18 / 19
第2章 琥珀哀歌
第2話 覆面の男たち
しおりを挟む
二人はしたたか飲んで酒家を出る。草原地帯独特の、からりとした空気と強い日差し、今は夏とあって、日中は過ごしやすい。そして気のせいであろうか、たとえこのような都の真ん中にいても、遠くから草の匂いが運ばれてくるようであった。蒼穹に映える北塔と南塔は、契丹の崇仏の念がこもったものである。塔をすり抜けてくる風が、舌を刺す強い酒でほてった若者の身体を、心地よく冷やす。
さて、その後二人が集めた情報によれば、「後家さん」こと呉梅香は、財産持ちだった亡夫の祭祀はあらかじめ養子に迎えておいた親族が継ぎ、下僕と下女を自宅に一人ずつ置いて、あまり自宅の門から出ることもなく暮らしているという。
李と郭は、通りすがりを装いつつ呉氏の宅をそっと窺っていた。
「あんな地味な暮らしぶりをしている後家さんに、どうして蛮族たちが執着をするのかな……」
「まあ、絶世の美人であるとか、閨房の術に長けているとか、男心をとろかしてしまう風情を持っているとか、そんなところかな。ああ、門からでも出てきてくれればいいのに」
「ますます気になるな。だが、公主さまをさらって妻にしてしまうのよりは、簡単だろう」
「恐ろしいことを言う。だが、そう上手くいくかな?どうやって近づく?」
郭はにんまりする。
「そりゃ正々堂々と、表門から突撃するさ」
*****
「……正々堂々といっても、結局は覗き見ではないか」
宵闇迫るころ、李朝慶は相棒の肩をつつきながらぶうぶうと言った。二人の視線の先には、梅香の家の門が見える。それはぴったりと閉じられていた。
「仕方ないだろう、やって来たのはいいが、すでに蛮族が到着していたのだから」
郭文雅が、門外に繋がれている馬と主人を待つ童子に向かって顎をしゃくってみせる。
「で、どうする?このままここにぼんやり突っ立っていても仕方がない、どうせ今日は不首尾に終わるのだから、明日にでも出直して……」
言いさした李の口元は、だしぬけに郭にふさがれる。
「しっ……別の馬がやってくる。しかも二頭」
果たして、馬が首を並べて速足で駆けてきたかと思うと、あっという間に呉宅に至る。しかも馬上に乗る黒衣覆面の二人連れは、ともに目にもとまらぬ早業で馬から立ち上がって塀に乗り移り、邸内に消えてしまった。
「何だ、あれは?」
漢族の美男子二人は狐狸に化かされた態である。ほどなく、物の派手に壊れる音、女の鋭い悲鳴、男たちの怒声が聞こえたかと思うと、覆面の男たちが今度は門から出てきた。ゆったりした足取りで、めいめい小脇に何か包みを抱えている。
「誰だ!」
誰何の声を上げたのは、より小柄な覆面のほうだった。李と郭は首をすくめ、その場を離れようとしたが、もう一人の覆面男に道を阻まれた。
「何用だ?我らを見張っていたのか?」
凄みのある声とともに、鋭い剣の刃が李の首筋を這う。郭の肩口も、華奢な男の剣に狙われている。
「い、いや……ただ私たちは……」
「ば、梅香の……」
「何だ、あいびきか」
小柄な男はくすりと笑い、剣を外した。
「残念だったな、梅香は私たちが始末してしまった、喚いていた男たちもな」
「何ですと?」
男前二人組は、間の抜けた声を上げる。
「仕方あるまい、密貿易品の中継ぎに立って梅香は私腹を肥やし、あの契丹人どももうまい汁を吸っていたのだ」
肩をすくめる男のそばで、背の高くいかつい男が「同族の風上にも置けぬ」と吐き捨てた、ということはこの覆面二人組は契丹人であろう。顔を見合わせる漢族の男たちの前で、いかつい男は小柄な男を振り返る。
「この漢族たちはどうするか?後から騒ぎ立てられても面倒だ、行きがけの駄賃に……」
「いや」
やや急いた調子で相方が手を振って否定し。その拍子に手首にかけられた蓮の琥珀が揺れた。
「あっ」と声を上げたのは李朝慶である。
「その琥珀は……」
「何だ、知っているのか」
「私の知り合いの持ち物だ、返してほしい」
「どうだか、その話が事実か怪しいものだな」
「嘘ではない!お願いだ、本人が困っているのだ……」
必死な李を尻目に、琥珀を持つ男が笑う。
「私が得たのだから、私のものだ。欲しければ我ら『蛮族』から奪い取って見せよ、腰抜けの漢族ども」
「そんな……!」
抗議の声もどこ吹く風、大柄の男とともにひらりと馬に飛び乗り、高らかな哄笑を残して去っていった。
さて、その後二人が集めた情報によれば、「後家さん」こと呉梅香は、財産持ちだった亡夫の祭祀はあらかじめ養子に迎えておいた親族が継ぎ、下僕と下女を自宅に一人ずつ置いて、あまり自宅の門から出ることもなく暮らしているという。
李と郭は、通りすがりを装いつつ呉氏の宅をそっと窺っていた。
「あんな地味な暮らしぶりをしている後家さんに、どうして蛮族たちが執着をするのかな……」
「まあ、絶世の美人であるとか、閨房の術に長けているとか、男心をとろかしてしまう風情を持っているとか、そんなところかな。ああ、門からでも出てきてくれればいいのに」
「ますます気になるな。だが、公主さまをさらって妻にしてしまうのよりは、簡単だろう」
「恐ろしいことを言う。だが、そう上手くいくかな?どうやって近づく?」
郭はにんまりする。
「そりゃ正々堂々と、表門から突撃するさ」
*****
「……正々堂々といっても、結局は覗き見ではないか」
宵闇迫るころ、李朝慶は相棒の肩をつつきながらぶうぶうと言った。二人の視線の先には、梅香の家の門が見える。それはぴったりと閉じられていた。
「仕方ないだろう、やって来たのはいいが、すでに蛮族が到着していたのだから」
郭文雅が、門外に繋がれている馬と主人を待つ童子に向かって顎をしゃくってみせる。
「で、どうする?このままここにぼんやり突っ立っていても仕方がない、どうせ今日は不首尾に終わるのだから、明日にでも出直して……」
言いさした李の口元は、だしぬけに郭にふさがれる。
「しっ……別の馬がやってくる。しかも二頭」
果たして、馬が首を並べて速足で駆けてきたかと思うと、あっという間に呉宅に至る。しかも馬上に乗る黒衣覆面の二人連れは、ともに目にもとまらぬ早業で馬から立ち上がって塀に乗り移り、邸内に消えてしまった。
「何だ、あれは?」
漢族の美男子二人は狐狸に化かされた態である。ほどなく、物の派手に壊れる音、女の鋭い悲鳴、男たちの怒声が聞こえたかと思うと、覆面の男たちが今度は門から出てきた。ゆったりした足取りで、めいめい小脇に何か包みを抱えている。
「誰だ!」
誰何の声を上げたのは、より小柄な覆面のほうだった。李と郭は首をすくめ、その場を離れようとしたが、もう一人の覆面男に道を阻まれた。
「何用だ?我らを見張っていたのか?」
凄みのある声とともに、鋭い剣の刃が李の首筋を這う。郭の肩口も、華奢な男の剣に狙われている。
「い、いや……ただ私たちは……」
「ば、梅香の……」
「何だ、あいびきか」
小柄な男はくすりと笑い、剣を外した。
「残念だったな、梅香は私たちが始末してしまった、喚いていた男たちもな」
「何ですと?」
男前二人組は、間の抜けた声を上げる。
「仕方あるまい、密貿易品の中継ぎに立って梅香は私腹を肥やし、あの契丹人どももうまい汁を吸っていたのだ」
肩をすくめる男のそばで、背の高くいかつい男が「同族の風上にも置けぬ」と吐き捨てた、ということはこの覆面二人組は契丹人であろう。顔を見合わせる漢族の男たちの前で、いかつい男は小柄な男を振り返る。
「この漢族たちはどうするか?後から騒ぎ立てられても面倒だ、行きがけの駄賃に……」
「いや」
やや急いた調子で相方が手を振って否定し。その拍子に手首にかけられた蓮の琥珀が揺れた。
「あっ」と声を上げたのは李朝慶である。
「その琥珀は……」
「何だ、知っているのか」
「私の知り合いの持ち物だ、返してほしい」
「どうだか、その話が事実か怪しいものだな」
「嘘ではない!お願いだ、本人が困っているのだ……」
必死な李を尻目に、琥珀を持つ男が笑う。
「私が得たのだから、私のものだ。欲しければ我ら『蛮族』から奪い取って見せよ、腰抜けの漢族ども」
「そんな……!」
抗議の声もどこ吹く風、大柄の男とともにひらりと馬に飛び乗り、高らかな哄笑を残して去っていった。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる