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第9話
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空のトレイを手に戻ってきた細川は、得意気に雛実を手伝い始めた。
「細川さん、いいですよ、私が全部しますから。座っててください。」
小声でそう話すも、細川は
「一度やってみたかったんだ。主任もいないし、雛実ちゃん1人で大変だろ?ほら、またお客さん来たぞ!」
と、ひかなかった。
現に、今日の夕方はお客様が多い。そういえば、新しい婦人服売場のショップがオープンしてイベントをしていたのだ。見れば、どの人も同じショップの紙袋を持っている。中には来店記念品が入っているのだろう。
なんだかんだで慌ただしく時間が過ぎ、結局細川も何組かの接客についていたため閉店間際まで賑やかだった。
何年か前までは細川も外商の営業をバリバリしていたため、個人的によく知っているお客様も多い。その反応ぶりから、成績はよかったんだろうと推測できた。
「はぁー、疲れましたね。細川さん、今日はありがとうございましたっ。」
閉店作業を終えた雛実は、サロンの施錠を終えて、細川に頭を下げた。
「雛実ちゃんの力になれて嬉しいよ。それにしても、サロン向きだね。雛実ちゃんは。随分慣れてきてるみたいだし、僕としては嬉しいよ。」
意味ありげに“僕としては“と繋げたが、雛実はそこには触れずに
「サロン向きとかないですよ。楽しいですけど、まだまだです。主任や原西さんの接客には及びません。それに、細川さんもさすがですね。展示品売るなんて。」
サロンに展示してあるものは、売り場では売りにくいけれど、見栄えのするものが多い。
基本的にサロンにあるものは、お飾りの部分が占めているため、直接的な売り上げには結びつきにくい。サロンで興味を持って、売場に誘導し、商品を見て買っていただく、その流れが主であった。
だが、細川がここにいるというだけで今日のお客様はトルソーに飾る洋服一式を購入したのである。
「あなたに会えて嬉しいからこれ全部買うわ。」と。
「武勇伝ですね。」
雛実は自分のことのように嬉しくなっていた。
そんな雛実の様子に気づいた細川は、このチャンスを絶対に無駄にする気はなかった。
「じゃあ、今日は純粋に飲みに行こうよ。」
さらっとした誘い文句に、雛実は何も考えず、「そうですね。」とニコッと答えた。
「後で時間と場所連絡するから。待ってて。」
雛実の返事を聞くや否や、細川はそう言い、早足で雛実と別れた。
その様子に、しばし呆然としてから、雛実はとんでもない誘いなんじゃないかと気づいた。
(純粋な飲み?ただの飲み会ってことよね?2人で?2人きりで?)
細川は"仕事の話”があるとは言わなかった。ただ、雛実と飲みたいだけなのだ。それに対し、あっさりと承諾したということはどういうことだ?
ちょっと前の雛実なら、ただの上司と部下の飲みだと難なく解釈できた。
だが、先日の夜に少しばかり意識してしまった為に、ただの飲み会だとは思えなくなってしまった。
ブツブツ動揺しながら歩いていると、《ドンっ》と誰かにぶつかってしまった。
「あ、す、すみませんっ!」
「おっとっ……あれ?雛実ちゃん。」
「えっ?あ、木浦さん。お久しぶりですね。」
木浦誠。雛実と同期入社で食品部門で働いている。見た目、インテリメガネで寡黙なことから同期であっても敬語で話したくなる存在だ。
「雛実ちゃん、サロンはどう?」
声もフワリとしていてウッカリしたら聞き逃しそうだ。食品部門は向いていないんじゃないかと思ってしまう。
だが、彼は売場に立つと豹変する。高らかな声は通る人を惹きつけ、饒舌な謳い文句に調子いい切り返しは、まさに市場のような活気をもたらす。
初めてその声を聞いた時、雛実は木浦の声だとは夢にも思わなかったものだ。
「うーん、まだまだだけど、だいぶ慣れたかな。楽しめるようにはなってきたよ。」
「そっかぁ。特殊な場所だもんなぁ。まあ、いつでも愚痴聞くからさ。今度みんなで飯でも行こうよ。」
「あ、イヤ、今からどう?今からご飯とか?あの、えーと、今日細川さんと飲もうって話になってて、2人きりよりは人数多い方が楽しいし。あっ、誰かまだ行ける人いたら声かけてよ。場所は木浦さんに任せるわ!どうせ細川さんは遅いだろうから。」
雛実は突飛な考えが浮かび、浮かんだと同時に言葉にした。
それは細川にとっても木浦にとってもまさかの事態であった。
(マジか?雛実ちゃん、あの細川さんに誘われてるなんて……!しかも俺が乗っかっていい話なのか?細川さん、絶対睨んでくるよな……。)
木浦は雛実に少なからず好意を抱いていた。だが、それは『ちょっといいな』というくらいの気持ちで、彼氏がいたら素直にひけるくらいのものであった。
細川の噂はもちろん知っている。
なんなら、細川の妻子だって写真で見て知っている。手を出した女達の数も、顔も。
いかにもウブな雛実が、その世界に染まるのはいただけない。
そんな倫としない状態から逃げようとしている雛実を助けないのも同期として、男としてあるまじき行為だ。
木浦は手を打った。
おそるべき速さで、雛実と面識のある社員に連絡を取り、飲み会を開くからと伝えた。
その頃、何も知らない細川は、大人の雰囲気満載のバーに雛実を連れて行こうと目論んでいた。
「細川さん、いいですよ、私が全部しますから。座っててください。」
小声でそう話すも、細川は
「一度やってみたかったんだ。主任もいないし、雛実ちゃん1人で大変だろ?ほら、またお客さん来たぞ!」
と、ひかなかった。
現に、今日の夕方はお客様が多い。そういえば、新しい婦人服売場のショップがオープンしてイベントをしていたのだ。見れば、どの人も同じショップの紙袋を持っている。中には来店記念品が入っているのだろう。
なんだかんだで慌ただしく時間が過ぎ、結局細川も何組かの接客についていたため閉店間際まで賑やかだった。
何年か前までは細川も外商の営業をバリバリしていたため、個人的によく知っているお客様も多い。その反応ぶりから、成績はよかったんだろうと推測できた。
「はぁー、疲れましたね。細川さん、今日はありがとうございましたっ。」
閉店作業を終えた雛実は、サロンの施錠を終えて、細川に頭を下げた。
「雛実ちゃんの力になれて嬉しいよ。それにしても、サロン向きだね。雛実ちゃんは。随分慣れてきてるみたいだし、僕としては嬉しいよ。」
意味ありげに“僕としては“と繋げたが、雛実はそこには触れずに
「サロン向きとかないですよ。楽しいですけど、まだまだです。主任や原西さんの接客には及びません。それに、細川さんもさすがですね。展示品売るなんて。」
サロンに展示してあるものは、売り場では売りにくいけれど、見栄えのするものが多い。
基本的にサロンにあるものは、お飾りの部分が占めているため、直接的な売り上げには結びつきにくい。サロンで興味を持って、売場に誘導し、商品を見て買っていただく、その流れが主であった。
だが、細川がここにいるというだけで今日のお客様はトルソーに飾る洋服一式を購入したのである。
「あなたに会えて嬉しいからこれ全部買うわ。」と。
「武勇伝ですね。」
雛実は自分のことのように嬉しくなっていた。
そんな雛実の様子に気づいた細川は、このチャンスを絶対に無駄にする気はなかった。
「じゃあ、今日は純粋に飲みに行こうよ。」
さらっとした誘い文句に、雛実は何も考えず、「そうですね。」とニコッと答えた。
「後で時間と場所連絡するから。待ってて。」
雛実の返事を聞くや否や、細川はそう言い、早足で雛実と別れた。
その様子に、しばし呆然としてから、雛実はとんでもない誘いなんじゃないかと気づいた。
(純粋な飲み?ただの飲み会ってことよね?2人で?2人きりで?)
細川は"仕事の話”があるとは言わなかった。ただ、雛実と飲みたいだけなのだ。それに対し、あっさりと承諾したということはどういうことだ?
ちょっと前の雛実なら、ただの上司と部下の飲みだと難なく解釈できた。
だが、先日の夜に少しばかり意識してしまった為に、ただの飲み会だとは思えなくなってしまった。
ブツブツ動揺しながら歩いていると、《ドンっ》と誰かにぶつかってしまった。
「あ、す、すみませんっ!」
「おっとっ……あれ?雛実ちゃん。」
「えっ?あ、木浦さん。お久しぶりですね。」
木浦誠。雛実と同期入社で食品部門で働いている。見た目、インテリメガネで寡黙なことから同期であっても敬語で話したくなる存在だ。
「雛実ちゃん、サロンはどう?」
声もフワリとしていてウッカリしたら聞き逃しそうだ。食品部門は向いていないんじゃないかと思ってしまう。
だが、彼は売場に立つと豹変する。高らかな声は通る人を惹きつけ、饒舌な謳い文句に調子いい切り返しは、まさに市場のような活気をもたらす。
初めてその声を聞いた時、雛実は木浦の声だとは夢にも思わなかったものだ。
「うーん、まだまだだけど、だいぶ慣れたかな。楽しめるようにはなってきたよ。」
「そっかぁ。特殊な場所だもんなぁ。まあ、いつでも愚痴聞くからさ。今度みんなで飯でも行こうよ。」
「あ、イヤ、今からどう?今からご飯とか?あの、えーと、今日細川さんと飲もうって話になってて、2人きりよりは人数多い方が楽しいし。あっ、誰かまだ行ける人いたら声かけてよ。場所は木浦さんに任せるわ!どうせ細川さんは遅いだろうから。」
雛実は突飛な考えが浮かび、浮かんだと同時に言葉にした。
それは細川にとっても木浦にとってもまさかの事態であった。
(マジか?雛実ちゃん、あの細川さんに誘われてるなんて……!しかも俺が乗っかっていい話なのか?細川さん、絶対睨んでくるよな……。)
木浦は雛実に少なからず好意を抱いていた。だが、それは『ちょっといいな』というくらいの気持ちで、彼氏がいたら素直にひけるくらいのものであった。
細川の噂はもちろん知っている。
なんなら、細川の妻子だって写真で見て知っている。手を出した女達の数も、顔も。
いかにもウブな雛実が、その世界に染まるのはいただけない。
そんな倫としない状態から逃げようとしている雛実を助けないのも同期として、男としてあるまじき行為だ。
木浦は手を打った。
おそるべき速さで、雛実と面識のある社員に連絡を取り、飲み会を開くからと伝えた。
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