推定聖女は、恋をしない。

緋田鞠

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 使節団滞在四日目。
 朝、バートランドの使いからニーナに、面会の申し出があった。
 バートランドは婚前の顔合わせを主目的にガルダを訪問したジェシカとは異なり、使節団代表としての仕事も多数抱えている。
 その為、急遽、時間変更になった予定の合間に改めて挨拶がしたい、との申し入れだ。
 場所は、王宮前庭の東屋。
 王宮を訪問する貴族であれば誰もが足を運ぶ事のできる前庭を敢えて選んだのは、バートランドとニーナの関係について、ガルダ貴族内に噂を立てる為だろう。
「ようこそ、ニーナ嬢」
「お招き有難うございます、バートランド殿下」
 ニーナが綺麗な所作でガルダ式の礼を執ると、バートランドは目を細めて微笑んだ。
「ガルダの文化を学び始めて一年と聞いたけど、随分と様になっているね。ニーナ嬢は勤勉な性質のようだ」
 相手がニーナだからか、バートランドは砕けた口調で話し掛ける。
 ニーナは曖昧に微笑むと、勧められた席に腰を下ろした。
 目の前のテーブルには、新鮮な果実やニーナ好みの菓子が並んでいる。
「昨日は、妹が世話になったね。一体、君に何を言われたものやら、突然、自分の頭で考える事を始めた」
「私は何も。ただ、お話をしただけです」
「ふぅん…話を、ねぇ?」
 これまでは、ジェシカは自分で何も考えて来なかった、と暗に言っているバートランドの思わせぶりな言葉も、ニーナは澄ました顔で黙殺するだけだ。
「妹同様、私とも話をして欲しいのだが、今日は残念ながら次の予定が決まっていてね。三十分程しか時間を取れないんだ」
「三十分、ですか」
 そう言うと、ニーナはドレスの隠しから、ディーンに贈られた懐中時計を取り出して時間を確認した。
「それは…まさか、時計かい?」
「えぇ」
「珍しいね、女性が時計を所持しているとは。しかも、女性用に小さめの規格で作られているのか…」
 金にサファイアがあしらわれた時計を見て、バートランドが目を眇める。
「…もしや、ジェラルディン殿下からの贈り物だろうか」
「よく判りましたね。誕生祝に頂きました。あちらの世界では、誰もが時計を身に着けているので、時計塔の鐘の音だけでは不便だ、といつか言った言葉を覚えてくれていたんです」
 己の色で作ったものを常に身に着けて欲しい、と贈ったディーンの気持ちに気づいていないのか。
 これまでにない規格の、それも高価な時計を作らせるなど、ディーンのニーナに対する思い入れは相当強いだろうに、淡々と語るニーナに、バートランドは微笑む。
「君は随分と、ガルダの人々に大切にされているようだ。それならば、彼等を守る為にも、この度の婚姻には大きな意義がある事を理解してくれるだろう?」
「ジェシカ王女殿下にもお話しましたけど、私はガルダでお世話になっていますが、ガルダ人ではありません。彼等が傷つく事を望みはしませんが、よく知りもしない人と結婚してまで守ろうとは思っていません」
「よく知りもしない、か…」
 情に訴えれば容易に流されるとでも思っていたのか。
 バートランドは苦笑すると、ふむ、と頷いた。
「そう言えばジェラルディン殿下は、ニーナ嬢自身が私を選ぶかどうかだ、と話していたね。そうだな…つまりは、君が私と結婚したくなるような利点を提示すればいいんだろう?」
 ニーナは、無言でバートランドの顔を見返した。
 利点。
 つまりは、条件で結婚しろ、と言う事で、ニーナの求めるものを全く理解していない事が判る。
「まずは、私の事をバートと呼んで欲しい。ほら、親しくなるにはまず、呼び名からと言うからね」
「滅相もない、畏れ多い事です」
「はは、心が籠ってないなぁ」
 だから、ニーナと呼ばせて欲しい。
 そんな暗黙の要請を、ニーナはさらっと無視する。
 無視された事に気づいて、笑いながらバートランドは胸の前で腕を組んだ。
「君にはどうやら、権力欲や名誉欲はないようだね。妃にして欲しい、と言われる事はあっても、妃になりたくない、と言われた事はないから、正直、どう口説けばいいのか戸惑ってるよ。贅沢に興味がない、人に傅かれたいわけでもない、かと言って、政治の現場で男のように国を動かしたいと言うわけでもなさそうだ。まぁ、だからこそ、ガルダ王家でも君の扱いに慎重にならざるを得ないのだろうけど」
 バートランドが、ぐい、と身を乗り出す。
「私が思うに、結婚を望まない人間には、幾つか種類がある。好きな相手が自分を振り向いてくれない、と言う者。好きな相手と結婚できない関係だ、と言う者。だが、君はどうも、違うようだね。君を望む男性は、一人や二人ではないと聞いた。けれど、君がそのうちの誰一人として、受け入れた事はないとも。ジェシカには恋愛結婚について語っていたようだが、君は実際には、結婚以前に恋愛を楽しむ事すらしていないんだろう?自分で、矛盾した発言だとは思わないかい?選択権を与えられた女性なのだから、幾らでも縁を探せると言うのに、勿体ないね。折角、可愛い顔をしているのだから、もっと人生を楽しんでもいいんじゃないのかな?」
「ご冗談を。バートランド殿下がお望みなのは、落ち人の知識でしょう」
「バートと呼んでくれ、と言っただろう?落ち人を望んでいる事は否定しない。でも、私は君の外見も気に入ってるよ。王族の前でも萎縮せずに堂々と発言できる姿も、妃に相応しいと思ってる。とは言え、女性に無理強いをするのは私の趣味じゃないんだ。正妃として招くけれど、君が望まないのであれば表舞台に立つ必要もない。君は、君の興味の赴くままに、我が国で自由に過ごしてくれればいい。正妃の役割を代理する為に、誰かよくわきまえた者が側妃に上がるだけの事だ」
 複数の妻を娶る事が当然の国で生きて来たバートランドの言葉に、ニーナは冷めた目を送る。
 名ばかりの妃ならば、許容できると思われているのは業腹だ。
「私は、一夫一婦制の国から来たんです。夫を共有したいとは思いません」
「勿論、君が私を夫として扱ってくれるなら、それが一番いい。私は君と愛し合いたいと思ってるし、君との子はきっと、可愛いだろうからね」
 子供の話を聞いて、思わず、ぴくりと肩が揺れたのを見て、バートランドは目を細めた。
「あぁ…そうか、恋愛をしたくないんじゃなくて、子供が問題なのか。大丈夫だよ、そう怯える事はない。太古の昔から、人間が連綿と受け継いで来た生命の営みだからね」
 性行為に怯えている、と捉えられているのだと判って、ニーナは溜息を吐く。
「バートランド殿下は、気持ちのない相手でも行為に及べるのですね」
「バート、だよ。バーティでもいい。言っただろう?君の事は気に入ってる。それに、体を重ねれば、情は湧くものだ」
「私はそうは思いません。ですから、お話はお受けできません」
「…先日も話したように、ラヴィル計画は婚姻外交なしには同意できない大きな案件だ。脅すわけではないけれど、婚姻外交が失敗に終われば、アイルとガルダの関係は悪化するだろうね。その結果、戦争になったとして、君が巻き込まれない可能性は相当に低いよ。ゼロだと言い切ってもいい。王家で保護されている身で、戦地となった国からどこか安全な国に逃げられると思ってるのかい?漸くガルダ語を覚えたばかりの君が、言葉が通じず文化も異なる国で、無事に暮らせるとでも?この世界はね、君が思っているよりもずっと、女性の立場が弱いんだ。街道を一人でうろうろしてごらん、あっという間に攫われて、人手不足の村に嫁として送り込まれて終わりだよ。嫁ならまだマシだ。君はこの辺りでは見掛けない容姿だからね、貴重がられて娼館に送られる可能性の方が高い」
「……」
 ガルダの人々が、ニーナの心の負担を考えてはっきりと告げて来なかった現実を、バートランドは突きつける。
「だったら、私と結婚する方がずっといい。貞操を守りたいと言う信念があるなら側妃を受け入れて欲しいけど、私の事が生理的に無理でないのなら、一度は試してみてもいいと思うよ?これでも、アイルではモテてるんだ。君に新しい世界を見せてあげられると思うけどな」
 す、とバートランドが手を伸ばして、ニーナの頬に触れる。
 指の背で愛撫するように撫でられても、頬を赤らめるでも羞恥に震えるでも嫌悪に身を竦めるでもないニーナに、「おや」と眉を上げた。
「…君、もしかして」
「お時間ですよ、バートランド殿下」
 ぱちん。
 懐中時計で時間を確認したニーナが冷静に時間を告げると、バートランドは複雑な顔で立ち上がった。
「…そうか…君は恋愛感情を知らないんじゃなくて、誰かを愛する事が怖いのか」
「次の方をお待たせしてしまいますよ」
「判ってる。今日の所は、引くとしよう。でも、諦めたわけじゃないからね」
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