獣人辺境伯と精霊に祝福された王女

緋田鞠

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***

 それから、シャーロットは薬草摘みの手伝いに励む事となった。
 今では、ギーグの他に五種類の薬草の形と薬効を覚えている。
 マチルダとウィルヘルムと共に、午前中の早い時間から作業を始め、日が中天に上る前には外での作業を終える。
 午後は、乾燥させておいた薬草を、最も薬効の得られる形に整え、用途に合わせて分類していく。
 当初、シャーロットは、自身に使用して貰った薬草を補充したら、マチルダの家を去るつもりだった。体調も回復したのに、いつまでも世話になるわけにはいかない。
 だが、辞去した所で、行く当てがあるわけでもなく、だったら、婚約者が戻ってくるまで、ここにいればいい、寧ろ、繁忙期だから手伝ってくれ、と引き留められたのだ。
 領兵は、各氏族から参加しているのだから、彼らが戻ってくれば、いずれ情報は入る。
 その後、婚約者に会いに行けばいい、と。
 シャーロットはマチルダの厚意に甘える事にして、その分、精一杯、薬作りを手伝っている。
「…今年は、何かあるのかね」
 ポツリ、と薬研で薬草を擂り潰しながら、マチルダが零した。
「マチルダさん?どうかされましたか?」
「ん、あぁ、いや…何だかね、今年は薬草の出来がいいんだ。同じ薬草なのに、例年よりも薬効が高くてね。少量で効果が出るから、加減を見誤らないようにしないと」
 シャーロットには判らないが、時折、粉にした薬草の状態を確認しているマチルダには、はっきりと感じ取れるらしい。
 マチルダの扱っている薬研は鋳物で出来ていて、薄紙のように乾燥したギーグであれば、薬研車の重みで粉々に砕ける程に重い。
 シャーロットの手には、重すぎて扱いかねる。
「どうしたって言うんだろうねぇ…この間は、滅多に見つからない希少な薬草の群生地を見つけたし、どうも、精霊が関わってるように思えてならない」
 精霊、の言葉に、シャーロットの肩がぴく、と動いたが、何事もないように微笑む。
「薬草が見つからないのではなく、見つかったのだから、素晴らしい事ではありませんか?」
「まぁ、そうなんだけどさ」
 釈然としない様子のマチルダを見て、気づかれたわけではない、と、シャーロットはホッと息を吐く。
 恐らく、精霊はシャーロットがノーハンに滞在している事を喜び、薬作りを手伝ってくれているのだろう。
「さて、これで熱冷ましは一通り、補充出来たね。後は…あぁ、血止めを作っておこうかね」
 言いながら、マチルダは別の葉を手に取った。
「それは、シャナの葉ですよね」
「あぁ。これは、なかなか万能でね。生の葉を良く揉んで使えば湿布になるし、精油は虫除けになる。乾燥させて粉に挽いたものを傷口に塗ると、血止めになるんだよ」
 血止め、と聞いて、シャーロットはカーシャの地にいるヴィンセントを思った。
 怪我をしていないだろうか。
 彼は、とても強いと聞いているけれど、生身のヒトなのだ。
 刃物で切り付けられて、無傷でいられるわけではない。
「…カーシャの地で、薬は足りているでしょうか…」
 固いシャーロットの声に、マチルダは思案気な顔を見せる。
「領兵付きの薬師や医師がいるし、領兵ともなれば、ある程度の医療知識はあるもんだ。とは言え、薬は使えばなくなるもんだからね、あんたの心配も判らないでもないが…」
 話しながらも、手は動いている。
「本当に緊急事態なら、早馬が来るから安心しな。うちは、カーシャから最も離れた薬舗だから、ここまで連絡が来るって事は、よっぽど差し迫ってる時にはなるんだが」
 シャーロットは、前半の言葉に安心し、後半の言葉に眉を顰めた。
 カーシャの情勢を知れるものであれば知りたいが、ここまで情勢が伝わると言う事は、カーシャが危機に陥っていると言う事なのだ。
 知れず、シャーロットは両手指を組んで、目を閉じて祈りを送っていた。
 カーシャにいる人々と、ヴィンセントの無事を願う。
 目を開けると、マチルダが眩しそうな顔で、シャーロットを見ていた。
「マチルダさん?」
「あぁ…いや、何でもないよ」
 誤魔化しながら、マチルダが話題を切り替える。
「今のは…婚約者の事を考えてたんだろ?…気を悪くしないで欲しいんだけどさ。何だって、あんたの婚約者は、あんたみたいな子供と婚約したのかね。そりゃ、口を開けば中身はしっかりしてるのは判るんだけど」
「あの、」
 保護されてから、何度か聞いた『子供』と言う言葉。
 そろそろ、訂正しないといけないと思って、シャーロットは思い切って口を開く。
「私が、成人前の子供に見えるのは判るのですが…私はこう見えて、十八歳なのです。なので、既に成人して三年は経過しています」
 マチルダは、きょとんとした後、あぁ、と答えた。
「そうか、人族は、年齢で、子供か大人かを決めてるんだったね」
「?それ、は…獣人族の方は、違うのですか?」
 初耳の情報にシャーロットが戸惑うと、マチルダは深く頷く。
「あたしら獣人族は、体の成熟具合で子供と大人を分けてるんだよ」
「それはつまり…年齢で区切るわけではない、と言う事ですか?」
 考えもしなかった話を聞いて、シャーロットは目を丸くする。
「獣人族は、祖によって氏族が違うだろ?同じ氏族なら、多少の前後はあっても、成人する時期は殆ど変わらない。でも、氏族が違うと、年単位でずれるんだ。例えば、鼠族は早熟だが、河馬族は晩熟だ。生まれてからの年数で言うと、五年は違う。成人したって事は、結婚出来るって事だ。結婚すれば、子供も出来る。主に女が、妊娠・出産に耐えられるかどうかが基準なのさ」
 マチルダの説明を聞きながら、シャーロットは自分の顔色が悪くなっていくのを自覚した。
 なるほど、その基準の元でなら、自分が『子供』だとされる理由がよく判る。
「シャーロット。…あんた、月の障りがないだろう?」
 ぎくり、と、シャーロットは肩を竦めた。
 知られたく、なかった。
 子を産めない状態で、結婚を考えている事を。
「…ど、うして…」
「ん?あぁ…勘、かねぇ。人族だって、年齢って数字だけを頼るんじゃなくて、見た目や雰囲気で、子供か大人かを判断してる筈だ。獣人族は、その感覚がより敏感なんだよ。成熟してるかどうか、自然に感じ取ってるのさ」
 ならば、ジェラルドが「ちっちぇ娘や妹を可愛がってるようにしか見えンのさ」と言っていたのも、シャーロットがまだ子供であると感じ取っていた故なのか。
「月の、障りのない私が…結婚するのは、獣人族の皆様にとって、罪でしょうか…」
 恐る恐る問い掛けると、マチルダは、質問の意図を捉えかねたように首を傾げてから、考え考え、言葉を発する。
「…子供だけが、結婚の理由じゃないからねぇ。だから、罪ってこたぁないよ。獣人族からすれば早い気がするが、少なくともあんたは、人族としては立派に成人してるんだ。結婚を妨害する理由は、何もない。だが…例えば、後継ぎの必要な家だったら、ややこしい事になるかもねぇ。獣人族に身分はないとは言え、商売や何かで、後継ぎの必要な家はあるもんさ」
 領兵をやってるってんなら、別に商売人じゃないんだろ?と、マチルダは続けた。
 慰めてくれているつもりなのだろうが、ヴィンセントは辺境伯だ。
 後継者を必要とする家、と言う意味で、辺境伯家以上に問題となる家はないのではないだろうか。
「それに…」
 マチルダが、言い掛けた時だった。
「ばぁちゃん!」
 外の薬草畑で、雑草を引いていた筈のウィルヘルムが、血相を変えて作業場に飛び込んでくる。
「何だい、騒々しいね」
「それどころじゃねぇよ!大変だ!」
 ウィルヘルムの後ろから、汗と泥に塗れ、肩で息をしながらも目だけは鋭い男性が、
「失礼」
と言いながら、部屋に入って来た。
 随分と背が高く、戸口に額をぶつけそうだ。
 頭に特徴的な耳は見えないが、背に大きな翼があった。
 以前、ヴィンセントにカーシャの状況を伝えに来た伝令とは別の者だ。
「御屋形様から、緊急の照会です。こちらに、ハルムの雫はありますか」
 ハルムの雫、と聞いて、マチルダの顔にも緊張が走る。
「…一瓶だけなら。一体、何人出た」
「…私が向こうを発った時点で、十五」
「何だって!」
「発覚は、一昨日です」
 緊迫した空気なのは判るが、シャーロットには理由が判らない。
 だが、彼らの気を削がないよう、息を殺す。
「一瓶でも構いません。お持ちしてもいいですか」
「勿論だ。ウィル、持っといで」
「判った!」
 ウィルヘルムが、薬の在庫を管理する倉庫に向かうと、マチルダは小声で男に問うた。
「領主様は」
「私が発った時点では、ご無事でした。ですが…あぁ言う方ですので、時間の問題かと」
 そうか、と重い息を零すマチルダの背後で、シャーロットもまた、胸が詰まる思いをしていた。
 少なくとも、彼が発つ時点では、ヴィンセントは無事だったと言うのだから、それは喜ぶべきだろう。
 久し振りに知れたヴィンセントの動静に、うっすらと目に涙が浮かぶのを感じて、ぱちぱちと瞬きをして誤魔化す。
 だが、時間の問題、と言う言葉は、聞き逃せるものではない。
 ハルムの雫が何なのか、何に使うのかは不明だが、薬師であるマチルダの元に来るのだ。何らかの…それも、希少性の高い薬である事は確かだ。
 薬が必要な状態に、ヴィンセントがなると言うのか。
「何でこんな時期に。流行る時期じゃないだろ」
「恐らくは…ナラン側の策略かと」
 チッ、とマチルダは舌打ちする。
「ばぁちゃん、これ!」
 倉庫から戻ったウィルヘルムの手には、彼の大きな手では持ちにくそうな小さな…シャーロットの小指程しかない、小さな小瓶がそっと抓まれている。
 マチルダは、瓶を受け取り、素早く中身に目を走らせると、一つ小さく頷いて、壊れないように綿の入った布で包むと、男に渡した。
「見つかる保証はないが、ハルムを探す。見つかった場合は、何処に持っていけばいい?」
「領主館にお願いします。私も一度、領主館を訪れ、一泊しますので。私が発つまでに間に合わずとも、誰かしらがカーシャまで運びます」
 改めて男の姿を見ると、大きな翼は一部が欠け、羽根が抜け落ち、悲惨な状態になっていた。
 泥に塗れくすんでいるが、元々は綺麗な青灰色の翼なのだと思われる名残が見て取れる。
 シャーロットは見ていられず、滋養効果のある茶を入れて、そっと渡した。
 疲れ切っているのだろう。
 彼は目顔で礼をすると、温めに淹れた茶を、ぐい、と一息に飲み干した。
「この後も、何処かの薬舗に寄るのかい?」
「いえ、こちらが最後です」
「幾つ集まった」
「…五つです」
「そうか…苦しいね」
 マチルダは眉を顰めて唸ると、
「とにかく、探し出す」
とだけ、短く言い切る。
 男は頭を下げて、家を出て行った。
 二拍遅れて、バサリ、と羽搏く音がして、マチルダは詰めていた息を解放するように、はぁ、と深く息を吐いた。
「ウィル。ハルムを探すよ。道具を用意しな」
「判った」
 ウィルヘルムが部屋を出るのを見送って、シャーロットはマチルダに問い掛ける。
「あの…何が起きているのですか」
「…あぁ」
 マチルダは、瞬きしてシャーロットの顔を見遣り、初めて気づいたように額に手を当てた。
「そうか、人族にはないんだったね」
「病ですか?」
「そうだ。獣人族が罹る伝染性の病でね…高熱が出て、胸が詰まり、呼吸が出来なくなって、やがて死に至る病だ。今の所、予防法が見つかってないんだよ。感染が判った時点で、隔離するしかないんだが、初期症状が発熱だから、他の病との見極めが難しい。ギーグの熱冷ましは気休めにしかならなくてね。ハルムと言う花の蜜が、特効薬なんだが…」
「はい」
「このハルムが、希少で見つからないんだ」
 常日頃から、多くの種類の薬草を収集しているマチルダの手元に、一瓶しかないと言う事から、予想はしていた。
「あの瓶で、何人分ですか」
「効果を出す為には、一人一瓶は最低でも必要だ。本当なら、追加であと半分飲ませたいね」
 五瓶と言う事は、多くて五人しか助けられない。
 シャーロットは、自分の顔色が悪くなっていく事に気づいた。
 ヴィンセントは、領主だ。
 もしも、彼が病に倒れたら、周囲の者は彼の救命を優先するだろう。
 だが、それをよしとする人ではない事を、シャーロットは知っていた。
「私も、お手伝いします」
「あぁ、頼むよ。探す目は一人でも多い方がいい」
 マチルダは、気持ちを切り替えるように深く頷くと、シャーロットに指示を出す。
「深い森の中を行くからね、着替えといで」
「はい」
 シャーロットは、滞在中の部屋として借りている自室に戻ると、服を着替え始めた。
 薬作りの作業の為、半袖のパフスリーブのワンピースにエプロンをしていたが、手首までしっかりと覆う長袖のワンピースに着替える。
 普段は、裾捌きがいいようにペチコートしか穿いていないが、足首までの長さがあるドロワーズを穿いて、足元から上がって来た虫が、肌に触れないように気を付ける。
 ロングドロワーズなど、冬の防寒用の物しか持っていなかった。薬草摘みの手伝いをするようになってから、森での薬草採取に必要だと言われ、夏用の薄物で一着、シャーロット自身の手で仕立てておいたのだ。
 靴も、短靴ではなく、脹脛まである長靴を履く。
 髪を後ろに一つの三つ編みに結い直し、日除け替わりのスカーフで頭を覆うと、肩掛けの鞄を下げて、居間に戻った。
「準備が出来ました」
「こっちもだ。詳しい事は道中で話す。他に、知りたい事は?」
「植物絵など、参考になるものがあれば、見せて頂きたいのですが」
「あぁ、そうだね。重いから、ここで見せておいた方がいいだろう」
 マチルダは、書棚から分厚い本を取り出すと、パラパラと頁を捲った。
「ハルムは、これだよ」
 見せられたハルムの花は、釣鐘のような形をしていた。
 花弁が、地面に向かって俯くように咲くらしい。
 がくに近い花弁は濃い紫で、先に行く程、薄い紫へと変化していく。
「大きさは掌位あるから、咲いてさえいれば、直ぐに判る。雌蕊の根元に近い所に溜まっている蜜が、『ハルムの雫』だ。これを加工する事なく、そのまま、飲ませる」
 シャーロットは、食い入るように細密画を眺めてハルムの花の形を記憶した。
「ばぁちゃん、こっちも準備出来た!」
 ウィルヘルムの声に、マチルダとシャーロットは顔を見合わせる。
 一つ頷いて、二人は、ウィルヘルムの元へと向かったのだった。



「ハルムは、どのような場所に咲くのですか」
 過去、マチルダがハルムの花を採取した事があると言う場所に、まずは向かう。
 道中、シャーロットは、少しでも情報を得ようと、マチルダに話し掛けていた。
 先日、シャーロットがマチルダに連れられて初めて森に薬草採取に向かった時、希少な薬草の群生地を見つけたのは、記憶に新しい。
 『こんな感じの、湿った日陰に生えてるんだよ』と、何気なくマチルダが指差した先に、「希少」と言う言葉の意味を確かめたくなる位、大量に群生していたのだ。
 マチルダは、驚きの余り、言葉を失っていた。
「ハルムは…よく判らない薬草なんだ」
「どう言う意味ですか?」
「あたしは、薬師になって三十年以上経つ。その間、ハルムを見つけたのは、平均すると年に一回程度。だがね、その中に共通する条件はないんだ。日照も、土壌も、方角も、季節すら、全く関係ない。見つけようと思ったって、見つかるもんじゃない。他の薬草の採取に向かって、偶然、遭遇するのを待つしかないのさ」
 そう判っていても、ハルムを探しに行くのは、現在の状況をよく理解しているからだ。
「取り敢えずは、過去にあたしがハルムを見つけた事のある場所を回っていく。ただ…これまで、一度採取した場所で、二度目に見つけた事はないんだが。だから、道中でも目を皿にして周囲を確認しとくれ」
 ハルムは、人為的に育てるのが出来ないのだ、とマチルダは言った。
 根ごと掘り返して移植した事もあるのだが、根付かなかった。
 球根ではなかったから、種で殖えるのだと思われるが、一度採取した場所にないと言う事は、こぼれ種で殖えるわけでもないのだろう。
 全く法則性が見つけられない、と、マチルダは唇を噛んだ。
 ウィルヘルムは、何かを考えているのか、難しい顔で黙々と歩いている。
「さぁ、こっちだよ」
 初めの頃、シャーロットは、十五分も森を歩くと、疲れ果てていた。
 しかし、日々、少しずつ距離を伸ばした結果、体力と筋力がついたのか、多少の無理は効くようになっている。
 動くようになったからか、食事の量も増えて、細い体に少しずつ肉がつき、年頃の娘らしくなってきた。
 マチルダが先頭を歩き始めると、ウィルヘルムが窺うようにシャーロットの顔を見て来た。
「ウィル?」
「あの、さ…ジンさんに、婚約者の事、聞いたか?」
 ジン、とは、翼を持った男性の事だろうか。
「俺…ピチュアが発生したって聞いて、驚いてさ。すっかり、お前の婚約者の事が、頭から抜けてて」
「伝染病の名前は、ピチュアって言うのね。婚約者様の事は…伺ってないわ。だって、ジンさん?あの方が出発された時にはご無事でも…伝染性の病なのだから、この先は判らないでしょう?…今はただ、ご無事のお戻りを信じていたいの。気に掛けてくれて、有難う」
 ジンに直接尋ねたわけではないが、本当は、聞いている。
 ヴィンセントが、発症するリスクが高い状況である事も。
 伝染病で、隔離しか対処方法がないと言っていた。
 では、隔離された患者の看護は誰がするのか。
 マチルダは、医師や薬師が帯同していると話していたが、それだけで手が足りるとも思えない。
 ヴィンセントは…恐らく、自ら、病人の世話に走り回っているに違いない。
 そう言う、人だから。
 そして、その行動は彼を、死に至る病へと導くのだ。
「そう、だけど…」
「だからこそ、絶対にハルムを見つけたい。少しでも、安心出来る材料を増やしたいのよ」
「そう、だな」
 ウィルヘルムは、何かを振り切るように頷くと、背負った荷物を揺すり上げた。
「…あぁ…」
 マチルダの暗い声が聞こえたのは、その時だ。
「やっぱり、ないか…」
 覗き込んでいるのは、大木の影。
 太い根と根の間だった。
「一番最近、ハルムを見つけた場所なんだが…」
 ふぅ、と溜息を吐いた後、気持ちを切り替えるように顔を上げる。
「よし、次に行くよ」
「はい」
「おぉ」
 三人は連なって、次の目的地に向かう。
 ――しかし…何時間もかけ、何か所を巡っても、紫の花は一輪たりとも見つける事が出来なかった。



 シャーロットは、焦っていた。
 恐らく、マチルダ以外の薬師も、現在、全力でハルムを探しているだろう。
 だが、現状、カーシャに届くハルムの雫は五瓶のみ。
 到底、足りるものではない。
 このままでは、ヴィンセントが。
「くそ…っ」
 ウィルヘルムが、苛立った声を上げると、どん、と地面に拳を叩きつける。
 その様子は、ただ獣人族と言う同族の危機に、薬師の孫として感じるものよりも強く思えて、シャーロットは自分の焦りをよそに、不思議に思う。
「ウィル…もしかして、領兵の中にお友達がいるの?」
「…何で、そう思うんだ?」
「だって…多分、だけど、私と同じ気持ちだと思うから」
「…バレたか。個人の安否が気に掛かるなんて、薬師の孫として失格だけど……俺も、絶対に失えない人が、カーシャにいるんだ」
 ウィルヘルムは、笑おうとして、失敗したのか頬を歪めた。
「正直な所、大切なのかどうか、いまいちよく判んねぇ。会う度に子供扱いしてくるし、鬱陶しいって思う事も多い。でもさ…絶対に、死なせたくないんだ。戦闘で怪我をする心配は、してない。でも、病気は別だろ」
「えぇ…」
 そうだ。
 ヴィンセントを、絶対に失うわけにはいかない。
 日が傾き、次第に空の向こうに藍色が混じり始めている。
 今日の探索はここで終え、家に戻らねばならない。
 大型の野獣がいないとは言え、夜間の森が安全なわけではない。
 何よりも、目的のものが見つからない探索の疲労は、想像以上に大きい。
「…シャーロット。悔しいけど、今日はここでしまいだ」
 マチルダの顔にも、疲労の影が濃い。
「はい…」
 頷きながら、シャーロットは、すぅ、と息を大きく吸って、森に向き合った。
「最後に、一度だけ」
 小さく呟くと、シャーロットは目を閉じて、両手指を組む。
「ピチュアの脅威に晒されています。どうか、皆さんを…あの方を、助けて。ハルムに導いて下さい」
 ヴィンセントの名を出す事は出来ない。
 けれど、「あの方」と呼ぶ声に、全ての思いを込めた。
 その時。
 そよ、と、夏の夕暮れの温い風とは異なる、清涼な風がシャーロットの頬を撫でた。
 シャーロットは、何かに導かれるように顔を上げる。
 きらきらとした光が、影を濃くしている大木の向こうに見える。
 あれは恐らく、精霊の光だ。
「マチルダさん…」
 帰り支度をしているマチルダに声を掛けると、彼女は疲れた顔をシャーロットに向けた。
「最後に、あそこを確認してもいいですか」
 すっ、とシャーロットが指差した先を見て、マチルダが目を眇める。
「何だい?あの光は…いや、あれは…あんたを見つけた時と同じ…」
 マチルダを置いて、シャーロットは光に向かって歩き出した。
「シャーロット」
 光は、深い下草の向こうだ。
 足を取られてなかなか前に進めないシャーロットに、ウィルヘルムは手を差し出して、助けてくれる。
 ハルムを見つけ出したいと思う余り、誰かの肌に触れる恐ろしさをシャーロットは忘れて、その手を取った。
「あった…!」
 下草をかき分けながら、光の元に向かったウィルヘルムが、歓喜の声を上げる。
「…っ何だよ、これ…」
 一輪目のハルムを見つけ、明るい声を上げたウィルヘルムが続けて上げたのは、戸惑いの声だった。
「ばぁちゃん…」
 途方に暮れた顔で、追い掛けてくるマチルダを見る。
 マチルダは、ウィルヘルムとシャーロットに追いつくと、目を大きく見開いた。
「何だい、これは…」
 唖然として言葉のない二人をよそに、シャーロットはホッと安堵の溜息を吐く。
 精霊にお願いするのは、最後の手段だと考えていた。
 マチルダのような経験のある薬師ですら法則性の判らないと言うハルムは、本当に希少な薬草なのだ。
 精霊に頼むと言う事は、自然の摂理に干渉すると言う事なのかもしれない。
 緊急事態とは言え、許される事なのか、シャーロットには判断出来なかった。
 だが、背に腹は代えられない。
 シャーロットは、ヴィンセントを失う事は出来ない。
 いざ呼び掛けた所で、彼らが、応えてくれるかは未知数だったが、この状況を見れば、結果は判る。
 大木を越えた先には、夕暮れで色を濃くしたハルムの紫色が広がっていた。
「マチルダさん。一瓶に、ハルムの花は幾ついるのですか」
「あ、あぁ…三輪で、一瓶が一杯になる筈だ…」
 マチルダの声が、震えている。
 今、見ているものが信じられないと言うように、幾度も目を擦りながら、上ずった声でシャーロットの問いに答えた。
「ウィル。小瓶は幾つ用意してあるの?」
「十個、用意してきた。でも…」
「えぇ、もっと必要だと思うわ」
「判った。取ってくる。ばぁちゃん、シャーロットと蜜を集めてて」
「え、あ、あぁ」
 ウィルヘルムは、背負っていた荷物を下ろすと、家に向かって走って行った。
 獣人族は夜目が利く上に、ウィルヘルムは俊足だが、戻るまでに時間は掛かるだろう。
「マチルダさん、蜜はどのように集めればいいですか」
 落ち着いたシャーロットの声に、マチルダは、ハッとすると、気持ちを切り替えるように頬を両手でパン、と叩いた。
 ウィルヘルムが置いて行った荷物から、小さな器、ガーゼ、漏斗を取り出す。
「シャーロット、ハルムの花は摘まなくていい。そのまま、こっちに花を向けるんだ」
「はい」
 マチルダに指示されるまま、シャーロットは一番手前にあるハルムの花首を掴むと、マチルダが構えた漏斗に傾けた。
 マチルダは、漏斗の下に、ガーゼで口を塞いだ器を置く。
 すると、とぷとぷと言う音と共に、透明な蜜が漏斗に注がれた。
 ガーゼで濾して、不純物を取り除くのだ。
「多い…」
「マチルダさん?」
「蜜が、いつもよりも多い」
 マチルダの目が、ハルムの花から零れ続ける密に注がれている。
 やがて、雫が零れ切ると、ふ、と軽く息をついた。
「…これなら、一輪から一瓶取れる。十五人分…いや、もっと、取れるね。…良かった、助けられるよ」
 そのまま、マチルダとシャーロットは、無言でハルムの雫を集める作業を続けた。
 器が雫で満たされると、専用の道具で吸い上げて、熱湯消毒済みの硝子の小瓶に移していく。
 小さな口に合う硝子の栓を嵌めて、柔らかな布の台座に置いた。
「封は、家に帰ってからするから、割れないように包んでくれるかい?」
「はい、判りました」
 十個用意された硝子瓶が一杯になった頃に、ウィルヘルムが戻って来た。
「ハルムの雫用の瓶だけじゃ足りなそうだから、それ以外も持ってきた」
「でかした、ウィル。手分けして作業するよ」
「ん」
 最終的に、ハルムの雫用の小瓶に三十、それ以外に大瓶に三つ、蜜を集める事が出来た。
 花自体はまだ合ったが、瓶の数が足りない。
 これまでのマチルダの薬師人生において、一か所で採取出来る小瓶は多くて二つであった事を思えば、快挙…いや、異常事態だ。
 三人は、達成感と疲労感から来るふわふわした浮遊感に耐えながら、誰一人、口を利かずに家へと戻った。
 本当ならば、このままベッドに倒れ込んでしまいたいが、まだ、作業は終わりではない。
 溶かした蜜蝋で栓を封じ、輸送の際に零れる危険性と、不純物が混じる可能性を排除しなくてはいけない。
「シャーロット。よくやってくれたね。あとは、あたしとウィルがやる。先に寝とくれ」
「ですが」
「シャーロット、ばぁちゃんの言う事を聞いといた方がいい。また、熱出すぞ」
 ウィルヘルムにも厳しい声で諭され、シャーロットは頷いた。
 確かに、以前よりは丈夫になったとは言え、まだまだ体力の劣る体だ。
 今は興奮状態だから気づいていないだけで、緊張の糸が切れた途端に、体調を崩す可能性は高い。
 想定以上のハルムの雫が入手出来たとは言え、ピチュアの危機は去ったわけではないのだ。
 大切な薬師であるマチルダの手を、煩わせるわけにはいかない。
「…判りました。では、お先に休ませて頂きます」
「あぁ。後は、大した作業じゃないから、あたし達も直ぐに休むよ」
 シャーロットが、ノーハンに来て八週間。
 長い夜が、終わった。
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