婚約破棄は、まだですか?

緋田鞠

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「エディース!喜べ!父さんが、お前の婚約を結んで来たぞ~!」
 三ヶ月ぶりの帰宅の第一声が、これとは。
 父の乗る飛竜の鳴き声を聞いて、玄関先まで迎えに出たエディスは、「お帰り」と言うのも忘れて、ぽかんと口を開いた。
「…父さん?父さんは、西域騎士団に助っ人に行ったんじゃなかった?」
「そうだぞ?週替わりで息子達を送り込んでくれて、助かった!今年は、西が当たり年だなぁ。まだ当面、忙しいだろうが、大ボスは封じたからな。うちからの助っ人は、もうそんなに要らんだろ」
「そうだよね?魔獣討伐に行ったんだよね?」
「おうよ!ちょっと珍しい魔石も取れてな。後で見るか?」
「あぁ、うん、それは見せて欲しいけど、そうじゃなくて。何で、魔獣討伐に行って、私の婚約が決まったの?」
 西域騎士団だけではなく、王都を含めて東西南北合わせて五つの騎士団は全て、男性のみで構成されている。
 確かに、エディスの婚約者になってくれるかもしれない性別しか、そこにはいないわけだけれど、でも。
 だって。
 いや、まさか。
「おぉ、ご子息の婚約問題を抱えてる御仁と、うちのも婚約が調わない、って話で、盛り上がってなぁ」
 男性の結婚適齢期は女性よりも長いとは言え、四十の声が聞こえてくると、流石にせっつかれるらしい。
 エディスとしては、別にお相手の年齢に制限はない。
 だが。
「…私、また、顔を合わせた途端に『このお話はなかった事に』は、流石にイヤなんだけど…?」
 あぁ、嫌な予感しかしない。
 いつも、そのパターンだよね…、と、エディスは胸の中で溜息を吐いた。
 父のトマスは、少々脳筋のきらいはあるが、悪い人間ではない。
 だが、どうにもこうにも、楽観的なのだ。
 トマスが、「いい縁談を持って来たぞ!」と盛り上げるだけ盛り上げて、いざ、お相手に会った途端に破談になる事、実に…あれ?何回だ?
 五十回を過ぎた所で、虚しくなったエディスは数えるのを止めてしまったから、正確な数は覚えていない。 
 トマスはこうして、他の騎士団に助っ人に行く度にエディスに見合いを持って帰って来る。
 エディスが、結婚を望んでいる為だ。
 だが、それが実を結んでいないから、今も独身貴族なわけで。
 年齢だって、下は成人したばかりの十八から、上は後妻を望む五十過ぎまで、様々な年代の男性と会ったけれど、反応は概ね、同じだった。
「あぁ、それはない。もう、先方が婚約宣誓書を王都に持って行ってるからな」
「……はぁ?」
 それは、何か。
 父親同士で盛り上がって、子供達(いや、エディスはもう、子供と呼ばれるのは恥ずかしい年齢ではあるのだけど、トマスから見れば子供であるわけで、うん)の意向は無視して、勝手に婚約宣誓書を提出した、と。
「…あのね、父さん」
「ん?」
「確かに私は、お相手に求める条件なんかない、って言った。婚約破棄されてもいい、って言った。寧ろ、婚約破棄されたら、大手を振って、この家を出て行けるから、別にいいんだけどね」
「ん」
「お相手に申し訳ないでしょ!」
 突っ込む所が違うだろ、とは、この様子を見ていた末弟のキム談。
 でも…エディスからしてみれば、本当に心底申し訳ない。
 婚約者がいない理由が何かは判らないが、恋人と家格の釣り合いが取れないのだとか、今は仕事が楽しいのだとか、そもそも女性は対象じゃないだとか。
 色々、人には事情と言うものがあるのだ。
 と、エディスは、長年の経験から学んだ。
 それを、心配だから、を免罪符に親が勝手に婚約を結ぶだなんて、エゴでしかない。
 ましてや、相手がエディスでは。
 伊達に、「はじめまして」と挨拶しただけで飛び上がられたり、気絶されたり、粗相されたり(…)してきたわけではない。
 エディスだって、相手を虐めているわけではないのだし、そんな反応に慣れはしても、思う所がないわけではないのだ。
「あぁ、大丈夫だ。その辺りの事情も全て承知された上での話だからな」
「どう言う事?」
「先方のご子息もまた、西域騎士団で任務に当たっているんだがな?さっきも言ったように、今年は西が当たり年。忙しくて忙しくて、婚約なんて全くもって考える余裕がねぇんだが、如何せん、周囲が放っておいてくれんのだそうだ。自邸だけでなく、騎士団にまで、わんさと身上書と姿絵が送り付けられて、まともに事務が出来ねぇ始末。後数年は結婚する気はねぇ、と公言してきたが、抜け駆けとでも言うのか、お約束だけでも…だとか、名前だけでも知って頂きたい…だとか、何とか」
 あぁ、非モテ仲間ではなかったのか。
 勝手に親近感を持って申し訳ない。
 候補者が大勢過ぎて選べない、なんて、都市伝説かと思っていた。
「…つまり、余計な縁談を持ち込まれない為の偽装婚約?」
「偽装じゃねぇぞ。ちゃんとナイジェルの許可を貰って、正式な宣誓書を交わす」
 ナイジェルとは、ここ、サンクリアーニ王国の国主、つまり、国王の名だ。
 トマスは、貴族とは言え、男爵に過ぎない。
 であるにも関わらず、国王を呼び捨てにしているのは、トマス・ラングリード男爵が、東域どころか国内で最も危険なイエスタ領を治める領主だからであり、男爵位に留まらない活躍をしている東域騎士団長だからであり、国王が脳筋トマスの幼馴染だからである。
 かねてより、「功績に見合わない爵位では、他の者に褒賞を与えづらくて困る」、と陞爵を求められているトマスが、
「面倒くせぇ」
の一言で、ナイジェルの要請を撥ねつけて来た事を知っているエディスとしては、トマスの本心が読み取れない。
「えぇと…?陛下のご許可を頂いて、正式に婚約を交わす。目的は、先方が縁談攻勢から離脱する事。ここまではいい?」
「あぁ」
 いつも魔獣討伐の作戦を立てる時のように、エディスは慎重に考えを巡らす。
「そして、仕事が落ち着いてしっかりと婚約について考えられるようになったら、婚約解消、と」
「そうしたければ、な」
「なるほど」
 「なるほど、じゃないよ!」と、キムは心の中で突っ込んでいたらしいが、お見合いをすっ飛ばして婚約済みと聞いて、冷静なつもりでも静かに混乱していたエディスは、気づかなかった。
「…それは、陛下にご迷惑をお掛けする事はない?」
 サンクリアーニ王国では一般的に、貴族同士の婚約は、貴族院に申請する。
 貴族院は両家の財政状況や領地環境を把握しており、明らかに一方的な搾取になりかねない政略結婚は、ここで申請拒否される。
 何分、魔獣の存在により、領地間を容易に行き来出来ない環境である為、甘言に騙されるケースが相次いだ時代の名残だ。
 貴族の少子化はどの家であっても難問なので(※但し、ラングリード家を除く)、不幸な先行きの見える婚姻はそもそも、許可されない仕組みになっている。
 だが、詳細を調査されない抜け道も存在する。
 それが、国王に直接認可を取る、と言う方法。
 仕事に支障が出る程の縁談が舞い込むと言う事は、先方は有名な大貴族家なのだろう。
 対するエディスのラングリード家は、男爵家。
 先祖代々、由緒正しい騎士の家柄で、その功績は国内一と自負しているし、家名だけなら有名だ。
 だが、やはり、男爵家は男爵家なのだ。
 貴族院に申請すれば、釣り合いが、とか何とか、ややこしい突っ込みを入れられて、婚約成立までに下手すると年単位で時間が掛かる。
 それでは、先方の虫除け役が果たせない事から、手っ取り早い国王認可を選んだ、と思われる。
 けれど。
「国王認可を取っておいて、婚約解消なんて…可能なの?」
 つまりは、許可した国王の顔に泥を塗るわけだから。
「ただでは頼んでねぇから、お前は心配すんな。それ以前に、何でまた、婚約解消が前提なんだ?」
「それは…」
 それに、だ。
 そもそも、エディスが望んでいるのは、婚約「解消」ではなく、婚約「破棄」だ。
 婚約解消は、双方が、
「やっぱり、このお話はなかった事に」
と同意する事。
 婚約破棄は、一方が、
「この婚約は、無効だ!」
と相手の瑕疵を上げて拒否する事。
「あのなぁ、エディス」
 トマスが、呆れたような顔をする。
「お前が婚約破棄して欲しい理由は何だった?」
「えぇと…行かず後家がいつまでも家にいるのは義姉さんに申し訳ないから、婚約破棄された傷物令嬢として、穏便に家を出て一人暮らしする為…」
「目的と手段をはき違えちゃいけねぇよ。お前は、フローラに気を遣わせたくないから家を出たい。それだけだろ?」
 長兄アーサーの妻フローラの顔を思い浮かべて、エディスはこくりと頷いた。
 フローラはとても優しく、エディスを邪険にした事は一度もない。
 だが、人の優しさは時に、心の深い所を抉る。
「婚約破棄は、目的じゃねぇ。家を出る、と言う結果の為のものだ」
 トマスが何を言いたいかは、判っているつもりだ。
 寡婦ならともかく、未婚の貴族令嬢が家を出て一人暮らし等、出来ない。
 それは、能力的な問題ではなく、立場の問題で、だ。
 エディスは魔獣討伐にも同行するから、身の回りの事は全て自分で出来るし、食事だって作れる。材料から獲る事も勿論、得意だ。
 けれど、ラングリード男爵令嬢、と言う身分が、エディスにそれを許さない。
 未婚の貴族令嬢が家を出る為には、出家して修道院に行くか、婚約破棄などの傷を負って貴族社会に身を置けなくなった結果、市井に身を潜めるか。
 現状、手っ取り早いのが修道院なのは判っているが、エディスは魔獣討伐を辞める気はない。
 世間様に「貴族令嬢」として認識されず、結婚して家と家を繋ぐ義務を果たせない以上、エディスが領民の為、ラングリード家の為に出来る事は、魔獣討伐しかない。
 イエスタ領は、魔獣の湧き出る深淵の森に接する領。
 魔獣討伐が出来る人間は、一人でも多い方がいいのだから。
「…あのね、父さん。先方のお父様は、ご納得下さっているかもしれないけれどね?私は、婚約相手の方に一度もお会いしていないでしょう?また挨拶した瞬間に気絶されたら、婚約解消しかないと思うんだけど?」
「お前なぁ。相手は、曲がりなりにも魔獣討伐を請け負ってる西域騎士団の騎士だぞ?」
「……父さん。私が何十回、騎士とお見合いしたと思ってるの…」
 う、と、流石にトマスが言葉に詰まった。
 百戦錬磨の騎士ですら、エディスに会うと、言葉に詰まり、及び腰になる。
 威圧感と言うのか、覇気と言うのか、そう言う目に見えないものが、エディスの周囲にはあるのだそうだ。
 意識して出しているものでもないから、引っ込める事も出来ない。
 とは言え、初対面の相手が腰を抜かす程に驚くのは、エディスの外見が原因であるのは事実だけれど、最大の理由は家族なのだ。
 何しろ、父であるトマスを始め、エディスの兄弟は紅一点であるエディスを、それはそれは猫可愛がりに溺愛している。
「エディスは、小さくて可愛い」
「エディスは、華奢で可愛い」
「エディスは、お淑やかで可愛い」
 そう、デレデレと鼻の下を伸ばして褒めそやされていた娘と会うのだから、相手の妄想は絶好調、期待値も上がると言うものだ。
 結果として…実際のエディスに会って、想像とのギャップを処理しきれずに、意識をシャットダウンしてしまうわけで。
 別に、父や兄弟に悪気があるわけではない。
 彼等にとっては、エディスは、小さくて華奢でお淑やかで可愛いのだ。
 世間一般の感覚と、少し…いや、大きく、ずれているのが問題なだけで。
 だが、エディスは、父や兄弟が、家の外でどれだけハードルを上げているのか知らない。
 初対面で気絶される経験から、自分の外見が余程、貴族令嬢として世間に受け入れられ難いものなのだ、と理解しているだけだ。
 エディスに慣れている東域騎士団の騎士達だって、トマスが冗談交じりに、
「エディスを嫁に貰いたいヤツはいねぇか?」
と尋ねたら、首を傾げて、
「…嫁貰う…?…嫁貰うんじゃなくて…?」
と言った位だ。
 そもそも、女として認識されていない。
 社交界デビューから実に十年。
 エディスにだって、もう、諦めはついている。
 貴族令嬢の役目を果たしたいと願っていたけれど、一生このまま、結婚する事はないのだろう。
 何しろ、こちらが望む条件は、たった一つだと言うのに、相手方から断られるのだから。
 因みに、トマスが出した条件は、エディスを大切にする事、と言うものだった。
 エディスは大概の事は何でも自分で出来てしまうから、相手に求めるのはそのただ一つ。
 けれど、途方もなく厳しい条件なのだろう。
 いや、極僅かに、エディスがいい!と言う者もいたか。
 だが、彼等は総じて、特殊な性癖の持ち主で…男所帯に居るが為に耳年増ではあるけれど、自身の経験値は極めて低いエディスには、少々受け入れ難かったので、お断りした事情がある。
「心配すんな。悪いようにはなんねぇよ」
「…まぁ…陛下とお相手方にご迷惑をお掛けしないなら、いいんだけどね…?」
「て事で。お前、明日っから、西域騎士団に出張な」
「え?」
「ある程度、収まって来たとは言え、まだやる事はあるだろ。俺もあんまり、東域を空けてらんねぇしな。戦力的には、お前が丁度いい」
「えーっと…?婚約者様にご挨拶に行け、ってわけじゃないんだよね…?」
「ま、兵営にはいるから会うだろうが、別に挨拶して親睦深めて来いってわけじゃねぇ」
「そう…」
 エディスだって、魔獣討伐の大変さは重々理解しているから、西域騎士団では猫の手ですら借りたいであろう事は判る。
「今夜は夜会に出る予定があるから、明日の出発は少し遅くなりそうだけど、いい?」
「問題ねぇよ。ポチの足なら六時間だ」
 東域騎士団の所在地であるイエスタ領と、西域騎士団の所在地であるウェルト領は、馬車で二週間。
 だからこそ、各地域の交流は余り行われていない。
 他の兄弟と異なり、エディスは東域から出された事さえないのに、一体、どうした事か。
 今一つ、納得は出来ないながらも、家長の言う事は絶対だ。
 首を捻りつつ、ある程度、滞在期間が延びてもいいように、荷作りするべく部屋に向かうエディスの背を見送って、今年、東域騎士団に入団した末息子キムが、胡乱気にトマスに声を掛ける。
「ねぇ、父さん。何、企んでるの?」
「あ?何も企むもんか。俺のエディスに、ぴったりの相手を見つけただけだ」
「そんな人がいるなら、とっくに姉さんの結婚は決まってるでしょ」
 キムは、十八とは思えない上背と太い二の腕を持っているが、まだまだトマスには適わない。
 何しろ、トマスは『東の悪魔』の異名で通る男だ。
「…て言うか。西域に、姉さんを任せられるようないい男で独り身って居た?」
「居ただろ?大物が」
「え……まさか、ユーキタス副団長とか言わないよね?」
「いい男だっただろうが」
「いや、いい男だったけど。だったけどさぁ!」
 姉さん、生きて帰って来てね。
 幼い頃に母を亡くし、エディスを母代わりとして育って来たキムは、心の中で、エディスに祈りを捧げる。
 ユーキタス副団長ことジェレマイア・ユーキタスを取り巻く女性陣に、物理で負ける事はありえないが、エディスは女性相手だと一歩どころか百歩位、引いてしまう所がある。
 ぐいぐい押して来られたら、諸手を上げて無条件降伏してしまいそうだ。
「…ねぇ、ユーキタス副団長も、姉さんとの婚約、ちゃんと了承してるんだよね…?」
 キムの恐る恐るの質問を、トマスは、
「だぁから、問題ねぇって言ってるだろ?お前もいい加減、姉ちゃん離れしろって!」
と、ガハハと笑い飛ばすのだった。


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