28 / 28
第28話
しおりを挟む
細川と雛実が乗る車は、デパートの最寄駅付近に停車した。
「お疲れ様でした。」
他人行儀な声で自らドアを開けて出ていった雛実。
助手席じゃないので、腕を取られたり無理やりキスをされる心配もなく、無事、車を降りることができた。
細川は、
「お疲れ。」
とだけ言い、すぐに発車させてデパートに向かった。
細川の車が見えなくなると、途端に雛実は膝に力が入らなくなった。
ガクンっと折れ、地面に座り込んでしまった。
地方の繁華街は夜も早い。
まだ9時過ぎ頃だというのに、辺りは暗闇の方が多い。
あくまでも上司と部下ではあるが、2人の姿を誰かに見られ、噂でもたてられてはいけないと、細川なりに配慮して、人通りの少ない場所で雛実は降りた。
《ピピ、ピピ》
『雛実ちゃん、どこ?着いた?』
と木浦からメールが届く。
雛実はその文字を見て、思わず涙がポロポロと溢れてきた。
思い出したくもない時間が蘇る。
怖かった。
本当に危なかった。
いや、危ない目にあった。
嗚咽が止まらない。
人は少ないが車の通りは切れない場所。雛実の漏れるような声は車の音で幾分かかき消されていた。
「雛実ちゃん……」
自分の名前を呼ぶ切ない声に、雛実は少しだけ顔を上げる。
涙で滲んだ視界に入る茶色の革靴。
スクエアトゥのスマートなデザインは、まだ若いサラリーマンを連想させる。
「……ごめん、本当にごめん!」
謝罪の声がすると同時に、いきなりガバッと長い腕に引き寄せられ、雛実の体はすっぽりと包まれた。
「……木、浦さん?」
「ごめん、遅くなってしまった!守るって決めたのに。雛実ちゃんを守るって決めていたのに!」
やっぱり、木浦さんだ……
「……だい、じょうぶ……何も、何もされていないから……だから、木浦さんは何も」
「いや、そんなことないっ……何もされていないからって、そんなわけないだろっ?泣いてるんだから。」
「で、でも、本当に大丈夫なのっ。間一髪ってところだったし、私も、私も、悪かったのかも、しれないし……」
触られたくない場所に触れられたけれど、嫌なことをされたけれど、雛実はそれを木浦に知られたくなかった。
「…………行こう。とりあえず、帰ろう。」
木浦は雛実の様子から何かを感じ取っていたが、あえてそれ以上追求しなかった。
泣いている、ただそれだけのことで、雛実がどんなに傷ついているかわかるから。
木浦もまた心に抱えたものを爆発させそうで、抑えることを選んだ。
「立てる?」
「ん、だ、いじょうぶ……んっ」
ゆっくりと雛実を立ち上がらせると、木浦はまた雛実を抱き寄せた。
「大丈夫って言葉、使いすぎると損するよ。」
優しく背中をさすりながら労ってくれる木浦に、雛実は
「……ごめんなさい。ちょっとだけ、甘えさせて下さい。」
と、木浦の胸に頭を預けた。
「じゃあ1分だけ。」
「1分!?ケチね。」
「1分以上になると、ヤバイからね。」
「ヤバイ?まさか、木浦さんはそんなヤバイ人じゃないでしょ?」
「あれ?雛実ちゃん、結構辛口だね。一応僕も男なんだけどな。」
「ああ、そうですね。」
「軽っ!」
雛実は木浦の温かみに感謝した。
事実、ヤバイのは雛実だった。
1分以上、いや、これ以上抱きしめられると勘違いしちゃいそうだ。
木浦は木浦で雛実に男として意識されていないことに、チクリと胸が痛んだ。だが、今は自分の感情に構っている時ではない。
(細川のやつ、絶対許せない!)
今回は販売部長の手を借りてどうにか雛実を救うことができた。
だが、同じ職場にいる限り、また何があって雛実と細川が2人きりになるかわからない。
相手は社内No.1タラシの細川だ。対して自分はまだまだ下っ端のいけ好かないメガネ。
(とりあえず、雛実ちゃんに男として思われないと始まらないな…)
もう既に1分はゆうに過ぎでいたが、木浦は雛実を抱きしめる手を緩めないでいた。
時は遡り、午後8時過ぎ。
木浦に、雛実から『橋を渡った』とメールが来た頃、松村主任から電話があった。
『おいっ!伝票はどうした?まさかハンコ貰えなかったのか!?』
『あ、はい。外商部に誰もいなくて、細川さんも退勤済みでしたから。』
『なぁにぃ!!あんの野郎!明日が何の日かわかってるのかっ?!で、お前は何で何も連絡しないでいるんだ!』
『すみません、連絡はしました。ただ、売り場の女性が電話に出たので……すみません。』
『っちっ!次からはきちんと俺に話を通すようにしろっ!ったく、なんなんだ、この店はっ。』
この店舗特有の、《電話は上のものが1番に受ける》というルールを知らない主任に、一方的な怒号を受け、木浦は胸糞悪かった。
(電話をとらないお前が悪いんだろ。)
だが、よくよく考えると、必至のタイミングなのかと思い直す。
(そうだっ!細川さんを呼び戻せば万事うまくいくはず)
松村主任が欲しいハンコ付きの伝票、
木浦が助けたい雛実、
そのどちらも、結果的に細川が事務所に戻ればいい話なのである。
木浦は販売部長の神崎とは連絡を取りあえる仲であった。その昔、教師をしていた木浦の祖父が神崎の恩師だったらしく、入社時の歓迎会でこっそり盛り上がったのだ。
そして今、そのコネを活用する時がきた。
『すみません、お疲れ様です神崎部長。あの、実は折り入ってお願いしたいことがあるのですが……』
木浦は神崎に伝票の問題を話し、細川を今すぐ事務所に呼び戻すことに成功したのである。
もちろん、木浦からのタレコミだとは神崎には言わせない方向で。
なぜなら、神崎はその昔、いわゆるヤンキーだったが、木浦の祖父に組手でボコボコにされ、それ以降更生し、真っ当な男子高生になったという。
だがそのことは、今店内を牛耳る立場の人間としては知られたくない過去で、秘密にしたいことなのだという。
だから、木浦と神崎が繋がっていることを暗に知られては不味いのである。
間接遺伝で祖父に姿形がそっくりな木浦のことが、神崎は少し苦手なのであった。
なにわともあれ、神崎販売部長は細川に電話をし、雛実を救うことができた。
雛実の体温を体全体で感じながら、木浦は益々雛実に対する恋心を高めていた。
「お疲れ様でした。」
他人行儀な声で自らドアを開けて出ていった雛実。
助手席じゃないので、腕を取られたり無理やりキスをされる心配もなく、無事、車を降りることができた。
細川は、
「お疲れ。」
とだけ言い、すぐに発車させてデパートに向かった。
細川の車が見えなくなると、途端に雛実は膝に力が入らなくなった。
ガクンっと折れ、地面に座り込んでしまった。
地方の繁華街は夜も早い。
まだ9時過ぎ頃だというのに、辺りは暗闇の方が多い。
あくまでも上司と部下ではあるが、2人の姿を誰かに見られ、噂でもたてられてはいけないと、細川なりに配慮して、人通りの少ない場所で雛実は降りた。
《ピピ、ピピ》
『雛実ちゃん、どこ?着いた?』
と木浦からメールが届く。
雛実はその文字を見て、思わず涙がポロポロと溢れてきた。
思い出したくもない時間が蘇る。
怖かった。
本当に危なかった。
いや、危ない目にあった。
嗚咽が止まらない。
人は少ないが車の通りは切れない場所。雛実の漏れるような声は車の音で幾分かかき消されていた。
「雛実ちゃん……」
自分の名前を呼ぶ切ない声に、雛実は少しだけ顔を上げる。
涙で滲んだ視界に入る茶色の革靴。
スクエアトゥのスマートなデザインは、まだ若いサラリーマンを連想させる。
「……ごめん、本当にごめん!」
謝罪の声がすると同時に、いきなりガバッと長い腕に引き寄せられ、雛実の体はすっぽりと包まれた。
「……木、浦さん?」
「ごめん、遅くなってしまった!守るって決めたのに。雛実ちゃんを守るって決めていたのに!」
やっぱり、木浦さんだ……
「……だい、じょうぶ……何も、何もされていないから……だから、木浦さんは何も」
「いや、そんなことないっ……何もされていないからって、そんなわけないだろっ?泣いてるんだから。」
「で、でも、本当に大丈夫なのっ。間一髪ってところだったし、私も、私も、悪かったのかも、しれないし……」
触られたくない場所に触れられたけれど、嫌なことをされたけれど、雛実はそれを木浦に知られたくなかった。
「…………行こう。とりあえず、帰ろう。」
木浦は雛実の様子から何かを感じ取っていたが、あえてそれ以上追求しなかった。
泣いている、ただそれだけのことで、雛実がどんなに傷ついているかわかるから。
木浦もまた心に抱えたものを爆発させそうで、抑えることを選んだ。
「立てる?」
「ん、だ、いじょうぶ……んっ」
ゆっくりと雛実を立ち上がらせると、木浦はまた雛実を抱き寄せた。
「大丈夫って言葉、使いすぎると損するよ。」
優しく背中をさすりながら労ってくれる木浦に、雛実は
「……ごめんなさい。ちょっとだけ、甘えさせて下さい。」
と、木浦の胸に頭を預けた。
「じゃあ1分だけ。」
「1分!?ケチね。」
「1分以上になると、ヤバイからね。」
「ヤバイ?まさか、木浦さんはそんなヤバイ人じゃないでしょ?」
「あれ?雛実ちゃん、結構辛口だね。一応僕も男なんだけどな。」
「ああ、そうですね。」
「軽っ!」
雛実は木浦の温かみに感謝した。
事実、ヤバイのは雛実だった。
1分以上、いや、これ以上抱きしめられると勘違いしちゃいそうだ。
木浦は木浦で雛実に男として意識されていないことに、チクリと胸が痛んだ。だが、今は自分の感情に構っている時ではない。
(細川のやつ、絶対許せない!)
今回は販売部長の手を借りてどうにか雛実を救うことができた。
だが、同じ職場にいる限り、また何があって雛実と細川が2人きりになるかわからない。
相手は社内No.1タラシの細川だ。対して自分はまだまだ下っ端のいけ好かないメガネ。
(とりあえず、雛実ちゃんに男として思われないと始まらないな…)
もう既に1分はゆうに過ぎでいたが、木浦は雛実を抱きしめる手を緩めないでいた。
時は遡り、午後8時過ぎ。
木浦に、雛実から『橋を渡った』とメールが来た頃、松村主任から電話があった。
『おいっ!伝票はどうした?まさかハンコ貰えなかったのか!?』
『あ、はい。外商部に誰もいなくて、細川さんも退勤済みでしたから。』
『なぁにぃ!!あんの野郎!明日が何の日かわかってるのかっ?!で、お前は何で何も連絡しないでいるんだ!』
『すみません、連絡はしました。ただ、売り場の女性が電話に出たので……すみません。』
『っちっ!次からはきちんと俺に話を通すようにしろっ!ったく、なんなんだ、この店はっ。』
この店舗特有の、《電話は上のものが1番に受ける》というルールを知らない主任に、一方的な怒号を受け、木浦は胸糞悪かった。
(電話をとらないお前が悪いんだろ。)
だが、よくよく考えると、必至のタイミングなのかと思い直す。
(そうだっ!細川さんを呼び戻せば万事うまくいくはず)
松村主任が欲しいハンコ付きの伝票、
木浦が助けたい雛実、
そのどちらも、結果的に細川が事務所に戻ればいい話なのである。
木浦は販売部長の神崎とは連絡を取りあえる仲であった。その昔、教師をしていた木浦の祖父が神崎の恩師だったらしく、入社時の歓迎会でこっそり盛り上がったのだ。
そして今、そのコネを活用する時がきた。
『すみません、お疲れ様です神崎部長。あの、実は折り入ってお願いしたいことがあるのですが……』
木浦は神崎に伝票の問題を話し、細川を今すぐ事務所に呼び戻すことに成功したのである。
もちろん、木浦からのタレコミだとは神崎には言わせない方向で。
なぜなら、神崎はその昔、いわゆるヤンキーだったが、木浦の祖父に組手でボコボコにされ、それ以降更生し、真っ当な男子高生になったという。
だがそのことは、今店内を牛耳る立場の人間としては知られたくない過去で、秘密にしたいことなのだという。
だから、木浦と神崎が繋がっていることを暗に知られては不味いのである。
間接遺伝で祖父に姿形がそっくりな木浦のことが、神崎は少し苦手なのであった。
なにわともあれ、神崎販売部長は細川に電話をし、雛実を救うことができた。
雛実の体温を体全体で感じながら、木浦は益々雛実に対する恋心を高めていた。
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる