影の正男と月光の姫 ― 正しさが人を殺す世界を生きる姫 ―

冴月練

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第十二夜:敗北

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「どうしたの、二人とも?」
 玄関のドアを開けた麗子が、不思議そうに尋ねてきた。帰ったと思ったらすぐに戻ってきたのだから、そう思うのも無理はない。
「ほたるちゃん、あなたひどい顔色よ! それに服も汚れてるし」
 麗子がほたるを見て慌てた声を出した。
「正男、何があったの?」麗子が俺を見て聞いてきた。
「真壁の刺客に襲われた。ほたるの知り合いのガキで、魔導士だった」
「なんですって? それよりもほたるちゃん、入りなさい」
 麗子がほたるの肩を抱くように家に入れた。そのほたるは、真っ青な顔色で虚ろな目をしていた。



「そう……なんにせよ、無事でよかったわ」
 俺の話を聞いた麗子がほっとしたように息を吐いた。
「よくないです」
 それまで麗子に出されたお茶を黙って飲んでいたほたるが、暗い声で言った。
「慧君のこと焼いちゃった! 大丈夫かな?」
 ほたるは急に取り乱し始め、俺と麗子を交互に見た。
「どうしよう?」
 今度は両手で頭を抱え、床を見たままになった。体は震えていた。
 麗子がほたるのそばに近寄り、落ち着けるように背中を何度も優しく撫でた。
 俺はその様子をただ見てるだけだった。



 しばらくして、ほたるは少し落ち着きを取り戻した。
「ほたるちゃん、あなたが無事でよかったわ」麗子が優しく言った。
「でも、まだ中一の子を傷つけちゃいました」ほたるが言った。目はあちこちに泳いでいた。
「あなたが捕まっても、なにもよくならないわ。その子も罪を作るだけ」
「慧君が言ってること、私、否定できなくて」
 ほたるは、自分でも何を言っているのかわかってないように見えた。

 麗子は小さくため息をつくと、強引にほたると目を合わせた。
「ほたるちゃん、会社と従業員は雇用の契約よ。だけど、真壁はその子を“救う”ことで“支配”してるの。そして、その子は支配されている自覚がない」
「でも……」ほたるは小さくつぶやいた。
「あなたが自分を守ったのは、正しいことよ」
 そう言うと、麗子はほたるを抱きしめた。やがてほたるは泣き出した。



 ほたるがある程度落ち着きを取り戻したところで、麗子が言った。
「ほたるちゃん、正男、影にマーキングしてもいいかしら? それで異常を察知できるかもしれない。私になにができるってわけでもないけど……」
 麗子の声は小さくなっていった。確かに麗子にできることには限界がある。
「構わないぜ」返事をした。
「私も」ほたるも弱々しい声で答えた。



 麗子が俺とほたるに何かした。麗子の言った「マーキング」なのだろう。何の変化も感じないけど。
 その日は麗子の家に泊まった。



* * *



 慧の襲撃から数日が経ち、ほたるはだいぶ落ち着きを取り戻していた。
 夜、ほたるは膝の上に漱石を乗せ、オルゴールの曲に耳を澄ませていた。漱石が乗ってて、重くないのだろうか?
 窓から空を見た。月が出ているがほたるは光ってない。リラックスしていないのか、それとも麗子から教わった“光らない方法”を実践しているのか。

 曲が止まったので、俺は気になっていたことをほたるに聞いた。
「お前、ずいぶんそのオルゴールを大切にしてるな」
「おばあちゃんの形見なんです」ほたるは寂しそうに笑った。
「ばあさんのこと好きだったのか?」
「はい」ほたるは漱石を撫でながら、さっきよりも明るい声で答えた。

「おばあちゃんから、炎の魔女・富岡トメさんのことを少し聞いたことがあります」
 それは初耳だ。
「なんて言ってた?」
「仲の良い姉妹だったそうです。優しいお姉ちゃんだった、って言ってました」
 ほたるは漱石を見て、撫で続けながら言った。
「トメさん、なんでそんなに怒ったんでしょうね?」ほたるの声は落ち着いていた。
「さあな。確かに酷いことしたし」
「でも、正男さんのしたことと、呪いが釣り合ってないですよ」ほたるがチラリと俺を見た。
 それは俺もずっと思ってた。

「正男さんは私が憎くないんですか?」ほたるが予想外のことを言いだした。
「なんで?」訝しげな声で聞いた。
「炎の魔女の血縁者だし、力を強く受け継いでるらしいし」
「そんなこと、思ったこともない」呆れた。
「私は幸せだな。正男さんや麗子さんみたいないい人に囲まれて」
 ほたるを見た。漱石を撫で続けていた。

「麗子は知らんが、俺は別にいい奴じゃない」
「そんなことありませんよ。正男さんは、こんなダメな私をそのまま受け入れてくれます。守ってくれます」ほたるが俺を見て笑顔を見せた。でも、少し寂しそうだ。
「俺がお前を守ったことなんてないぞ」
 事実を言ったのに、ほたるは黙って首を横に振った。



 少しの間沈黙が流れた。なんとなく口を開いた。
「ほたる」
「なんですか?」ほたるが俺を見た。
「断るのが怖いときは、家族や死んだばあさんのことを考えろ。お前が自分を蔑ろにしてる姿を、そいつらがどう思うのか考えろ」
「正男さん……」ほたるがつぶやいた。
「ついでに、俺も嫌だ」
 ほたるが微笑んだ。
「散歩してくる」
 それだけ言って、俺は外に出た。



* * *



「あら、正男じゃない」
 今日もこっちも見ずに気づかれた。何なんだろうな、この敗北感。
 ほたるのアパートを出て、散歩がてら麗子のところに来た。今夜は雲がなく、月が明るいからすいすい来られた。
「ちょっと雑談しにな」雑談相手がいるとか、少し前までは考えもしなかった。
「ほたるちゃんの様子は?」麗子が俺を見た。
「少し落ち着いた。けど、まだまだだな」
「そう」

 麗子は椅子に座った。
「攻撃魔法を教えておいて良かったけど、ほたるちゃんには諸刃の剣だったわね」
 麗子が浮かない顔で言った。
「教えといたのは正解だろ」
「そうなんだけどね」

「前に真壁の才能が見えた、って言ってたよな? 強いのか?」
「ええ。私とは比べものにならないほどに」麗子が険しい目をして言った。
「そうか……。魔導士相手じゃ、警察も役に立たんだろうし」
「そうね。解決策が見いだせないわ」

 その後も麗子と話し合ったが、有効な手立ては出てこなかった。



* * *



「ほたるちゃん、少し休んで」
「はい」
 美穂さんに言われ、少し休憩を取らせてもらうことにした。ハンカチで汗を拭きながら、少し人の少ないところへ移動した。
 炊き出しのボランティアは続けている。今日も人の多さに悲しくなった。

 マカベ・バイオテックは今日も炊き出しに参加していた。スタッフが慣れた感じで作業をしていた。
 彼らをぼんやり見た。
 あの日から慧君の姿は見ない。慧君のことを聞いてみたい気持ちもあるが、正男さんと麗子さんからは、「マカベ・バイオテックには近づくな」と言われていた。私自身も近づくのは怖い。慧君のことを傷つけたのに、自分は保身を考えている。こぶしを握った。

「月野瀬さん、マカベ・バイオテックが気になるのかい?」
 後ろから声をかけられた。見ると、ボランティア代表の飯田さんだった。
「いつも来てるな、と思って」曖昧に答えた。
「そうだね」
 飯田さんもマカベ・バイオテックを見た。少し沈黙が流れた。
「何か気になるのですか?」
 飯田さんが浮かない顔をしているような気がしたので尋ねた。
「うん、炊き出しに来なくなった人のことをちょっと考えてね」
 飯田さんが私を見て答え、すぐにマカベ・バイオテックへと視線を戻した。
「生活が安定したり、マカベ・バイオテックみたいなところにスカウトされたりしたのならいいのだけど、別の理由もあり得るかな、と思ってね」
 飯田さんは一瞬沈んだ目をした。
「じゃあ、僕は戻るから。月野瀬さんはもう少し休んでて」
「はい」
 飯田さんは仕事に戻っていった。私はマカベ・バイオテックに視線を戻した。
 前に聞いた「足元の薄氷」を思い出した。
 本当にそうだ。私も薄氷の上に立っている。



* * *



「ほたる、少し人の少ないところがあるから気をつけろ」正男さんが言った。
「わかってますよ」
 毎回言われているので少し強めに言い返してしまい、後悔した。正男さんは私のことを心配してくれてるのに。
 炊き出しのボランティアが終わり、駅に向かっていた。正男さんの言う通り、途中に人通りが少なくなる場所がある。だが、全く人がいないということはない。速足で移動すれば大丈夫だ。

 そう思っていたのだが――
「正男さん」
 カモフラージュのスマホを使わずに正男さんを呼んだ。必要ないから。
「人がいない。変だ。走れ!」正男さんが早口で指示を出した。

「お姉ちゃん、久しぶり」
 後ろから声をかけられ、ギクッとした。それに、忘れられない声だったから。
 急いで振り返り、声をかけた。
「慧君――その顔……」
 呆然と慧君の顔を見た。目をそらせなくなった。
 顔から首にかけて、ひどくはないけど、はっきりと火傷の痕があった。
「ああ、これ? お姉ちゃんは気にしなくていいよ。僕が未熟だったのが悪いんだ」慧君が顔に触りながら言った。
「でも……」私の炎が原因なんでしょ?

 私の表情を見て、慧君は短いため息をつくと微笑んだ。
「本当にお姉ちゃんは気にしなくていいんだ」
 私を労わるような優しい声。
「それに、真壁さんに褒められたんだ」
「え?」
「真壁さん喜んでた。お姉ちゃんがどれだけ特別かわかったって」慧君が年相応の笑顔を見せた。
「あ…うあ……」視界がぐらついたような気がした。
「そのうえ特別ボーナスまでもらえた。だからお姉ちゃんは気にしないで」
 慧君は笑顔のまま言った。立っている感覚が揺らいだ。

「でも、今日はお姉ちゃんを真壁さんのところに連れてくよ」
 そう言うと、慧君は表情を引き締めて構えた。
 私もポケットからマッチ箱を取り出したが、手が震えてマッチをつかめなかった。マッチを大量に地面に落としてしまった。
「ほたる、逃げろ! 走れ!」正男さんが怒鳴った。
 慧君を見た。
 膝が笑う。呼吸が浅い。動けない。どうしたら良いのかもわからない。

「ほたる!」
 正男さんの叫び声にハッとして、上を見たら慧君がいて、氷の網を広げていた。
「キャッ!」
 何もできずに網に囚われてしまった。マッチ箱も落とした。
 私を包む氷の網は太くなり、氷の檻になった。そのまま引きずられていくけど、痛みとかは全然ない。慧君は本当に私を傷つける気がないのだとわかり、涙が出てきた。
 どこまで連れていかれるのかと思ったが、近くに止めてあったトラックのコンテナに放り込まれた。

「お姉ちゃん、ごめんね。すぐ着くから」慧君が顔を出し、申し訳なさそうに言うと、コンテナは閉じられた。
 それと同時に氷の檻は砕け散って消えた。
 真っ暗でよくわからないが、クッションで囲まれているようだ。
 慧君の火傷の痕がある申し訳無さそうな顔を思い出したら、声を抑えられなくなった。痛いのは私じゃないのに、なんで泣いてるのだろう?

「光がねえから動けねえ」という正男さんの声が聞こえた。
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