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1巻
1-2
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「申し訳ありません。今はただのイザベルでございます」
「うむ、それでいい。まずは今後について話してもいいか?」
「はい。よろしくお願いします」
支配人は咳払いをすると、ゆっくり説明を始めた。
「まず、ここエリュシオンは超高級娼館だ。会員制で、現役の会員の紹介がなければ入会できない。娼婦を乱暴に扱う者は紹介者ごと強制退会させられるから、客を紹介する側も慎重になり、結果としてエリュシオンの会員であることが一種のステータスとなっている。そうして、エリュシオンには、良識ある貴族や資産家、名高い大商人らが集まるようになったんだ」
聞いていた通りの話……
やっぱりここは、ローレンツ公爵家が後ろ盾になっている超高級娼館だったんだ。
これだけ厳格なルールがあれば、生家にいた時のように暴力を振るわれることはないだろうと、私は胸を撫で下ろした。
「イザベルは、我がエリュシオンが買い取った。年季は十年。身請けされるか、自分自身を買い取れれば早くここを出ていくことができる。明日から先輩娼婦による指南があるから、心の準備をしておくように」
その後も、支配人の話は続く。
娼館から許可なく外出するのは禁止と釘を刺されたものの、代わりに毎日食堂で三食用意され、接客の際の身支度や掃除は使用人が行う。
さらに、仕事をしていない時間は自由に過ごしていいと説明された。
(つ、つまり自分自身を担保に借金をしているのに、衣食住が保証されているってこと!?)
――なんて高待遇なの……逆に恐ろしくなってきたわ……っ!
「あ、あの……」
「なんだ?」
「ちなみに、幾らで……私を買い取ってくださったのでしょうか……?」
「アーデルハイト大金貨四百万だ」
「っ、よ……!?」
(大金貨四百万!? 豪華な屋敷が買えるほどの金額を、私に投資したというの!?)
開いた口が塞がらない。
確かに私は、年齢制限付き乙女ゲームのヒロインにふさわしい美貌を持っている。
母譲りの淡いサファイア色の瞳。少し頼りなげに八の字を描く眉と、下がり気味の目尻が儚げな印象を与え、栄養失調気味なせいでその雰囲気はさらに際立っているはず。
高すぎず整った鼻に、ふっくらとした唇。今はパサついているものの、ローズピンク色の柔らかなウェーブヘアは華やかさを添えている。全体的に控えめでありながらも、可憐な印象だ。
さらに少し童顔でありながら、胸とお尻、太腿にはしっかりと肉が付き、それ以外の部分はか細い。まるで摂った栄養全てがそこに集まったかのようなアンバランスさは、我ながらどことなく危うい色香を放っている気がする。
とはいえ、令嬢としての教育は幼い頃のまま止まっているし、男性経験は全くない。
……いや、逆に初心なほうが価値は上がるのだろうか。
私はつい怖気づき、恐る恐る呟いた。
「とんでもない大金と見合う働きが、私にできるでしょうか……」
「……そこは、たったそれっぽっちの金額で売りに出されたのかと嘆くか、多額の借金を抱えて絶望するところだろう」
「望まず売られた女性にとっては、とてもお辛いことでしょうね……ただ、私については自らの意思で娼館に連れて来ていただいているので、支配人が気に病まれることはありません」
まだ少ししか話していないが、支配人は身体が大きい割に、どこか気が小さいように感じた。
不幸な境遇の女性たちや、私に対しても同情してくれているように見える。
「全く。肝の据わった新人が入ってきたもんだ」
「あ、ありがとうございます!」
「褒めてねえよ! ったく、そんな図太い性格しておいて、大金に見合う働きができるか不安なのだってぇ? 君の小動物みたいな庇護欲をそそる見た目に騙された客たちが、金を吸い取られて屍の山になっていくのが目に浮かぶぜ」
「なっ! そんな酷いことはしません!」
「本当かぁ? とんだ悪女で、露出狂だと聞いているが?」
「っ!?」
――いやああ、た、確かにその通りですけれど……っ!
つい先日爆誕した黒歴史を思い出し、居た堪れなくなって両手で顔を覆う。
……まぁでも、揶揄うような口調でも、きっと励ましてくれているのよね……?
そう前向きに捉えようとしていると、支配人が立ち上がり、軽く手を振って言った。
「そんじゃ、今日はゆっくり源氏名でも考えながら、部屋で休んでおけ。食事もここに運ばせるよ」
「はい。明日からよろしくお願いいたします」
支配人が部屋から出ていった後、伸ばしていた背筋を緩め、ソファの背もたれに身を沈める。
――こんなに心置きなくのんびりできるのは、いつぶりかしら……
今まで、ずっと不安だった。
両親が亡くなってからというもの、暴力や罵倒に怯え、逃げることも叶わず、頼れる人もいなかった。もし転生前の記憶がなかったら、今のように無理やりにでも前向きに考えることはできなかっただろう。
原作のイザベルは、いつも俯いて謝ってばかりだった。彼女はどれほど辛かっただろう。
(自分を幸せにできるのは自分だけ。私はイザベルとして幸せになるんだ)
幸いなことに、ここは侵入するのが難しそうだから、叔父家族も追って来られまい。攻略キャラたちは女性が放っておかないような美形しかいないので、娼館にはまず来ないだろう。
身売りされた時の大金は、私が利用してしまった悪役令嬢ゼルマの懐に入るはずだ。そう考えると罪悪感も薄れるし、むしろ有り難い限りだ。
ゆっくり深呼吸していると、どんどん力が抜けていく。そして、ずるずるソファに倒れ込むうちに心が解れ、自然と瞼を閉じた。
(――たとえ今後の人生も一人きりだとしても、精一杯、力強く生きていこう)
まずは前世のように後悔しないために、毎日を大切にすることからだ。
前世の私は独身OLだった。二十五歳の誕生日、残業を終えて帰宅する途中で、通り魔に遭い、呆気なく息を引き取った。
孤児院育ちで、いつかは結婚して温かい家族を作りたいと思っていたけれど、そんないつかは来なかった。それどころか一度だって生身の人間と恋愛することもなかった。
異性と話すのが苦手で、初恋は二次元のキャラだし。自立してからはずっと乙女ゲームを楽しんでいた喪女だったのだから、当然と言えば当然だ。
本当に望みを叶えたいなら行動に移さなくちゃいけなかった。それなのに、年齢イコール彼氏いない歴のまま、死んでしまうなんて……
娼婦になる身だから、今世でもまともな結婚は望めないかもしれない。私が本来のイザベルのように儚げで庇護欲をそそるような性格であれば、引く手数多だったのだろうが……
もし殿方とご縁がなくとも、家族だけは欲しい。ここを出たら孤児院のある教会に通って奉仕活動をし、もし気の合う子がいれば、里親になるのも有りかもしれない。
(何をするにもお金が必要ね! こうなったら頑張って、がっぽり稼ぐわよ!)
心の奥底で身体を売ることについての恐怖心が芽生えてきているのを感じる。しかし、そこから目を逸らして自分自身を守るが如く、前向きな思考へと舵を切った。
「余計なことを考えても仕方がない……あっ、そろそろこの素敵な部屋を探索してみようかしら」
私は勢いよく立ち上がって辺りを見渡す。
……今いるのがリビングダイニングといったところか。
艶やかに磨かれたウォールナット材の家具でコーディネートされた部屋は、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出している。家具はどれも曲線が美しく、全て猫足になっているのが可愛らしい。
テーブルの表面に触れると肌に吸いつくような滑らかな手触りで、やはりしっかり手入れが行き届いているのが分かる。
下女として働いていた時、家具をオイルで磨き上げる作業は、優先度が低く、皆後回しにして放置されていた。それでも私にとっては思い入れのある家具たちばかりだったから、夜な夜な少しずつ磨いていたのだ。
ここまで艶が出て触り心地がよくなるほど手入れをしているだなんて、ここの使用人たちは、物を大切に扱う余裕があるのだろう。もしかしたら使用人自身も大切にされているのかもしれない。
部屋にある観葉植物も生き生きとしていて、陽の光に向かって葉を伸ばしている。その先には、外の景色が見えるサンルームがあった。窓際にはロッキングチェアが備えつけられていて、あそこでお昼寝をしたら気持ちよさそう。
早速ロッキングチェアに座り、ゆっくり揺られながら、外に咲く薔薇を眺めていると――
突然、何やら部屋の入り口のほうから、ドタバタと走ってくる足音がした。
「俺だ、支配人のフィンだ。開けてくれ」
「は、はい。どうぞ」
先ほどはゆっくり休めと言っていたのに、一体どうしたのだろう。
立ち上がって扉のほうに向かうと、支配人が顔を出した。その表情は、明らかに狼狽えている。
「い、今……イザベルに、前代未聞の指名が来た」
「え……?」
(指名って、そんな。まだここに来たばかりなのに、誰が? 何の目的で?)
冷や水を浴びせられたように、のんびりしていた気持ちが一瞬で吹き飛んでいった。
「君の夜を、高貴なお方が二ヶ月分買っていかれた。申し訳ないが早速これから相手をしてほしい」
「え、は……!?」
に、二ヶ月分って……もしかして、攻略キャラの誰かだろうか……?
いや、でも接触しているのは、ヨシュカ王太子だけだし。こんな醜聞になりたてホヤホヤの痴女を買うわけがない。
――では、一体誰が私の二ヶ月間を買ったというの……?
(そんな……どうしよう……まだ心の準備もできていないのに……)
さっき目を逸らした恐怖心が、じわじわと広がっていく。
「先方には、まだ娼婦としての指南を受けていないことは説明してある。粗相をしても問題ないと仰っていたから、とりあえず三階の控室で着替えて、この館で一番広い特別室アズライトスイートに向かってくれ」
「えっ……今からですか!?」
「ああ、高貴なお方を待たせるわけにはいかないからな。ほら、急いでくれ!」
忙しなく三階の控室に向かうと、そこで待ち構えていた年若い使用人によって、あっという間に身包みを剥がされ、着替えさせられた。
無駄口を叩く隙もないまま、テキパキとヘアメイクまで施される。
「……できました。はわぁ、大変お美しゅうございます」
うっとりと溜息を漏らす使用人に鏡を見せられ、絶句する。
今まで虐げられていたせいで、きちんと身なりを整えた自分を見るのは初めてだったけれど……これは、流石ヒロインの顔面と言うべきか……
青白い肌はチークで血色感を足され、睫毛の隙間を埋めるように引かれたアイラインが、頼りなさげだった目元をくっきりと際立たせている。
かさついていた唇はたっぷり紅を塗られ、ぷるんと艶めきながら色香を放っていた。
もはや、恐ろしいほど輝いている自分の姿に思わず苦笑いをする。
ただ、着せてくれた淡い水色のシュミーズドレスは、レースやフリルがついていて可愛いのだが、薄い絹製の生地のため肌が透けている。胸元はリネンを重ねた作りで、バストの形を整えつつ透けないようになっているけれども、どこか気恥ずかしい。
「高貴な方に見染められるのも納得の可憐さ、そして完璧なプロポーションです! これからさらに磨かれ、花開いていく姿を楽しめると思うと、私めは幸せでございます!」
「あ、ありがとう、ございます……あの、ところで、その高貴な方のお名前は……?」
「さぁさ、あちらの部屋でお客さまがお待ちですよ」
使用人は私の疑問を無視して避妊薬と香油を手渡し、扉をノックする。
「大変お待たせいたしました。ご所望の新人をお連れしました」
「入ってくれ」
入室の許可を得た瞬間、使用人に背中を押される。
(うわああ! まだ指南を受けていないド素人だし、源氏名も決めていないのですが!?)
押された衝撃でよろけつつも、すぐに優雅な所作を意識し、ゆっくりと歩き始める。
――どうか、どうか……攻略キャラではありませんように。
そういえば、低くて落ち着いた、いい声だったなぁ。
どことなく聞き覚えがある気がしたけれども、それどころじゃない。私はそれよりも、名乗る前に今すぐ源氏名を決めなくてはと、そのことで頭がいっぱいだった。
深い青を基調にしたお城のような豪奢な部屋に入り、ソファに座る男の前で立ち止まった。
高貴なお方と聞いているので、目を伏せたままスッケスケのドレスの裾を持ち、小さくカーテシーをする。
「どうぞ頭を上げてください」
許可をもらったので、ゆっくりと顔を上げる。
心臓が口から出そうなほど緊張しているけれど、源氏名も思いついたし、行くわよ!
「お初にお目にかかります。ベルと申します。このたびはご指名いただいたとのこと、誠にありがとう存じます」
「イザベル嬢、お越しいただき感謝します」
――やっぱりイケボだ。あまりにイケボだ。
……ってあれ? でも私、ベルと名乗ったのに、なぜ本名を……?
不思議に思い、そっと顔を上げると、お客さまと視線が交差した。
「っ、あなたさまは……!」
「ま、まさか俺のことを、覚えていてくださっていたのですか」
結論から言えば、攻略キャラではなかった。が、割と危機的状況である。
彼は、先日のパンチラ現場にいた人物。
攻略キャラである白薔薇の王太子を護る、近衛騎士ヴァルター卿だったのだから。
――もしかして、ヨシュカ王太子の前であんな破廉恥な真似をしたから捕らえられる……!?
いやでも貴族学院の校則では、学院内であれば王族や上位貴族への特別扱いはないという建前だったはず……
どうしよう、不安で胃が痛くなってきた。
「改めまして、俺はヴァルター侯爵家の嫡男ルードヴィヒと申します。どうぞお見知りおきを」
胸に拳を当て、大変礼儀正しく騎士の礼をするヴァルター卿。
以前見かけた時の印象通り、どこかミステリアスな冷徹騎士のはず……なのだけれど、どうしてか言葉尻に熱量を感じる。
(っていうか、無口キャラなのに、たくさん喋っているのはどういうことなの!?)
どうしても違和感が拭えず、まじまじと見ると、彼はなぜか緊張した面持ちで口を開いた。
「ところでイザベル嬢」
「な、なんでしょうか……?」
今はただのベルなのだけどなぁ……とはいえ、相手は真面目な騎士さまだ。こういう場に慣れていないのかもしれないし、気にしても仕方がない。私は軽く頷き、話の続きを待つ。
「君にお願いがあります」
そう懇願するヴァルター卿は、とんでもなく高貴なお方にも拘らず、膝をついた。
――や、やっぱり、ヨシュカ王太子に関わることだったりしないわよね!?
私の中で緊張が最高潮に達し、ヴァルター卿の様子を慎重に窺う。
何もかも見透かしそうな切れ長で鋭い目をした男が、今は目尻を下げ瞳を潤ませ、うっすら頬を赤く染めている。
何これ、どういう状況なの? と、ごくりと喉を鳴らしたところで、彼が衝撃的な発言をした。
「どうか、もう一度……君のパンティーを見せていただけないでしょうか?」
一瞬、息が止まった。
(今、ヴァルター卿は、なんて言った?)
……聞き間違い、だろうか。
いや、そうであってほしい。そうであってくれ。
私は困惑を隠せないまま、胸に両手を当て、逸る鼓動を落ち着かせるように問いかける。
「あ、あの。もう一度なんと仰ったかお伺いしても……?」
血の気が引いていく私とは対照的に、ヴァルター卿の顔はみるみるうちに上気し、先日のように赤く染まっていった。
そしてついには、恍惚とした表情で言ってのけたのだ。
「お願いです。人助けだと思って、君のパンティーを拝ませてください……!」
……うん。薄々気づいていたけれど、やっぱり聞き間違いじゃなかった。
――ああ、頭が痛い。
ど、どうしてこうなった?
な、なぜ……私の、パンティ……いや、パ、パンツを…………?
彼のとんでもない願いごとに、頬が引き攣って、掠れた声が漏れる。
「――は?」
ヴァルター卿は跪いたまま長い腕を伸ばし、動揺して胸を押さえる私の片手をそっと取る。
ガラス細工に触れるかのように優しく、私の手が彼の両手に包まれた。
「どうしても確かめたいことがあるのです」
私のパンツを見て確かめたいこと、とはなんだろうか。
(――というか、そもそもパンツで確認できることってなんかあります!?)
心の中ではうまく叫べるのに、現実ではうまく言葉にできない。
そうこうしているうちに、二個目の爆弾が投下された。
「そして、願わくは……愚息を治療してほしい。俺を中イキできる男にしてほしいのです……ッ」
またしても、呼吸が止まった。
待って。今この人、愚息を治して、な、なな……中イキと言った……?
「あの、ヴァルター卿……」
「どうぞ、ルードヴィヒとお呼びください」
僅かに口角を上げた彼を眺めていると、ふと閃いた。
――そうか。やっと意図が理解できたかもしれない。
ヴァルター卿、もといルードヴィヒが仕える攻略対象キャラ・白薔薇のヨシュカ王太子は、色素薄い柔らかな印象だが、原作通りだと実は相当腹黒な性格で後孔専門の人だ。
ヨシュカ王太子と以外、ほとんど喋らない無口キャラが、今、めちゃくちゃ、よく喋っている。
これは、前世でオタクだった私の勘だけど……
もしかして彼は、ヨシュカ王太子のことを密かに想っているのでは?
つまりは! 女性のパンツを見ても昂らないと、ヨシュカ王太子しか想える人はいないのだと、自分の気持ちを再確認しようと思っている……?
そして、その想いが確信に変わったなら――ヨシュカ王太子への想いを遂げるため、中イキ、すなわち男のファンタジーホールで絶頂できるように、開発を望んでいるんじゃ……?
(……ああ。正直、娼婦の仕事を舐めていた……)
まさか娼婦になって初日で、想い人への罪悪感を減らすためにお医者さんプレイを口実にしつつ、中イキ調教をしてほしいと依頼されるなんて――
当然、こんな事態に陥って、驚きを隠せない……が、しかし! 私は前世でBLも多少嗜んでいた。そこらの令嬢よりも詳しい自信はあるから、もしかしたら役に立てるかも……!
(よし! 彼を立派な受けにするために、精一杯サポートしようじゃない!)
ここは娼館の一番いい部屋だ。きっとそういった道具も揃っているだろう。
「ルードヴィヒさま、一度手を離していただけますか」
「そんな……!」
私はルードヴィヒに握られた手を振り解こうとするが、なぜか離してもらえない。
軽くぶんぶん振ってみるものの、かえって握ってくる力が強くなるだけだった。
(え、どうしてそんなショックを受けた顔をして、手を離さないの……?)
悲しそうな表情を浮かべて上目遣いでじっと凝視されると、大型犬が尻尾と耳を下げてしょげている幻覚が見えてしまった。
――恐ろしい人っ! あまりに顔がよくて、心臓が止まるかと思ったわ……っ!
身の危険を感じて咄嗟に目を逸らしたところで、私はルードヴィヒの願いに応じると頷いていないことにやっと気がついた。
「ルードヴィヒさま、どうぞご安心ください。あなたの願いを叶えるべく動きたいだけですので、何とぞ……っ!」
手を離してくれと伝えたせいで落ち込んでいたのに、私の一言で彼の表情がぱあっと輝いた。
「よろしいのですか……!」
この方、ミステリアスなクール系だと思っていたのに、まさかのワンコ属性だったの……?
――うう、眩しくて目が焼けそう……っ!
私がこくりと頷くと、ようやく手を離してくれた。
彼の期待の眼差しに応えるように、私は部屋の中を瞬時に見渡す。すると、棚の上に怪しげな籠を見つけた。近づいて中を覗き込んでみたところ、目当てのものを発見した。
「あのイザベル嬢。一体何をなさっているのですか……?」
「何って、お医者さんプレイをした上で、お、お尻で……その……達したいのですよね……?」
居た堪れなくなって言葉尻が小さくなっていく。
そこで実物を見せたほうが早いと気づき、籠の中に入っていた直視できないような淫具や、白衣、木製の聴診器などを彼の目の前におずおずと差し出した。
「…………っ」
けれども、ルードヴィヒの息を呑む声が聞こえるだけで、かなり反応が悪い。
恐る恐る様子を窺うと、今度は彼のほうが呆気に取られていた。
「る、ルードヴィヒさま……?」
「ん、え……?」
ルードヴィヒは掠れた声を出すと、瞬く間に顔を燃えるように赤くして、そして突如、後ろにひっくり返った。
「だ、大丈夫ですか!?」
卑猥なものをほっぽり出し、慌てて駆け寄ると、彼は恥ずかしそうに赤く染まった顔を片手で覆っていた。
その仕草があまりにも可愛らしく、こんな些細なことで動揺する彼に内心キュンとしてしまう。
(何この可愛い大型犬は!? どうして攻略キャラじゃなかったの!?)
謎の悔しさすら込み上げてきた頃、ルードヴィヒがむくりと身を起こし、赤面したままぽつりと言った。
「すみません……何やら大きな誤解が……あるかもしれません」
「誤解、ですか?」
「決してお医者さん……は、望んでおらず……!」
「では、治してほしい……とは?」
一旦邪魔になりそうな淫具たちを籠にしまって聞いてみると、彼は恥ずかしそうにしながらも、おずおずと説明し始めた。
「……ゆくゆくは世継ぎを作らなくてはいけない身の上なのですが、愚息が役立たずでして……」
――愚息が、役立たず……? 疑問に思いながらも、とりあえず頷いて相槌を打つ。
「令嬢の前で言うのは憚られるのですが、つまり……女性の中に挿れようとしても、気持ちが冷めて萎えてしまうのです」
「あ……」
(つ、つまり女性の中で達せないから、助けてほしいっていうことっ!?)
先ほどまでの勘違いに、頭を壁に打ちつけたくなる衝動に駆られながらも、私は思い切り深く頭を下げた。
「大っ変っっ、失礼いたしました……!」
「いや、こちらこそ申し訳ありませんでした。よく言葉足らずだと言われるので、これからは遠慮なく聞いてほしいです」
もしかしたら不快な思いをさせてしまったかもしれない。怖々と頭を上げて様子を窺うと、ルードヴィヒは微かに目尻を緩め、控えめな笑みを浮かべていた。
(――っ、なんて綺麗なの……)
彼の笑みを見るのは前世からひっくるめても初めてだった。クールキャラの笑顔の破壊力ったら半端ない。視線をそらすのも惜しいほどで、思わず息を呑み……って、うっかり見惚れている場合じゃない。彼が怒っていないようでホッとしたけれど、まだ問題は解決していないのだ。
未だに床に座っているルードヴィヒを見て、私は軽く咳払いをする。
「とりあえず、ソファに座りませんか?」
そう促すと、彼はぎこちなく移動し、私もその隣に腰掛けた。
そして、早速不安な点を聞いてみることにした。
「あの、ご事情は把握しました。けれど私は医学を学んでいる人間ではなく、ただの新人娼婦なのですが、お役に立てるでしょうか……?」
「問題ありません。実はあの日イザベル嬢の可憐なパンティーを見て、愚息が衝撃を受けたのです。あれから君のパンティーを片時も忘れられず、イザベル嬢ならきっと……」
――パンティー……
真面目な顔で語るルードヴィヒに複雑な気持ちを抱きつつも、ようやく本来の意図が分かった。
要するに、私のパンチラで下半身が元気になったから、それを確認したいということね……?
「うむ、それでいい。まずは今後について話してもいいか?」
「はい。よろしくお願いします」
支配人は咳払いをすると、ゆっくり説明を始めた。
「まず、ここエリュシオンは超高級娼館だ。会員制で、現役の会員の紹介がなければ入会できない。娼婦を乱暴に扱う者は紹介者ごと強制退会させられるから、客を紹介する側も慎重になり、結果としてエリュシオンの会員であることが一種のステータスとなっている。そうして、エリュシオンには、良識ある貴族や資産家、名高い大商人らが集まるようになったんだ」
聞いていた通りの話……
やっぱりここは、ローレンツ公爵家が後ろ盾になっている超高級娼館だったんだ。
これだけ厳格なルールがあれば、生家にいた時のように暴力を振るわれることはないだろうと、私は胸を撫で下ろした。
「イザベルは、我がエリュシオンが買い取った。年季は十年。身請けされるか、自分自身を買い取れれば早くここを出ていくことができる。明日から先輩娼婦による指南があるから、心の準備をしておくように」
その後も、支配人の話は続く。
娼館から許可なく外出するのは禁止と釘を刺されたものの、代わりに毎日食堂で三食用意され、接客の際の身支度や掃除は使用人が行う。
さらに、仕事をしていない時間は自由に過ごしていいと説明された。
(つ、つまり自分自身を担保に借金をしているのに、衣食住が保証されているってこと!?)
――なんて高待遇なの……逆に恐ろしくなってきたわ……っ!
「あ、あの……」
「なんだ?」
「ちなみに、幾らで……私を買い取ってくださったのでしょうか……?」
「アーデルハイト大金貨四百万だ」
「っ、よ……!?」
(大金貨四百万!? 豪華な屋敷が買えるほどの金額を、私に投資したというの!?)
開いた口が塞がらない。
確かに私は、年齢制限付き乙女ゲームのヒロインにふさわしい美貌を持っている。
母譲りの淡いサファイア色の瞳。少し頼りなげに八の字を描く眉と、下がり気味の目尻が儚げな印象を与え、栄養失調気味なせいでその雰囲気はさらに際立っているはず。
高すぎず整った鼻に、ふっくらとした唇。今はパサついているものの、ローズピンク色の柔らかなウェーブヘアは華やかさを添えている。全体的に控えめでありながらも、可憐な印象だ。
さらに少し童顔でありながら、胸とお尻、太腿にはしっかりと肉が付き、それ以外の部分はか細い。まるで摂った栄養全てがそこに集まったかのようなアンバランスさは、我ながらどことなく危うい色香を放っている気がする。
とはいえ、令嬢としての教育は幼い頃のまま止まっているし、男性経験は全くない。
……いや、逆に初心なほうが価値は上がるのだろうか。
私はつい怖気づき、恐る恐る呟いた。
「とんでもない大金と見合う働きが、私にできるでしょうか……」
「……そこは、たったそれっぽっちの金額で売りに出されたのかと嘆くか、多額の借金を抱えて絶望するところだろう」
「望まず売られた女性にとっては、とてもお辛いことでしょうね……ただ、私については自らの意思で娼館に連れて来ていただいているので、支配人が気に病まれることはありません」
まだ少ししか話していないが、支配人は身体が大きい割に、どこか気が小さいように感じた。
不幸な境遇の女性たちや、私に対しても同情してくれているように見える。
「全く。肝の据わった新人が入ってきたもんだ」
「あ、ありがとうございます!」
「褒めてねえよ! ったく、そんな図太い性格しておいて、大金に見合う働きができるか不安なのだってぇ? 君の小動物みたいな庇護欲をそそる見た目に騙された客たちが、金を吸い取られて屍の山になっていくのが目に浮かぶぜ」
「なっ! そんな酷いことはしません!」
「本当かぁ? とんだ悪女で、露出狂だと聞いているが?」
「っ!?」
――いやああ、た、確かにその通りですけれど……っ!
つい先日爆誕した黒歴史を思い出し、居た堪れなくなって両手で顔を覆う。
……まぁでも、揶揄うような口調でも、きっと励ましてくれているのよね……?
そう前向きに捉えようとしていると、支配人が立ち上がり、軽く手を振って言った。
「そんじゃ、今日はゆっくり源氏名でも考えながら、部屋で休んでおけ。食事もここに運ばせるよ」
「はい。明日からよろしくお願いいたします」
支配人が部屋から出ていった後、伸ばしていた背筋を緩め、ソファの背もたれに身を沈める。
――こんなに心置きなくのんびりできるのは、いつぶりかしら……
今まで、ずっと不安だった。
両親が亡くなってからというもの、暴力や罵倒に怯え、逃げることも叶わず、頼れる人もいなかった。もし転生前の記憶がなかったら、今のように無理やりにでも前向きに考えることはできなかっただろう。
原作のイザベルは、いつも俯いて謝ってばかりだった。彼女はどれほど辛かっただろう。
(自分を幸せにできるのは自分だけ。私はイザベルとして幸せになるんだ)
幸いなことに、ここは侵入するのが難しそうだから、叔父家族も追って来られまい。攻略キャラたちは女性が放っておかないような美形しかいないので、娼館にはまず来ないだろう。
身売りされた時の大金は、私が利用してしまった悪役令嬢ゼルマの懐に入るはずだ。そう考えると罪悪感も薄れるし、むしろ有り難い限りだ。
ゆっくり深呼吸していると、どんどん力が抜けていく。そして、ずるずるソファに倒れ込むうちに心が解れ、自然と瞼を閉じた。
(――たとえ今後の人生も一人きりだとしても、精一杯、力強く生きていこう)
まずは前世のように後悔しないために、毎日を大切にすることからだ。
前世の私は独身OLだった。二十五歳の誕生日、残業を終えて帰宅する途中で、通り魔に遭い、呆気なく息を引き取った。
孤児院育ちで、いつかは結婚して温かい家族を作りたいと思っていたけれど、そんないつかは来なかった。それどころか一度だって生身の人間と恋愛することもなかった。
異性と話すのが苦手で、初恋は二次元のキャラだし。自立してからはずっと乙女ゲームを楽しんでいた喪女だったのだから、当然と言えば当然だ。
本当に望みを叶えたいなら行動に移さなくちゃいけなかった。それなのに、年齢イコール彼氏いない歴のまま、死んでしまうなんて……
娼婦になる身だから、今世でもまともな結婚は望めないかもしれない。私が本来のイザベルのように儚げで庇護欲をそそるような性格であれば、引く手数多だったのだろうが……
もし殿方とご縁がなくとも、家族だけは欲しい。ここを出たら孤児院のある教会に通って奉仕活動をし、もし気の合う子がいれば、里親になるのも有りかもしれない。
(何をするにもお金が必要ね! こうなったら頑張って、がっぽり稼ぐわよ!)
心の奥底で身体を売ることについての恐怖心が芽生えてきているのを感じる。しかし、そこから目を逸らして自分自身を守るが如く、前向きな思考へと舵を切った。
「余計なことを考えても仕方がない……あっ、そろそろこの素敵な部屋を探索してみようかしら」
私は勢いよく立ち上がって辺りを見渡す。
……今いるのがリビングダイニングといったところか。
艶やかに磨かれたウォールナット材の家具でコーディネートされた部屋は、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出している。家具はどれも曲線が美しく、全て猫足になっているのが可愛らしい。
テーブルの表面に触れると肌に吸いつくような滑らかな手触りで、やはりしっかり手入れが行き届いているのが分かる。
下女として働いていた時、家具をオイルで磨き上げる作業は、優先度が低く、皆後回しにして放置されていた。それでも私にとっては思い入れのある家具たちばかりだったから、夜な夜な少しずつ磨いていたのだ。
ここまで艶が出て触り心地がよくなるほど手入れをしているだなんて、ここの使用人たちは、物を大切に扱う余裕があるのだろう。もしかしたら使用人自身も大切にされているのかもしれない。
部屋にある観葉植物も生き生きとしていて、陽の光に向かって葉を伸ばしている。その先には、外の景色が見えるサンルームがあった。窓際にはロッキングチェアが備えつけられていて、あそこでお昼寝をしたら気持ちよさそう。
早速ロッキングチェアに座り、ゆっくり揺られながら、外に咲く薔薇を眺めていると――
突然、何やら部屋の入り口のほうから、ドタバタと走ってくる足音がした。
「俺だ、支配人のフィンだ。開けてくれ」
「は、はい。どうぞ」
先ほどはゆっくり休めと言っていたのに、一体どうしたのだろう。
立ち上がって扉のほうに向かうと、支配人が顔を出した。その表情は、明らかに狼狽えている。
「い、今……イザベルに、前代未聞の指名が来た」
「え……?」
(指名って、そんな。まだここに来たばかりなのに、誰が? 何の目的で?)
冷や水を浴びせられたように、のんびりしていた気持ちが一瞬で吹き飛んでいった。
「君の夜を、高貴なお方が二ヶ月分買っていかれた。申し訳ないが早速これから相手をしてほしい」
「え、は……!?」
に、二ヶ月分って……もしかして、攻略キャラの誰かだろうか……?
いや、でも接触しているのは、ヨシュカ王太子だけだし。こんな醜聞になりたてホヤホヤの痴女を買うわけがない。
――では、一体誰が私の二ヶ月間を買ったというの……?
(そんな……どうしよう……まだ心の準備もできていないのに……)
さっき目を逸らした恐怖心が、じわじわと広がっていく。
「先方には、まだ娼婦としての指南を受けていないことは説明してある。粗相をしても問題ないと仰っていたから、とりあえず三階の控室で着替えて、この館で一番広い特別室アズライトスイートに向かってくれ」
「えっ……今からですか!?」
「ああ、高貴なお方を待たせるわけにはいかないからな。ほら、急いでくれ!」
忙しなく三階の控室に向かうと、そこで待ち構えていた年若い使用人によって、あっという間に身包みを剥がされ、着替えさせられた。
無駄口を叩く隙もないまま、テキパキとヘアメイクまで施される。
「……できました。はわぁ、大変お美しゅうございます」
うっとりと溜息を漏らす使用人に鏡を見せられ、絶句する。
今まで虐げられていたせいで、きちんと身なりを整えた自分を見るのは初めてだったけれど……これは、流石ヒロインの顔面と言うべきか……
青白い肌はチークで血色感を足され、睫毛の隙間を埋めるように引かれたアイラインが、頼りなさげだった目元をくっきりと際立たせている。
かさついていた唇はたっぷり紅を塗られ、ぷるんと艶めきながら色香を放っていた。
もはや、恐ろしいほど輝いている自分の姿に思わず苦笑いをする。
ただ、着せてくれた淡い水色のシュミーズドレスは、レースやフリルがついていて可愛いのだが、薄い絹製の生地のため肌が透けている。胸元はリネンを重ねた作りで、バストの形を整えつつ透けないようになっているけれども、どこか気恥ずかしい。
「高貴な方に見染められるのも納得の可憐さ、そして完璧なプロポーションです! これからさらに磨かれ、花開いていく姿を楽しめると思うと、私めは幸せでございます!」
「あ、ありがとう、ございます……あの、ところで、その高貴な方のお名前は……?」
「さぁさ、あちらの部屋でお客さまがお待ちですよ」
使用人は私の疑問を無視して避妊薬と香油を手渡し、扉をノックする。
「大変お待たせいたしました。ご所望の新人をお連れしました」
「入ってくれ」
入室の許可を得た瞬間、使用人に背中を押される。
(うわああ! まだ指南を受けていないド素人だし、源氏名も決めていないのですが!?)
押された衝撃でよろけつつも、すぐに優雅な所作を意識し、ゆっくりと歩き始める。
――どうか、どうか……攻略キャラではありませんように。
そういえば、低くて落ち着いた、いい声だったなぁ。
どことなく聞き覚えがある気がしたけれども、それどころじゃない。私はそれよりも、名乗る前に今すぐ源氏名を決めなくてはと、そのことで頭がいっぱいだった。
深い青を基調にしたお城のような豪奢な部屋に入り、ソファに座る男の前で立ち止まった。
高貴なお方と聞いているので、目を伏せたままスッケスケのドレスの裾を持ち、小さくカーテシーをする。
「どうぞ頭を上げてください」
許可をもらったので、ゆっくりと顔を上げる。
心臓が口から出そうなほど緊張しているけれど、源氏名も思いついたし、行くわよ!
「お初にお目にかかります。ベルと申します。このたびはご指名いただいたとのこと、誠にありがとう存じます」
「イザベル嬢、お越しいただき感謝します」
――やっぱりイケボだ。あまりにイケボだ。
……ってあれ? でも私、ベルと名乗ったのに、なぜ本名を……?
不思議に思い、そっと顔を上げると、お客さまと視線が交差した。
「っ、あなたさまは……!」
「ま、まさか俺のことを、覚えていてくださっていたのですか」
結論から言えば、攻略キャラではなかった。が、割と危機的状況である。
彼は、先日のパンチラ現場にいた人物。
攻略キャラである白薔薇の王太子を護る、近衛騎士ヴァルター卿だったのだから。
――もしかして、ヨシュカ王太子の前であんな破廉恥な真似をしたから捕らえられる……!?
いやでも貴族学院の校則では、学院内であれば王族や上位貴族への特別扱いはないという建前だったはず……
どうしよう、不安で胃が痛くなってきた。
「改めまして、俺はヴァルター侯爵家の嫡男ルードヴィヒと申します。どうぞお見知りおきを」
胸に拳を当て、大変礼儀正しく騎士の礼をするヴァルター卿。
以前見かけた時の印象通り、どこかミステリアスな冷徹騎士のはず……なのだけれど、どうしてか言葉尻に熱量を感じる。
(っていうか、無口キャラなのに、たくさん喋っているのはどういうことなの!?)
どうしても違和感が拭えず、まじまじと見ると、彼はなぜか緊張した面持ちで口を開いた。
「ところでイザベル嬢」
「な、なんでしょうか……?」
今はただのベルなのだけどなぁ……とはいえ、相手は真面目な騎士さまだ。こういう場に慣れていないのかもしれないし、気にしても仕方がない。私は軽く頷き、話の続きを待つ。
「君にお願いがあります」
そう懇願するヴァルター卿は、とんでもなく高貴なお方にも拘らず、膝をついた。
――や、やっぱり、ヨシュカ王太子に関わることだったりしないわよね!?
私の中で緊張が最高潮に達し、ヴァルター卿の様子を慎重に窺う。
何もかも見透かしそうな切れ長で鋭い目をした男が、今は目尻を下げ瞳を潤ませ、うっすら頬を赤く染めている。
何これ、どういう状況なの? と、ごくりと喉を鳴らしたところで、彼が衝撃的な発言をした。
「どうか、もう一度……君のパンティーを見せていただけないでしょうか?」
一瞬、息が止まった。
(今、ヴァルター卿は、なんて言った?)
……聞き間違い、だろうか。
いや、そうであってほしい。そうであってくれ。
私は困惑を隠せないまま、胸に両手を当て、逸る鼓動を落ち着かせるように問いかける。
「あ、あの。もう一度なんと仰ったかお伺いしても……?」
血の気が引いていく私とは対照的に、ヴァルター卿の顔はみるみるうちに上気し、先日のように赤く染まっていった。
そしてついには、恍惚とした表情で言ってのけたのだ。
「お願いです。人助けだと思って、君のパンティーを拝ませてください……!」
……うん。薄々気づいていたけれど、やっぱり聞き間違いじゃなかった。
――ああ、頭が痛い。
ど、どうしてこうなった?
な、なぜ……私の、パンティ……いや、パ、パンツを…………?
彼のとんでもない願いごとに、頬が引き攣って、掠れた声が漏れる。
「――は?」
ヴァルター卿は跪いたまま長い腕を伸ばし、動揺して胸を押さえる私の片手をそっと取る。
ガラス細工に触れるかのように優しく、私の手が彼の両手に包まれた。
「どうしても確かめたいことがあるのです」
私のパンツを見て確かめたいこと、とはなんだろうか。
(――というか、そもそもパンツで確認できることってなんかあります!?)
心の中ではうまく叫べるのに、現実ではうまく言葉にできない。
そうこうしているうちに、二個目の爆弾が投下された。
「そして、願わくは……愚息を治療してほしい。俺を中イキできる男にしてほしいのです……ッ」
またしても、呼吸が止まった。
待って。今この人、愚息を治して、な、なな……中イキと言った……?
「あの、ヴァルター卿……」
「どうぞ、ルードヴィヒとお呼びください」
僅かに口角を上げた彼を眺めていると、ふと閃いた。
――そうか。やっと意図が理解できたかもしれない。
ヴァルター卿、もといルードヴィヒが仕える攻略対象キャラ・白薔薇のヨシュカ王太子は、色素薄い柔らかな印象だが、原作通りだと実は相当腹黒な性格で後孔専門の人だ。
ヨシュカ王太子と以外、ほとんど喋らない無口キャラが、今、めちゃくちゃ、よく喋っている。
これは、前世でオタクだった私の勘だけど……
もしかして彼は、ヨシュカ王太子のことを密かに想っているのでは?
つまりは! 女性のパンツを見ても昂らないと、ヨシュカ王太子しか想える人はいないのだと、自分の気持ちを再確認しようと思っている……?
そして、その想いが確信に変わったなら――ヨシュカ王太子への想いを遂げるため、中イキ、すなわち男のファンタジーホールで絶頂できるように、開発を望んでいるんじゃ……?
(……ああ。正直、娼婦の仕事を舐めていた……)
まさか娼婦になって初日で、想い人への罪悪感を減らすためにお医者さんプレイを口実にしつつ、中イキ調教をしてほしいと依頼されるなんて――
当然、こんな事態に陥って、驚きを隠せない……が、しかし! 私は前世でBLも多少嗜んでいた。そこらの令嬢よりも詳しい自信はあるから、もしかしたら役に立てるかも……!
(よし! 彼を立派な受けにするために、精一杯サポートしようじゃない!)
ここは娼館の一番いい部屋だ。きっとそういった道具も揃っているだろう。
「ルードヴィヒさま、一度手を離していただけますか」
「そんな……!」
私はルードヴィヒに握られた手を振り解こうとするが、なぜか離してもらえない。
軽くぶんぶん振ってみるものの、かえって握ってくる力が強くなるだけだった。
(え、どうしてそんなショックを受けた顔をして、手を離さないの……?)
悲しそうな表情を浮かべて上目遣いでじっと凝視されると、大型犬が尻尾と耳を下げてしょげている幻覚が見えてしまった。
――恐ろしい人っ! あまりに顔がよくて、心臓が止まるかと思ったわ……っ!
身の危険を感じて咄嗟に目を逸らしたところで、私はルードヴィヒの願いに応じると頷いていないことにやっと気がついた。
「ルードヴィヒさま、どうぞご安心ください。あなたの願いを叶えるべく動きたいだけですので、何とぞ……っ!」
手を離してくれと伝えたせいで落ち込んでいたのに、私の一言で彼の表情がぱあっと輝いた。
「よろしいのですか……!」
この方、ミステリアスなクール系だと思っていたのに、まさかのワンコ属性だったの……?
――うう、眩しくて目が焼けそう……っ!
私がこくりと頷くと、ようやく手を離してくれた。
彼の期待の眼差しに応えるように、私は部屋の中を瞬時に見渡す。すると、棚の上に怪しげな籠を見つけた。近づいて中を覗き込んでみたところ、目当てのものを発見した。
「あのイザベル嬢。一体何をなさっているのですか……?」
「何って、お医者さんプレイをした上で、お、お尻で……その……達したいのですよね……?」
居た堪れなくなって言葉尻が小さくなっていく。
そこで実物を見せたほうが早いと気づき、籠の中に入っていた直視できないような淫具や、白衣、木製の聴診器などを彼の目の前におずおずと差し出した。
「…………っ」
けれども、ルードヴィヒの息を呑む声が聞こえるだけで、かなり反応が悪い。
恐る恐る様子を窺うと、今度は彼のほうが呆気に取られていた。
「る、ルードヴィヒさま……?」
「ん、え……?」
ルードヴィヒは掠れた声を出すと、瞬く間に顔を燃えるように赤くして、そして突如、後ろにひっくり返った。
「だ、大丈夫ですか!?」
卑猥なものをほっぽり出し、慌てて駆け寄ると、彼は恥ずかしそうに赤く染まった顔を片手で覆っていた。
その仕草があまりにも可愛らしく、こんな些細なことで動揺する彼に内心キュンとしてしまう。
(何この可愛い大型犬は!? どうして攻略キャラじゃなかったの!?)
謎の悔しさすら込み上げてきた頃、ルードヴィヒがむくりと身を起こし、赤面したままぽつりと言った。
「すみません……何やら大きな誤解が……あるかもしれません」
「誤解、ですか?」
「決してお医者さん……は、望んでおらず……!」
「では、治してほしい……とは?」
一旦邪魔になりそうな淫具たちを籠にしまって聞いてみると、彼は恥ずかしそうにしながらも、おずおずと説明し始めた。
「……ゆくゆくは世継ぎを作らなくてはいけない身の上なのですが、愚息が役立たずでして……」
――愚息が、役立たず……? 疑問に思いながらも、とりあえず頷いて相槌を打つ。
「令嬢の前で言うのは憚られるのですが、つまり……女性の中に挿れようとしても、気持ちが冷めて萎えてしまうのです」
「あ……」
(つ、つまり女性の中で達せないから、助けてほしいっていうことっ!?)
先ほどまでの勘違いに、頭を壁に打ちつけたくなる衝動に駆られながらも、私は思い切り深く頭を下げた。
「大っ変っっ、失礼いたしました……!」
「いや、こちらこそ申し訳ありませんでした。よく言葉足らずだと言われるので、これからは遠慮なく聞いてほしいです」
もしかしたら不快な思いをさせてしまったかもしれない。怖々と頭を上げて様子を窺うと、ルードヴィヒは微かに目尻を緩め、控えめな笑みを浮かべていた。
(――っ、なんて綺麗なの……)
彼の笑みを見るのは前世からひっくるめても初めてだった。クールキャラの笑顔の破壊力ったら半端ない。視線をそらすのも惜しいほどで、思わず息を呑み……って、うっかり見惚れている場合じゃない。彼が怒っていないようでホッとしたけれど、まだ問題は解決していないのだ。
未だに床に座っているルードヴィヒを見て、私は軽く咳払いをする。
「とりあえず、ソファに座りませんか?」
そう促すと、彼はぎこちなく移動し、私もその隣に腰掛けた。
そして、早速不安な点を聞いてみることにした。
「あの、ご事情は把握しました。けれど私は医学を学んでいる人間ではなく、ただの新人娼婦なのですが、お役に立てるでしょうか……?」
「問題ありません。実はあの日イザベル嬢の可憐なパンティーを見て、愚息が衝撃を受けたのです。あれから君のパンティーを片時も忘れられず、イザベル嬢ならきっと……」
――パンティー……
真面目な顔で語るルードヴィヒに複雑な気持ちを抱きつつも、ようやく本来の意図が分かった。
要するに、私のパンチラで下半身が元気になったから、それを確認したいということね……?
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