこない。
 それに加えて、今はアマリアの事がある。
 彼女自身がチートスと関係していなくても、母親のエミリアには何か縁がありそうだ。
 その縁が何なのか。
 いいようにも悪いようにも変わる秘密とは、何か。
 求婚が成立していない以上、ギリアンに問い質す事も出来ない。
 そこまで考えて、貴族との結婚なのだから、先に父親であるギリアンの許可を取るべきか、と思いつく。
 貴族同士の婚約は、家同士の結びつきを強める目的で行われる事が多い為、結婚する当人ではなく、女性の保護者である父親に許可を求める古式ゆかしい作法がある。
 求婚したいのは、伯爵令嬢であるアマリア・トゥランジアではなく、ただのアマリアだ。
 そして、結婚したいのは、宰相補佐であるランドール・クレス・ロイスワルズではなく、ただのランドールだ。
 だが、それは理想であり、結局は王家とトゥランジア家の婚姻になる以上、最終的にはギリアンの賛同が得られなくてはならない。
「アレクシス」
「はい、殿下」
 筆記具の確認をしながら考え込んでいたランドールは、傍に控えていたアレクシスに声を掛ける。
「トゥランジア書記官長に面会をしたい」
「畏まりました。ご都合を伺って参ります」
 アレクシスが退室すると、二人の様子を窺っていた補佐官達が、ランドールの執務机の周りに集まって来た。
「殿下」
「どうした」
「殿下が、激務による過労で倒れられたと、ここ三か月、王宮の侍女達が噂をしておりました。お顔の色を見る限りは、もうお体は大丈夫なのでしょうか?」
「激務だったのは確かだが、過労で寝込んでいたわけではない。仕事はしていただろう?」
「えぇ…ですが、これまでとは、仕事の流れも異なっておりましたし」
「あぁ…いい機会だ、今のうちに説明しておこう」
 不安そうな顔で見てくる補佐官達に、ランドールは悠然と椅子に座り直すと、話し始める。
「確かに、仕事量が多くて、王宮に足を運ぶ暇もなかった。その分、諸君にも心配を掛けたと思う。そこで、今回私は、仕事の流れを一部見直したいと考えている」
 言いながら、手元にあった書類を一部、例として指し示す。
「補佐官室では、それぞれの分野に詳しい専門家である諸君が、上がって来た陳情の精査、情報の収集、書類の作成を行っている。そして、補佐官長が期日の優先順位に従って、分野の別なく分別し直し、私が確認して署名する。それが、これまでの流れだった」
 補佐官達の顔を見回し、彼らが頷くのを確認した。
「大きな流れは、今後も変わらない。諸君の専門知識は、我が国に必要不可欠なものだからな。だが、人間が行う以上、そこには小さな誤りが発生する。どれだけ注意を払っても、神でない以上、全くなくすのは不可能だ。これまでは、私が確認する段階で、疑問に思った点を諸君に差し戻していたな?」
 再び、頷く補佐官達。
「そうすると、差し戻した書類の再審査と、新しい書類の審査とで、仕事量がどうしても増える事になった」
 あ、と言う形に口を開けて、補佐官達は申し訳なさそうに俯く。
「可能であれば、各部署内で互いに作成した書類を確認し合い、誤りを潰してから上に上げて欲しいが、諸君の仕事量が膨大である事も理解している。そのような時間的余裕がない事の方が多いだろう。なので、私の前に一人、確認要員を入れたい」
「確認要員、ですか?」
「あぁ。一時的にだが、実際に王宮に来られない間、王城で私の執務を補佐していた。専門家である諸君の知識には及ばないが、私で気づくような類の誤りであれば、発見出来る人物だ。私が確認する前に差し戻すものを分類する事によって、仕事量の分散化が図れる」
 なるほど、と頷く補佐官達が、何かに気づいた。
「あぁ、では、地名の誤りを指摘する付箋は、その方が書かれたのですね」
「恥ずかしながら、私の元には計算の誤りを指摘する付箋が…」
「とても読みやすい美しい文字でした。その方だったのですね」
 ランドールが知らないうちに、アマリアは差し戻す書類に説明を付け加えていたらしい。
「結果的に、補佐官室全体の仕事が上手く流れるようになり、時間の余裕が生まれると考えている。私が休暇を取らねば、諸君も取りづらいだろう?」
 笑みを含んで言うと、補佐官達は、苦笑する。
「我々の書類の不備でお忙しい殿下を差し置いて休暇など、頂けませんね」
「私は、宰相補佐として、補佐官室の仕事が如何に重要なものか、そして補佐官となるべく、諸君がどれだけ努力してきたかを知っている。これまでと体制が変わる事に思う所はあるやもしれんが、まずは半年、様子を見て欲しい」
「その方は、いつから補佐官室へいらっしゃるのですか?」
「そうだな。今は、記念式典の準備で多忙だから、式典後になるだろうか」
 この言葉で、よその部署からの引き抜きと考えたのか、補佐官達はそれぞれに納得した顔をして、自席に戻った。
「殿下、書記官長殿が、昼餉をご一緒にいかがかと仰っていますが」
 丁度、部屋に戻って来たアレクシスが、ランドールに尋ねる。
「では、そうしよう」



 ランドールは、王宮の執務室の隣にある私的な居間で、ギリアンを迎えた。
 昼食は、厨房の者に伝えて、アレクシスと三人分、部屋に運ばせている。
「トゥランジア伯爵、よく来てくれた」
「ランドール殿下よりお声掛け頂くとは、アマリアが何かしでかしましたでしょうか?」
 書記官長、ではなく、爵位で呼ばれた事で、ギリアンはランドールの用件が、書記官長としての己ではなく、アマリアの父に向けられたものと気づいたようだ。
「いや、アマリア嬢には大いに助けられている。…卿の教育方針の賜物と聞いた」
「私は、娘とは離れて暮らしておりましたので、与えられるものと言えばそれ位だったのです」
「身の回りの事は、自分で何でも出来るように、か。至言だな。私もそうありたい」
「有難う存じます。親バカですが、自慢の娘です」
「だろうな」
 相手の出方を探るような会話が一段落すると、暫く室内には、食器の触れる微かな音だけが響く。
「ギリアン・トゥランジア伯爵」
「はい、殿下」
「…私に、アマリア嬢を妻とする許可をくれないだろうか」
 言い切ると、ランドールは緊張から乾いた喉を、茶で潤した。
 ギリアンは、驚いたように目を見開いて、逡巡するように視線を彷徨わせる。
「アマリアを、妻に、と仰った?」
「あぁ」
「ランドール殿下の、でございますか?」
「そうだ」
 じっと、ギリアンの顔を見つめる。
 金茶色の髪に萌黄色の瞳は、アマリアを語る色には上がらない。
「…我が家は、決して恵み豊かとは呼べない田舎の領地しか持っておりませぬ。爵位こそ頂いておりますが、これまでに特別な功を立てたわけでもございませぬ」
「長きに渡り、忠実な臣として国を支えてくれている。決して肥沃とは言えない地を、技術で持って豊かにしてきたのは卿達だ」
「アマリアは、婚約破棄された言わば傷物。とうに適齢期も過ぎております」
「その件に関しては、卿に対して思う事もあるが、今現在、アマリア嬢が独り身なのは、私にとって都合がよい」
「殿下。不敬ながら、臣として申し上げます。殿下が、アマリアを妃にして得られる益はございませぬ。トゥランジア家には、国への忠誠こそあれ、他に捧げられるものがございませぬ」
 静かな声で話すギリアンは、そのまま、言葉を続けた。
「…しかし…父として言うのであれば、殿下程の方に想われる娘は、幸せだろうと存じます」
「トゥランジア伯。では」
「娘が、殿下のお傍にある事を望むのであれば、反対する理由など何一つございませぬ」
 ふ、と頬に苦い笑みを浮かべて、ギリアンは一人ごちる。
「アマリアは、いつの間にランドール殿下と…世間に疎い娘ですので、恋心など判るものなのか心配しておりましたが、杞憂だったのですね」
 ギリアンの許可を得てホッと息をついたランドールは、物言いたげにじとっと彼を見つめるアレクシスの顔を見遣る。
「…何だ、アレクシス」
「ギリアン殿。肝心な事をまだ聞いてらっしゃいませんよ」
「アレクシス殿。何の事でしょうか?」
「アマリアさんのお気持ちです。ここにいる殿下はですね、存外、ヘタレなのですよ。アマリアさんに、求婚どころかご自分のお気持ちすら、伝えてらっしゃらないんです」
「言うに事欠いて、ヘタレとは、お前…」
「そうでしょうが!」
 ギリアンは、二人のやり取りに目を白黒させていたが、恐る恐る問うた。
「では…アマリアは…」
「えぇ、殿下のお気持ちなんて、欠片もご存知ありません。既に妻の座に据えられようとしているなんて、想像もなさっていないでしょう」
「…政略的に価値のない我が家との縁談をお求めと言う事は、相思相愛と言う事なのかと…」
 困ったようなギリアンの視線に耐え切れず、ランドールは視線を逸らす。
「いや…これはその…外堀を埋めようとか、そういう意図ではなく、だな…」
「アマリアさんの気持ちを確認するのが怖いんでしょうに。それがヘタレじゃなくて、何なんですか」
「…」
 黙り込んで視線を明後日の方向に向けるランドールに、思わずギリアンは噴き出した。
「あぁ、完璧と評判のランドール殿下にも、不得手なものがあるのですね」
「どう思われていたのかは知らんが、自分一人の努力ではどうにもならないもの程、怖いものはなかろう?」
「えぇ、その通りです」
 恋だけなら、一人で出来る。
 ただ、相手を慕わしく恋しく想っていればいいだけだ。
 けれど、ランドールが欲しいのは、想いを返してくれる存在。
 コホン、と咳払いを一つして、ランドールはギリアンに宣言する。
「陛下にも、父にも、アマリア嬢を王族として迎える許可は頂いてある。そして、卿にも、妻にする許可を受けた。…であれば、後は、私が想いを伝えるだけだ」
「私はアマリアの父親ですから、娘の意思が最優先です。娘が望めば喜んで賛同致しますが、望まないのであれば、お相手が殿下であろうと、家を出す事はございません」
「当然だな。…私が心配しているのは、王族の命だから断れない、と、アマリア嬢本人が自分の意思に反して受けてしまう事なのだが。それは、私の本意ではない」
「どうでしょう。逆に、王族の責務を果たすだけの能力を持ち合わせていない、と、固辞する可能性が高そうです」
 ギリアンの言葉に、ランドールは言葉に詰まった。
 ランドールから見たアマリアは、十分な能力を有しているが、アマリアの性格であれば、その理由での固辞は十分にあり得る。
「アマリア嬢は、一般的な貴族の子女よりも幅広く高い教養を受けている。王族特有の教養は確かにあるが、彼女なら、率なくこなすと確信している」
「望外の評価を有難う存じます」
「寧ろ…彼女の教養の幅広さは、貴族の子女と言うよりも、王族に近いと思うのだが」
 以前から感じていた疑問を、さり気なく問うと、ギリアンの肩がぴくりと動いた。
「…全ては、アマリアの返答次第で」
「だろうな…」
 予想していた答えだから、特に落胆もしない。
「一つだけ、答えてくれ」
 ランドールが、すっと人差し指を立てる。
「来週から、チートス国王陛下が城にご滞在になる。…万が一にでも、遭遇させない方が良いのか?」
「…出来ますならば」
 それが、既に答えだ。
 アマリアは、父であるギリアンには、その長身の他は全く似ていない。
 姿絵を手に入れる事は出来なかったが、アマリアは、母エミリアと似た容貌を持っていると言う。
 そのアマリアを、レナルドと遭遇させたくないと言う事は、エミリアとレナルドの間には、何らかの面識があると言う事だ。
 少なくとも、アマリアを見て、エミリアを連想する程度には。
 レナルドが王太子として国境を回っていた時は王都ロイスに、即位して国家行事に参列する可能性が高くなってからは領地に。
 チートスとの関係さえ疑わなければ、何も引っ掛かる事のない行動も、一つ疑念が生まれてからは、不自然に見える。
「判った。来週から、王宮の補佐官室で働いて貰う予定だったが、延期しよう。代わりに、屋敷で出来る仕事を持って行ってもいいだろうか」
「承知致しました」

   ***

 アマリアの元に、王宮からの使いが来たのは、休暇四日目の事だった。
「アレクシス様」
「お久し振りですね、アマリアさん。いやぁ、アマリアさんのお陰で、俺も久々に休暇を頂けて助かりました。オルカとゆっくり過ごす事が出来て、いい気分転換になりましたよ」
「それは良かったです」
 微笑むアマリアに、アレクシスもまた、笑みを見せる。
「ランドール殿下は、無事に本復されました。視力・聴力共に、事故前と変わらぬ状態まで戻り、現在は王宮の補佐官室で執務に当たっておられます」
「安心致しました。離宮にいらした時から、お耳の聞こえは改善されていらっしゃるようでしたが、視力は判らなかったので…」
 安心したのは、本当だ。
 彼に否がない理由で、彼の体が損なわれるなど、本来、あってはならないのだから。
「それでは予定通り、休暇後は王宮の補佐官室付きとしてお勤めさせて頂けばよろしいですか?」
「それなんですけどね」
 アレクシスが切り出す。
「実は、在位記念式典にご参列下さる国賓の方々が、来週から続々と王城に入られます。殿下は補佐官室の仕事よりも、国賓の皆様へのご対応が忙しくなりますし、アマリアさんには、記念式典後より王宮に戻って頂きたいのです。それまでは、在宅で補佐官室の仕事に関連した勉強をしておいて頂けますか?」
「勉強、ですか?」
「えぇ。アマリアさんは既に、国内の歴史や地理に関する基礎的な学習は終えていらっしゃるようですので、もう少し踏み込んだ所ですね。えぇと例えば、こちら」
 言いながら、アレクシスは持参した書類を取り上げる。
「今回の記念式典に参列される招待客の皆様の情報が載っています。お名前、ご身分、所領の基本的情報から、個人を特定する為の外見的特徴まで」
「それは…」
 アマリアは、困ったように眉を顰めた。
 社交上、必要な知識だから、社交の必要な立場の人々が把握しておくべき情報ではある。
 相手が何者なのかを知らずして、会話をする事は出来ないからだ。
 主の知識の補助として、従者もまた記憶しておかなければならないが、一介の、それも補佐官室付の侍女に過ぎないアマリアが触れていいものとは思えない。
 国内貴族のものならばまだしも、他国からの来賓の情報など、手に余る。
 そもそも、外交の場に立ち会う事はないのだから。
「殿下は外交にも携わるお立場です。俺やジェイクも、殿下の補助としてこれらの情報は記憶していますが、アマリアさんにも、記憶しておいて頂きたいんです。補佐官室の仕事に関係してくるものもありますから」
「…承知致しました」
 完全に納得出来たわけではないが、仕事と言われれば受け入れる他はない。
「後ですね、記念式典後の夜会なのですが」
「はい」
「殿下は、エイダ様をエスコートなさる事が決定しました。エイダ様は、この夜会で社交界デビューなさるそうです」
「それは、おめでとうございます」
「なので殿下は、最初の一曲はエイダ様と踊るのですが」
 聞きながら、アマリアは氷の塊を飲み込んだように、しんと心の奥底が冷えていくのが判った。
 エイダが、ランドールを異性として好きなのだと話したのはアレクシスだ。
 社交界デビューの場でエスコートするのだから、最初のダンスを踊るのは当たり前の事。
 そして、誰でもエスコート出来る立場ではないランドールが、従妹であるエイダのエスコートを務めるのも当たり前の事。
 判っているけれど…頭で判っていても、心が乱れる。
 好きな人がエスコートしてダンスしてくれるなんて、とても幸せな事だ。
 ほんの少し前まで、ランドールが幸せなのであれば、その相手は誰でもいい、と思っていた筈なのに。
 何故、こんなにも胸が苦しいのだろう。
 黙り込んだアマリアに、アレクシスが続ける。
「アマリアさんのダンスのお相手は、殿下がお誘いするまで、何方からも受けないで欲しい、と仰せでして」
「…え?」
 言われた意味が分からずに首を傾げると、アレクシスが丁寧に説明した。
「夜会ではまず、国王陛下ご夫妻が最初に踊られます。次に、国賓の皆様と王族の方々、その後、招待客全体で、と言う流れです」
「はい」
「殿下とエイダ様は、国王陛下ご夫妻の後に一曲、踊られるわけですが、その後、殿下はエイダ様を、夜会に参加されているエイダ様と同年代の貴族の令息令嬢に引き合わせる事になっています。引き合わせが済めば、殿下のお役目は無事終了。ご来賓の女性陣と何人か踊る可能性はありますが、一応、義務は果たした事になります」
「えぇと…エスコートなさるのでは…?」
 夜会の最後まで付き添うのがエスコートだと思っていたが、違うのだろうか。
「まぁ、そうなんですけど、陛下たってのご依頼でして。エイダ様は、同年代の貴族の令息令嬢に、お知り合いが殆どいらっしゃらないのですよ。今後、エイダ様のご縁談を考えるに当たって、お知り合いを増やしておきたい、とのお考えでして、エイダ様と同年代の子女がいらっしゃる一門に、内々に令息令嬢の出席を打診しているのです。殿下とエイダ様は十離れてらっしゃいますからね。その場に殿下が同席されると、まだ若い令息達には対抗手段がありませんよ」
「なるほど…」
 確かに、社交界デビュー間もない令息達と、ランドールが並んで立っていたら、誰もがランドールに注目してしまうだろう。
「エイダ王女殿下のご縁談…」
 エイダの想い人はランドールだと聞いていたが、憧れに過ぎなかったと言う事か。
「まだご婚約までは至っておりませんが、第四王女ソフィア様のご縁談が順調に進みそうでして。そうなると次は、エイダ様ですから」
 娘が五人いて、それぞれに相応しい相手を見つけると言うのは、大変な事だろうと思う。
「アマリアさんは、国賓の皆様のダンスの後から、踊れる事になっています。殿下はそれまでに課せられた任務を果たすおつもりなのですが、まぁ、最初の一曲に間に合うかどうかは不明でして。なので、殿下がアマリアさんをお誘いするまでは、他の方のお誘いを受けないで頂きたい、と仰せなんです」
 丁寧に説明してくれたアレクシスには感謝するが、アマリアはやはり、意味がよく判らずに首を傾げた。
「それは…はい、殿下がそうご希望なのでしたら、幾らでもお待ちしますけれど…」
「ん?何です?何だか、ご納得頂けてない感じですが」
「いえ、不思議な事を気にかけてらっしゃるな、と思って」
「不思議な事?」
「えぇ」
 本当に判ってない様子のアレクシスに、アマリアは苦笑を返す。
「私をダンスに誘う方なんて、いらっしゃいませんよ。王宮の夜会には、幾らでも素敵なご令嬢がいらっしゃるのですから」
 言い切ると、アレクシスが驚いて目を見開いた。
「あぁ…はぁはぁ、なるほど…」
「あの、あんまり感心されると、恥ずかしいのですけれど…」
「あぁ、すみません。でも、そうですね、う~ん、何と言えばいいか…恐らく、殿下のご心配は杞憂ではないので、アマリアさんには殿下のお願いを受けて頂きたいのですけどね」
 言葉を覆す様子のないアレクシスに、アマリアは曖昧に頷く。
「殿下は…本当に、私と踊って下さるおつもりなのですね」
「勿論ですよ。それだけを楽しみに、執務なさってるんですから」
「…本当に…お優しい方」
「優しい…やさしい?俺にとっては鬼ですよ?」
「部下の一人にここまでお心を砕いて下さるのですから、お優しいです」
「え~と…うん…」
(殿下、全く気持ちが届いてませんよ…)
 自業自得な面もあるとは言え、主が不憫になって、アレクシスは笑顔のまま固まった。
「えー…アマリアさん、殿下から、こちらも」
「まぁ、何でしょう?」
 アレクシスが取り出したのは、細長い箱だった。
「開けてみても?」
「えぇ」
 アマリアがパカリと蓋を開けると、中には、繊細な細工で作られた白金の鎖の首飾りが収められていた。
 鎖の先には、親指の先程の大きさで、雫型の石が下がっている。
 表面が滑らかな球状に研磨された石は、とろりとした艶を持つ黄金色で、角度によって輝きが変わった。
 琥珀よりも淡く、月のような輝きだ。
「綺麗…これは…魔法石ですか?」
 そっと手に取ると、魔法石特有の手に馴染む熱を感じる。
「流石、アマリアさん。直ぐにお判りになりましたか」
「えぇ…貴石と違い、魔法石は手に取って直ぐでも、ほんのり温かいのです」
 石であれば人肌で温もるまでひんやりしているが、魔力が籠っているからなのか、魔法石は常に温かい。
 そっと裏返すと、予想通り、魔法陣が刻まれていた。
「これは…何の魔法陣でしょう」
「詳しい事は、殿下にお尋ね下さい。あの時、守護石を使って守って下さったお礼だそうです」
 ランドールは、アマリアへのお礼を考えた結果、鎖の彫金と魔法石の研磨を進めさせていた。
 先日、サングラに依頼したのは、アマリアに贈る首飾りに相応しい魔法陣を刻み込む事だったのだ。
「本来であれば、直接殿下がお渡ししたかったそうなのですが…夜会につけてきて頂きたいとの事でして、代理としてお持ちしました」
「まぁ…」
 ランドールに贈られたドレスに、ランドールに贈られた首飾り。
 勘違いしてはいけない、と、己の心を戒める。
「あの、少しお待ち頂く時間はございますか?殿下にお礼状を認めたいのですが」
「えぇ、それ位でしたら、大丈夫ですよ」
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