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第9章 王都に張り巡らされた策略
仮の婚約者と王子の訪問(1)
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父親の書斎の扉が叩かれ、執事の声で「アロイス様がお見えになりました」と告げられた。
「失礼いたします」
そう挨拶して入ってきたアロイスは、丈の長いグレーの上着の内側に渋いグリーンのベスト、ふわりとしたクラバットを金のリングで留めている。
普段は後頭部で無造作に束ねているだけの髪には丁寧に櫛が通され、ベストと同じ色のリボンで結ばれていた。
貴族スタイルでラヴェラルタ家を訪れた時の彼は、騎士団の部隊長ではなく、マルティーヌの婚約者のダルコ子爵令息として扱われる。
彼はあえて目立つように正門前に紋章を入れた馬車を乗り付け、病弱の婚約者のお見舞いを口実に、連日のようにラヴェラルタ家を訪問していた。
実際には、王都の各地に配置された仲間からの情報をとりまとめ、ラヴェラルタ家に報告する任を負っている。
マルティーヌはマルクとして外に調査に出ていることが多く、たまたま顔を合わせても少年の姿。
ドレスをまとった辺境伯令嬢として子爵令息の彼に会うのは、領地を出て以来初めてだ。
「ああ、マルティーヌ嬢。ずいぶん久しぶりだね。今日はお加減がよろしいのですか。あまり無理をなさってはいけませんよ」
アロイスは手にしていたピンクの薔薇の花束を手渡しながら、真面目くさった顔で言う。
お互い普段と違った格好で、仮とはいえ婚約者として顔を会わせるのは、恥ずかしいというか、照れ臭いというか。
どこかぎくしゃくしてしまう。
「え……? あの……っ。ありがとうございます?」
マルティーヌは戸惑いながら花束を受け取ると、上目遣いにアロイスを見た。
彼は物言いたげにマルティーヌを見つめていたが、「あ……」とか「うぅ……」とか言った後、額を押さえて顔を背けた。
「え? どうかした?」
「……いや。仲間たちが、婚約者には気の利いた褒め言葉を言わないと嫌われると散々言われたんだよ。だが、私にはどうにも向いていない。だけど……えぇと、綺麗だよ、マルティーヌ嬢」
取ってつけたような褒め言葉にマルティーヌは爆笑する。
「あははは。アロイスの口から、ヴィルジール殿下みたいな台詞がスラスラ出てきたら逆に怖いよ。即、婚約解消したくなっちゃう」
「はは。それは困るなぁ」
アロイスは照れ笑いしながら上着のポケットを探った。
そして「ほら、これも」と黄色のリボンが結ばれた小さな瓶を手渡してくれた。
中に入っていたのは長方形に切られた白いヌガー。
散りばめられた赤やオレンジ色のドライフルーツが宝石のよう。
「わ。かわいい!」
「たまたま、街で見かけて、お嬢……じゃなかった、マルティーヌ嬢が好きそうだったと思って買ってみたんだよ」
「ありがとう。食べていい?」
「もちろん。どうぞ」
マルティーヌは瞳を輝かせながら瓶の蓋を開けると、早速、一粒頬張った。
ヴィルジール殿下がしばしば送りつけてくる大量の高級菓子も嬉しいことは嬉しいが、今もらった、ちょっとしたお菓子の方が心を満たしてくれる気がする。
二人の兄もよく、「見かけたから」とか「マティが好きだから」と言って、小さなお土産を買って帰ってきてくれる。
お菓子を頬張った時に、彼らの愛情も感じるから幸福感が大きくなるのだろう。
そんなことを考えながら、口の中で白い塊を転がしながらじっくりと味わう。
「うーん。濃厚な甘さに、いちごとオレンジの酸味。ほんと、おいしーい!」
「リーヴィたちが、君を餌付けしたがるのがよく分かるな」
マルティーヌの頬の膨らみが左右に移る様子を見つめながら、アロイスが楽しげに笑った。
一見、婚約者同士というより年の離れた兄妹だ。
マルティーヌが彼と接する様子は、オリヴィエやセレスタンと一緒にいる時となんら変わりがない。
けれど、彼がマルティーヌに向ける眼差しは、兄のそれとは違ったものになりつつあった。
「なんだよあれ」
「俺のマティにデレデレすんな」
妹に近づく男たちの言動に敏感な兄二人は、おもしろくない。
背中にぞくりと殺気を感じ、アロイスは苦笑しながらマルティーヌの前を離れた。
「それにしてもすごいですね」
アロイスはテーブルやソファの上に所狭しと積まれているものたちに目をみはる。
手紙や各種招待状、姿絵は、兄二人に宛てたものもあるが、豪華な花束とプレゼントの箱はすべてマルティーヌ宛てだ。
送り主は有力貴族がずらりと顔を揃えている。
辺境伯には、商談や提携を持ち込む貴族や豪商も殺到していた。
「ダルコ子爵家のほうは最近どうかね?」
辺境伯がたずねる。
「正面きっての接触はほとんどありませんね。鼠が数匹出ましたが」
「そうか。マルティーヌへの縁談を断るために、子爵家の名を出さない訳にはいかなくてね。面倒をかけてすまないね」
「想定外の状況ですが、お役に立てたのなら良かったです」
「ねえ、その鼠たちはどうしたの?」
するりとアロイスの隣に座ったマルティーヌが聞く。
膝の上にはさっき受け取ったピンクの薔薇の花束と、ヌガーの小瓶。
テーブルの上がいっぱいだったから膝に置いただけなのだが、アロイスはふっと目を細め、兄二人の視線は鋭くなった。
「失礼いたします」
そう挨拶して入ってきたアロイスは、丈の長いグレーの上着の内側に渋いグリーンのベスト、ふわりとしたクラバットを金のリングで留めている。
普段は後頭部で無造作に束ねているだけの髪には丁寧に櫛が通され、ベストと同じ色のリボンで結ばれていた。
貴族スタイルでラヴェラルタ家を訪れた時の彼は、騎士団の部隊長ではなく、マルティーヌの婚約者のダルコ子爵令息として扱われる。
彼はあえて目立つように正門前に紋章を入れた馬車を乗り付け、病弱の婚約者のお見舞いを口実に、連日のようにラヴェラルタ家を訪問していた。
実際には、王都の各地に配置された仲間からの情報をとりまとめ、ラヴェラルタ家に報告する任を負っている。
マルティーヌはマルクとして外に調査に出ていることが多く、たまたま顔を合わせても少年の姿。
ドレスをまとった辺境伯令嬢として子爵令息の彼に会うのは、領地を出て以来初めてだ。
「ああ、マルティーヌ嬢。ずいぶん久しぶりだね。今日はお加減がよろしいのですか。あまり無理をなさってはいけませんよ」
アロイスは手にしていたピンクの薔薇の花束を手渡しながら、真面目くさった顔で言う。
お互い普段と違った格好で、仮とはいえ婚約者として顔を会わせるのは、恥ずかしいというか、照れ臭いというか。
どこかぎくしゃくしてしまう。
「え……? あの……っ。ありがとうございます?」
マルティーヌは戸惑いながら花束を受け取ると、上目遣いにアロイスを見た。
彼は物言いたげにマルティーヌを見つめていたが、「あ……」とか「うぅ……」とか言った後、額を押さえて顔を背けた。
「え? どうかした?」
「……いや。仲間たちが、婚約者には気の利いた褒め言葉を言わないと嫌われると散々言われたんだよ。だが、私にはどうにも向いていない。だけど……えぇと、綺麗だよ、マルティーヌ嬢」
取ってつけたような褒め言葉にマルティーヌは爆笑する。
「あははは。アロイスの口から、ヴィルジール殿下みたいな台詞がスラスラ出てきたら逆に怖いよ。即、婚約解消したくなっちゃう」
「はは。それは困るなぁ」
アロイスは照れ笑いしながら上着のポケットを探った。
そして「ほら、これも」と黄色のリボンが結ばれた小さな瓶を手渡してくれた。
中に入っていたのは長方形に切られた白いヌガー。
散りばめられた赤やオレンジ色のドライフルーツが宝石のよう。
「わ。かわいい!」
「たまたま、街で見かけて、お嬢……じゃなかった、マルティーヌ嬢が好きそうだったと思って買ってみたんだよ」
「ありがとう。食べていい?」
「もちろん。どうぞ」
マルティーヌは瞳を輝かせながら瓶の蓋を開けると、早速、一粒頬張った。
ヴィルジール殿下がしばしば送りつけてくる大量の高級菓子も嬉しいことは嬉しいが、今もらった、ちょっとしたお菓子の方が心を満たしてくれる気がする。
二人の兄もよく、「見かけたから」とか「マティが好きだから」と言って、小さなお土産を買って帰ってきてくれる。
お菓子を頬張った時に、彼らの愛情も感じるから幸福感が大きくなるのだろう。
そんなことを考えながら、口の中で白い塊を転がしながらじっくりと味わう。
「うーん。濃厚な甘さに、いちごとオレンジの酸味。ほんと、おいしーい!」
「リーヴィたちが、君を餌付けしたがるのがよく分かるな」
マルティーヌの頬の膨らみが左右に移る様子を見つめながら、アロイスが楽しげに笑った。
一見、婚約者同士というより年の離れた兄妹だ。
マルティーヌが彼と接する様子は、オリヴィエやセレスタンと一緒にいる時となんら変わりがない。
けれど、彼がマルティーヌに向ける眼差しは、兄のそれとは違ったものになりつつあった。
「なんだよあれ」
「俺のマティにデレデレすんな」
妹に近づく男たちの言動に敏感な兄二人は、おもしろくない。
背中にぞくりと殺気を感じ、アロイスは苦笑しながらマルティーヌの前を離れた。
「それにしてもすごいですね」
アロイスはテーブルやソファの上に所狭しと積まれているものたちに目をみはる。
手紙や各種招待状、姿絵は、兄二人に宛てたものもあるが、豪華な花束とプレゼントの箱はすべてマルティーヌ宛てだ。
送り主は有力貴族がずらりと顔を揃えている。
辺境伯には、商談や提携を持ち込む貴族や豪商も殺到していた。
「ダルコ子爵家のほうは最近どうかね?」
辺境伯がたずねる。
「正面きっての接触はほとんどありませんね。鼠が数匹出ましたが」
「そうか。マルティーヌへの縁談を断るために、子爵家の名を出さない訳にはいかなくてね。面倒をかけてすまないね」
「想定外の状況ですが、お役に立てたのなら良かったです」
「ねえ、その鼠たちはどうしたの?」
するりとアロイスの隣に座ったマルティーヌが聞く。
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