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<4/リリエンヌ>

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 これまでの私の生活と言えば。
 王家からは、娘が生まれたと判った瞬間に、王子妃教育の為の家庭教師が送り込まれ、私の養育は彼女に全て、丸投げされた。
 私の人生は、勉強勉強また勉強。
 どれだけ勉強しても、もっと、もっと、と求められる。
 二言目には、
「ロザリンド様なら、もっと優雅になさいますわ」
「ロザリンド様には、華やかなお衣装がお似合いですのに、リリエンヌ様には少し…」
「ロザリンド様は、」
「ロザリンド様が、」
 彼女――ラダナ夫人が、タウンゼント家の意を酌んで動いているのは明らかだったけれど、アーケンクロウ家は私に興味がないから、密室で何が行われているのか、知っている者はいない。
 だが、社交界では何故か、私がダメな方の王子妃候補である事は、広く知られていたようだ。
 完璧なロザリンド様。
 それに比べて、風采の上がらないリリエンヌ。
 そう噂されているのだと教えてくれたのもまた、ラダナ夫人だ。
 赤味がかった金髪に水色の瞳と、華やかな容姿のロザリンド様に対して、私の銀髪に菫色の瞳は地味なのだろう。
 ロザリンド様は、顔を構成する全てのパーツが大きくくっきりしていて、お化粧がよく映え、人目を惹く美人だ。
 学園に入ってからは、肉感的なボディラインを持つ彼女は、完璧なプロポーションだと持てはやされていた。
 対する私は、よく言えば清楚、けれど、やはりどうにも、地味なのだ。
 体の凹凸も、ロザリンド様に比べれば控えめと言う他ない。
 ロザリンド様と両殿下は同い年である事もあって、幼い頃から交流があったらしい。
 タウンゼント家が、婚約者との交流と称して、しょっちゅう、王宮に連れて行っていたとも聞く。
 我が家?
 勿論、そんなのはない。
 王家から要請があって、初めて連れていく程度だ。
 如何に普段、私の事など、考えていなかったか、と言う事が判る。
 学園に入る前に、婚約者の交流として呼ばれた回数は、然程多くはないけれど、その僅かな機会の記憶では、幼馴染である両殿下とロザリンド様は、とても仲が良いように見えた。
 学園を卒業すれば、貴族は成人したと見做され、社交界にデビューする。
 私が成人するまでは、誰と誰が婚約するのか、決めない、とされていたらしい。
 私が成人するまでの五年間。
 ロザリンド様は、セドリック殿下とルーカス殿下のお二人を連れて、社交界をぐいぐい泳いでいた。
 御三方とも、皆、目を惹く美形。
 婚約相手が確定していないだけで、実質は婚約者なので、両殿下は他の女性をエスコート出来ないし、ロザリンド様は他の男性のエスコートを受けられない。
 私が社交界デビュー前と言う理由で、代理に誰か…とも思うのだけれど、婚約者候補にもなれないのに、娘を差し出す家はなかったようだ。
 下手に言葉を交わして、娘が両殿下に夢中になってしまったら大変だ、と言う事らしい。
 社交界デビューしていない私にはいまいちよく判らないのだけれど、ただ、付き添うだけで、恋に落ちるものなのだろうか?
 ともあれ、エスコートする相手がいないので、必然的に両殿下とロザリンド様の三人で行動する事になる。
 男性二人に女性一人と言う構成上、当然のように、ロザリンド様を真ん中にして、両側に殿下達がつく形になったようだ。
 実際に見た事はないけれど。
 これぞ正に、両手に花。
 ロザリンド様の社交界での評判は、すこぶる良い。
 完璧な公爵令嬢、完璧な王子妃、完璧な…。
 つまり。
 ここに、二人の王子がいる。
 そして、二人の王子妃候補がいる。
 一人は、社交界でも評判の完璧な令嬢。
 もう一人は、完璧令嬢の猿真似と言われる令嬢。
 と、言うわけなので。
 私は劣化版だから、ポジション的に悪役令嬢に相応しいのは、ロザリンド様だと思うのだ。
 彼女の性格が、悪役令嬢らしく悪いかどうかは知らないけれど、完璧を装った下には、苛烈なものがあるように思っている。
 何しろ、タウンゼント家の息が掛かった家庭教師がアレなので。
 …まぁ、つらつらと考えて来たけれど、結局、私もロザリンド様も、当初の流れに添って、順当に王子妃となった。
 そして、子供まで産んだ。
 私が遊んだ事のない乙女ゲームが舞台になっていた可能性もあるけれど、普通は、舞台になる期間って、学園在学中でしょう?
 私と彼等三人の在籍期間が被っていたのは、たった一年。
 その間に、ゲーム的なイベントが発生していたとしても、私が気づく事はなく…もしかすると、ヒロインがルーカスルート、セドリックルート以外を選んだのかもしれず…。
 いや、ルーカスルート、セドリックルートのヒロインに、悪役令嬢であるロザリンド様が勝ったのかもしれないけれど、それならそれで、乙女ゲームは終了してるって事よね?
 流石に、経産婦になってから乙女ゲームの登場人物になるって事は、ないと思うのよ。
 て言う事は、うん、やっぱり、転生は転生でも、単に異世界の知識がある、ってだけなのかな?
 でもねぇ…どれだけ頭を捻っても、所謂、転生チートは出て来ない。
 医療の知識はないし(前世看護師ではなかったようだ)、食の知識もないし(そもそも、この世界のご飯も美味しいのよね)、美容の知識もないし(美形の中にいると地味だけど、自分の顔が嫌いなわけじゃない)、政治とか経済とかの内政チートも出来そうにない。
 うん、凡人。
 十九年間、貴族令嬢生活を送ったから、この世界の貴族として生きていく事は出来るけれど、転生チートは…ないなぁ。
 何で、前世の知識を思い出したのだろう。
 リリエンヌの人生の意味について考え込んじゃうのは、この世界になかった感覚を思い出してしまったせいなのに。
 思い出さなければ良かった、とは…思わないけれど、男児を産むと言う義務を果たした私の人生、この後、放置される、って考えると…長過ぎる気がするなぁ…だって、まだ、十九歳だよ?
「リリエンヌ様」
 ノックの音の後に、王子宮に来てから私付きになった侍女カンナが顔を出した。
 アーケンクロウ公爵家では、私専属の侍女も護衛もいなかった事を思うと、王子宮での待遇は悪くない。
 寧ろ、細やかに気を遣われ、丁寧に扱われていると思う。
 王子宮、と言う名前なのに、ルーカス殿下が寄り付かない事を除けば。
 …会話もないのに毎日帰って来られても、対処に困るのかな。
「ご気分はいかがですか?」
「…少し、落ち着いたわ。喉が渇いたのだけれど、もう、飲んでもいいのかしら」
 陣痛の痛みがMAXだった時は、吐いてしまうかもしれないから、と、助産師に禁止されてしまったから、喉がカラカラだ。
 恐らく、ひたすら唸ってたのも原因の一つ。
「大丈夫だと伺っております。お水をお持ちしますね。他に何か、ご希望はございますか?」
「あの…もしも、可能なら、でいいのだけど…」
 自分の希望を聞かれる、と言うのも、王子宮に来て初めての待遇だった。
 別にアーケンクロウ公爵家で虐げられていたわけではないけれど、私に自分の意思がある、と考えている人は、誰もいなかった。
 リリエンヌ、と言う個人として見られた事も、なかったのではないだろうか。
「何でございましょう?」
「あの…赤ちゃんを、抱っこ出来るかしら」
 カンナは驚いたように目を丸くした後、行儀悪くならない程度に微笑んだ。
「先生に伺って参りますね」
「お願い」
 早々に取り上げられてしまうのなら、せめて、一度だけでもこの胸に抱きたい。
 あの一瞬だけでも、とても可愛かったのだもの。
 じっくり抱っこさせて貰えたら、それはもう、可愛いに違いない。
 きっと、私が子を産む事は、もうないのだから。
 最初で最後の子を、覚えておきたい。
 暫く待つと、カンナが男性医師を伴ってやってきた。
 彼は、私にシリンジ法を施した医師だ。
 私が正真正銘の処女である事を、唯一人、確認した人。
 おじいちゃんならともかく、まだ三十そこそこの人なので、何となく居心地が悪い。
「妃殿下、若君をお連れしました」
 後ろからは、王子宮の執事であるハイネも顔を出した。
「リリエンヌ様、王子殿下のご出産、おめでとうございます」
「有難う、ハイネ」
 ハイネは常に王子宮にいるから、ルーカス殿下よりも寧ろ、親しみを覚える位だ。
 彼がルーカス殿下に忠誠を誓っている事は重々承知しているのだけれど、私を傷つけるような事を言ったりしたりしないと言う点で、信頼している。
 妊娠中、誰よりも私の体調を気にしてくれたのが、筆頭侍女のカンナと執事のハイネだった。
 大切なルーカス殿下のお子なのだから、無事に産ませないといけない、と言う義務感から来ていたのは理解している。
 でも、それでも、心配してくれる人がいると言うのは、思った以上に嬉しかった。
「あの、抱っこしてもよろしいのかしら?」
「えぇ、勿論ですよ」
 医師から、そっと小さな赤ちゃんを受け取る。
 生まれたての時と異なり、細く柔らかな髪が乾いて、ほわほわとそよいでいる。
 色で言えば黒なのだろうけれど、髪が細いせいで、もう少し薄い色に見える。
 ふふ、薄毛ちゃんね。
 甘い甘い、いい香り。
 どうして、赤ちゃんってこんなに癒される香りがするのかしら。
 くにゃくにゃと、力の入っていない柔らかな体。
 薄い皮膚は、ちょっとした事で傷がついてしまいそう。
 生まれたばかりの赤ちゃんの皮膚はぴんと張っていて、一重の子が多い筈だけれど、この子はくっきりとした二重だ。
 少し垂れ気味の目元はもしかしたら、殿下じゃなくて私に似ている?
 腕の中で丸まる小さな体。
 軽いけれど、重い。
 これは、命の重さだ。
 可愛い。可愛い。
 胸の奥から、湧き出してくる愛おしさ。
「可愛い…」
 思わず、声に出して呟くと、様子を見守っていた人々から、ホッとしたような空気が漏れた。
 あぁ、そう言えば、リリエンヌは、赤ちゃんに触れた事がない。
 末っ子だし、兄達と交流がないせいで、彼等の家に生まれた筈の甥っ子や姪っ子と触れ合った事もない。
 両親に抱き締められた事もないし、友達もいないから手を繋いで歩いた事もないし、夫にきっぱりと抱かない宣言されているから、当然だけれど異性に触れた事もない。
 つまり、どの程度の強さで触れたらどうなるか、と言う経験値がゼロ。
 …うん、傍から見れば、不安要素しかないね。
「リリエンヌ様。先程、ルーカス殿下が王子宮においでになりまして」
 赤ちゃんの可愛さに集中していた所で、思い掛けない言葉を聞いて、思わず目をぱちくりとさせてしまう。
「…殿下が?こちらへ?」
 どう言う風の吹き回し?
 産まれた子供の性別は気にすると思っていたけど、出産したのはついさっきですよ?
「執務の合間でしたし、リリエンヌ様はお疲れのご様子でしたので、若君のお顔だけ、ご覧になってお戻りになりましたが」
 あれかな、王子宮方面の仕事ついでに立ち寄ったのかな?
 ともあれ、子種だけ提供した人が、自分の子供だと認識してくれるものなのかどうか、が私の目下の心配事なので、ファーストコンタクトが私の知らない所で行われた、と言うのは少し怖いものがあるのだけれど…ハイネの表情を見る限り、悪い感触ではなかったのだろうか。
「殿下は、若君にクローディアス様と名付けられました」
「まぁ」
 もう名付け済?!
 私の意向を聞いてくれるとは思っていなかったけど、決定しているのね…。
 こちらの世界では、前世で住んでいた国みたいに、二週間以内に出生届を出さないといけない、と言う規則はないけれど、まさか、産まれたその日のうちに、名付けまで終わらせてくれるとは思っていなかった。
 忘れられてるかな?って不安になった頃に、おずおずとお伺いを立てて、漸く名前がつくのかと。
 だって、公務で数度会ったとは言え、妊娠中の私の様子を、一度も見に来なかった人だもの。
 赤ちゃんに興味を持っているとは、欠片も思えなかったから。
「クローディアス…そう、貴方の名前はクローディアスなのね。良いお名前を、お父様に頂いたわね」
 腕の中の赤ちゃんに話し掛けると、声が掛けられたのが判ったように、ぱ、と目を開いた。
 白目の部分が薄青いのは、新生児期の特徴だ。
 瞳の色は…あら、菫色なのね。
 殿下と同じ黒髪に、私と同じ菫色の瞳。
 子供と言うのは、不思議だ。
 二人の人間の間に産まれたのだ、と言う事を、雄弁に語るのだから。
「クローディアス」
 名を呼ぶと、まだ見えない目で、じっとこちらを見ている気がする。
 何て可愛い……ん?ちょっと、待って。
 クローディアス…クローディアス・ラーエンハウアー?
 黒髪に紫の瞳の、クローディアス…。
 …。
 ……。
 私は、知っている。
 クローディアス・ラーエンハウアーと言う名の、黒髪紫瞳の、それはそれは美しい青年を。
 そうか…そう来たか。
 私は、どうやら、乙女ゲーム攻略対象者の母に転生したようです。

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