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第1部
第六章 夜の迷宮④
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『あ、あの、久遠さん』
今日は、本当によくあの日のことを思い出す日だった。
初めて真刃と出会った、あの夜のことを。
エルナは頬を赤く染めつつも、意を決し口を開いた。
『私、もう一人でも歩けますから、お、降ろしてください』
『駄目だ』
しかし、出会ったばかりの彼は、聞き入れてくれない。
腕に抱えるエルナへと目をやって、こう返す。
『負傷を甘くみるな。特に足の負傷は無理をすればするほど症状が悪化するものだ』
『そ、そうですけど……』
エルナは恥ずかしそうに、借り受けたマントの裾を両手で掴んで身を縮こませた。
この古びた洋館で、彼と出会ってから十五分ほど。
エルナは、ずっと彼に『お姫さま抱っこ』をされていた。
エルナが右足を負傷していたからだ。
あまりの恐怖に膝が震えていたせいもあるが。
『だ、だけど、このままだと久遠さんの負担になるし』
と、エルナはモゴモゴと呟く。
ただ、口ではそう言いつつも、内心では自分でも驚くほどに安心していた。
もちろん、異性にこんな『抱っこ』をされるのは初めてのことであり、緊張やら、恥ずかしさで気を抜くと頭から湯気でも出てしまいそうだ。
しかし、どうしてか、羞恥よりも安堵の方が強く勝っているのだ。
彼に対して、警戒心が全く湧かないのである。
抱き上げられた時もそうだった。いつものエルナなら、もっと激しく抵抗している。お嬢様育ちといっても、見知らぬ男に身を任せるほど世間知らずではない。
ましてや、エルナは四面楚歌の状況で生きてきたのだ。
警戒心は、人一倍強いとも言えた。
けれど、この青年を前にすると、あっさりと今の状況を受け入れてしまっていた。
絶体絶命の状況から救ってもらった吊り橋効果も大いにあるのだろうが、まるで彼の腕の中に納まることが当然のような気がしているのである。
自分でもよく分からない感情だった。
エルナは、改めて青年の顔を見つめた。
精悍な顔立ちの青年だ。しかし、その表情はどこか暗い。
心が、とても疲れているような感じだった。
――トクン、と。
鼓動が高鳴る。
青年の横顔から、視線を外せなくなる。
ただ、静かに青年を見つめた。
そうして、
――そんな顔をしないで。
(……あ)
気付けば、エルナは片手で青年の頬に触れていた。
『……? どうした?』
いきなり右頬に触れられて、青年が訝しげな表情を向けた。
『あ、ご、ごめんなさい』
エルナは、ハッとして手を引っ込めた。
どうしてこんな真似をしたのか、自分でも分からず困惑した。
すると、真刃は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、
『そうか。己を気遣っているのか。案ずるな。負担などない』
そう告げて、苦笑して見せた。
直後、我霊の一体がドアから飛び出し、襲い掛かってくる――が、
『そもそも、この程度なら負担にもならんしな』
続けてそう言って、真刃は襲い掛かってきた我霊を前蹴りで吹き飛ばした。
D級下位らしき男の我霊は、綺麗に壁にめり込んだ。
(うわあ……)
エルナならば、そこそこ手こずるレベルの我霊が、文字通り一蹴だ。
エルナは、真刃の顔を見上げた。
『久遠さんは、身体強化系の引導師なんですか?』
そう尋ねると、青年は首を傾げた。
『暴、蛇?』
『察するに異国での引導師の呼び名ではないか?』
その時、いきなり別の声がした。エルナがギョッとして声の方を見やると、そこには骨の翼を持つ猿が浮いていた。
『そう言えば、この娘、我霊のことを「えごす」とも呼んでいたな』
続けて、猿はそんなことも呟く。
『え? な、なに?』
エルナは目を丸くした。
見た所、我霊や悪霊の類ではない。知性ある零体だ。
『え? この猿って式神なの?』
『……ふむ』
エルナの困惑に答えることもなく、猿は、あごに手をやってエルナを見つめた。
顔から胸元、爪の先まで、異形の猿は不躾に凝視してくる。
まるで品定めでもされているようで、エルナは少し眉をしかめた。
『……猿忌よ』
すると、青年が猿に注意した。
『異国人が珍しいからといって、その態度は礼節に欠けるぞ』
『……いや、珍しいからではない』
対し、猿は答える。
『なに。幸先が良いと思ってな。ふむ、思えば、この国の娘に拘る必要もなかったのだな。これも亡き弟妹たちの導きか』
『……? 何を言っておるのだ? お前は?』
青年は眉根を寄せた。
当然、エルナにも、言葉の意味が分かるはずもない。
ただ目を丸くするエルナだった。
今日は、本当によくあの日のことを思い出す日だった。
初めて真刃と出会った、あの夜のことを。
エルナは頬を赤く染めつつも、意を決し口を開いた。
『私、もう一人でも歩けますから、お、降ろしてください』
『駄目だ』
しかし、出会ったばかりの彼は、聞き入れてくれない。
腕に抱えるエルナへと目をやって、こう返す。
『負傷を甘くみるな。特に足の負傷は無理をすればするほど症状が悪化するものだ』
『そ、そうですけど……』
エルナは恥ずかしそうに、借り受けたマントの裾を両手で掴んで身を縮こませた。
この古びた洋館で、彼と出会ってから十五分ほど。
エルナは、ずっと彼に『お姫さま抱っこ』をされていた。
エルナが右足を負傷していたからだ。
あまりの恐怖に膝が震えていたせいもあるが。
『だ、だけど、このままだと久遠さんの負担になるし』
と、エルナはモゴモゴと呟く。
ただ、口ではそう言いつつも、内心では自分でも驚くほどに安心していた。
もちろん、異性にこんな『抱っこ』をされるのは初めてのことであり、緊張やら、恥ずかしさで気を抜くと頭から湯気でも出てしまいそうだ。
しかし、どうしてか、羞恥よりも安堵の方が強く勝っているのだ。
彼に対して、警戒心が全く湧かないのである。
抱き上げられた時もそうだった。いつものエルナなら、もっと激しく抵抗している。お嬢様育ちといっても、見知らぬ男に身を任せるほど世間知らずではない。
ましてや、エルナは四面楚歌の状況で生きてきたのだ。
警戒心は、人一倍強いとも言えた。
けれど、この青年を前にすると、あっさりと今の状況を受け入れてしまっていた。
絶体絶命の状況から救ってもらった吊り橋効果も大いにあるのだろうが、まるで彼の腕の中に納まることが当然のような気がしているのである。
自分でもよく分からない感情だった。
エルナは、改めて青年の顔を見つめた。
精悍な顔立ちの青年だ。しかし、その表情はどこか暗い。
心が、とても疲れているような感じだった。
――トクン、と。
鼓動が高鳴る。
青年の横顔から、視線を外せなくなる。
ただ、静かに青年を見つめた。
そうして、
――そんな顔をしないで。
(……あ)
気付けば、エルナは片手で青年の頬に触れていた。
『……? どうした?』
いきなり右頬に触れられて、青年が訝しげな表情を向けた。
『あ、ご、ごめんなさい』
エルナは、ハッとして手を引っ込めた。
どうしてこんな真似をしたのか、自分でも分からず困惑した。
すると、真刃は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、
『そうか。己を気遣っているのか。案ずるな。負担などない』
そう告げて、苦笑して見せた。
直後、我霊の一体がドアから飛び出し、襲い掛かってくる――が、
『そもそも、この程度なら負担にもならんしな』
続けてそう言って、真刃は襲い掛かってきた我霊を前蹴りで吹き飛ばした。
D級下位らしき男の我霊は、綺麗に壁にめり込んだ。
(うわあ……)
エルナならば、そこそこ手こずるレベルの我霊が、文字通り一蹴だ。
エルナは、真刃の顔を見上げた。
『久遠さんは、身体強化系の引導師なんですか?』
そう尋ねると、青年は首を傾げた。
『暴、蛇?』
『察するに異国での引導師の呼び名ではないか?』
その時、いきなり別の声がした。エルナがギョッとして声の方を見やると、そこには骨の翼を持つ猿が浮いていた。
『そう言えば、この娘、我霊のことを「えごす」とも呼んでいたな』
続けて、猿はそんなことも呟く。
『え? な、なに?』
エルナは目を丸くした。
見た所、我霊や悪霊の類ではない。知性ある零体だ。
『え? この猿って式神なの?』
『……ふむ』
エルナの困惑に答えることもなく、猿は、あごに手をやってエルナを見つめた。
顔から胸元、爪の先まで、異形の猿は不躾に凝視してくる。
まるで品定めでもされているようで、エルナは少し眉をしかめた。
『……猿忌よ』
すると、青年が猿に注意した。
『異国人が珍しいからといって、その態度は礼節に欠けるぞ』
『……いや、珍しいからではない』
対し、猿は答える。
『なに。幸先が良いと思ってな。ふむ、思えば、この国の娘に拘る必要もなかったのだな。これも亡き弟妹たちの導きか』
『……? 何を言っておるのだ? お前は?』
青年は眉根を寄せた。
当然、エルナにも、言葉の意味が分かるはずもない。
ただ目を丸くするエルナだった。
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