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7 ふたりきりの夜はほろ苦く

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 花火が打ち上がるまでの時間、紗菜は約束どおり、私と俊くんをふたりにしてくれた。

 彼は率先して屋台に買い出しに行くと言い、私はそこについていく形。他の部員もそれぞれ場所取りをする人、買い物に行く人と分かれたが、紗菜がさりげなく仕切ってくれた。

 ちなみに児玉さんは、「え~。カンナ、動きたくないから留守番するね」と、シートの上に早々に陣取ったので、邪魔はしてこない。

 人混みの中、歩き慣れない下駄で、私はよちよちと彼の後ろをついていく。Tシャツ短パンで軽装の彼は、歩こうと思えばもっと素早く歩けるのに、私の歩調に合わせてくれるし、ときどき振り返って、迷子になっていないか確認してくれる。

 たったそれだけの気遣いが、こんなにも嬉しい。

「ドリンク類は男連中に任せることができてよかったよね……小坂さん?」
「っ、は、はい!」

 こちらを見ていない間は、背中にずっと、念を送っていたものだから、話しかけられていることに、気づかなかった。名前を呼ばれるとともに振り向いた彼にハッとして、肩を跳ね上げつつ、いつもより大きな声で返事をしてしまう。

 大げさな反応に、きょとんとした表情の彼は立ち止まり、「どうかした?」と、一歩近づいた。

 距離が縮まると、私の心臓の音が、夏の夜のむしむしした空気を伝わって聞こえてしまいそう。

 みんなと合流するまでの短い間しか、チャンスはない。告白してもらうことは無理だし、自分から「好き」と伝えることは許されていない。

 だから私は、「ありがとう」と、お礼を伝えた。何に対してなのか、ピンと来ていない彼に、続けて理由を加える。

「さっき、髪飾り取られそうになったとき、かばってくれたでしょう? すごく怖かったの。嫌だって言えない私が悪いのかもしれないけど……」

 俊くんは、「ああ」とうなずいて、顔をしかめた。

「女の子にひどいことするあいつらが悪いんだ。小坂さんは、何にも悪くない」

 そう。彼は優しい、ヒーローだ。小学校の頃から、女子に意地悪する男子を注意してくれる姿は、大人っぽかった。自分で言い返すことのできない私は、彼をすぐに好きになった。

 まさかその恋心を利用されて、あんな妖精にとりつかれるとは、思ってもみなかったけれど……。

 部屋で留守番をしている奴のことを思い出す。

『オイラも花火見たいから、窓辺に置けー!』

 とうるさかったけれど、布をかけて出てきた。まったく考えるだけで腹が立つ。

 ぐっと拳を握って、妖精のことを考えていた私は、俊くんの言葉を再び聞き返すはめになる。

「え?」
「だから……その、浴衣も髪飾りも、可愛いね、って」

 夜道だけど、屋台の明かりで辺りは照らされている。はっきりと、彼の首が赤くなっているのがわかった。

 彼は私のことが好きだと、妖精は教えてくれた。半信半疑だった。でも、間違いない。

 俊くんは、少なくとも私のことを特別に想ってくれている。

 恥ずかしさに、消え入りそうな声で「ありがとう」と伝えると、彼は「ん」と小さく頷いて、そろそろみんなと合流しようと言って、歩き出した。

 私はその後を追おうとして……

「っ」

 足の親指と人差し指に、ピリッとした痛みが走って歩みを止めた。一歩踏み出すごとに、ズキズキと激痛に変わっていく。下駄の鼻緒の部分で、靴擦れを起こしたに違いない。

 後ろをついてくる気配がないことに気づいた彼は、心配して振り返り、一ミリも動けないという顔をしている私に、近づいてきた。

「どうしたの?」
「く、靴擦れしたみたいで……」

 脱がなくても、見ただけでひどい状態になっているのは見てとれた。痛そう、と眉根を寄せた俊くんは、「ばんそうこうとか持ってる?」と聞いてくれたけれど、私は首を横に振る。財布があればどうにでもなる! と、出かける前にチェックを怠った自分が嫌になる。

「俺も持ってないんだよな……うん」

 少し考える素振りをみせた彼は、すぐに顔を上げると、「ここで待ってて。みんなのところ行って、持ってないか聞いてくるから」と、走って行ってしまった。

 足は痛いし、人の群れの中に取り残されて心細い。泣いちゃいそうになるけど、ぐっと我慢する。だってこれは、私の準備不足がすべて悪いんだから。

 それでも自然とにじんでくる涙は、手の甲で拭う。

 大丈夫。俊くんはすぐに来てくれる。私をここに置いて、みんなと花火を楽しもうなんて思っていない……。

 パーン、とひとつめの花火が打ち上がった瞬間、周りはみんな、空を見上げていた。けれど、私は「ああ、もう始まっちゃった……」と、みじめな思いで下を向いた。

「小坂さん!」

 破裂音と歓声に混じって、呼ばれた私の名前。振り返ると、息を切らした俊くん。

「綾瀬くん……」
「カンナから、ばんそうこうもらってきた。向こうで手当てして、ゆっくり戻ろう?」
「うん……」

 彼は自然と私の手を取って、人気のあまりない方へと誘導した。その間もずきずき痛むのは、足の指だけじゃなくて、心もだった。

 座れる場所を探して、私の下駄を脱がせた彼。申し訳ない気持ちでいっぱいだし、何よりも手当てをするためのば
んそうこうを提供したのが、児玉さんだというのが、もやっとした。

 彼女は男子から人気がある。そしてクラスの女子の大半からは、「何あれ」と、嫌われている。ぶりっこだの顔だけだの、そんな陰口は、黙っているだけの私の耳にも聞こえてくる。

 けれど、彼女がモテるのはきっと、顔や男子に甘えてみせる仕草だけじゃない。ばんそうこうを持ち歩くという、備えのよさや気配りができる部分も、男の子が「いいな」と思う部分なのだろう。

 下駄を履いてくるんなら、靴擦れ対策くらい自分でしてこいよ。

 俊くんは、そんな風に呆れたりしていないかな。オシャレは我慢だって言うけど、これは自分で対処できることだった。

「じ、自分で……」

 ばんそうこうを貼るくらいできると主張する私に、俊くんは首を横に振った。

「浴衣、着崩れるの嫌でしょ? 俺たちじゃ、誰も直せないし」

 帯でお腹は圧迫されて、背中を丸めるにも限界がある。かといって、足をもう一方の太ももに載せるなんてはしたない格好、こんな場所でできるはずもない。

 一瞬とはいえ、好きな男の子をひざまずかせてしまう罪悪感で、苦しくなる。

 ああ、きっと、俊くんは嫌になっちゃったよね。好きになってくれても、こんな用意の悪い面倒くさい女、嫌だよね……。

 我慢していたはずの涙が、ぽろっと落ちた。

 泣いているのがバレたら、より一層面倒だと思われてしまう。私は慌てて拭って、「大丈夫?」と顔を上げた俊くんには、笑顔で頷いた。
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