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第1部
第一章 世界の理②
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自室から出ると、良い匂いがした。
真刃の好む豚汁の匂いだ。エルナの得意料理でもある。
いや、真刃のために、彼女が頑張って習得した料理と言うべきか。
色々と彼の好みに合わせてくれるのだ。
(……ふむ。嬉しくないと言えば嘘になるが)
何とも微妙な気分で真刃は頬をかいた。
ともあれ、真刃は廊下を進む。
都内にあるフォスター邸は、平均より大きめのマンションの一室だった。
その名も『ホライゾン山崎』。
マンションのくせに、地平線を名乗る奇妙な高層建造物である。
十階建ての築十年の物件で、エルナはこのマンションのオーナーでもあった。
齢十四で家賃収入を得る少女。それが、エルナ=フォスターなのである。
戸籍さえ持っていなかった青年を、拾って養えるのも納得の財力だ。
真刃としては、実に不本意な事実ではあるが。
(いずれ出て行くとしても、世話になった額は倍で返さねば立つ瀬もないな)
朝からそんなことを考えている。と、
「おはようございます。お師さま」
キッチンとも繋がるダイニングに入り、エルナと会った。
白いセーラー服の上にエプロン。両足には真刃が一目置く黒いタイツ。
窓から差し込む朝日で銀色の髪が輝く、美しい少女である。
彼女は、フライパンでスクランブルエッグを作っていた。
「ああ、おはよう。エルナ」
真刃は、二人分の料理が置かれたテーブルに着いた。
メニューはやはり豚汁。他には白米とサラダ。そして、たった今、エルナが運んできたスクランブルエッグだ。
「それでは朝ご飯にしましょうか。お師さま」
言って、彼女もテーブルに着く。
二人は箸を取り、食事に入った。
二人とも無言だ。しかし仲が悪いわけではない。
ただ、食事中は静かに。食材と料理人に感謝を抱いて食べること。
それが二人の認識だった。
だからこそ食事が終えたら、真刃は優しい笑みで、エルナを褒め称える。
「うむ。今日も美味かったぞ。エルナ」
こと食事にかけては、真刃は本当に誠実だった。
美味い料理を作る料理人を心から尊敬している。技術の発展ぶりに色々と驚くばかりの今の生活ではあるが、中でも料理は最も多彩に発展したのかではないかと思っていた。
「あ、ありがとうございます」
一方、エルナの顔は真っ赤だった。食事の後、真刃は本当に嬉しそうな顔をする。彼に強い好意を抱くエルナの腕も上がろうというものだ。
『そこで「デザートには私を」と言えんところが、お主の駄目なところだぞ』
と、告げるのは、いつの間にか顕現していた猿忌だった。
「……猿忌よ」真刃は、眉をしかめた。「朝からセクハラはよさんか」
それから、エルナを一瞥し、
「すまんな、エルナよ。猿忌の悪ふざけと思ってくれ。それと、猿忌の台詞を真に受けて手帳を付けるのは止めてくれ」
一心不乱にメモを取る少女に、若干頬を引きつらせる。
彼女はハッと顔を上げて。
「デ、デザートには私を……」
「いや。実践するのも止めてくれんか」
真刃は深々と溜息をついた。続けて、おもむろに立ち上がると、キッチンにある冷蔵庫へと向かい、中から一本の缶コーヒーを出した。
よく冷えている。この冷蔵庫とやらは本当に大したものだ。
「そんなことより、のんびりしていても良いのか? 学校があるのだろう」
「あ、はい」エルナは二階に上がった。
そして数分後、鞄を持って階段から降りてくるエルナの姿があった。
日本に来て、初めて購入した時以降、ずっとお気に入りだと聞く黄金の龍のジャンパーも身につけている。彼女は龍やドラゴンが大好きらしい。
「それじゃあ、お師さま」
玄関先でコツコツと踵を鳴らしてローファーを履き、エルナは告げる。
「缶コーヒーは三本までですからね。守ってくださいね」
「ああ。分かっておる」
厳しいことを言う少女に、真刃は苦笑した。
「それより、お前も自動車には重々気をつけよ。あれはもはや下手な我霊よりも強力だ」
「はい。分かっています。けど、車なんてどこにでもあるものですよ」
今度はエルナが苦笑した。
しかし、そこでエルナは動きを止める。一向に玄関から外に出ようとしない。
(……やれやれ)
理由は分かっている。
彼女は、真刃に『行ってらっしゃい』の挨拶を期待しているのだ。
もちろん、言葉だけではない。スキンシップも込みだ。
異国の出身ゆえにか、エルナは結構大胆なスキンシップを好んでいた。
特に『ハグ』と呼ばれているらしい抱きしめる行為など。
(本当に困ったものだ)
とは言え、このままではエルナが出かけようとしない。
やむを得ず、真刃はいつも通り、彼女の頭をくしゃりと撫でた。
「気をつけて行ってこい。エルナ」
「はい。私の旦那さま」
エルナは幸せそうに笑った。ただ、台詞は聞き捨てならなかったが。
「いや待て。エルナ。何度も言うが……」
「それじゃあ行ってきます!」
しかし、確信犯なのか、エルナは聞こうともしない。
すぐさま、ドアを開けて飛び出していった。
真刃はしばしその光景を眺めていたが、
「やれやれだな」
いつまでも、呆けてもいられない。
まずは食器の片付け。その他にも洗濯や掃除、食品の買い出しなどもある。
カシュッ、と手に持った缶コーヒーを開けた。喉を鳴らして一気に飲み干す。
今回は糖分過多なほどに甘かったが、やはり美味い。
本当に缶コーヒーは凄い逸品だ。
「さて。そろそろ己も仕事をするか」
『……大分、主夫が板についてきたな。主よ』
とりあえず、猿忌の言葉は聞こえなかったことにした。
早速、テーブルの上の食器をキッチンに持って行く。
こうして、真刃の日常は始まるである。
「さて。今晩用の買い出しは何にするか」
本当に、主夫が板についた台詞を呟く真刃であった。
真刃の好む豚汁の匂いだ。エルナの得意料理でもある。
いや、真刃のために、彼女が頑張って習得した料理と言うべきか。
色々と彼の好みに合わせてくれるのだ。
(……ふむ。嬉しくないと言えば嘘になるが)
何とも微妙な気分で真刃は頬をかいた。
ともあれ、真刃は廊下を進む。
都内にあるフォスター邸は、平均より大きめのマンションの一室だった。
その名も『ホライゾン山崎』。
マンションのくせに、地平線を名乗る奇妙な高層建造物である。
十階建ての築十年の物件で、エルナはこのマンションのオーナーでもあった。
齢十四で家賃収入を得る少女。それが、エルナ=フォスターなのである。
戸籍さえ持っていなかった青年を、拾って養えるのも納得の財力だ。
真刃としては、実に不本意な事実ではあるが。
(いずれ出て行くとしても、世話になった額は倍で返さねば立つ瀬もないな)
朝からそんなことを考えている。と、
「おはようございます。お師さま」
キッチンとも繋がるダイニングに入り、エルナと会った。
白いセーラー服の上にエプロン。両足には真刃が一目置く黒いタイツ。
窓から差し込む朝日で銀色の髪が輝く、美しい少女である。
彼女は、フライパンでスクランブルエッグを作っていた。
「ああ、おはよう。エルナ」
真刃は、二人分の料理が置かれたテーブルに着いた。
メニューはやはり豚汁。他には白米とサラダ。そして、たった今、エルナが運んできたスクランブルエッグだ。
「それでは朝ご飯にしましょうか。お師さま」
言って、彼女もテーブルに着く。
二人は箸を取り、食事に入った。
二人とも無言だ。しかし仲が悪いわけではない。
ただ、食事中は静かに。食材と料理人に感謝を抱いて食べること。
それが二人の認識だった。
だからこそ食事が終えたら、真刃は優しい笑みで、エルナを褒め称える。
「うむ。今日も美味かったぞ。エルナ」
こと食事にかけては、真刃は本当に誠実だった。
美味い料理を作る料理人を心から尊敬している。技術の発展ぶりに色々と驚くばかりの今の生活ではあるが、中でも料理は最も多彩に発展したのかではないかと思っていた。
「あ、ありがとうございます」
一方、エルナの顔は真っ赤だった。食事の後、真刃は本当に嬉しそうな顔をする。彼に強い好意を抱くエルナの腕も上がろうというものだ。
『そこで「デザートには私を」と言えんところが、お主の駄目なところだぞ』
と、告げるのは、いつの間にか顕現していた猿忌だった。
「……猿忌よ」真刃は、眉をしかめた。「朝からセクハラはよさんか」
それから、エルナを一瞥し、
「すまんな、エルナよ。猿忌の悪ふざけと思ってくれ。それと、猿忌の台詞を真に受けて手帳を付けるのは止めてくれ」
一心不乱にメモを取る少女に、若干頬を引きつらせる。
彼女はハッと顔を上げて。
「デ、デザートには私を……」
「いや。実践するのも止めてくれんか」
真刃は深々と溜息をついた。続けて、おもむろに立ち上がると、キッチンにある冷蔵庫へと向かい、中から一本の缶コーヒーを出した。
よく冷えている。この冷蔵庫とやらは本当に大したものだ。
「そんなことより、のんびりしていても良いのか? 学校があるのだろう」
「あ、はい」エルナは二階に上がった。
そして数分後、鞄を持って階段から降りてくるエルナの姿があった。
日本に来て、初めて購入した時以降、ずっとお気に入りだと聞く黄金の龍のジャンパーも身につけている。彼女は龍やドラゴンが大好きらしい。
「それじゃあ、お師さま」
玄関先でコツコツと踵を鳴らしてローファーを履き、エルナは告げる。
「缶コーヒーは三本までですからね。守ってくださいね」
「ああ。分かっておる」
厳しいことを言う少女に、真刃は苦笑した。
「それより、お前も自動車には重々気をつけよ。あれはもはや下手な我霊よりも強力だ」
「はい。分かっています。けど、車なんてどこにでもあるものですよ」
今度はエルナが苦笑した。
しかし、そこでエルナは動きを止める。一向に玄関から外に出ようとしない。
(……やれやれ)
理由は分かっている。
彼女は、真刃に『行ってらっしゃい』の挨拶を期待しているのだ。
もちろん、言葉だけではない。スキンシップも込みだ。
異国の出身ゆえにか、エルナは結構大胆なスキンシップを好んでいた。
特に『ハグ』と呼ばれているらしい抱きしめる行為など。
(本当に困ったものだ)
とは言え、このままではエルナが出かけようとしない。
やむを得ず、真刃はいつも通り、彼女の頭をくしゃりと撫でた。
「気をつけて行ってこい。エルナ」
「はい。私の旦那さま」
エルナは幸せそうに笑った。ただ、台詞は聞き捨てならなかったが。
「いや待て。エルナ。何度も言うが……」
「それじゃあ行ってきます!」
しかし、確信犯なのか、エルナは聞こうともしない。
すぐさま、ドアを開けて飛び出していった。
真刃はしばしその光景を眺めていたが、
「やれやれだな」
いつまでも、呆けてもいられない。
まずは食器の片付け。その他にも洗濯や掃除、食品の買い出しなどもある。
カシュッ、と手に持った缶コーヒーを開けた。喉を鳴らして一気に飲み干す。
今回は糖分過多なほどに甘かったが、やはり美味い。
本当に缶コーヒーは凄い逸品だ。
「さて。そろそろ己も仕事をするか」
『……大分、主夫が板についてきたな。主よ』
とりあえず、猿忌の言葉は聞こえなかったことにした。
早速、テーブルの上の食器をキッチンに持って行く。
こうして、真刃の日常は始まるである。
「さて。今晩用の買い出しは何にするか」
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