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しおりを挟む「……はぁ。今日も、無事に終わりそうですわね」
誰にも話しかけられず、誰にも睨まれず、教壇の視線からも外れたまま、アニカ=フォン=ヴァレンティナはそっと息を吐いた。王立エーデル学院の午後の講義は、既に板書すら疎らになり始めており、生徒たちの視線は窓の外や隣の机に流れている。
そんな中、彼女は誰にも見つからぬよう、教室の最後列、壁際の書棚と柱の影との狭間
まるで家具の一部のような位置にひっそりと座っていた。
「今日の存在感:限りなくゼロ……っと」
心の中で点数をつけるのが、日々のささやかな楽しみ。彼女にとって“目立たぬ”とは“誉れ”であり、“静けさ”は“安全”だった。
――透明化。
その魔法は、アニカが独学で編み出した「存在感を消す術式」である。正式な魔法分類には属さず、応用も困難。だが、極限まで気配を薄め、周囲の視認・聴覚・魔力感知にかからぬよう調整されたその技術は、彼女にとって最高の鎧だった。
寮の部屋では足音を殺して動き、講義室では筆記の音さえ控え、昼食は誰も来ない裏庭のベンチで。誰にも見つからず、何も起こらず、一日が終わればそれでよかった。
けれど、その安寧は、ある日、突如終わりを告げる。
「聖女ミリアンヌ様のお越しです!」
その声と共に学院中の空気が引き締まる。礼拝堂に集められた生徒たちの前に、淡い金糸のヴェールを纏った少女が現れた。聖女ミリアンヌ。神より言葉を受ける者とされ、その存在自体が敬意と恐れを集める人物だ。
「我が祈りに応え、神は啓示を授けました。この学び舎に、破滅の種子が芽吹いています」
その瞬間、空気が、凍った。
誰もが息を飲み、誰かが“誰か”を探して視線を走らせる。だが、その“誰か”は、名指しされることはなかった。
「誰……のこと、でしょう……?」
呟いたのは、アニカ自身だった。けれど、その声すら聞かれはしない。なぜなら彼女は、“見つからぬ令嬢”だったから。
……だが、今、初めてアニカは悟る。
名指されずとも、疑いは始まる。
無名であることが、必ずしも安全とは限らない。
透明という名の仮面は、破られる時を待っている。
心臓が跳ねる音を抑えながら、アニカは静かに礼拝堂を後にする。その背後では、ざわめきが、視線が、次なる“断罪”の獲物を求めて渦を巻いていた。
透明でいるだけでは、生き残れないかもしれない――。
その不安が、アニカの胸に静かに巣くい始めていた。
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