推定聖女は、恋をしない。

緋田鞠

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 トアーズが辞去するのを見送り、私室に戻った後、ニーナは難しい顔をして腕を組んだ。
 その様子を、侍女兼護衛として傍に仕えるようになったライオネルの妹オリアナが、心配そうに見つめる。
「ニーナ様…?何か、ご心配な事が…?」
 ライオネルの生家ザンダー男爵家は、代々騎士を輩出して来た。
 ライオネルが嫡男で、その下に弟が三人、妹が四人。
 オリアナは二番目の妹で、幼い頃から剣を握って来た。
 いずれは、後宮に勤める女性騎士になる事が夢だったオリアナ。
 後宮に勤めないか、但し、侍女として、と兄であるライオネルに打診された時には、夢が中途半端な形に変わる事への抵抗があった。
 オリアナは飽くまで騎士になりたかったのであって、貴人に仕えたいわけではなかったのだから。
 けれど、相性を見る為に、と紹介されたニーナは、オリアナの想像とは全く違った。
 ガルダでは珍しい黒髪黒瞳。黄味が強いけれど肌理の細かい肌は、瑞々しく手入れが行き届いている。十代前半の少女のように小柄なのに表情は大人びていて、そのアンバランスさが目を惹きつける。
 何よりも、どこかふわふわした実のない会話か、オブラートに包んだ嫌味の応酬ばかりしている貴族令嬢の会話に嫌気が差していたオリアナにとって、ニーナとの会話は心地良いものだった。
 ニーナは、皮肉も言うし、綺麗事の正論で済ませないし、決して純真無垢なお嬢様ではない。
 けれど、母語ではない言葉で話すからなのか、その言葉は真っ直ぐで嫌味がない。
 知識の吸収に貪欲で、言語の習得と同時に恐るべき早さでガルダの知識を身につけている。
 恐らく、元の世界では相応の地位にいらしたのだろう、とは、ライオネルの言葉だ。
 平民出身と聞いているが、そう考えなければ、女性の身でありながら当然のようにペンと紙を所望し、自分の言葉で学んだ情報をまとめる技術がある筈もない、と。
 ガルダ語を書く練習だから、と、ニーナは熱心に取り組んでいるけれど、王宮勤めの文官に匹敵するだけの時間を学びに費やせるのは、相当、勉学に慣れている証拠だ。
 ニーナのまとめた紙は要点が整理されている上に、見た事のない図表も使用されていて判りやすい、と、ウルヴスも話していた。
 オリアナにはよく判らないものの、王弟の最側近として実務を取りまとめている彼が言うのだから、間違いない。
 その一点だけを取っても、ニーナは異色の存在だった。
 一般的なガルダ貴族女性にとって最優先とされているのは、生家にとってより良い縁を結び、子孫を繁栄させていく事。
 教養こそ身に着ける事を求められるけれど、ニーナが関心を持っているような地理や政治、経済にまで、知識は及ばない。
 それらの知識は、領地と王都しか知らず、子を育む事が最大の責務である女性達には、不要なのだから。
 必要とするのは王族に嫁ぐ令嬢だけであり、ニーナの学習内容は王妃教育に匹敵する。
 だが、飽くまでニーナ自身が求める故に与えられており、彼女の将来を規定するものではない、と言うのがヒースとディーンの考えだ。
 いつしかオリアナにとってニーナは、命じられたから仕える相手ではなく、自らの意思で仕えたい相手になっていた。
 それは、元から後宮の女官であったアンリエッタ、キャシー、バーサも同じようで、もっぱら、最近の彼女達の話題は、「どのような男性がニーナ様のお心を射止めるのか」だった。
 異性の目を気にしてばかりいる貴族令嬢を見慣れたオリアナにとって、異性に対して全く気負いも媚びも見せないニーナの態度は新鮮で、同時に、誰ならば彼女の心を射止める事ができるのか、興味津々でもある。
 オリアナがニーナに惹かれたように、彼女を慕っている様子の男性は多い。オリアナの兄であるライオネルも、どうやら、そのうちの一人だ。
 勿論、オリアナからすればライオネルに頑張って欲しい。
 身内の贔屓目ではあるけれど、ライオネルは少々強面ではあるものの整った顔立ちをしているし、男爵令息ながら王族の護衛を任されているのは出世頭と言っていい。
 しかし、女性に奥手で口下手な兄を思うと、可能性は残念ながらそう高くなさそうだ。
「心配…そう、ね、心配なのかも。ディーンと話す時間があるといいんだけど…」
 ニーナを慕う男性陣の中で、一歩抜けているのが、ニーナの後見人でもあるディーンだろうか。
 彼が頻繁にニーナに花を贈るので、オリアナは苦手意識のあった生け花に慣れてしまった。
 決して押しつけがましくなく、それでいて、好意を隠そうともしていないのだけれど、ニーナの反応は他の男性陣へのものと大差ない。
 けれど、咄嗟に出て来る名がディーンのものであるのは、彼がそれだけ、ニーナにとって身近な存在である証左なのだろう。
 オリアナは部屋の端に控えていたので、ニーナとトアーズの会話の具体的な内容までははっきりと聞き取れていない。
 だから、ニーナが指摘した事柄にトアーズが激しい衝撃を受けたようだと言う事、トアーズとの会話の結果、ニーナ自身が何か思い悩んでいるようだと言う事しか、判らない。
 オリアナはニーナの護衛として、ニーナが外部の人間と面会する時には音声保存の魔法石を起動するように、ヒース達に求められている。
 ニーナがまだガルダの言葉、習俗に不慣れな為、何かトラブルが発生した時に状況を確認する事が目的だった。
 ニーナの現状を逆手にとって、悪意を持って彼女を陥れる者がいないとは言い切れない。
 後見人が同席できない時の保険なので、特に先方に許可を求める必要はない、とは、国主たるヒースの言葉だ。
 とは言え、トラブル発生時以外は、魔法石の再生は許可されていない。
 その為、一体、何がニーナを悩ませているのか、オリアナが確認する事はできない。
 だから、こんな提案しかできなかった。
「気分転換に、お庭を散策でもなさいますか…?」
「うん…そうね、そうしようかな」
 日頃、ドレスは簡素な物を好むニーナだけれど、外出する際の日焼け対策は、こちらが何を言わずともきちんとしてくれる。
 季節は夏に向かい、陽射しがじりじりと強くなる中、半袖のワンピースドレスを着ていたニーナは、薄手のショールで首元と腕を隠し、日除けのボンネットを被った上で、日傘を差した。
「日焼けは、年を取ってからが怖いから」
 言葉の意味はよく判らないけれど、高貴な女性にとって肌の白さが大切であると考えているガルダ人侍女にとって、日焼け対策を自らしてくれる主は有難い。
「本日は、王宮で王太后陛下主催のお茶会が催され、ご夫人方がお見えです。ですが、後宮のお庭でしたら、静かにお過ごし頂けるかと」
 ヒースの母である王太后ヘレナとは、後宮に世話になるようになった当初に挨拶したきり、顔を合わせる機会もない。
 妃候補ではなく、あくまでも保護された落ち人に過ぎないニーナの身分から考えれば、当然の事だ。
「判った」
 オリアナだけを供にニーナが後宮の庭に出た所で。
「ニーナ」
「ヒース」
 随分と久し振りに、ヒースに出会った。
 この所の暑さの為なのか、普段よりも随分とラフな格好のヒースに、ニーナは漸く馴染んだガルダの挨拶をする。
 後ろに引いた脹脛が吊りそうだ。
「久しいな。元気にしていたか」
「はい、お陰様で」
「随分と、ガルダの言葉にも慣れたようだ」
 ふ、と笑うと、ヒースは自分の護衛に手を振り、オリアナにも離れるよう、指示を出す。
「ニーナ、折角だから、エスコートさせてくれないか」
「喜んで」
 ニーナの手から日傘を受け取ったヒースにエスコートされながら、暫く無言のまま、庭の小径を散策する。
 護衛に声が聞こえない距離と判断したニーナは、漸く、口を開いた。
「先程まで、トアーズ博士と面会してました」
「ガンズネル公の客人か」
「はい。彼が…聖女召喚の大魔法を実行したと、私に告白しました」
「!」
 ヒースは息を飲むと、まじまじとニーナの顔を見つめる。
「…だから、そんなに険しい顔をしているのか?」
「顔に出てます?」
「あぁ。飲み込みがたいものを、無理矢理飲み込もうとしているような、そんな顔だ」
 ニーナは、ふぅ、と溜息を吐いた。
「聖女だろうと落ち人だろうと、あちらの世界に帰れない事に変わりがないのは判ってます。正直、私自身、自分を聖女だとは思ってません。偶然、この世界に落ちたのなら仕方ない。向こうの世界に心残りがあるわけでもないし、今更、帰れと言われても、寧ろ不在の間の事情を説明するのが面倒なので、帰れなくていいや、と思ってる位なんですけど」
「ニーナらしい」
 ふ、とヒースが笑うのを見て、ニーナも苦笑する。
「トアーズ博士は、聖女召喚が拉致と同じだと、全く気づいてなかったようなんです。恐らくは、彼を支援した人に唆されて、知的好奇心を満たす事しか考えなかったんでしょうね」
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