獣人辺境伯と精霊に祝福された王女

緋田鞠

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***

 先代の辺境伯は、二十歳の時に、アテム領主の娘メリーダ様と結婚した。
 二人は幼い頃から相思相愛の仲で、周囲は、獣人族も人族も、二人の関係を微笑ましく見てたらしい。
 バーナディス家は、純血の獣人族で繋がれてきた家だ。
 でも、当時は今みたいに、人族との婚姻への忌避感はなかったから、互いに気持ちがあるのならば、と、特に反対意見もなかった。
 例え獣人貴族でも、恋愛結婚が当たり前の家風だったからな。
 先代様は、成人を迎えてからも数年は、結婚の話をせずに様子見をしてた。
 勿論、番と出会う可能性を考慮しての事だ。
 数年経っても出会いがないから、安心して、メリーダ様と結婚した、って聞く。
 それから直ぐに、兄さんが生まれた。
 兄さんは半獣人で、獣の耳も尾もなかったけど、小さい頃から体が大きく、力も強くて、次代の辺境伯として、期待を一身に受けてた。
 そのままならきっと、尊敬される領主夫妻、将来有望な子息でいられたんだろうな。
 …先代様が、母さんに出会ったのは、先代様が三十三、母さんが十四の時だ。
 鼠族は早熟だから、母さんはその時にはもう、成人してたって聞く。
 偶然、鼠族の集落に視察に訪れた先代様と母さんは、目が合った瞬間に、互いが番だと分かったそうだ。
 母さんは、初めての恋と、番に出会えた事に浮かれた。
 先代様に妻子がいる事は知ってたけど、当然、そちらを切り捨てて自分が選ばれると思ってた。
 でも…先代様は、母さんを選ばなかった。
 先代様も、母さんが番の相手である事は判ってる。
 だけど、恋愛結婚で結ばれたメリーダ様と別れる気は、全くなかったんだよ。
 例え番であっても、本能が母さんを求めていても、気持ちはメリーダ様にある、って言って。
 ――…母さんは、諦めなかった。
 諦められなかった。
 出会ってから二年、メリーダ様に、ありとあらゆる嫌がらせを仕掛けた。
 周囲の獣人族を巻き込んで、番に伴侶の席を譲らない事の非道さを訴え続けた。
 先代様は、当然、母さんを叱りつけた。
 番を選ばないと言う選択は、先代様自身が選んだものだ。
 だけど、『番』に夢を見る獣人族達は、相手が人族のメリーダ様だからこそ、歪曲して解釈して、余計に加熱した。
 人族には番の大切さが判らないんだ、とか、メリーダ様が我儘で束縛するから、先代様は母さんを選べないんだ、とか。
 最初の頃はメリーダ様も、先代様の心はここにある、と泰然と構えてたらしいけど、それまで親しくしてた獣人族達が掌を返すように人族差別をするのを聞いて、疲れ切ってしまった。
 とうとう、離縁を望んで、アテムに帰ってしまったんだ。
 先代様は、ノーハンの環境は今のメリーダ様にとって害になる、と、冷却期間を置く事にしたらしい。
 同時に、これまでは冷静に言葉で説いてた母さんの説得を、実力行使も厭わないようになったそうだ。
 先代様の本気の怒りを見て、母さんは、嫌がらせを止める代わりに最後に一度だけ情けが欲しい…二度と顔を見せないから、と、先代様に迫った。
 曲がりなりにも番だからな。先代様は、無下に出来なかったんだろう。
 …その一回で出来た子供が、俺だ。
 獣人族は、子供になかなか恵まれない。
 普通の夫婦が生涯設ける子供は、多くて二人。
 子供が生まれないから一人一人が強いのか、自然淘汰されにくいからなかなか生まれないのか、それは知らない。
 だけど、確かなのは、番の間に子供は出来やすい、って事だ。
 母さんは、妊娠をひた隠しにして、密かに俺を生んだ。
 それから五年間、ばぁちゃんの家でこっそりと育てて、俺が先代様そっくりの誰からも親子関係を疑われない外見に育ってから、先代様の子だ、この子が次の辺境伯だ、と誇らし気に領内に触れ回った。
 母さんの出産を知ったメリーダ様は、先代様の裏切りにパニックになって、発作的に自殺を図った。
 その知らせを聞いた先代様は、単騎でアテムに向かう途中、大雨で泥濘んだ道で、落馬して亡くなった。
 母さんは…先代様の死を知って、死んだ。
 番を失うって事は、心の半分が死ぬって事だから、番の片割れが後を追うのは珍しい事じゃない。
 母さんが、俺の存在を公表してから、一週間以内の出来事だ。
 ばぁちゃんが、人族嫌いになったのは、そのせいだ。
 メリーダ様は、何も悪くないのにな。
 自分より先に子供が亡くなったんだ、悲しみのぶつけ先がなかったんだろう。
 母さんは、俺さえいれば、先代様が自分のものになる、と思ってた。
 俺への愛情が全くなかったとは言わないけど、先代様に振り向いて貰う事の方が重要なんだって事を、小さくても感じてた。
 だって、生まれてから五年、俺は名前すらなかった。
 先代様に名付けて貰うから、って言って、ばぁちゃんがどれだけ諫めても、名前をつけようとしなかった、って聞く。
 実際、俺の面倒見てたのもばぁちゃんだしな。
 結局…俺は、先代様が生きてる間に会う事はなかった。
 母さんの妄想めいた話でしか知らなかった父親の家と繋がりが出来たのは、母さんの葬式が終わった後。
 俺の噂を聞いた兄さんが、ばぁちゃんの家を訪ねて来た。
 名前すらないって聞いて、「ウィルヘルム」って名前をくれた。
 人の口には戸が立てられないから、俺の事は領内で色々噂になったけど、兄さんは、俺を先代様の子として正式に認めて、保護してくれた。
 バーナディス家の子供として、貴族としての教育を与える一方で、ばぁちゃんとの時間を優先してくれた。
 …兄さんは、両親を奪った俺の母さんを恨んでる筈だ。
 だって、母さんのせいで、兄さんはメリーダ様から引き離されて育った上に、両親を亡くしたんだ。
 でも、母さんと俺は別だって考えてくれてる。
 俺は…兄さんに、ちゃんと恩返ししなきゃならない。
 シャーロット。
 確かに、番として出会った相手と愛し合えば、誰にも引き離す事は出来ない。
 それは、不可能だ。
 無理に引き離そうとしたら、両方とも、心身共に壊れちまう。
 でも、番は、絶対の存在じゃないんだ。
 本能を刺激し、相性のいい相手だけど、心底愛する相手を越えられるわけじゃない。
 それが判ってる兄さんが、番との出会いを求める事はないだろう。
 何よりも…兄さんの事を好きなお前が、番の存在なんて、望むな。
 お前の心が、先に壊れるぞ。

***

「…じゃあ、私はどうすればいいの…?」
 ヴィンセントがシャーロットの幸せを望むように、シャーロットがヴィンセントの幸せを望む事は出来ないのか。
 何も言わず、何もせずに、ウィルヘルムと結婚する事だけが、シャーロットの出来る事なのだろうか。
 いや、違う。他にも出来る事はある。
「ヴィンセント様は、ノーハンに呼び寄せた責任を感じてらっしゃるけれど、本来なら、これは私の問題なのだもの。婚約解消すればいいのだわ。そうすれば、ヴィンセント様は辺境伯のままだし、ウィルは私と結婚させられなくて済むわよね」
 王都に戻る事は出来ないし、人族の領では、精霊の祝福が不意に発現した時に問題が起きるだろう。
 可能ならば、このまま、ノーハンに住んでいたい。
 彼の目に触れないように、何処か人里離れた所に小屋を建てて住めばいい。
 彼が愛する人と寄り添う姿を見るのは、辛い。
「あぁ…でも、婚約解消しても、私に何かあったら、ヴィンセント様が気に病まれるわね…」
 ノーハンには、観光を目的とした旅人はいない。
 ひっそりと息を殺して暮らせば、見つからないだろう。
 万が一にでも、マハトの王女と知れたら、大変だ。
 一人で。
 一人きりで。
 誰とも家族を作らずに、生きていけばいい。
 だって、シャーロットの心は、ヴィンセントのものだ。
 彼を慕う気持ちだけは、シャーロットの唯一、自由になるものなのだから。
 誰に咎められても、心の中までは縛られない。
 彼が向けてくれた笑顔を胸に、生きていけばいい。
 ヴィンセントが、シャーロットの事を愛していなくても。
 そうしていつか、シャーロットは天の花園へと旅立ち、森の奥の小さな小屋は、緑に飲まれるのだ。
「シャーロット!」
 突然、耳元で大きな声で名を呼ばれ、シャーロットは目を瞬いた。
「落ち着け!」
「……え?」
「これを、止めるんだ!」
 必死な、ウィルヘルムの声。
 ゆっくりと、ウィルヘルムの顔に目を遣る。
 彼は、声音と同様、血相を変えて、シャーロットを見ていた。
「これを、止めるんだ」
 一音一音を区切るように発言するウィルヘルムに、シャーロットは自分の周囲を見回す。
 ――…緑だった丘が、シャーロットを中心として、円状に枯れていた。
 シャーロットが両手を広げた位の範囲だったものが、じわじわと、だが、目にも確認出来る速度で、広がっている。
 このままではいずれ、丘全てを飲み込んでいくだろう。
「何…これ…」
「お前、何か、嫌な事考えたんだろ?!精霊が嘆いてる。悲しんでるんだよ!」
「そんな…事、言われても…」
 シャーロットの声が、震える。
 三歳の誕生パーティを思い出した。
 シャーロットの負の感情に反応して、誘拐犯の腕が焼け焦げた木の枝のようになった事を。
 「誘拐犯の腕を炭化させた」と文字で聞いた記憶ではなく、自らの目で見た映像の記憶が、蘇る。
 忘れていたのに。
 たった今まで、忘れられていたのに。
 じわじわと、闇色だった記憶が色鮮やかに変化していく。
「いや……」
 思い出したくない。
「いや…っ」
 思い出させないで。
「いやぁ……っ」
 私は、化け物じゃない。
 見開いた目から、止め処なく涙が零れ落ちる。
 全てを拒むように、シャーロットは絶叫した。
 ウィルヘルムが、必死の形相でこちらに手を伸ばしたのが見えたが、その手を取ろうとは思えなかった。
 来ないで。
 これ以上、傷つけないで。
 世界がシャーロットを拒むなら、シャーロットも世界を拒むだけだ。
 ヴィンセントが隣にいないのなら、彼が柔らかな視線でシャーロットを見てくれないのなら、この世界にこれ以上、いる事は出来ない。
「       」
 ヴィンセントの名を呼ぼうとして、口を開いたが、それは音をなさなかった。
 ふつ、と、頭の中で、何かが切れる音がする。
 蝋燭の炎が消えるように、一瞬にして視界が暗転し、シャーロットは意識を失った。
「ロッテ…!」
 誰よりも大好きな人の声を、最後に聞いて。
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