23 / 36
<22>
しおりを挟む
***
ヴィンセントが、家督をウィルヘルムに譲ると言いだしてから五日。
領主館の中は、大きな騒ぎにはなっていない。
家督を譲る話は、あの場にいた者の間だけで共有されており、使用人達にはまだ漏れていないからだ。
ウィルヘルムは一人、頑として抵抗を続けているらしい。
何も知らないカトリが、ウィル坊ちゃんと御屋形様は、喧嘩でもなすったんでしょうかね、と話していた事で、シャーロットはそれを知った。
シャーロットは、一人で領主館の丘を歩いていた。
屋敷の中にいるのは、気詰まりがする。
部屋に籠っていても、カトリが何くれとなく気遣って声を掛けて来るので、却って辛くなる。
「…何で、戻って来たの」
背後から掛けられた声に、シャーロットは振り向いた。
「カティアさん…」
メイドのお仕着せではなく、私服のカティアが、憎々し気にこちらを睨んでいる。
この丘は領主館の土地だが、柵や門があるわけでもなく、領民は自由に出入りしているようだから、例え、解雇されていたとしても、カティアがここにいる事に不思議はない。
だが、不穏な気配に、シャーロットは一歩、後退った。
「何で、って…」
「わざわざ、領境まで送ってあげたじゃない。何で、人間の世界に逃げ帰らなかったのよ」
「…どうして、逃げる必要があるのでしょう?」
「言わなきゃわかんないの?獣人族には獣人族のルールがあるの。それも判んない人に、我が物顔で踏み込まれたくない」
「私をノーハンに連れて来ると決めたのは、ヴィンセント様です。私がここに滞在する事を否定するのは、ヴィンセント様の決定に異を唱えるのと同じ事です」
「そんなの知らない。御屋形様を騙したあんたが悪いんでしょ」
「騙す、だなんて…ヴィンセント様は、私に騙されるような方ではありません」
「~~~うるさい!何なのよ、あんた!御屋形様の事を、馴れ馴れしく名前で呼ばないで!御屋形様は、あたし達、皆に平等に優しいんだからね!あんたが特別なわけじゃないんだから、勘違いしないでよ!」
激昂したカティアが、シャーロットの頬を叩こうと手を振りかぶった。
「やめろ」
反射的に目を閉じて、両腕で顔を庇ったシャーロットの耳に、馴染みのある声が聞こえる。
恐る恐る目を開けると、ウィルヘルムが、カティアの背後から、その腕を掴んで止めていた。
「ウィル様…!」
直接、手に触れられているからか、カティアの声に、甘えるような響きが滲む。
カティアはヴィンセントに懸想していたのではなかったか、と、シャーロットは首を傾げた。
「何の権利があって、シャーロットに手を上げる?」
「そ、れは…この女が、ノーハンの規則を守らないから…」
「ノーハンの規則?無抵抗の相手に薬を盛って、道端に放置していい、なんて規則は何処かにあったか?」
カッと、カティアの頬が赤く染まった。
それは、羞恥によるものか、怒りによるものか。
「で、でも、」
「お前の言い訳を聞く気はねぇよ。俺は、事実を知ってるからな」
「っ!」
カティアが、シャーロットを睨みつけるのを見て、ウィルヘルムが呆れたような顔で、掴んだ手首に力を込めた。
「痛…っ」
「痛ぇよな?力入れてるし。なぁ、猫族のお前が全力でシャーロットを殴ったらどうなるか、想像出来なかったか?獣人族と人族の力の差位、聞いた事あるだろ」
「何で…!何で、御屋形様もウィル様も、こんな人間の女なんか、庇うの…!こんな女の何処がいいのよ…!」
「少なくとも、嫌がらせして命を危険に晒すような真似したお前より、ずっといい女だな。まさか、気づいてねぇのか?シャーロットは、お前を一言も責めた事がねぇんだぞ?あんだけの事をしでかしといて、解雇だけで済んだ理由を考えてみろよ」
「そんなの知らない!あたしは、御屋形様とウィル様の為に…!」
「誰がお前にそんな事しろって頼んだ。勝手な事しといて、その言い訳に使うんじゃねぇよ。不愉快だ」
「ウィル様、」
「そもそも、誰が名前で、しかも愛称で呼んでいいっつったよ?お前が、兄さんでも俺でも、どっちでもいいから玉の輿狙い、って言ってんのを、知らねぇとでも思ってんのか?」
「!」
バッと、ウィルヘルムに押さえられた手首を取り戻したカティアは、シャーロットを睨みつけると、
「兄弟揃って誑かすとか、最悪!」
と、捨て台詞を残して駆け去って行く。
「シャーロット」
どう言葉を尽くしても理解し合えなかったのか、と、残念な思いでカティアの背を目で追っていたシャーロットは、ウィルヘルムに名を呼ばれ、振り返った。
ウィルヘルムが、気遣わし気な顔を向ける。
「…大丈夫か?」
あの日以来、初めて顔を合わせた。
シャーロットが意識して避けているのもあるが、ウィルヘルムもまた、何を言えばいいのか判らなかったのだろう。
兄の嫁となる筈だったシャーロットを、己の嫁にせよ、と言われたのだから。
「ウィルこそ…大丈夫?獣人族の方は、政略結婚なんてしないのでしょう?」
一人分の距離を開けて、並んで地面に腰を下ろした。
マチルダの家で薬草を摘んでいた時には、よくこうして休憩したものだ。
暗に、好いた相手はいないのか、と尋ねると、ウィルヘルムは苦い顔をした。
「俺も…一応、バーナディスを名乗ってるからな。まぁ、頭の隅にはあったさ。それに、相手が、お前、なんだし、そこに対して思う事はねぇよ」
ウィルヘルムは、人族の社会についても詳しく学んでいるようだった。
振り返れば、領兵になりたい、と言うのも、兄を傍らで支えたいと言う気持ち、支えなくてはならない事情からだったのだろう。
「でも、さ…シャーロットが好きなのは、兄さんだろ。婚約者の変更なんて言い出されて…辛くないのか?」
シャーロットは、曖昧に微笑む。
「…私が、辛いのは」
シャーロットは、絞り出すように言葉を吐き出した。
「ヴィンセント様が、ご自分の生まれを否定されたように感じてらっしゃる事よ」
「…それは、ヘンリクが言ってる、俺ならよくて、兄さんだとダメだ、って話だよな?」
シャーロットは、出来るだけ感情を入れないように、淡々と話した。
「私の産む子供は、バーナディス家を継ぐには獣人族の血が薄くなり過ぎる。だから、ヘンリクさんは、私をヴィンセント様の妻として認められないのですって」
はっ、と、ウィルヘルムが息を飲んだ。
「そうか…俺と兄さんの事情を、知ってるのか」
「いいえ、ヴィンセント様は、何も教えて下さらないわ。私が知っているのは、ヴィンセント様のお父様が先代のバーナディス辺境伯で、お母様が人族の女性だ、と言う事。そして、ヴィンセント様が生まれた後に、先代の辺境伯様が、番となる獣人族の女性に出会ったと言う事だけ」
ウィルヘルムが、一瞬、苦し気に目を瞑る。
ウィルヘルムの態度を見ていれば、判る。
彼は決して、自分の生まれを誇っていない。
番と出会えるのは、獣人族にとって最も幸福な事なのだと、タシャ達は言っていた。
その間に生まれた子供が、他の子供よりも強い事も。
それにも関わらず、ウィルヘルムは、両親の出会いにも、自分の生まれにも、胸を張っているように見えない。
シャーロットに出会った時も、ウィルヘルムは自分の噂を知らないのか、と安心していたようだった。
番が出会うと、ノーハン中を情報が駆け抜けると聞いた。
彼の父は辺境伯なのだから、生まれる前から注目されていた事は想像に難くない。
「…兄さんは、辺境伯として、領主として、立派にノーハンを守ってる。確かに、兄さんは純血の獣人族じゃない。でも、それだけを理由に兄さんを否定するヤツは、ノーハンに要らねぇ」
若者らしい極論に、シャーロットは思わず笑う。
「ヴィンセント様が、ノーハンを立派に守ってらっしゃる、と言う点については同感だわ」
「人族の血が混じってる獣人族って、多分、人族が思ってるより多いんだ。見た目が人族と全然違わない獣人族だって少なくないし、そう言うヤツは人族の社会で暮らしてる。自分に獣人族の血が流れてる事すら、知らないヤツもいる。俺達は、匂いで判るけど」
「そうなの?」
「獣人族の血が薄くなる程、外見も内面も、獣人族としての特徴は薄まってくからな。でも、先祖返りみたいなヤツもいる。そう言うヤツは、人族の領地だと暮らしづらくなって、ノーハンに移住してきたりする」
曲りなりにも、マハトの王女であるのに、初めて聞く話に、シャーロットは目を丸くした。
「血が四分の一になる事で、人族と殆ど変わらなくなるのか、獣人族の特徴が残るのか、そんなのは、生まれてみないと判らない…生まれる前から悩んだって仕方ねぇ」
「ウィルは…バーナディス家の人なのに、血が薄まる事に反対する気持ちはないの?」
恐る恐るシャーロットが尋ねると、ウィルヘルムは苦笑する。
「獣人貴族ってバーナディス家の立場を考えたら、反対しねぇとダメなんだろうな。人族の血が混じった獣人族が少なくないと言っても、バーナディス家はずっと、純血で繋いで来た家系だ。兄さんの実力が獣人族の中で群を抜いてたって、血を理由に、色々言われる事もあったのは想像出来る。…以前のゴタゴタで、見る目が厳しくなってるって事も。でも、兄さんは、ずっと、いい領主、いい兄であろうと、すげぇ頑張ってきた。それこそ、我儘も何も言わねぇで。ほんとは、俺に言いたい事だって、たくさんあった筈なんだ。その兄さんが、初めて自分から望んだ相手なんだぞ。他の誰が認めなくても、俺だけは、賛成するしかねぇだろ」
シャーロットの頬に、ぽろりと涙が零れる。
誰一人、シャーロットがヴィンセントの花嫁になる事を肯定してくれた人はいなかった。
近習達だって、ヴィンセントの態度が変わってからは、シャーロットに接触しなくなった。
ジェラルドやコリンが、物言いたげな目で見て来る事はあるが、それは、ノーハンへ向かう道中もそうだった。
彼等はきっと、この未来が見えていたに違いない。
シャーロットの気持ちを慮って何も言わなかっただけで、獣人族がどう反応するか、彼等は誰よりも理解していた筈だ。
ヴィンセントを主と仰ぐ彼等が、ヴィンセントに隠居を決断させたシャーロットを、好ましく思うわけがない。
気が付いていなかったのは、シャーロットだけ。
今、シャーロットは、領主館で、北の塔と比べて何不自由ない生活を送らせて貰っている。
環境だけで言えば、北の塔とは比べ物にならない位だ。
だが、シャーロットの心には、大きな穴がぽっかりと開いていた。
ヴィンセントが、同じ屋敷内にいると判っているのに、会えないからこそ、余計に。
「あぁ、もう、ほら、泣くなよ」
ウィルヘルムが慌てているのが聞こえるものの、一度零れた涙は、容易には止まらない。
立てた膝に顔を埋めて声を殺して泣くシャーロットの髪を、ウィルヘルムは、そっと宥めるように撫でた。
「前にした話、覚えてるか?」
「…どれの事…?」
「予想と違ったら、そこで初めて考えろ、って話」
「えぇ…」
「シャーロットはさ、誰もが諸手を上げて歓迎する結婚だとは、思ってなかったんだろ?」
「そうね…」
「今と、同じ状況じゃねぇか」
「そう、だけど…」
シャーロットが花嫁として不足していると言うのであれば、ヴィンセントに相応しくなるよう努力出来た。
ヴィンセントが番に出会ったから、身を引けと言うのであれば、ヴィンセントの獣人族としての幸せを考えて、心の痛みを押し殺して身を引く覚悟をしていた。
王族として生まれた以上、利益を追求する政略結婚は、仕方がない。
そう思っていたのに、彼に恋をしてしまった。
「…私が、努力すればいい話じゃ、ないじゃない…」
ヴィンセントの為ならば、頑張れると思っていた。
今だって、頑張りたいと思っている。
けれど、彼の為に何をすればいいのか判らなくて、辛い。
ヴィンセントが婚約解消ではなく、ウィルヘルムとの婚約を提言したのは、王族であるシャーロットを守る為だ。
他の解決方法を提示出来ない以上、守られる側のシャーロットが、どうしてもヴィンセントがいいのだ、と言い張っていいわけがない。
彼は、シャーロットに好意を示してくれたが、好きだとは、愛しているとは、言った事がない。
シャーロットが想うように、ヴィンセントが想いを向けてくれているわけでは…ない。
「…私、ウィルの事、好きよ」
「何だよ、急に」
「ウィルも、私の事、嫌いではないでしょう?だから、私達、案外、上手くやっていけると思うの」
「おい」
欲しいものを、欲しいと言う事が出来ない十五年だった。
諦めて、諦めて、全てを諦めて来た。
自分はどうやら、勘違いしていたらしい、と気づく。
北の塔から外の世界に出る事が出来たから、今度は、欲しいものに手を伸ばしてもいいのだと思ってしまった。
そんなわけがない。
やはり、欲しいものは手に入らないのだ。
だって、シャーロットは、精霊に祝福された…呪われた姫なのだから。
「…ヴィンセント様が、番と出会えると良いのだけど…」
「…何で、そんな事言うんだよ。シャーロットは、兄さんが好きなんじゃないのか」
「…お慕いしているわ。だからこそ、ヴィンセント様にはお幸せになって頂きたいのよ。獣人族の方にとって、番は絶対と聞いたもの。番は、心の半分。番がいれば、満たされる、って。ヴィンセント様は…お優しいから、私を傷つけたと、ウィルの心に配慮しなかったと、苦しんでいらっしゃる。ウィルの事は、私が頑張って幸せにする。でも、ヴィンセント様は…。番がいれば、心の傷も癒えるのでしょう?」
「違う」
「ウィル?」
「違う。番は…番は、そんな便利なもんじゃない」
ウィルヘルムは、強張った顔で言い切った。
「そう…なの?」
ならば、シャーロットは、何にヴィンセントの救済を願えばいいのか。
絶望したシャーロットの顔を見て、ウィルヘルムは溜息を吐いた。
「少なくとも…俺が知ってる番、先代様と母さんは、違った」
ウィルヘルムにとって父親である先代辺境伯を、『先代様』と呼ぶ事に違和感を覚える。
「え?」
「番が見つかって真に幸せになれるのは、愛する者がいない場合だけなんだよ」
くしゃり。
ウィルヘルムは、癖のある黒髪を大きな手で乱暴にかき上げた。
「兄さんはきっと、この話を自分からはしない。だから…黙ってようと思ったけど、俺がお前に話すよ」
ヴィンセントが、家督をウィルヘルムに譲ると言いだしてから五日。
領主館の中は、大きな騒ぎにはなっていない。
家督を譲る話は、あの場にいた者の間だけで共有されており、使用人達にはまだ漏れていないからだ。
ウィルヘルムは一人、頑として抵抗を続けているらしい。
何も知らないカトリが、ウィル坊ちゃんと御屋形様は、喧嘩でもなすったんでしょうかね、と話していた事で、シャーロットはそれを知った。
シャーロットは、一人で領主館の丘を歩いていた。
屋敷の中にいるのは、気詰まりがする。
部屋に籠っていても、カトリが何くれとなく気遣って声を掛けて来るので、却って辛くなる。
「…何で、戻って来たの」
背後から掛けられた声に、シャーロットは振り向いた。
「カティアさん…」
メイドのお仕着せではなく、私服のカティアが、憎々し気にこちらを睨んでいる。
この丘は領主館の土地だが、柵や門があるわけでもなく、領民は自由に出入りしているようだから、例え、解雇されていたとしても、カティアがここにいる事に不思議はない。
だが、不穏な気配に、シャーロットは一歩、後退った。
「何で、って…」
「わざわざ、領境まで送ってあげたじゃない。何で、人間の世界に逃げ帰らなかったのよ」
「…どうして、逃げる必要があるのでしょう?」
「言わなきゃわかんないの?獣人族には獣人族のルールがあるの。それも判んない人に、我が物顔で踏み込まれたくない」
「私をノーハンに連れて来ると決めたのは、ヴィンセント様です。私がここに滞在する事を否定するのは、ヴィンセント様の決定に異を唱えるのと同じ事です」
「そんなの知らない。御屋形様を騙したあんたが悪いんでしょ」
「騙す、だなんて…ヴィンセント様は、私に騙されるような方ではありません」
「~~~うるさい!何なのよ、あんた!御屋形様の事を、馴れ馴れしく名前で呼ばないで!御屋形様は、あたし達、皆に平等に優しいんだからね!あんたが特別なわけじゃないんだから、勘違いしないでよ!」
激昂したカティアが、シャーロットの頬を叩こうと手を振りかぶった。
「やめろ」
反射的に目を閉じて、両腕で顔を庇ったシャーロットの耳に、馴染みのある声が聞こえる。
恐る恐る目を開けると、ウィルヘルムが、カティアの背後から、その腕を掴んで止めていた。
「ウィル様…!」
直接、手に触れられているからか、カティアの声に、甘えるような響きが滲む。
カティアはヴィンセントに懸想していたのではなかったか、と、シャーロットは首を傾げた。
「何の権利があって、シャーロットに手を上げる?」
「そ、れは…この女が、ノーハンの規則を守らないから…」
「ノーハンの規則?無抵抗の相手に薬を盛って、道端に放置していい、なんて規則は何処かにあったか?」
カッと、カティアの頬が赤く染まった。
それは、羞恥によるものか、怒りによるものか。
「で、でも、」
「お前の言い訳を聞く気はねぇよ。俺は、事実を知ってるからな」
「っ!」
カティアが、シャーロットを睨みつけるのを見て、ウィルヘルムが呆れたような顔で、掴んだ手首に力を込めた。
「痛…っ」
「痛ぇよな?力入れてるし。なぁ、猫族のお前が全力でシャーロットを殴ったらどうなるか、想像出来なかったか?獣人族と人族の力の差位、聞いた事あるだろ」
「何で…!何で、御屋形様もウィル様も、こんな人間の女なんか、庇うの…!こんな女の何処がいいのよ…!」
「少なくとも、嫌がらせして命を危険に晒すような真似したお前より、ずっといい女だな。まさか、気づいてねぇのか?シャーロットは、お前を一言も責めた事がねぇんだぞ?あんだけの事をしでかしといて、解雇だけで済んだ理由を考えてみろよ」
「そんなの知らない!あたしは、御屋形様とウィル様の為に…!」
「誰がお前にそんな事しろって頼んだ。勝手な事しといて、その言い訳に使うんじゃねぇよ。不愉快だ」
「ウィル様、」
「そもそも、誰が名前で、しかも愛称で呼んでいいっつったよ?お前が、兄さんでも俺でも、どっちでもいいから玉の輿狙い、って言ってんのを、知らねぇとでも思ってんのか?」
「!」
バッと、ウィルヘルムに押さえられた手首を取り戻したカティアは、シャーロットを睨みつけると、
「兄弟揃って誑かすとか、最悪!」
と、捨て台詞を残して駆け去って行く。
「シャーロット」
どう言葉を尽くしても理解し合えなかったのか、と、残念な思いでカティアの背を目で追っていたシャーロットは、ウィルヘルムに名を呼ばれ、振り返った。
ウィルヘルムが、気遣わし気な顔を向ける。
「…大丈夫か?」
あの日以来、初めて顔を合わせた。
シャーロットが意識して避けているのもあるが、ウィルヘルムもまた、何を言えばいいのか判らなかったのだろう。
兄の嫁となる筈だったシャーロットを、己の嫁にせよ、と言われたのだから。
「ウィルこそ…大丈夫?獣人族の方は、政略結婚なんてしないのでしょう?」
一人分の距離を開けて、並んで地面に腰を下ろした。
マチルダの家で薬草を摘んでいた時には、よくこうして休憩したものだ。
暗に、好いた相手はいないのか、と尋ねると、ウィルヘルムは苦い顔をした。
「俺も…一応、バーナディスを名乗ってるからな。まぁ、頭の隅にはあったさ。それに、相手が、お前、なんだし、そこに対して思う事はねぇよ」
ウィルヘルムは、人族の社会についても詳しく学んでいるようだった。
振り返れば、領兵になりたい、と言うのも、兄を傍らで支えたいと言う気持ち、支えなくてはならない事情からだったのだろう。
「でも、さ…シャーロットが好きなのは、兄さんだろ。婚約者の変更なんて言い出されて…辛くないのか?」
シャーロットは、曖昧に微笑む。
「…私が、辛いのは」
シャーロットは、絞り出すように言葉を吐き出した。
「ヴィンセント様が、ご自分の生まれを否定されたように感じてらっしゃる事よ」
「…それは、ヘンリクが言ってる、俺ならよくて、兄さんだとダメだ、って話だよな?」
シャーロットは、出来るだけ感情を入れないように、淡々と話した。
「私の産む子供は、バーナディス家を継ぐには獣人族の血が薄くなり過ぎる。だから、ヘンリクさんは、私をヴィンセント様の妻として認められないのですって」
はっ、と、ウィルヘルムが息を飲んだ。
「そうか…俺と兄さんの事情を、知ってるのか」
「いいえ、ヴィンセント様は、何も教えて下さらないわ。私が知っているのは、ヴィンセント様のお父様が先代のバーナディス辺境伯で、お母様が人族の女性だ、と言う事。そして、ヴィンセント様が生まれた後に、先代の辺境伯様が、番となる獣人族の女性に出会ったと言う事だけ」
ウィルヘルムが、一瞬、苦し気に目を瞑る。
ウィルヘルムの態度を見ていれば、判る。
彼は決して、自分の生まれを誇っていない。
番と出会えるのは、獣人族にとって最も幸福な事なのだと、タシャ達は言っていた。
その間に生まれた子供が、他の子供よりも強い事も。
それにも関わらず、ウィルヘルムは、両親の出会いにも、自分の生まれにも、胸を張っているように見えない。
シャーロットに出会った時も、ウィルヘルムは自分の噂を知らないのか、と安心していたようだった。
番が出会うと、ノーハン中を情報が駆け抜けると聞いた。
彼の父は辺境伯なのだから、生まれる前から注目されていた事は想像に難くない。
「…兄さんは、辺境伯として、領主として、立派にノーハンを守ってる。確かに、兄さんは純血の獣人族じゃない。でも、それだけを理由に兄さんを否定するヤツは、ノーハンに要らねぇ」
若者らしい極論に、シャーロットは思わず笑う。
「ヴィンセント様が、ノーハンを立派に守ってらっしゃる、と言う点については同感だわ」
「人族の血が混じってる獣人族って、多分、人族が思ってるより多いんだ。見た目が人族と全然違わない獣人族だって少なくないし、そう言うヤツは人族の社会で暮らしてる。自分に獣人族の血が流れてる事すら、知らないヤツもいる。俺達は、匂いで判るけど」
「そうなの?」
「獣人族の血が薄くなる程、外見も内面も、獣人族としての特徴は薄まってくからな。でも、先祖返りみたいなヤツもいる。そう言うヤツは、人族の領地だと暮らしづらくなって、ノーハンに移住してきたりする」
曲りなりにも、マハトの王女であるのに、初めて聞く話に、シャーロットは目を丸くした。
「血が四分の一になる事で、人族と殆ど変わらなくなるのか、獣人族の特徴が残るのか、そんなのは、生まれてみないと判らない…生まれる前から悩んだって仕方ねぇ」
「ウィルは…バーナディス家の人なのに、血が薄まる事に反対する気持ちはないの?」
恐る恐るシャーロットが尋ねると、ウィルヘルムは苦笑する。
「獣人貴族ってバーナディス家の立場を考えたら、反対しねぇとダメなんだろうな。人族の血が混じった獣人族が少なくないと言っても、バーナディス家はずっと、純血で繋いで来た家系だ。兄さんの実力が獣人族の中で群を抜いてたって、血を理由に、色々言われる事もあったのは想像出来る。…以前のゴタゴタで、見る目が厳しくなってるって事も。でも、兄さんは、ずっと、いい領主、いい兄であろうと、すげぇ頑張ってきた。それこそ、我儘も何も言わねぇで。ほんとは、俺に言いたい事だって、たくさんあった筈なんだ。その兄さんが、初めて自分から望んだ相手なんだぞ。他の誰が認めなくても、俺だけは、賛成するしかねぇだろ」
シャーロットの頬に、ぽろりと涙が零れる。
誰一人、シャーロットがヴィンセントの花嫁になる事を肯定してくれた人はいなかった。
近習達だって、ヴィンセントの態度が変わってからは、シャーロットに接触しなくなった。
ジェラルドやコリンが、物言いたげな目で見て来る事はあるが、それは、ノーハンへ向かう道中もそうだった。
彼等はきっと、この未来が見えていたに違いない。
シャーロットの気持ちを慮って何も言わなかっただけで、獣人族がどう反応するか、彼等は誰よりも理解していた筈だ。
ヴィンセントを主と仰ぐ彼等が、ヴィンセントに隠居を決断させたシャーロットを、好ましく思うわけがない。
気が付いていなかったのは、シャーロットだけ。
今、シャーロットは、領主館で、北の塔と比べて何不自由ない生活を送らせて貰っている。
環境だけで言えば、北の塔とは比べ物にならない位だ。
だが、シャーロットの心には、大きな穴がぽっかりと開いていた。
ヴィンセントが、同じ屋敷内にいると判っているのに、会えないからこそ、余計に。
「あぁ、もう、ほら、泣くなよ」
ウィルヘルムが慌てているのが聞こえるものの、一度零れた涙は、容易には止まらない。
立てた膝に顔を埋めて声を殺して泣くシャーロットの髪を、ウィルヘルムは、そっと宥めるように撫でた。
「前にした話、覚えてるか?」
「…どれの事…?」
「予想と違ったら、そこで初めて考えろ、って話」
「えぇ…」
「シャーロットはさ、誰もが諸手を上げて歓迎する結婚だとは、思ってなかったんだろ?」
「そうね…」
「今と、同じ状況じゃねぇか」
「そう、だけど…」
シャーロットが花嫁として不足していると言うのであれば、ヴィンセントに相応しくなるよう努力出来た。
ヴィンセントが番に出会ったから、身を引けと言うのであれば、ヴィンセントの獣人族としての幸せを考えて、心の痛みを押し殺して身を引く覚悟をしていた。
王族として生まれた以上、利益を追求する政略結婚は、仕方がない。
そう思っていたのに、彼に恋をしてしまった。
「…私が、努力すればいい話じゃ、ないじゃない…」
ヴィンセントの為ならば、頑張れると思っていた。
今だって、頑張りたいと思っている。
けれど、彼の為に何をすればいいのか判らなくて、辛い。
ヴィンセントが婚約解消ではなく、ウィルヘルムとの婚約を提言したのは、王族であるシャーロットを守る為だ。
他の解決方法を提示出来ない以上、守られる側のシャーロットが、どうしてもヴィンセントがいいのだ、と言い張っていいわけがない。
彼は、シャーロットに好意を示してくれたが、好きだとは、愛しているとは、言った事がない。
シャーロットが想うように、ヴィンセントが想いを向けてくれているわけでは…ない。
「…私、ウィルの事、好きよ」
「何だよ、急に」
「ウィルも、私の事、嫌いではないでしょう?だから、私達、案外、上手くやっていけると思うの」
「おい」
欲しいものを、欲しいと言う事が出来ない十五年だった。
諦めて、諦めて、全てを諦めて来た。
自分はどうやら、勘違いしていたらしい、と気づく。
北の塔から外の世界に出る事が出来たから、今度は、欲しいものに手を伸ばしてもいいのだと思ってしまった。
そんなわけがない。
やはり、欲しいものは手に入らないのだ。
だって、シャーロットは、精霊に祝福された…呪われた姫なのだから。
「…ヴィンセント様が、番と出会えると良いのだけど…」
「…何で、そんな事言うんだよ。シャーロットは、兄さんが好きなんじゃないのか」
「…お慕いしているわ。だからこそ、ヴィンセント様にはお幸せになって頂きたいのよ。獣人族の方にとって、番は絶対と聞いたもの。番は、心の半分。番がいれば、満たされる、って。ヴィンセント様は…お優しいから、私を傷つけたと、ウィルの心に配慮しなかったと、苦しんでいらっしゃる。ウィルの事は、私が頑張って幸せにする。でも、ヴィンセント様は…。番がいれば、心の傷も癒えるのでしょう?」
「違う」
「ウィル?」
「違う。番は…番は、そんな便利なもんじゃない」
ウィルヘルムは、強張った顔で言い切った。
「そう…なの?」
ならば、シャーロットは、何にヴィンセントの救済を願えばいいのか。
絶望したシャーロットの顔を見て、ウィルヘルムは溜息を吐いた。
「少なくとも…俺が知ってる番、先代様と母さんは、違った」
ウィルヘルムにとって父親である先代辺境伯を、『先代様』と呼ぶ事に違和感を覚える。
「え?」
「番が見つかって真に幸せになれるのは、愛する者がいない場合だけなんだよ」
くしゃり。
ウィルヘルムは、癖のある黒髪を大きな手で乱暴にかき上げた。
「兄さんはきっと、この話を自分からはしない。だから…黙ってようと思ったけど、俺がお前に話すよ」
47
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~
水上
恋愛
「カビ臭い地味女」と王太子に婚約破棄された王宮修復師のリディア。
彼女の芸術に関する知識と修復師としての技術は、誰からも必要性を理解されていなかった。
失意の中、嫁がされたのは皆から恐れられる強面辺境伯ジェラルドだった!
しかし恐ろしい噂とは裏腹に、彼はリディアの不健康を見逃せない超・過保護で!?
絶品手料理と徹底的な体調管理で、リディアは心身ともに美しく再生していく。
一方、彼女を追放した王都では、貴重な物が失われたり、贋作騒動が起きたりとパニックになり始めて……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる