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<40/ルーカス>
しおりを挟む出来るだけ早く戻る、とリリエンヌには告げたものの、襲撃事件が王宮に与えた衝撃は大きく、朝から後処理に追われた。
オスカーが古巣に発破を掛けたらしく、尋問官が迅速に行動に出た為、証言が集まりつつある。
奥宮の警備責任者の薄ら笑いが浮かんで、自分の不甲斐なさに顔が歪んだ。
クローディアスの保護を願い出た時には、こちらが驚く程にあっさりと受け入れられた。
いつもと近い環境が良かろうと、仕えている乳母達を含めた大人数の保護を申し出たにも関わらず、身元確認もなかった。
ルーカス殿下の宮で採用されているのですから、身元に不審はございません、などと言われて、安心してしまったが、単にそれは、後の言い訳に過ぎなかった。
怪我の治療を終えたリリエンヌの保護を重ねて頼むと、声音だけは申し訳なさそうに、だが、内心の嘲弄が透けて見える顔で、こう言ったのだ。
「大変、申し訳ございませんが、奥宮にはこれ以上の方をお預かりする部屋がございません。若君にはお世話なさる者が必要ですから、随分と無理をして受け入れました。妃殿下にも、身の回りのお世話をなさる者が必要でございましょう。妃殿下に、使用人と相部屋をお願いするわけにも参りません。奥宮では、妃殿下にご不自由なく過ごして頂く事が出来かねます。普段通り、宮にいらっしゃる方が、心安くおられる事でしょう」
人数が問題なのであれば、クローディアスの側仕えを減らすし、リリエンヌの世話も、侍女一人に任せる。
狙われているのは、クローディアスとリリエンヌなのだから。
そう申し出ても、「いやいや、若君は正統な王家のお血筋の御子。ご不自由をお掛けするわけには」、と首を振るばかり。
リリエンヌは、クローディアスの母だ。
母と子を引き離すのか、と問うたが、「王族の子育てを、殿下はご存知ないようで」、と、重ねて嘲笑われた。
「妃殿下は何やら、平民のような育児をなさっていると小耳に挟みましたが…やれやれ、殿下まで、下々の影響をお受けになっているのですか?」
…俺が、「半端者」だと侮られるだけなら、目を瞑っていられた。
だが、俺が認められていないせいで、リリエンヌまで、軽んじられてしまう。
両親の許しを得れば、リリエンヌを預ける事は可能だったのだろう。
しかし、あの状況では、十分な世話を受けられるものか、本当に安全と言えるのか、疑問だった。
クローディアスの事は、王家と五公爵家の血筋の男児として、丁重に扱う様子を見せていたが、リリエンヌをどう扱うのか、どのような態度を取るのか。
そう考えると、奥宮に預ける方が危険に思えた。
警備を増やしたとて、今や王宮に絶対に安全と言える場所など、ない。
けれど、何としても、リリエンヌの心も体も、守らねば。
王子宮に戻れたのは、夜も大分更けた頃。
出迎えたハイネに、リリエンヌの様子を尋ねると、キースの聴取以外はずっと、ウトウトしていたようだと返答がある。
湯を使って夜着に着替え、顔だけでも見られないか…と、リリエンヌの寝室と続き間となっている夫婦の寝室に向かう。
そのまま、リリエンヌの寝室の扉を開けようとして、躊躇した。
俺達は、『夫婦』だ。
ハークリウス王国の法に照らしても、紛う事なき夫婦で、夫である俺には、妻であるリリエンヌの寝室を訪う権利がある。
だが、その権利を何食わぬ顔で主張する程、恥知らずにはなれなかった。
何しろ、俺は、夫の義務を果たしていないのだから。
明朝、リリエンヌ付きの侍女を通して、正式に訪問すべきだろう。
踵を返そうとした所で、声が聞こえた気がして足を止める。
「…ぃゃ…っ」
微かな、だが、確かに聞こえた声は、リリエンヌのものだ。
魘されているのか…?
あのような出来事があった直後だ、無理もない。
慰めたくなって、しかし、その為には部屋に入らねばならず、寝室の扉の前で逡巡していると、再び、リリエンヌの苦し気な声が。
「…だ、め…!」
扉一枚隔てた所にいるのに、手を差し伸べる事も出来ないもどかしさに拳を握りしめる。
「…たすけ…るぅかすさま…!」
「!」
これ以上、迷っているべきではない。
名を呼ばれたから、と、誰へともなく言い訳をして、扉に手を掛けると、簡単に開いた。
ドアノブに力を入れた瞬間、もしかすると、あちら側から鍵が掛けられているのではないか、との思いがちらりと掠めたが、杞憂だったようだ。
…リリエンヌは、律儀に妻として振る舞ってくれている。
それが、愛おしく、そして、哀しい。
「…リリエンヌ」
寝台に横たわるリリエンヌの顔色は、窓から差し込む僅かな月明りの中でも判る程、青白かった。
乾いた唇から漏れる吐息は荒く、胸が大きく上下している。
眦には、涙が溜まっていた。
「ゃめ…!」
胸元の布を、掻きむしるように強く握りしめる左手を、そっと包み込む。
「リリエンヌ」
再度、名を呼んだ。
「大丈夫だ、俺はここにいる」
静かに、ゆっくりと繰り返すと、次第に呼吸が落ち着いて来る。
「大丈夫」
その時。
ふるり、と、リリエンヌの長い銀色の睫毛が震え、焦点の合わない眼差しが、俺の姿を捉えた。
「…るーかす、さま…?」
「あぁ、俺だ。ここにいる」
「るーかすさま…!」
くしゃり、と、リリエンヌの顔が歪んだ。
もどかし気に手を伸ばそうとしてくるのに気づいて、そっと、上半身を起こしてやる。
寝台に座り込んだリリエンヌが、そのまま、無防備に抱き着いてきて、面食らった。
彼女から、俺に触れて来た事など、これまでに一度もないのに。
控えめで、だが甘やかな花の香りが、ふわりと立ち上る。
「くろーでぃあす…くろーでぃあすは…っ?」
「大丈夫、クローディアスは無事だ。安全な場所にいる」
「ょかった……よかった……」
何処か幼い口調で言うと、背中に回した左手で、縋りつくように、きゅっと俺の夜着を掴んだ。
肩が、小さく震えている。
安心させる為に、背に腕を回して抱擁を返すと、ぴくり、と、リリエンヌの肩が竦められた。
「…ぇ…?」
戸惑うように声を漏らして、おずおずと、顔を上げる。
「…ルーカス様…?」
「そうだ」
あぁ、すっかり、目が覚めてしまったようだ。
夢の中に囚われていたリリエンヌは、心のままに振る舞っているように見えたものを。
悪夢から覚めた事は喜ばしい筈なのに、無防備なリリエンヌに触れた事で、己の中でむくりと首を擡げる欲求がある。
…王子妃として取り繕っていないリリエンヌが、見たい。
「…ぁの、」
「リリエンヌ」
恐らくは、取り乱したと謝罪をするのだろう。
こんな時まで、気丈に振る舞わずともいいのに。
リリエンヌが何か言い出す前に、口を挟む。
「随分と、魘されていた。怖い夢でも見たようだな」
「…ぁ…」
リリエンヌは、脅えるように体を震わせた。
その肩を、再度抱き寄せる。
「遅くなって悪かった…俺の名が聞こえたから、勝手に部屋に入らせて貰った」
リリエンヌの頬が、暗い室内でも判る位に、赤く染まる。
俺の名を呼んだ事に、狼狽しているのか。
「お前が望むのならば、お前の傍にいよう」
「…」
無言のリリエンヌに、彼女が望んでいるのは俺ではないのか、と落胆する。
またしても、気持ちが先走ってしまったか。
ならば、勝手に触れてはならないだろう。
体を離すと、視線が追い縋って来た。
言葉よりも雄弁で、思わず口元を緩ませてしまうと、リリエンヌが恥ずかし気に視線を逸らす。
「リリ」
弾かれたように顔を上げるリリエンヌに、手を差し伸べた。
「また、お前が悪夢に魘されるのではないかと思うと、心配で眠れそうにない。お前が良ければ、だが…一緒に寝てくれるか」
リリエンヌは、視線を暫し彷徨わせると、思い切ったようにこちらに手を差し出す。
その手を取って、傷に障らぬよう抱き上げ、夫婦の寝室の扉を開けた。
部屋の中央に、天蓋に囲われた大きな寝台が一つ。
寝台にリリエンヌを横たわらせ、俺もその隣に横になる。
夫婦と呼ばれるようになって、初めての共寝だった。
緊張の余り、一つ深く息をして横を見ると、身の置き所がない、と言う顔で、リリエンヌもまた、こちらを向いていた。
「おいで」
柔らかな髪を引っ張らないように気を付けながら、リリエンヌの小さな頭の下に腕を差し入れる。
そのまま、抱き寄せると、リリエンヌは大人しく従った。
「人肌の温もりと鼓動は、安心感を齎すそうだ。クローディアスは、安全だ。今度は、お前が無事なのだと、確認させてくれ」
耳元で小さく零してから、目を閉じる。
トクトクと聞こえる少し早い鼓動は、俺のものなのか、リリエンヌのものなのか。
眠気には抗えなかったのか、最初は強張っていた腕の中のリリエンヌの体から、ゆるゆると緊張が解け、次第に、規則正しい穏やかな寝息へと変わっていった。
「…リリ」
薄く目を開けて、反応を見るが、すっかり寝入ったようで聞こえた様子はない。
「愛してる」
囁きと共に、額に僅かに触れる口づけを一つ。
お前が漸く浮かべた笑顔を、もう二度と、奪わせはしない。
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