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After the Beat ―終わらない夏―
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戦いから数週間が経った。
日向シティの街路には再び音が戻り、人々の呼吸がそれぞれのリズムを刻み始めていた。
あの夜の爆光と振動が嘘のように、空は透き通るほど青く、潮風がどこまでも続いている。
新堂玲央は海沿いの歩道をゆっくりと歩いていた。
潮の香りと、遠くから聞こえるバスケットボールのドリブル音。
街が“生きている”ことを伝える音だけが、今はある。
包帯を外した拳の皮膚はまだ薄く赤く、光にかざすと血の色が透けて見えた。
あの日の焦げつくような熱が、ほんの少し残っている。
海岸通りの掲示板に、新しいポスターが貼られていた。
《NEW BEAT FESTIVAL ― 音は誰のものでもない ―》
紙面の隅に印刷された名前を見て、玲央は思わず笑った。
主催者:BRAVE BEAT。
――チームの名前だった言葉が、今は“自由”を象徴する旗になっている。
街は少しずつ変わっていた。
誰もが自分のリズムで音を鳴らせる。
子どもたちは通りで足踏みし、老人はベンチで手拍子を刻む。
そのすべてがひとつの大きな鼓動になって、海へと溶けていく。
玲央は風に髪を揺らしながら、海辺の小さなステージへ向かった。
数年前、予選会が行われた場所だ。
錆びた鉄骨と白いテント。潮に焼かれた木の床。
けれど、彼にとってはどんなアリーナよりも温かい場所だった。
夕陽が傾き始める。
ステージの上には、ギターケースを抱えたひとりの男の姿があった。
榊悠真。
銀の髪が光を受け、淡い橙に染まる。
彼は弦を軽く弾き、音の響きを確かめていた。
観衆はいない。
それでも、その指先から生まれる旋律は、風と波を味方につけて広がっていく。
「もう戻ってくんな、って言ったのに」
玲央が階段を上がりながらつぶやくと、悠真が顔を上げた。
「お前が呼んだんだろ」
「呼んでねぇよ」
「お前の心拍が、そう言ってた」
「……うるせぇな」
「褒め言葉として受け取っとく」
言葉を交わすたび、潮風の温度が変わる。
もう戦いの匂いはない。
あるのは、懐かしい鼓動の重なりだけだった。
少し離れた場所で、一ノ瀬朱莉が手を振った。
腕にはまだ包帯が巻かれているが、顔は穏やかだ。
その隣で藤堂颯真が缶コーヒーを傾ける。
「まったく……あいつら、また始まったな」
朱莉は笑う。
「うん。でも、これが玲央だもん」
潮風が吹き抜け、ステージの白布がふわりと揺れた。
玲央はステージの中央に立ち、拳を握る。
悠真はギターを構え、弦の音を確かめる。
呼吸が重なった。
あの日と同じように。
「準備できてるか」
「いつでも」
玲央の拳が軽くステージを叩く。
ドン、ドン。
悠真のギターが応える。
ジャラン、ジャラン。
二人の音が絡み合い、夕陽の下で波音と混ざっていく。
朱莉が手を胸の前で組み、藤堂が空を見上げた。
誰も拍手をしない。
けれど、街全体が静かに聴いている気がした。
悠真の指が速く動く。
玲央のステップが弾む。
風が髪をなびかせ、潮が跳ね、世界がひとつのリズムで震えた。
それは勝負でも、演奏でもなかった。
魂と魂が、ただ“同じ音”で鳴り響いている瞬間だった。
やがて音が止み、波だけが残った。
静寂の中で、悠真が笑う。
「なぁ玲央、また喧嘩してもいいか?」
玲央が鼻で笑いながら答える。
「上等だよ」
二人の拳がぶつかる。
鈍い音が響き、風が巻き上がる。
朱莉は呆れたように笑い、藤堂が肩をすくめた。
「ほんと、めんどくさい恋人同士だな」
「でも、そういうのが一番強いんだよ」
悠真がギターを抱え直し、玲央の隣に並ぶ。
潮風が二人の髪を揺らし、残暑の陽光が横顔を照らす。
「お前がいたから、俺は帰れた」
玲央は小さく息を吸い、笑った。
「お前の音が、俺を見つけたんだよ」
ふたりは同時に空を見上げた。
陽が沈み、光が波の粒に砕けて散る。
ギターの弦がひとりでに鳴り、風がそれをさらっていく。
玲央は目を閉じて呟いた。
「勝ち負けなんて、もうどうでもいいな」
悠真がうなずく。
「だな。今はただ、お前と響いてたい」
波が寄せては返し、遠くで鳥の声がした。
南風がふたりの肩を包み、潮の匂いとともに通り抜ける。
その温度が、まだ夏のままだった。
空には雲がなく、世界が澄んでいる。
玲央が笑う。
「この音が続く限り、俺たちは終わらねぇ」
悠真が小さく微笑み、弦を弾く。
音が空へと消えていく。
陽が沈みきったあとも、風はまだ熱を持っていた。
そして、ふたりの魂は、静かに燃え続けていた。
──完──
日向シティの街路には再び音が戻り、人々の呼吸がそれぞれのリズムを刻み始めていた。
あの夜の爆光と振動が嘘のように、空は透き通るほど青く、潮風がどこまでも続いている。
新堂玲央は海沿いの歩道をゆっくりと歩いていた。
潮の香りと、遠くから聞こえるバスケットボールのドリブル音。
街が“生きている”ことを伝える音だけが、今はある。
包帯を外した拳の皮膚はまだ薄く赤く、光にかざすと血の色が透けて見えた。
あの日の焦げつくような熱が、ほんの少し残っている。
海岸通りの掲示板に、新しいポスターが貼られていた。
《NEW BEAT FESTIVAL ― 音は誰のものでもない ―》
紙面の隅に印刷された名前を見て、玲央は思わず笑った。
主催者:BRAVE BEAT。
――チームの名前だった言葉が、今は“自由”を象徴する旗になっている。
街は少しずつ変わっていた。
誰もが自分のリズムで音を鳴らせる。
子どもたちは通りで足踏みし、老人はベンチで手拍子を刻む。
そのすべてがひとつの大きな鼓動になって、海へと溶けていく。
玲央は風に髪を揺らしながら、海辺の小さなステージへ向かった。
数年前、予選会が行われた場所だ。
錆びた鉄骨と白いテント。潮に焼かれた木の床。
けれど、彼にとってはどんなアリーナよりも温かい場所だった。
夕陽が傾き始める。
ステージの上には、ギターケースを抱えたひとりの男の姿があった。
榊悠真。
銀の髪が光を受け、淡い橙に染まる。
彼は弦を軽く弾き、音の響きを確かめていた。
観衆はいない。
それでも、その指先から生まれる旋律は、風と波を味方につけて広がっていく。
「もう戻ってくんな、って言ったのに」
玲央が階段を上がりながらつぶやくと、悠真が顔を上げた。
「お前が呼んだんだろ」
「呼んでねぇよ」
「お前の心拍が、そう言ってた」
「……うるせぇな」
「褒め言葉として受け取っとく」
言葉を交わすたび、潮風の温度が変わる。
もう戦いの匂いはない。
あるのは、懐かしい鼓動の重なりだけだった。
少し離れた場所で、一ノ瀬朱莉が手を振った。
腕にはまだ包帯が巻かれているが、顔は穏やかだ。
その隣で藤堂颯真が缶コーヒーを傾ける。
「まったく……あいつら、また始まったな」
朱莉は笑う。
「うん。でも、これが玲央だもん」
潮風が吹き抜け、ステージの白布がふわりと揺れた。
玲央はステージの中央に立ち、拳を握る。
悠真はギターを構え、弦の音を確かめる。
呼吸が重なった。
あの日と同じように。
「準備できてるか」
「いつでも」
玲央の拳が軽くステージを叩く。
ドン、ドン。
悠真のギターが応える。
ジャラン、ジャラン。
二人の音が絡み合い、夕陽の下で波音と混ざっていく。
朱莉が手を胸の前で組み、藤堂が空を見上げた。
誰も拍手をしない。
けれど、街全体が静かに聴いている気がした。
悠真の指が速く動く。
玲央のステップが弾む。
風が髪をなびかせ、潮が跳ね、世界がひとつのリズムで震えた。
それは勝負でも、演奏でもなかった。
魂と魂が、ただ“同じ音”で鳴り響いている瞬間だった。
やがて音が止み、波だけが残った。
静寂の中で、悠真が笑う。
「なぁ玲央、また喧嘩してもいいか?」
玲央が鼻で笑いながら答える。
「上等だよ」
二人の拳がぶつかる。
鈍い音が響き、風が巻き上がる。
朱莉は呆れたように笑い、藤堂が肩をすくめた。
「ほんと、めんどくさい恋人同士だな」
「でも、そういうのが一番強いんだよ」
悠真がギターを抱え直し、玲央の隣に並ぶ。
潮風が二人の髪を揺らし、残暑の陽光が横顔を照らす。
「お前がいたから、俺は帰れた」
玲央は小さく息を吸い、笑った。
「お前の音が、俺を見つけたんだよ」
ふたりは同時に空を見上げた。
陽が沈み、光が波の粒に砕けて散る。
ギターの弦がひとりでに鳴り、風がそれをさらっていく。
玲央は目を閉じて呟いた。
「勝ち負けなんて、もうどうでもいいな」
悠真がうなずく。
「だな。今はただ、お前と響いてたい」
波が寄せては返し、遠くで鳥の声がした。
南風がふたりの肩を包み、潮の匂いとともに通り抜ける。
その温度が、まだ夏のままだった。
空には雲がなく、世界が澄んでいる。
玲央が笑う。
「この音が続く限り、俺たちは終わらねぇ」
悠真が小さく微笑み、弦を弾く。
音が空へと消えていく。
陽が沈みきったあとも、風はまだ熱を持っていた。
そして、ふたりの魂は、静かに燃え続けていた。
──完──
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