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第2章 勇者ベレニスの真実
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四百年前。
現在のザウレン皇国の『死の森』に接する一角は、ヴァロフと呼ばれる小国であった。
『死の森』は魔王が魔獣を生み出す地と言い伝えられ、ヴァロフや周辺の国々は魔獣を仕留めて一攫千金を狙う冒険者たちで賑わっていた。
しかし、ある時を境に、出現する魔獣の数が急激に増え、『死の森』の外にまで被害が及ぶようになった。
そこで、各国の王は存在の不確かな魔王の討伐に、多額の報奨金をかけた。
『死の森』に挑む冒険者を増やし、魔獣の数を減らすことを目論んだのだ。
多くの冒険者パーティーが魔王討伐に挑んだものの、凶暴な魔獣を前に敗れ去った。
そして五年後、若き女剣士ベレニスを中心とした冒険者パーティが『死の森』の奥地を踏破し、潜んでいた魔王を討伐した。
パーティには他に、剣士エドモン、弓師ラウル、魔術師アンナ、魔導師チェスラフがいたが、最終的に生き残ったのはベレニスとチェスラフのわずか二人だった。
ヴァロフ国はチェスラフを聖者と認定し、中央神殿に迎え入れた。
彼はやがて、『死の森』周辺諸国で信仰されるチェスラフ聖教の教祖となり、現在、各地の神殿にすべて同じ顔をした共通の聖者像が置かれている。
一方ベレニスは勇者の称号を与えられた後、ヴァロフ王から軍属になることを要請された。
彼女は、魔王討伐で命を落とした多くの仲間たちを弔うためにも、生き残った魔獣の討伐を続けることを望んでいた。
そのためヴァロフ王の要請を断ろうとするのだが、王は冷たく言い放つ。
「其方が余の命令を聞いている限り、コルベ村に住む其方の両親は幸せに暮らせるだろう」と。
それはつまり、命令に背けば両親の命はないという脅しだった。
かくしてベレニスは、小国であったヴァロフが周辺諸国を侵略するための手駒となった。
人々の命と生活を守るために魔王や魔獣と戦ってきた勇者は、両親の二つの命を守るためだけに、多くの人間の命を奪う殺戮者となり果てた。
これまで凶暴で強靭な体を持つ魔獣を相手にしてきたベレニスにとって、人間の肉体は鎧を纏っていてもあまりにも脆かった。
長剣を振るう腕にたいした手応えを感じないまま、たくさんの命があっけなく散っていった。
直接斬り捨てた敵国の兵だけではなく、戦に巻き込まれた罪のない人々や、家族が戦死し生活が成り立たなくなった人々の間接的な死も含めれば、自分のせいでどれほどの死者を出したのか想像がつかない。
どれほど多くの人々を不幸に陥れたのかも——。
自分が勇者でなければ。
自分に人間離れした能力がなければ。
弱小国だったヴァロフが分不相応な野望を持つことはなく、多くの人々がこれまで通りの平和な生活を送れたはずなのだ。
自身の存在の罪深さに苦悩しながらも、王命に背く決心がつけられず、罪のない弱き者たちの命を一方的に奪い続ける日々。
そんな血塗られた生活を二年近く続けた頃、敵の陣営を目前にして合流した自国の兵の中に、見知った顔を見つけた。
「まさか……ベレニス? ベレニスじゃないか! あんたが将軍だったのか」
駆け寄ってきた幾つか年上の同郷の彼は、ベレニスが魔王を倒した勇者であることを知らないようだった。
そして、「ご両親のことは残念だったね。お悔やみ申し上げます」と頭を下げた。
「お……悔やみ……?」
「えっ? まさか知らなかったのかい?」
彼の話では、ベレニスの両親は、一年以上前に流行病で亡くなったのだという。
コルベ村は貧しい農村だから、薬を買うお金もなかったのだと——。
「そんな……!」
ベレニスは地面にがっくりと膝をついた
王に逆らわなければ、両親の生活は保障されるのではなかったのか。
魔王討伐の際に得た巨額の報奨金の大部分を両親に送ったはずだったのに、それはどこへ消えたのか。
なぜ、両親の死を知らせてくれなかったのか。
「わたしは、何のために……」
同郷の者から聞かされなければ、おそらくずっと知ることがなかった真実。
けれど、不思議とヴァロフ王に対する怒りは起こらなかった。
権力者にいいように利用され続けた自分の弱さが、ただただ情けなく、多くの犠牲者への懺悔の念に押しつぶされそうになる。
今、自分にもたらされた堪え難い悲しみと喪失感を、自分がこの手で、多くの人に味わわせてきたのだから。
今さら何をしても、この罪は消えない。
わたしは、どうしたら——。
「ベレニス、大丈夫か?」
差し出された手を払いのけると、ベレニスはよろよろと立ち上がる。
弱小国であったヴァロフが、大国相手に優位に戦を進められるのは、勇者一人の力によるものだ。
わたし一人が抜けるだけで、この戦線は崩壊する。
ヴァロフ国には消滅する未来しか残らない。
そのための犠牲者は少なくないだろうが、わたしがこのまま戦い続けるよりは良いはず。
ベレニスは大きく息を吸い込むと、声帯に最大限の身体強化を施した。
「ヴァロフ国軍は全軍、退却! 即座に退却せよ!」
目前に迫った敵の陣営にまで響き渡る、耳を疑うような指示に、両軍が騒然となった。
しかし、将軍である勇者の肉声で、何度も繰り返し告げられる撤退命令に、ヴァロフ国軍はようやく退却を開始した。
同郷の彼も、追い払うように先に行かせた。
馬が蹴散らして起きた砂埃が風に流されていく様を、ぼんやりと眺める。
さっきまで最前線に立っていたベレニスは、今は最後尾となった。
そして。
「人殺しはこれで最後よ」
ベレニスはそうつぶやいて短剣を取り出すと、ひと思いに自身の胸を突いた。
二十一歳の秋だった。
現在のザウレン皇国の『死の森』に接する一角は、ヴァロフと呼ばれる小国であった。
『死の森』は魔王が魔獣を生み出す地と言い伝えられ、ヴァロフや周辺の国々は魔獣を仕留めて一攫千金を狙う冒険者たちで賑わっていた。
しかし、ある時を境に、出現する魔獣の数が急激に増え、『死の森』の外にまで被害が及ぶようになった。
そこで、各国の王は存在の不確かな魔王の討伐に、多額の報奨金をかけた。
『死の森』に挑む冒険者を増やし、魔獣の数を減らすことを目論んだのだ。
多くの冒険者パーティーが魔王討伐に挑んだものの、凶暴な魔獣を前に敗れ去った。
そして五年後、若き女剣士ベレニスを中心とした冒険者パーティが『死の森』の奥地を踏破し、潜んでいた魔王を討伐した。
パーティには他に、剣士エドモン、弓師ラウル、魔術師アンナ、魔導師チェスラフがいたが、最終的に生き残ったのはベレニスとチェスラフのわずか二人だった。
ヴァロフ国はチェスラフを聖者と認定し、中央神殿に迎え入れた。
彼はやがて、『死の森』周辺諸国で信仰されるチェスラフ聖教の教祖となり、現在、各地の神殿にすべて同じ顔をした共通の聖者像が置かれている。
一方ベレニスは勇者の称号を与えられた後、ヴァロフ王から軍属になることを要請された。
彼女は、魔王討伐で命を落とした多くの仲間たちを弔うためにも、生き残った魔獣の討伐を続けることを望んでいた。
そのためヴァロフ王の要請を断ろうとするのだが、王は冷たく言い放つ。
「其方が余の命令を聞いている限り、コルベ村に住む其方の両親は幸せに暮らせるだろう」と。
それはつまり、命令に背けば両親の命はないという脅しだった。
かくしてベレニスは、小国であったヴァロフが周辺諸国を侵略するための手駒となった。
人々の命と生活を守るために魔王や魔獣と戦ってきた勇者は、両親の二つの命を守るためだけに、多くの人間の命を奪う殺戮者となり果てた。
これまで凶暴で強靭な体を持つ魔獣を相手にしてきたベレニスにとって、人間の肉体は鎧を纏っていてもあまりにも脆かった。
長剣を振るう腕にたいした手応えを感じないまま、たくさんの命があっけなく散っていった。
直接斬り捨てた敵国の兵だけではなく、戦に巻き込まれた罪のない人々や、家族が戦死し生活が成り立たなくなった人々の間接的な死も含めれば、自分のせいでどれほどの死者を出したのか想像がつかない。
どれほど多くの人々を不幸に陥れたのかも——。
自分が勇者でなければ。
自分に人間離れした能力がなければ。
弱小国だったヴァロフが分不相応な野望を持つことはなく、多くの人々がこれまで通りの平和な生活を送れたはずなのだ。
自身の存在の罪深さに苦悩しながらも、王命に背く決心がつけられず、罪のない弱き者たちの命を一方的に奪い続ける日々。
そんな血塗られた生活を二年近く続けた頃、敵の陣営を目前にして合流した自国の兵の中に、見知った顔を見つけた。
「まさか……ベレニス? ベレニスじゃないか! あんたが将軍だったのか」
駆け寄ってきた幾つか年上の同郷の彼は、ベレニスが魔王を倒した勇者であることを知らないようだった。
そして、「ご両親のことは残念だったね。お悔やみ申し上げます」と頭を下げた。
「お……悔やみ……?」
「えっ? まさか知らなかったのかい?」
彼の話では、ベレニスの両親は、一年以上前に流行病で亡くなったのだという。
コルベ村は貧しい農村だから、薬を買うお金もなかったのだと——。
「そんな……!」
ベレニスは地面にがっくりと膝をついた
王に逆らわなければ、両親の生活は保障されるのではなかったのか。
魔王討伐の際に得た巨額の報奨金の大部分を両親に送ったはずだったのに、それはどこへ消えたのか。
なぜ、両親の死を知らせてくれなかったのか。
「わたしは、何のために……」
同郷の者から聞かされなければ、おそらくずっと知ることがなかった真実。
けれど、不思議とヴァロフ王に対する怒りは起こらなかった。
権力者にいいように利用され続けた自分の弱さが、ただただ情けなく、多くの犠牲者への懺悔の念に押しつぶされそうになる。
今、自分にもたらされた堪え難い悲しみと喪失感を、自分がこの手で、多くの人に味わわせてきたのだから。
今さら何をしても、この罪は消えない。
わたしは、どうしたら——。
「ベレニス、大丈夫か?」
差し出された手を払いのけると、ベレニスはよろよろと立ち上がる。
弱小国であったヴァロフが、大国相手に優位に戦を進められるのは、勇者一人の力によるものだ。
わたし一人が抜けるだけで、この戦線は崩壊する。
ヴァロフ国には消滅する未来しか残らない。
そのための犠牲者は少なくないだろうが、わたしがこのまま戦い続けるよりは良いはず。
ベレニスは大きく息を吸い込むと、声帯に最大限の身体強化を施した。
「ヴァロフ国軍は全軍、退却! 即座に退却せよ!」
目前に迫った敵の陣営にまで響き渡る、耳を疑うような指示に、両軍が騒然となった。
しかし、将軍である勇者の肉声で、何度も繰り返し告げられる撤退命令に、ヴァロフ国軍はようやく退却を開始した。
同郷の彼も、追い払うように先に行かせた。
馬が蹴散らして起きた砂埃が風に流されていく様を、ぼんやりと眺める。
さっきまで最前線に立っていたベレニスは、今は最後尾となった。
そして。
「人殺しはこれで最後よ」
ベレニスはそうつぶやいて短剣を取り出すと、ひと思いに自身の胸を突いた。
二十一歳の秋だった。
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