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***
翌朝、いつもと同じ時刻にシャーロットが目を覚ますと、ウィルヘルムは既に家にいなかった。
「夜明けと共に、領主館に向かったよ。ジンがいつ、発つか判らないからね」
「ここから領主館へは、どのように?」
「一番近い蜥蜴族の集落まで、ウィルの足なら二十分だ。そこで誰かに、馬を借りるのさ」
マチルダの家では、馬を飼っていない。
ウィルヘルムは普段、通学の為に鼠族の集落にいるし、マチルダは薬師の仕事が忙しく、馬の世話をする時間の余裕がない。
そもそも、薬師は本来なら、薬草の採取と薬の製造、薬舗の運営だけしていればいいのだ。
今回のケースが、特殊なのである。
「大瓶はそのまま持たせた。目算だが、一瓶で十人分は賄える」
小瓶が三十本、十人分の大瓶が三つ、合わせて六十人分。
小瓶一つ半飲ませたとしても、昨日、ジンが持って行った分も含めれば、これ以上、広がる前に収束させる事が出来るだろう、と話すマチルダの声には、やり切った達成感と、薬師の誇りが滲んでいる。
「…シャーロット」
「はい」
「あんた…精霊の愛し子だったんだね」
ポツリと零された言葉に、シャーロットは曖昧に微笑むに留めた。
精霊の祝福と、似た意味合いであろう事は判る。
「だから、あんたの婚約者は、あんたとの婚約を結んだんだね」
疑問形ではなく、断定形だった。
「…私には、婚約者様のお考えは判りかねます」
「おかしいと思ってたんだ…この夏の薬草の出来は全部、あんたがいるからなのか」
確かに幼い頃から、シャーロットの力は植物との相性が良いようだった。
宝石の涙と、触れたものを黄金と炭に変化させてしまった事故の印象が強いが、実際によく起きる変化と言えば、植物に関連するものばかりだ。
「…獣人族の方に、精霊の愛し子の方は」
王宮にいた頃、シャーロット以前に現れた精霊に祝福された人族は、百年以上前の人物だと聞いた。
だが、ノーハンの閉鎖された環境であれば、外に情報が洩れずにいる可能性は高い。
そう思って、一縷の望みを掛けて、尋ねてみる。
「純血の獣人族では、聞いた事がないね。あたしが子供の頃に、近所に一人、愛し子だと呼ばれてる半獣人のばあさんがいたが、それ位だ」
「その方は、薬草探しが得意だったのですか?」
「いや?ばあさんの家は農家だったからね。畑の農作物の出来が、毎年良かったよ」
もしも。
自分以外に、精霊の祝福を受けた人がいるのであれば、会ってみたかった。
どうすれば、この身に余る力と付き合っていけるのか、聞いてみたかった。
だが、薬師として顔が広いマチルダであっても、生存している愛し子についての情報は持っていない。
「…この、まま…こちらでお世話になるのは、ご迷惑ではないでしょうか」
「は?何でだい」
「私は……普通では、ないので」
「普通、ってのが何なのかわかんないけどね。あんたがいて、あたしが困る事なんて、何一つないだろ?寧ろ、いてくれる方が薬師としちゃあ有難い。…王都にいられない、ってのは、それが理由なのかい」
「……」
「難儀だね」
それきり、マチルダはこの話題を切り上げた。
シャーロットの眉が曇った事に、気づいたのだろう。
ウィルヘルムは昼前に、帰宅した。
ジンが出立する前に無事、ハルムの雫を渡す事が出来たらしい。
他の薬師は結局間に合わず、ジンは、三十五本の小瓶と、三つの大瓶を抱えて、カーシャへと飛び立って行ったと言う。
これだけあれば、救われる、と安堵の表情を浮かべて。
***
それからの一週間は、ピチュアの騒動がなかったかのように、平穏だった。
毎日が同じ事の繰り返しではあるものの、日によって摘む薬草が違えば、処理の方法も違う。
今日も朝から三人で作業をしていたが、薬舗を客が訪れ、マチルダは席を外していた。
「…シャーロットはさ」
若い新芽を摘みながら、ウィルヘルムが言葉を発する。
夏の盛り。
まだ、日が中天に上る前とは言え、日差しは強く、日除けを被っていないウィルヘルムの顔は、日焼けで真っ黒になっている。
「俺の事、聞かねぇよな」
ウィルヘルムの言葉に、シャーロットは作業を中断して、首を傾げた。
ウィルヘルムの事。
シャーロットにしてみれば、聞いているつもりだった。
学校でどんな勉強をしているのか。
どんな子供時代だったのか。
獣人族の生活に興味があるから、そのような話を。
「?どう言う事?」
「ばぁちゃんは、鼠族だろ。で、俺が熊族」
「えぇ」
出会った当初に、紹介を受けている。
「…それについて、聞かねぇんだな、って」
「えぇと…」
これは、尋ねてもいいと言う事なのか。
「あのね。獣人族の方は、異なる氏族でも結婚すると聞いたの。その場合は、父方の特性を継ぐ、と。だから、ウィルのお父様かおじい様が、熊族の方なのだろうな、と思っていたのだけど」
マチルダの事を、ウィルヘルムは「ばぁちゃん」と呼んでいるが、父方の祖母とも母方の祖母とも言っていない。
なので、マチルダが熊族の男性と結婚して熊族の特性を持つ息子を産んだのか、マチルダの娘が熊族の男性と結婚したのか、と思っていたのだが、違うのだろうか。
何故、両親と共に暮らしていないのかは判らない。
だが、無遠慮に家族の事情に踏み込む気はなかった。
「あぁ…いや、違わない。そっか、知ってたのか」
「異なる氏族でも結婚する、って事は、ね」
暗に、ウィルヘルムの事情は知らない、と告げると、ウィルヘルムは少し安心したような顔をした。
「そうだよな…シャーロットはまだ、ノーハンに来て日が浅いんだもんな。俺の噂とか、知らないよな」
「噂?」
「ん」
ウィルヘルムは、それきり黙り込んで、作業に戻ってしまう。
シャーロットは疑問に思いながらも、ウィルヘルムに倣って黙って作業を続けた。
ちらり、と横目で見たウィルヘルムが、何だか思い詰めた顔をしている気がして、声を掛ける。
「あの…ね。ウィルは、私がノーハンに来る前に、何をしていたのか、聞かないでしょう?」
「あぁ。…別に、言いたきゃ言えばいいけど。言いたくないんだろうな、と思って」
「同じよ」
「ん?」
「私も、同じ。ウィルが話したいなら聞くし、黙っていたいなら聞かない。だって、聞いても聞かなくても、私達、結構仲良くしてるでしょう?」
「…そうだな」
「だから、いいの」
マチルダが気づいたように、ウィルヘルムだって、シャーロットが精霊の祝福を受けている――精霊の愛し子であると、気づいた筈だ。
なのに、彼は何も聞かない。
ハルムの雫を見つける前と後で、全く態度が変わらないのだ。
それは、己の能力との付き合い方を、手探りで学び始めたばかりのシャーロットには、有難い事だ。
「…そっか」
ウィルヘルムは、詰めていた息を深く吐いた。
シャーロットはまだ、獣人族の事を余り知らない。
タシャ達は、異なる氏族の夫婦もいる、と話していたが、多くないのかもしれないし、鼠族と熊族と言う組み合わせが、珍しいのかもしれない。
少なくとも、ウィルヘルムが触れられたくないと感じている部分である事は確かだ。
そして、シャーロットにとっては、それだけで十分だった。
ウィルヘルムは、何かが吹っ切れたような顔をして、シャーロットに微笑みかける。
「そろそろ、午前の仕事は終わりにしようぜ。もう直ぐ、昼だ」
「判った」
今、摘んでいる新芽は、出来るだけ早いうちに生のまま、水にさらさなくてはならない。
籠を抱えたシャーロットが立ち上がろうとすると、ツキン、と頭が痛んで、思わずこめかみを押さえる。
「シャーロット?」
「頭…痛いかも」
「暑気あたりか?早く家に入って、水分取れ」
「えぇ…」
何だか、気持ちが悪い。
下腹部も、痛い気がする。
よろよろと立ち上がったシャーロットの手から、ウィルヘルムが籠を取り上げる。
「ほら、持ってやるから」
「有難う…あら?ウィル、大きくなった?」
日差しを遮るように、シャーロットを自分の体の影に入れてくれたウィルヘルムを見上げる首が、以前よりも痛い。
「ん?あぁ…かもな。成長期だし」
「成長期なの…男の子ねぇ」
「…男の子、って子供扱いすんなよ。お前だって、大して変わんねぇだろ」
「気づいてないかもしれないけど、私、十八よ。ウィルよりもお姉さんでしょう?」
お姉さん、と言う言葉に、ウィルヘルムは眉を顰めた。
「何だよ、たかだか三歳差じゃねぇか。それに、こんなにちっこいのにお姉さん扱いして欲しいとか、どんだけ図々しいんだよ」
「え、ウィルって十五歳なの?」
驚いて尋ねると、ウィルヘルムは不機嫌な様子を隠しもせずに、口先を尖らせる。
「どっちの意味だよ」
「え、もっと上に見えたから」
「三歳なんて、誤差だろ、誤差。気が合えば、年齢なんて関係ねぇだろうが」
「そう…そうよね!」
突然、大きな声を上げたシャーロットに、ウィルヘルムが面食らった顔を見せる。
「何だよ」
「そうよね、年齢なんて関係ないわよね。婚約者様は、私よりも大分年上でいらっしゃるの。凄く落ち着いた大人の方だから…ちょっと気後れする所もあったけど、そうよ、年齢なんて関係ないもの」
うん、と頷くシャーロットの顔を見て、ウィルヘルムは何か言いたそうに口を開いたが、思い直したように、別の事を尋ねた。
「俺、さぁ…領兵の殆どと顔見知りなんだ」
「そうなの?」
「あぁ。何もない時はよく、領主館の近くで領兵の修練に混ぜて貰ってるんだ。だから…あんたの婚約者の事も、多分、色々、教えてやれると思うぜ?」
ウィルヘルムは親切心から申し出てくれているのだろうが、間違ってもヴィンセントの名を出す事は出来ない。
「ウィルの気持ちは嬉しいのだけど…ほら、婚約者様とこの先どうなるか、まだ判らないでしょう?ウィルは優しいから、もし、もしもよ?上手くいかなかった場合に、きっと、お相手に対して文句の一つも言うんじゃないかな、って」
「よく判ってんじゃねぇか。こんなちっこい人族の娘と婚約した責任は、取るのが男だろ」
「えぇ、言うと思った」
「もしもの時は、俺が…」
ウィルヘルムが小さな声で、思い詰めたように呟く。
その時だった。
下腹部の痛みが限界を越え、体を二つ折りにするようにしてシャーロットはしゃがみ込む。
「いたた…」
「あぁ、ほら、無理すんなって!ばぁちゃん?!シャーロットが…!」
「おめでとう」
痛みの余り、しゃがみ込んだシャーロットは、ウィルヘルムに抱きかかえられるようにしてベッドに運ばれた。
横になって、丸くなりながらうんうんと唸っている所に、客の対応を終えたマチルダが様子見にやってきたと思ったら、開口一番、祝われる。
「マチルダ、さん…?」
「おめでとう、シャーロット。あんた、大人になったんだよ」
言われた言葉の意味が判らず、疑問符を顔に張り付けているシャーロットに、マチルダは、
「ちょっと待ってな」
と席を外すと、直ぐに、薬湯を運んできた。
「気休めだけどね。体を中から温める。少し、楽になる筈だよ」
促されるまま、腹筋に力を入れて上半身を起こした所で、下半身…正確には、体の中心からどろりと何かが零れる感触があって、シャーロットは身を竦める。
「…ぇ?」
「初めてだったら、処理も判らないだろ。あたしが教えるから、心配しなくていい」
「まさか…」
「月の障りだよ、これが」
シャーロットは思わず、両手で抱えた薬湯の器越しに、ブランケットの掛かった己の腹を見た。
月の障り。
人族の娘であれば、およそ十一歳から十四歳で迎えるものだ、と、カーラに聞いていた。
だから、十八になっても月の障りのない自分は、このまま、一生、ないものだと思っていた。
まさか、この年で。
「これまで、あんたがどんな生活をしてたのかは知らない。聞くつもりもない。だけどね。あんたの体には、大人になるのに必要な栄養が足りてなかったんだよ。ここに来て、よく動いて、よく食べて、漸く体の準備が整ったって事だ」
確かに、塔の狭い部屋とは異なり、何処まで歩くのも自由なので、それが嬉しくてよく動いた。
動けば、お腹が空く。
だから、ノーハンに来てからのシャーロットは、食事量が増えた。
鳥ガラのように痩せていて、骨に皮を張り付けたように細かった腕には、うっすらと肉がつき始め、未だに痩せているとは言え、自分でも、以前より健康的な見た目になった、とは思っていた。
動かないから、食べる必要はない。
何も生み出さないから、食べてはいけない。
そう自分を戒めていたが、それが、体の成長を阻害していたのか。
侍女のカーラが、何とかシャーロットに食事を取らせようとしていた事を思い出す。
彼女は、城の中で唯一、シャーロットに月の障りがない事を知っていた。
恐らくは、その原因にも気が付いていた。
シャーロット自身は、月の障りがない事自体を、問題だと捉えた事はなかった。
ヴィンセントに望まれ、ノーハンに向かう途中までは。
自分が誰かと結婚する将来を思い描いた事はないし、腕の中に赤子を抱く将来もまた、想像の範囲外だったから。
知識として知ってはいても、自分自身とは乖離していた。
北の塔を出て誰かに嫁ぐ将来など、望むべくもなかったからだろう。
じっとブランケット越しの腹を見つめていた視界が、滲んでいく。
その涙の理由が何なのか、シャーロット自身にも判らなかった。
翌朝、いつもと同じ時刻にシャーロットが目を覚ますと、ウィルヘルムは既に家にいなかった。
「夜明けと共に、領主館に向かったよ。ジンがいつ、発つか判らないからね」
「ここから領主館へは、どのように?」
「一番近い蜥蜴族の集落まで、ウィルの足なら二十分だ。そこで誰かに、馬を借りるのさ」
マチルダの家では、馬を飼っていない。
ウィルヘルムは普段、通学の為に鼠族の集落にいるし、マチルダは薬師の仕事が忙しく、馬の世話をする時間の余裕がない。
そもそも、薬師は本来なら、薬草の採取と薬の製造、薬舗の運営だけしていればいいのだ。
今回のケースが、特殊なのである。
「大瓶はそのまま持たせた。目算だが、一瓶で十人分は賄える」
小瓶が三十本、十人分の大瓶が三つ、合わせて六十人分。
小瓶一つ半飲ませたとしても、昨日、ジンが持って行った分も含めれば、これ以上、広がる前に収束させる事が出来るだろう、と話すマチルダの声には、やり切った達成感と、薬師の誇りが滲んでいる。
「…シャーロット」
「はい」
「あんた…精霊の愛し子だったんだね」
ポツリと零された言葉に、シャーロットは曖昧に微笑むに留めた。
精霊の祝福と、似た意味合いであろう事は判る。
「だから、あんたの婚約者は、あんたとの婚約を結んだんだね」
疑問形ではなく、断定形だった。
「…私には、婚約者様のお考えは判りかねます」
「おかしいと思ってたんだ…この夏の薬草の出来は全部、あんたがいるからなのか」
確かに幼い頃から、シャーロットの力は植物との相性が良いようだった。
宝石の涙と、触れたものを黄金と炭に変化させてしまった事故の印象が強いが、実際によく起きる変化と言えば、植物に関連するものばかりだ。
「…獣人族の方に、精霊の愛し子の方は」
王宮にいた頃、シャーロット以前に現れた精霊に祝福された人族は、百年以上前の人物だと聞いた。
だが、ノーハンの閉鎖された環境であれば、外に情報が洩れずにいる可能性は高い。
そう思って、一縷の望みを掛けて、尋ねてみる。
「純血の獣人族では、聞いた事がないね。あたしが子供の頃に、近所に一人、愛し子だと呼ばれてる半獣人のばあさんがいたが、それ位だ」
「その方は、薬草探しが得意だったのですか?」
「いや?ばあさんの家は農家だったからね。畑の農作物の出来が、毎年良かったよ」
もしも。
自分以外に、精霊の祝福を受けた人がいるのであれば、会ってみたかった。
どうすれば、この身に余る力と付き合っていけるのか、聞いてみたかった。
だが、薬師として顔が広いマチルダであっても、生存している愛し子についての情報は持っていない。
「…この、まま…こちらでお世話になるのは、ご迷惑ではないでしょうか」
「は?何でだい」
「私は……普通では、ないので」
「普通、ってのが何なのかわかんないけどね。あんたがいて、あたしが困る事なんて、何一つないだろ?寧ろ、いてくれる方が薬師としちゃあ有難い。…王都にいられない、ってのは、それが理由なのかい」
「……」
「難儀だね」
それきり、マチルダはこの話題を切り上げた。
シャーロットの眉が曇った事に、気づいたのだろう。
ウィルヘルムは昼前に、帰宅した。
ジンが出立する前に無事、ハルムの雫を渡す事が出来たらしい。
他の薬師は結局間に合わず、ジンは、三十五本の小瓶と、三つの大瓶を抱えて、カーシャへと飛び立って行ったと言う。
これだけあれば、救われる、と安堵の表情を浮かべて。
***
それからの一週間は、ピチュアの騒動がなかったかのように、平穏だった。
毎日が同じ事の繰り返しではあるものの、日によって摘む薬草が違えば、処理の方法も違う。
今日も朝から三人で作業をしていたが、薬舗を客が訪れ、マチルダは席を外していた。
「…シャーロットはさ」
若い新芽を摘みながら、ウィルヘルムが言葉を発する。
夏の盛り。
まだ、日が中天に上る前とは言え、日差しは強く、日除けを被っていないウィルヘルムの顔は、日焼けで真っ黒になっている。
「俺の事、聞かねぇよな」
ウィルヘルムの言葉に、シャーロットは作業を中断して、首を傾げた。
ウィルヘルムの事。
シャーロットにしてみれば、聞いているつもりだった。
学校でどんな勉強をしているのか。
どんな子供時代だったのか。
獣人族の生活に興味があるから、そのような話を。
「?どう言う事?」
「ばぁちゃんは、鼠族だろ。で、俺が熊族」
「えぇ」
出会った当初に、紹介を受けている。
「…それについて、聞かねぇんだな、って」
「えぇと…」
これは、尋ねてもいいと言う事なのか。
「あのね。獣人族の方は、異なる氏族でも結婚すると聞いたの。その場合は、父方の特性を継ぐ、と。だから、ウィルのお父様かおじい様が、熊族の方なのだろうな、と思っていたのだけど」
マチルダの事を、ウィルヘルムは「ばぁちゃん」と呼んでいるが、父方の祖母とも母方の祖母とも言っていない。
なので、マチルダが熊族の男性と結婚して熊族の特性を持つ息子を産んだのか、マチルダの娘が熊族の男性と結婚したのか、と思っていたのだが、違うのだろうか。
何故、両親と共に暮らしていないのかは判らない。
だが、無遠慮に家族の事情に踏み込む気はなかった。
「あぁ…いや、違わない。そっか、知ってたのか」
「異なる氏族でも結婚する、って事は、ね」
暗に、ウィルヘルムの事情は知らない、と告げると、ウィルヘルムは少し安心したような顔をした。
「そうだよな…シャーロットはまだ、ノーハンに来て日が浅いんだもんな。俺の噂とか、知らないよな」
「噂?」
「ん」
ウィルヘルムは、それきり黙り込んで、作業に戻ってしまう。
シャーロットは疑問に思いながらも、ウィルヘルムに倣って黙って作業を続けた。
ちらり、と横目で見たウィルヘルムが、何だか思い詰めた顔をしている気がして、声を掛ける。
「あの…ね。ウィルは、私がノーハンに来る前に、何をしていたのか、聞かないでしょう?」
「あぁ。…別に、言いたきゃ言えばいいけど。言いたくないんだろうな、と思って」
「同じよ」
「ん?」
「私も、同じ。ウィルが話したいなら聞くし、黙っていたいなら聞かない。だって、聞いても聞かなくても、私達、結構仲良くしてるでしょう?」
「…そうだな」
「だから、いいの」
マチルダが気づいたように、ウィルヘルムだって、シャーロットが精霊の祝福を受けている――精霊の愛し子であると、気づいた筈だ。
なのに、彼は何も聞かない。
ハルムの雫を見つける前と後で、全く態度が変わらないのだ。
それは、己の能力との付き合い方を、手探りで学び始めたばかりのシャーロットには、有難い事だ。
「…そっか」
ウィルヘルムは、詰めていた息を深く吐いた。
シャーロットはまだ、獣人族の事を余り知らない。
タシャ達は、異なる氏族の夫婦もいる、と話していたが、多くないのかもしれないし、鼠族と熊族と言う組み合わせが、珍しいのかもしれない。
少なくとも、ウィルヘルムが触れられたくないと感じている部分である事は確かだ。
そして、シャーロットにとっては、それだけで十分だった。
ウィルヘルムは、何かが吹っ切れたような顔をして、シャーロットに微笑みかける。
「そろそろ、午前の仕事は終わりにしようぜ。もう直ぐ、昼だ」
「判った」
今、摘んでいる新芽は、出来るだけ早いうちに生のまま、水にさらさなくてはならない。
籠を抱えたシャーロットが立ち上がろうとすると、ツキン、と頭が痛んで、思わずこめかみを押さえる。
「シャーロット?」
「頭…痛いかも」
「暑気あたりか?早く家に入って、水分取れ」
「えぇ…」
何だか、気持ちが悪い。
下腹部も、痛い気がする。
よろよろと立ち上がったシャーロットの手から、ウィルヘルムが籠を取り上げる。
「ほら、持ってやるから」
「有難う…あら?ウィル、大きくなった?」
日差しを遮るように、シャーロットを自分の体の影に入れてくれたウィルヘルムを見上げる首が、以前よりも痛い。
「ん?あぁ…かもな。成長期だし」
「成長期なの…男の子ねぇ」
「…男の子、って子供扱いすんなよ。お前だって、大して変わんねぇだろ」
「気づいてないかもしれないけど、私、十八よ。ウィルよりもお姉さんでしょう?」
お姉さん、と言う言葉に、ウィルヘルムは眉を顰めた。
「何だよ、たかだか三歳差じゃねぇか。それに、こんなにちっこいのにお姉さん扱いして欲しいとか、どんだけ図々しいんだよ」
「え、ウィルって十五歳なの?」
驚いて尋ねると、ウィルヘルムは不機嫌な様子を隠しもせずに、口先を尖らせる。
「どっちの意味だよ」
「え、もっと上に見えたから」
「三歳なんて、誤差だろ、誤差。気が合えば、年齢なんて関係ねぇだろうが」
「そう…そうよね!」
突然、大きな声を上げたシャーロットに、ウィルヘルムが面食らった顔を見せる。
「何だよ」
「そうよね、年齢なんて関係ないわよね。婚約者様は、私よりも大分年上でいらっしゃるの。凄く落ち着いた大人の方だから…ちょっと気後れする所もあったけど、そうよ、年齢なんて関係ないもの」
うん、と頷くシャーロットの顔を見て、ウィルヘルムは何か言いたそうに口を開いたが、思い直したように、別の事を尋ねた。
「俺、さぁ…領兵の殆どと顔見知りなんだ」
「そうなの?」
「あぁ。何もない時はよく、領主館の近くで領兵の修練に混ぜて貰ってるんだ。だから…あんたの婚約者の事も、多分、色々、教えてやれると思うぜ?」
ウィルヘルムは親切心から申し出てくれているのだろうが、間違ってもヴィンセントの名を出す事は出来ない。
「ウィルの気持ちは嬉しいのだけど…ほら、婚約者様とこの先どうなるか、まだ判らないでしょう?ウィルは優しいから、もし、もしもよ?上手くいかなかった場合に、きっと、お相手に対して文句の一つも言うんじゃないかな、って」
「よく判ってんじゃねぇか。こんなちっこい人族の娘と婚約した責任は、取るのが男だろ」
「えぇ、言うと思った」
「もしもの時は、俺が…」
ウィルヘルムが小さな声で、思い詰めたように呟く。
その時だった。
下腹部の痛みが限界を越え、体を二つ折りにするようにしてシャーロットはしゃがみ込む。
「いたた…」
「あぁ、ほら、無理すんなって!ばぁちゃん?!シャーロットが…!」
「おめでとう」
痛みの余り、しゃがみ込んだシャーロットは、ウィルヘルムに抱きかかえられるようにしてベッドに運ばれた。
横になって、丸くなりながらうんうんと唸っている所に、客の対応を終えたマチルダが様子見にやってきたと思ったら、開口一番、祝われる。
「マチルダ、さん…?」
「おめでとう、シャーロット。あんた、大人になったんだよ」
言われた言葉の意味が判らず、疑問符を顔に張り付けているシャーロットに、マチルダは、
「ちょっと待ってな」
と席を外すと、直ぐに、薬湯を運んできた。
「気休めだけどね。体を中から温める。少し、楽になる筈だよ」
促されるまま、腹筋に力を入れて上半身を起こした所で、下半身…正確には、体の中心からどろりと何かが零れる感触があって、シャーロットは身を竦める。
「…ぇ?」
「初めてだったら、処理も判らないだろ。あたしが教えるから、心配しなくていい」
「まさか…」
「月の障りだよ、これが」
シャーロットは思わず、両手で抱えた薬湯の器越しに、ブランケットの掛かった己の腹を見た。
月の障り。
人族の娘であれば、およそ十一歳から十四歳で迎えるものだ、と、カーラに聞いていた。
だから、十八になっても月の障りのない自分は、このまま、一生、ないものだと思っていた。
まさか、この年で。
「これまで、あんたがどんな生活をしてたのかは知らない。聞くつもりもない。だけどね。あんたの体には、大人になるのに必要な栄養が足りてなかったんだよ。ここに来て、よく動いて、よく食べて、漸く体の準備が整ったって事だ」
確かに、塔の狭い部屋とは異なり、何処まで歩くのも自由なので、それが嬉しくてよく動いた。
動けば、お腹が空く。
だから、ノーハンに来てからのシャーロットは、食事量が増えた。
鳥ガラのように痩せていて、骨に皮を張り付けたように細かった腕には、うっすらと肉がつき始め、未だに痩せているとは言え、自分でも、以前より健康的な見た目になった、とは思っていた。
動かないから、食べる必要はない。
何も生み出さないから、食べてはいけない。
そう自分を戒めていたが、それが、体の成長を阻害していたのか。
侍女のカーラが、何とかシャーロットに食事を取らせようとしていた事を思い出す。
彼女は、城の中で唯一、シャーロットに月の障りがない事を知っていた。
恐らくは、その原因にも気が付いていた。
シャーロット自身は、月の障りがない事自体を、問題だと捉えた事はなかった。
ヴィンセントに望まれ、ノーハンに向かう途中までは。
自分が誰かと結婚する将来を思い描いた事はないし、腕の中に赤子を抱く将来もまた、想像の範囲外だったから。
知識として知ってはいても、自分自身とは乖離していた。
北の塔を出て誰かに嫁ぐ将来など、望むべくもなかったからだろう。
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それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
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