倫としましょう

koyumi

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第28話

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 細川と雛実が乗る車は、デパートの最寄駅付近に停車した。

「お疲れ様でした。」

 他人行儀な声で自らドアを開けて出ていった雛実。
 助手席じゃないので、腕を取られたり無理やりキスをされる心配もなく、無事、車を降りることができた。
 細川は、
「お疲れ。」
とだけ言い、すぐに発車させてデパートに向かった。

 細川の車が見えなくなると、途端に雛実は膝に力が入らなくなった。
 ガクンっと折れ、地面に座り込んでしまった。
 地方の繁華街は夜も早い。
 まだ9時過ぎ頃だというのに、辺りは暗闇の方が多い。
 あくまでも上司と部下ではあるが、2人の姿を誰かに見られ、噂でもたてられてはいけないと、細川なりに配慮して、人通りの少ない場所で雛実は降りた。
 
《ピピ、ピピ》

『雛実ちゃん、どこ?着いた?』

と木浦からメールが届く。

 雛実はその文字を見て、思わず涙がポロポロと溢れてきた。
 思い出したくもない時間が蘇る。

 怖かった。
 本当に危なかった。
 いや、危ない目にあった。

 嗚咽が止まらない。
 人は少ないが車の通りは切れない場所。雛実の漏れるような声は車の音で幾分かかき消されていた。


「雛実ちゃん……」


 自分の名前を呼ぶ切ない声に、雛実は少しだけ顔を上げる。
 涙で滲んだ視界に入る茶色の革靴。
 スクエアトゥのスマートなデザインは、まだ若いサラリーマンを連想させる。

「……ごめん、本当にごめん!」

 謝罪の声がすると同時に、いきなりガバッと長い腕に引き寄せられ、雛実の体はすっぽりと包まれた。

「……木、浦さん?」

「ごめん、遅くなってしまった!守るって決めたのに。雛実ちゃんを守るって決めていたのに!」

 やっぱり、木浦さんだ……

「……だい、じょうぶ……何も、何もされていないから……だから、木浦さんは何も」
「いや、そんなことないっ……何もされていないからって、そんなわけないだろっ?泣いてるんだから。」
「で、でも、本当に大丈夫なのっ。間一髪ってところだったし、私も、私も、悪かったのかも、しれないし……」

 触られたくない場所に触れられたけれど、嫌なことをされたけれど、雛実はそれを木浦に知られたくなかった。

「…………行こう。とりあえず、帰ろう。」

 木浦は雛実の様子から何かを感じ取っていたが、あえてそれ以上追求しなかった。

 泣いている、ただそれだけのことで、雛実がどんなに傷ついているかわかるから。

 木浦もまた心に抱えたものを爆発させそうで、抑えることを選んだ。

「立てる?」
「ん、だ、いじょうぶ……んっ」

 ゆっくりと雛実を立ち上がらせると、木浦はまた雛実を抱き寄せた。

「大丈夫って言葉、使いすぎると損するよ。」

 優しく背中をさすりながら労ってくれる木浦に、雛実は

「……ごめんなさい。ちょっとだけ、甘えさせて下さい。」

と、木浦の胸に頭を預けた。

「じゃあ1分だけ。」

「1分!?ケチね。」

「1分以上になると、ヤバイからね。」

「ヤバイ?まさか、木浦さんはそんなヤバイ人じゃないでしょ?」

「あれ?雛実ちゃん、結構辛口だね。一応僕も男なんだけどな。」  

「ああ、そうですね。」

「軽っ!」

 雛実は木浦の温かみに感謝した。
 事実、ヤバイのは雛実だった。
 1分以上、いや、これ以上抱きしめられると勘違いしちゃいそうだ。

 木浦は木浦で雛実に男として意識されていないことに、チクリと胸が痛んだ。だが、今は自分の感情に構っている時ではない。

(細川のやつ、絶対許せない!)

 今回は販売部長の手を借りてどうにか雛実を救うことができた。
 だが、同じ職場にいる限り、また何があって雛実と細川が2人きりになるかわからない。
 相手は社内No.1タラシの細川だ。対して自分はまだまだ下っ端のいけ好かないメガネ。
 
(とりあえず、雛実ちゃんに男として思われないと始まらないな…)

 もう既に1分はゆうに過ぎでいたが、木浦は雛実を抱きしめる手を緩めないでいた。



 時は遡り、午後8時過ぎ。
 木浦に、雛実から『橋を渡った』とメールが来た頃、松村主任から電話があった。

『おいっ!伝票はどうした?まさかハンコ貰えなかったのか!?』
『あ、はい。外商部に誰もいなくて、細川さんも退勤済みでしたから。』
『なぁにぃ!!あんの野郎!明日が何の日かわかってるのかっ?!で、お前は何で何も連絡しないでいるんだ!』
『すみません、連絡はしました。ただ、売り場の女性が電話に出たので……すみません。』
『っちっ!次からはきちんと俺に話を通すようにしろっ!ったく、なんなんだ、この店はっ。』

 
 この店舗特有の、《電話は上のものが1番に受ける》というルールを知らない主任に、一方的な怒号を受け、木浦は胸糞悪かった。
(電話をとらないお前が悪いんだろ。)

 だが、よくよく考えると、必至のタイミングなのかと思い直す。
(そうだっ!細川さんを呼び戻せば万事うまくいくはず)

 松村主任が欲しいハンコ付きの伝票、
 木浦が助けたい雛実、
 そのどちらも、結果的に細川が事務所に戻ればいい話なのである。

 木浦は販売部長の神崎とは連絡を取りあえる仲であった。その昔、教師をしていた木浦の祖父が神崎の恩師だったらしく、入社時の歓迎会でこっそり盛り上がったのだ。
 そして今、そのコネを活用する時がきた。

『すみません、お疲れ様です神崎部長。あの、実は折り入ってお願いしたいことがあるのですが……』


 木浦は神崎に伝票の問題を話し、細川を今すぐ事務所に呼び戻すことに成功したのである。
 もちろん、木浦からのタレコミだとは神崎には言わせない方向で。

 なぜなら、神崎はその昔、いわゆるヤンキーだったが、木浦の祖父に組手でボコボコにされ、それ以降更生し、真っ当な男子高生になったという。
 だがそのことは、今店内を牛耳る立場の人間としては知られたくない過去で、秘密にしたいことなのだという。
 だから、木浦と神崎が繋がっていることを暗に知られては不味いのである。
 間接遺伝で祖父に姿形がそっくりな木浦のことが、神崎は少し苦手なのであった。


 なにわともあれ、神崎販売部長は細川に電話をし、雛実を救うことができた。


 雛実の体温を体全体で感じながら、木浦は益々雛実に対する恋心を高めていた。
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