光と音を失った貴公子が望んだのは、醜いと厭われた私の声でした。

緋田鞠

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   ***

 アマリアからの礼状を持ち帰ったアレクシスは、早速、ランドールの前にそれをちらつかせた。
「殿下、アマリアさんからです」
「アマリアから?」
「首飾りのお礼状だそうですよ」
 目を軽く見張って、受け取ろうと手を伸ばしたランドールから逃げるように、アレクシスが身を翻す。
「おいっ」
「先に、ここまでのお仕事を終えて下さいね。ご褒美はその後です」
「お前…っ」
「大丈夫ですよ~、お礼状は逃げませんから。お仕事の締め切りは目の前ですけど」
 渋々と椅子に座り直したランドールは、これまで以上の速度で仕事を進めていく。
 目の前に人参をぶら下げられた馬と一緒だ、と、自嘲するが、読みたいものは仕方がない。
「アマリアは、どうだった?」
「お元気そうでしたよ?」
「新しい仕事に関しては…」
「流石に、疑問を持たれたようですね。本来なら、貴人付きの女官までしか降りてこないような情報ですし。ですが、『仕事なので』の一言で押し切りました」
 『補佐官室で必要となる情報』と言うのは、嘘だ。
 アマリアの立場で必要となるような情報は、今日、渡した資料には殆どない。
 これは、王族、それも王弟妃となる身に必要となってくる知識なのだから。
「殿下、開き直って完全に外堀から埋めに行く事にしたんですね…」
「…埋めているつもりはない。だが、アマリアが、自分に王族となるだけの技量がない、と言い出さないようにする為には、必要と思ったまでだ」
「それを外堀を埋める、って言うんです」
「…夜会での注意事項は話したか?」
 アレクシスの言葉を無視して、ランドールは言葉を続ける。
「えぇ」
 アマリアが礼状を認めている間、アレクシスは夜会での注意事項と依頼について話をしていた。
 ランドールが令嬢と踊ると、相手の詮索が行われて大変である事を、まず伝えた。
 国内の有力貴族の令嬢については、全員顔が判明しているから、まだましな方だが、アマリアは中央の貴族に顔を知られていない。
 なので、アマリアには、家名を名乗らずに過ごして欲しい、と依頼した。
 トゥランジア家の家名が洩れる事で、要らぬ詮索や妨害を受ける可能性がある、家名を伏せる事で時間が稼げる、と告げると、アマリアは真剣な顔をして頷いていた。
 アレクシスとしては、そこまでしてもランドールはアマリアと踊りたいのだ、と念を押したつもりだったのだが、アマリアに伝わったかどうかは不明だ。
「ジェイクの話によると、ミーシャ渾身のドレスの製作も佳境に入っているようです」
「夜会が楽しみだ」
 夜会で、二曲以上同じ相手と踊れるのは、配偶者か婚約者のみだ。
 だから、未だ告白すらしていないランドールは、アマリアと一曲しか踊れない。
 その一曲の為に、ドレスを仕立て、首飾りを贈った。
 離宮で共に練習した時を思えば、たった一曲でも、お互いの気持ちは判り合えると思う。
 ましてや今回は、彼女の表情をつぶさにこの目で見る事が出来るのだ。
 その時のアマリアの反応を見て、自分の気持ちを告げようと心に決めていた。
 元々は、ユリアスの婚儀が終わるまで時間の猶予を取るつもりだったが、チートスの…レナルドの動きが気になる。
「終わったぞ」
 硝子ペンを置くと、素早くアレクシスに手を伸ばし、今度こそ、アマリアからの礼状をもぎ取る。
 封蝋を切って、淡い翡翠色の封筒から同色の書状を取り出すと、ふわりと鈴蘭の香りがして、ランドールは思わず、目を閉じた。
 離宮ではあれだけ近かったアマリアの香りを、もう随分と嗅いでいない。

『ランドール様

素敵な首飾りを有難うございます。
月の光のように美しい魔法石に、繊細な意匠で、私には勿体ないようですが、心より嬉しく思っております。
夜会では是非、刻まれた魔法陣の意味をお聞かせ下さいませ。
お優しいお心遣いに感謝致します。

           アマリア・トゥランジア』

 補佐官が話していたように流麗な書字は、繊細でありつつも堂々として見える。
 ランドールは頬を緩ませて、執務机の引き出しに忍ばせた小箱を取り出した。
 中には、アマリアに贈った首飾りと同じ色の魔法石で作ったピンが収められている。
 首元を飾るスカーフの中央を留めたり、ジャケットの襟を飾ったりする為のピンは、半球状に研磨された月光の黄金色の魔法石を、美麗な彫金を施した白金の台座に飾り爪で固定してあるものだ。
「…告白すらしてないのに、お揃いの石って…」
 アレクシスが引いているが、ランドールが使いたい魔法陣は、同じ石から削った魔法石同士にしか有効ではないのだから、仕方がない。
「本当に魔法陣、まだ完成させてないんですよね?」
「あぁ。アマリアの返答次第で完成させられるように、線を一本、省いている」
 魔法陣は、一つ一つの線に意味がある図形だ。
 その中の一つでも不足していれば未完成のままで、魔術は掛からない。
「私の妃になると言う事は、これまでとは危険性が全く変わると言う事だ。守護石と同じものは用意出来ないまでも、少しでも身の安全を図れるようにすべきだろう」
「まぁ、それは賛同しますけど」
 魔法陣を刻むのには、一流の魔術師であっても神経と時間を遣う。
 アマリアの答えを待ってから作らせるには、時間が惜しい。
 その点、あと線一本まで作り上げてあれば、必要となれば直ぐに完成可能だ。
「俺、殿下の事は何でも判ってると思ってましたけど…この年になって、知らない面がたくさん見えてますよ」
「奇遇だな、私もだ」
 恋とは、厄介なものだと思う。
 自分でも知らない自分が、まだまだ心の奥底に潜んでいるようだ。
「ランドール殿下」
 叩扉と共に、ユリアスの侍従が顔を出した。
「ユリアス殿下のお時間が出来ました。お伺いしても宜しいでしょうか?」
「あぁ、いや、私から足を運ぼう。兄上はどちらだ?」
「ご案内致します」
 国王イアンと両親には、アマリアへの想いを伝え許可を得たものの、将来国王になるであろう兄ユリアスとは、まだ顔を合わせられていない。
 最後の関門が兄だと思っているだけに、ランドールは気合を入れ直し、小箱を引き出しへとしまった。

   ***

 離宮から戻って十二日。
 アマリアは、アレクシスが屋敷に持参した資料を読んでいた。
 人名と身分は覚えられたものの、外見の特徴は姿絵が添えられているわけではないので、自信がない。
 目の色、髪の色は簡単に変えられるものではないが、色素の薄い者が多いロイスワルズ貴族は、同じような色の組み合わせを持つ人物が多いのだ。
 国内貴族の資料には、各領の名産品や財政状況などが掲載されている。
 名産品は殆どがアマリアの記憶通りだが、それに伴う財政状況は、重要機密なのではないだろうか。
 傍から見ている羽振りと内情が異なる領が、幾つかあるように見受けられる。
 父であるギリアン・トゥランジアの資料も中に含まれていた。
 自領コバルの事は誰よりも詳しいと自負しているものの、第三者目線で書かれた資料は興味深い。
 少しずつ豊かになってきた実感はあるが、王宮の資料で保障された気がして嬉しくなる。
「アマリア様、仕立て職人の方がお見えです」
 屋敷の執事が、アマリアの私室を訪れた。
「応接間にお通ししておりますが、いかがなさいますか?」
「そうね、こちらまでお通ししてくれるかしら」
「承知致しました」
 ずっと、『お嬢様』とアマリアを呼んでいた執事が、『アマリア様』と名で呼ぶようになったのは、アマリアが婚約破棄されて以降だ。
 既に『お嬢様』と呼ばれる年齢を通り過ぎて長かったが、未婚の令嬢であるうちはそれでも良かった。
 ただ、今後、人妻となるか不明になった行き遅れを、いつまでも『お嬢様』とは呼べなかったのだろう。
「アマリア様、失礼致します」
 にこやかに現れたミーシャは、今日は、濃紫の地に白いレースの襟と袖がついたワンピースを着ている。
「我ながら、素晴らしいドレスが仕上がったと自負しておりますの」
「嬉しいですわ」
 アマリアが微笑むと、ミーシャが早速、大きな布包みを取り出した。
 侍女が、ドレスを着せて置く為に、人の胴体を象った人台を用意する。
 アマリアの身長に合わせた人台は、小柄なミーシャには背が高すぎるが、彼女は踏み台を使いながら器用に着せ付けていった。
「全体的に、夜空を想像させるお色味に仕上げております」
 主な生地は、藍色のシャンブレーを使用している。
 布の角度によって、藍色に見えたり、黒色に見えたり、場所によっては銀色に光ったりする特別な生地だ。
 ともすると、地味になりがちな色だが、上品な輝きと不意に現れる銀色が、華やかさを演出している。
「アマリア様は鎖骨が綺麗なので、襟ぐりは広く、けれど品のある深さまでに留めました」
 若い令嬢の間では、胸の谷間が見える位に深く切り込んだ襟ぐりが流行っているが、アマリアの雰囲気には似合わない。
 鎖骨は見せた上で、胸元はきっちりと隠す位置で留める。
「その分、肩の円やかさを出したいので、肩先を出して、二の腕で留めるようにしております」
 肩を出し、細く帯状にした生地で、二の腕からドレスがずり落ちないようにする。
「腰回りはぴったりとしたお作りですが、コルセットをお召し頂く必要がないよう、きちんと寸法を合わせております」
 上半身は、細かく切り替えた生地で女性らしい丸みを帯びた曲線を強調し、下半身は、最も細くくびれた位置からすとんと縦方向に生地が流れ落ちている。
「アマリア様は長身でいらっしゃいますし、愛らしいと言うよりお綺麗な方ですので、流行りのふんわりと膨らませるドレスはお似合いにならないと思います」
 今、王都の若い令嬢の間で流行っているのは、腰からたっぷりと襞を寄せたスカートを、しっかりした針金の土台で膨らませるドレスだ。
 小柄な彼女達の存在感が増し、きらきらと輝かせる事が出来るのだが、アマリアには、もっと似合うドレスがあると、ミーシャは考えている。
「腰回りは細さを強調する為に控えめに、裾回りは綺麗に広がるように、円状にたっぷりと生地を使いました。土台は使いませんが、このドレスでしたら、ダンスの時に綺麗に裾が翻って美しいですよ」
 足さばきがいいように、ペティコートのみ着せ付けるが、ただ立っている時には、アマリアの長身と痩身が映えるすとんとした作りだ。
「土台を入れたドレスは重いので、若干、動きにくさがあるのですが、これでしたら軽いので、ダンスも練習通りに踊って頂けると思いますわ。それに…余りしっかりした土台ですと、殿方が近寄る事が出来ないのです」
 笑い含みに言うミーシャに、ドレスを見ながら説明を聞いていたアマリアが首を傾げる。
「スカートの幅分、お相手との距離が出来るのですわ。勿論、それを狙って敢えてお召しになるご令嬢もいらっしゃいます。ですが…今回のお相手はランドール殿下なのですから、エスコートして頂きやすい方が、宜しいでしょう?」
 アマリアは頬を染める事で返事に代えた。
 前から見たドレスは、生地の美しさを強調するように、飾りを極力排してある。
「それでは後ろ姿をご覧になって頂きましょうか」
 人台の後ろに回ると、アマリアは息を飲む。
 前の空きが控えめなのに対して、背中は大胆に大きく開けられていた。
 腰の位置からは、藍色のチュールレースをたっぷりと寄せて作られたフリルが、裾に向かって何段も重ねられている。
「こ…こんなに、背中を出していいのでしょうか…」
 羞恥から声の震えるアマリアに、ミーシャは当然とばかりに頷いた。
「アマリア様は、細くていらっしゃるのだから、大丈夫です。それと、髪型にも一工夫をしようと思いますの」
「髪型…」
「えぇ。折角、綺麗に長く伸ばしていらっしゃるのですから、髪は敢えて結い上げずにおきましょう。そうすれば、背中が隠れますから、気にならないでしょう?」
「それは…えぇ…」
「顔周りに髪があると、踊りにくいですから、耳横の髪を三つ編みにして、王冠のようにお顔周りに巻きます。後ろの髪はそのまま流して、所々に銀の小さな飾りをつけましょう」
 ミーシャの指示を、侍女が頷きながら帳面に書き留めている。
「アマリア様が最も注目されるのは、殿下と踊っていらっしゃる時でしょう?つまりは、後ろ姿です。なので、後ろ姿を華やかにしてみました」
 ミーシャの説明に納得していると、ミーシャは続けて、化粧についても言及した。
「アマリア様は普段、薄化粧を好んでいらっしゃるようですが、夜会では濃いめにお化粧しましょう。眉はいつもよりも上げ気味に、目元のお色は華やかに、唇のお色は今日よりも二段程、暗いお色で」
 指示を受けた侍女が、化粧品を持って来て、どの色を想定しているのかを確認しながら、書き留めていく。
 その様子を見ていたアマリアは、ハッと思い出してミーシャに声を掛けた。
「あの、殿下から、首飾りを頂いているのですが」
「あぁ、お話は伺っております。見せて頂いても?」
 アマリアが魔法石の首飾りを取り出すと、ミーシャは人台の首元に合わせて鎖の長さを調整しながら、角度を変えて何度も確認する。
「そうですわね、この位置が宜しいかと。鎖骨よりも僅かに下の辺りです」
 胸元の空きが控えめなので、鎖は短めの方が均整が取れる。
「夜空に浮かぶ月のような絵が浮かんで参りますわね」
 満足そうに頷くミーシャに、アマリアは微笑んで賛同した。
「では、アマリア様。一度、ご試着下さい。寸法に間違いはないと思いますが、確認しておきたいので」
 そう言うと、ミーシャは侍女に説明しながら、アマリアにドレスを着せ付けていく。
 されるがままにドレスを着せ付けられ、化粧と髪型を整えられたアマリアには、本番の楽しみにして欲しい、と、鏡も見せて貰えない。
「あぁ!夜会に参加される方の反応が楽しみですわっ!私もその場に忍び込みたい位です」
 ミーシャの言葉にコクコクと頷く侍女は頬を染め、両手を握り合わせて、
「お嬢様、とってもお綺麗ですっ」
と、大興奮だ。
「アマリア様。当日は是非、普段よりも踵の高い靴をお履きになって下さい。そして、背筋を伸ばして、顔を真っ直ぐに上げる事。大丈夫。殿下は、アマリア様よりもずーっと背がお高くていらっしゃいます。他の殿方からどう見えるかなど、お気になさる必要はございません。殿下のお誘いまでは、何方とも踊れないと伺いました。だからと言って、顔を伏せるのは逆効果です。こういう時こそ、堂々となさいませ」
 ミーシャの言葉に、胸元の魔法石の首飾りを指でそっと撫でて、アマリアは彼女へとしっかり向き直る。
「有難うございました。お陰で、思い出深い夜会になりそうです」
 ランドールと一度踊れれば、その思い出を一生胸に抱えて、生きていける。
 その思いが滲み出たのだろう。
 ミーシャが困ったように眉を顰めて、静かに口を開いた。
「…既婚者として、お節介ですけれど、一言言わせて下さいませ。ご自分のお心を、素直に受け止めてあげて下さい。…そして、殿下のお心を、そのまま、受け止めて」
「殿下の…?」
「私の口からはこれ以上は。夜会を、どうぞ、楽しんで下さいませね」
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