推定聖女は、恋をしない。

緋田鞠

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 言葉に詰まったヒースを置いて、ニーナは辞去の挨拶をすると、後宮に宛がわれた部屋に戻った。
 ヒースの言おうとしている事は、判る。
 女性の一人暮らしが、ガルダではいかに非常識な事であるかも。
 けれど、だからと言って、今のニーナは恋愛する気はない。
 例え、ニーナの事情を理解し、身の安全の為に契約的な結婚をしてくれる相手を見つけられたとしても、ヒースが望むような家柄の相手では、後継ぎが必要になる。
 しかし、捨てられた子供であるニーナにとって、契約だから、と気持ちを割り切って子供を生む事はできない。
 ニーナ自身が愛されなかった子供だからこそ、端から愛されないと判っている子供を生める筈もないのだ。
 ガルダの貴族は第二夫人を娶る事も多い為、第二夫人に実際の妻の役目を担って貰う事は可能だけれど、正妻と第二夫人の扱いは、全くの平等とは言えない。
 契約上の夫と第二夫人に子ができれば、お飾りの正妻であるニーナの存在は、完成された家族の中の異物になってしまう。
 誰かの幸福の障害物になりたい筈もなかった。
「ねぇ…オリアナ」
「はい、何でございましょう、ニーナ様」
「結婚、って何なのかな」
「さようでございますね…」
 オリアナは未婚だけれど、そのうち、気心の知れた幼馴染と結婚するのだろうな、と漠然と思っていた。
 領地が隣り合わせで、幼い頃から顔を合わせていた。
 言葉にした事はないけれど、互いに好意を抱いている事は感じている。
 今、彼は騎士として職務に邁進している最中で、もう少しで小隊長になれそうなのだ、と聞いた。
 恐らくは、役職を得られたら、求婚される。
 そして、オリアナの父は、求婚を受けるだろう。
「育った家庭を出て、自らの手で新たな家庭を築く事、でしょうか。高位貴族の方にとっては、生家の一層の繁栄を求めての政略的な意味合いが強いかもしれませんが、私の実家であるザンダー男爵家は、政略結婚とは無縁ですので」
「そうなの?貴族は皆、条件を見て結婚するのかと思ってた」
「寧ろ、好条件であろうと、好意の一切ないお相手と結婚なさる方は少ないと思います。選択肢が一つしかないなど、そうそうある事ではございません。であれば、より好意を抱いた方に求婚なさる方が自然でしょう」
 始まりこそ条件であったとしても、そこから夫婦の絆を結んでいけばいい。
 それが、ガルダ貴族の一般的な考えなのだ、とオリアナは言う。
 ニーナが思っていたよりも情の感じられる選択は、お見合い結婚の考え方に近いように思う。
「因みに、私の両親は親族の紹介で知り合ったのですが、大変仲がいいです」
「オリアナって、きょうだいが多いもんね」
 夫婦仲と子供の人数が比例するわけではないけれど、夫婦仲が冷め切っているのに、子供が多い事はないだろう。
「えぇ、男四人、女四人の八人きょうだいです」
「賑やかそう」
 そう言うニーナの横顔が寂しそうで、差し出がましいと思いながらも、オリアナは口を開く。
「あの…ニーナ様は、ごきょうだいは…」
「弟と妹が、合わせて四人いるらしいわ」
 それきり、口を噤んで何も言わないニーナに、オリアナもまた、言葉を控える。
 伝聞系の言葉は、ニーナが弟妹に会った事がない事を示す。
 結婚とは何か、と尋ねるニーナの育った家庭が、円満なものとも思えなかった。
「…やっぱり、結婚は無理…」
 独り言のように漏らされた言葉に、オリアナが何か言おうと口を開いた時。
 コンコン
 扉がノックされた。
「はい」
「ニーナ、今、いいかな?」
 先触れなく訪れたのは、ディーンだった。
 人と会っていたのか、執務中よりも装飾の多い服を着たディーンは、麗しい容貌も相俟って、正に王子様だ。
 背後にはいつものように護衛のライオネルがいて、オリアナと目で挨拶を交わす。
「ディーン?どうしたの?」
「さっき、義母上主催の茶会に顔を出して来たんだけど、ニーナの好きそうなお菓子が出てたから、厨房で貰って来た」
 ライオネルが持っていたバスケットをオリアナが受け取ると、ディーンはにこりと微笑んだ。
「もしよければ、ご相伴に与っても?」
「それは勿論、構わないけど…時間は大丈夫?」
「うん。午後は、茶会の為に予定を空けてあったからね」
 今日は王宮で、王太后主催の茶会がある事は、オリアナからニーナも聞いていた。
 招待されているのは、夫人方だとも。
 そこにディーンが招かれていたとは、どう言う事だろうか。王太后の実子であるヒースは、後宮の中庭で休息を取っていたと言うのに。
「もしかして、茶会って…」
「僕の婚約者候補に手を挙げているご令嬢方の母親が招かれたものだね。ご令嬢本人と直接顔を合わせる事は、断ったから」
「どうして…」
 問い掛けながらも、ニーナは自分が何を問いたいのか、よく判らなかった。
 「どうして、母親が招かれたのか」?
 「どうして、令嬢と顔を合わせたくないのか」?
 もしかして、ディーンの婚約についての話が進みそうな事に、動揺しているのだろうか。
 万が一にも、彼がニーナに愛を告白しないように、と願っていたと言うのに。
 身勝手な思いに眉を顰めると、ディーンは、慌てたように手を振った。
「何て言えばいいのかな、王家がガルダ貴族を蔑ろにしているわけではない、と言う事を示す為なんだ。兄上は王位を継いだばかりだし、僕は人前に出るようになって日が浅い。現実的な問題として、これから暫くは、婚約者選定に割くだけの余裕がない。けれど、時間は皆に平等に過ぎるものだからね。ましてや、選ばれるのはただ一人なんだから、適齢期のご令嬢方を無為に待たせる事だけはできない。そんな話をして来た」
 同年代の令息達もまた、彼女達の生家の選択を待っている状態だから。
 ディーンの言葉に、ニーナは頷く。
 家門の当主が娘を王弟妃にしたいと強く願っていれば、例え、求婚する令息が現れたとしても、その求婚に頷く事はない。
 けれど、妻である夫人達は、女性として悪戯に縁談を先延ばしにするリスクを理解している。
 娘を可愛がっていれば、なおの事。
 今日の茶会は、対外的には妃候補を挙げた家門への尊重を示し、実際には婚約者候補の辞退を促して催されたものなのだ。
「…まぁ、余裕がない、って言うのは建前なんだけど」
 ちらり、と流し目を送られて、ニーナは素知らぬ振りで、視線を逸らした。
「そう、なんだ」
「うん。…ニーナも…結婚について、色んな人に聞かれてるだろう?その…さっき、兄上に聞いたんだ。君に、結婚する気がないって」
 ニーナへの好意を隠そうとはしないのに、決して自分との結婚を口にしないのは、ニーナの負担になると思っているからか。
「……うん、私に、結婚は無理だと思う」
「何で、って聞いてもいい?」
 ニーナの性格ならば、結婚制度そのものに思う所があれば、より良い形にすべく提案をするだろう。
 彼女はいつだって、前向きに物事を捉えて来た。
 見知らぬ世界に放り出されたのに、元の世界に戻れないと判ってからは、熱心にこの世界について学んでいる。
 従者のいる生活に慣れていないから、と戸惑いを見せていたけれど、今では仕える者達の熱意を受け入れて、好きなようにさせている。
 折角持ち合わせた翻訳能力を使わせてやれなくなっても、大変だ、と口では言いながらも、存外、楽しそうにしている。
 育って来た環境も考え方も異なる貴族令嬢達に招待された茶会は、決して居心地よいものではないだろうに、愚痴一つ言わずに出掛けている。
 彼女は決して、後ろ向きな弱音を吐く事はなかったのに。
 何故、結婚に関してだけは、「無理」の一言で思考停止して、切り捨てようとするのだろう。
 ディーンの問いに、ニーナは、ちら、と壁際に控えているオリアナやライオネル達に視線を遣った。
 聞かれたくないのだろう、と察したディーンが、人払いを要請する。
「すまないが、ニーナと二人にしてくれないか」
「で、ですが、ジェラルディン殿下」
 ライオネルが思わず反論するけれど、
「扉は開けておいていいから」
と言う一言で、退室を余儀なくされる。
「…ニーナ?」
 はぁ、と溜息を吐いて、ニーナが口を開く。
「……私が小さい頃に、両親が離婚したの。それぞれ、別の人と結婚して、子供が生まれたって聞いてる」
 ディーンは、黙ってニーナの言葉を聞いた。
 彼女が、自分の家族について語るのは初めての事だ。
 祖母が亡くなってからは一人暮らしだった、と話していたから、両親がいない事は察していた。
 何らかの不幸で亡くなったのだとばかり思っていたけれど、彼女の口振りでは、両親は健在と言う事になる。
 …それはつまり、両親が彼女を捨てた、と言う事。
「私は母方のおばあちゃんに育てられたけど、おばあちゃんはいつも、私を『可哀想な子』って言ってた。両親に愛されなくて可哀想。お洋服や持ち物を、おばあちゃん世代の感覚で選ばれて可哀想。体力が足りないから一緒に遊んであげられなくて可哀想…――。私は、自分が『可哀想な子』なんだと思って育ったの」
 幸せにするよ、と言う言葉を信じて恋愛もしてみたけれど、結局、最後はいつも一人になった。
 告白して来たのは、相手からだったと言うのに。
 求めてくれるなら、と応じたのに、彼等は、ニーナを捨てて去っていくのだ。
「好き合って結婚しても、子供が生まれて、別に好きな人ができて、子供を置いて別れるなんて、よくある話。そんな人ばかりじゃない、って言われるけど、私は信じられないし、子供が私と同じように苦しむのもイヤ」
 愛されると言う事がどう言う事なのか、よく判らない。
 祖母とは十七年共に暮らしたけれど、思い返せば、彼女の口から、ニーナへの好意の言葉を聞いた事はない。
『可哀想な子』
『ごめんね、おばあちゃんがママの育て方を間違ったの』
『おばあちゃんが、ママの代わりに責任取るからね』
 祖母に愛されていると、信じていた。
 けれど、祖母が愛しているのは母だけなのだと、いつしか気づいてしまった。
 感情の根底にあるのは、娘の人生に傷をつけまいとする思い。
 愛する娘を、我が子を捨てた非情な母と呼ばせない為に、祖母はニーナを育ててくれたのだ。
 裕福な男性と再婚した母は、ニーナへの養育費を支払わない一方で、何不自由ない生活を送っていた。
 祖母が、ニーナに黙って母の新しい子供達に時折会っている事も、その際には、ニーナには買わないような贈り物を用意している事も知っていたけれど、その事に不平を言った事もない。
 けれど、祖母は決まって、極秘の面会の後に、こう言うのだ。
『ニーナ、ママを許してあげてね』
 嫌だ、と口に出して言う事はできなかった。
 祖母は、ニーナに母を恨ませてすら、くれなかった。
 祖母の目に映っているのは、ただ、母だけ。
 今回こそ母が来てくれるのでは、と期待しては裏切られるニーナの傷ではなく、実の娘に憎まれる母の傷だけを、いつも心配していた。
「結婚なんて、できない…」
 家族が何か、判らないから。
 そう呟いたニーナが、いつもよりももっと小さく見えて、ディーンは思わず抱き寄せそうになった手を、必死に堪えた。
「…そっか」
 彼女が、他の誰でもなくディーンに弱音を晒してくれたのは、きっと彼女にとって、自分が一番近しい存在だから。
 そう思う事で、ディーンは気持ちを平静に保った。
 ぐっと拳を握り締めてから、意図的に明るい声を出す。
「判った。じゃあ、結婚しなくてもニーナの安全を守れる方法を、探してみる」
 あっさりとディーンに受け入れられて、ニーナは拍子抜けした。
 彼は、ニーナとの結婚を望んでいたわけではなかったのだろうか。
 ニーナが結婚に興味がないのなら、別の人を選ぶと言う事…?
 …そうして、離れていくのか。結婚の話題を避け続けたニーナを捨てた、ハヤトのように。
 自分で拒んでおきながら、昏い思いが胸一杯に満ちる。
「君が求めない事を、させようとは思わない。無理強いをする事が目的じゃないんだ」
「…」
「でもね、ニーナ。君は、可哀想な子なんかじゃない、って事だけは、伝えておくよ。ニーナは素敵な女性だ。だからこそ、君と言葉を交わした人達が、君を好きになるんだ」
 好き、なんて気持ちは、容易に変質する。
 どれだけ真摯に向き合ってくれても、素直に気持ちを受け取る事ができなくなってしまった自分を、ニーナは自嘲した。
 自己憐憫に浸るのも、いい加減、止めるべき年齢なのは判っている。
 親に捨てられた子供も、恋愛に破れた女性も、他人を信じられなくなった人間も、決して少なくない話。
 ニーナだけが不幸なわけではない。
 そんな事は、十分に判り切っているのだ。
 けれど。
 それ以上、考えたくなくて、ニーナは目を逸らす。
 黙り込んだニーナを、ディーンが切なそうに見ていた。
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