私と離婚してください。

koyumi

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二人

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どれくらい時間が経っただろう。
昼間は上着がいらないくらい暖かいとはいえ、夜はまだ寒い。
立ち上がり、諭の横にある私のショールとバッグを手に取った。
そんな一連の動作にもビクともせず、諭は俯いたままだ。

「諭……帰ろう。だいぶ冷えてきたし。」
おそらく、あまり抑揚のない言い方だったのだろう。
諭は反応してくれない。
「諭っ、帰るよっ。風邪ひいちゃうよ!」
だから次は、強めで言った。
それが更に諭の気持ちを煽ったらしく、
「心配してくれるんなら送ってくれ。」
と言われてしまった。
そして、私が言葉に詰まると、またもや私の腕を取り、歩き出した。
「ちょ、ちょっと諭!離してよっ」
今回ばかりは腕を振り切り、私は諭から距離を置いた。
「正直、今どこにいるのかわからないし、知らない道の夜は怖い。だから、ついていくから、強引なことはやめて。」
先ほど店から連れ出された時に掴まれた部分が、まだジンジンしていた。跡がつくような痛みのジンジンではなく、内側に熱を発するジンジンだ。胸の奥まで同じような波動をおぼえる。これ以上同じことをされたら、内臓の動きに支障が出そうだ。
「逃げるなよ……」
ボソッと呟いた声に〈ドクン〉とした。
本音を言えば逃げたいのだ。今すぐ振り返って、諭とは反対方向に駆け出したい。
でも、昔から夜道は苦手なのだ。知らない道は特に。

諭はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、そっと隣に寄り添った。
強引な空気はもうない。

小学生の時、うちの両親は共働きだった。学校から帰宅しても誰もいない。鍵を開けて、「ただいま」と言うのも、高学年になってからは言わなくなった。無言の返事が虚しかったからだ。
その頃、いたずら電話が時々あった。
何度も何度も聞こえる呼鈴に、私はいてもたってもいられずに外に出た。
19時くらいだったと思う。
冬空はすでに真っ暗で、そろそろ弟を迎えに行った母親が帰宅してくるだろうと玄関先で待っていた。
だが、一向に帰ってこない。
私は不安になって、夜道を歩き、2人の姿を探した。あと5分でも待っていれば、父親の車で3人が帰宅してきたというのに、運命は非情だった。
暗くて寒い中ひたすら歩く私に、気づいたらピッタリとくっつく影が、街灯によって生み出されていた。
気づいた時は既に遅かったのだ。
「お嬢ちゃんどこ行くのぉ?1人はあぶないよぉ。」
と、耳元で囁かれたのだ。
怖くて、足がすくんで、喉が苦しい。
こんな恐怖、テレビや漫画の中だけだと思っていた。もしあったとしても、大声を出して相手を蹴り上げて逃げる、それが自分にはできるとタカをくくっていた。だが、実際、現実に自分の身に起こると何もできない。足が動かない。
(もうだめ、怖い!)とパニックになっていたら、ちょうど諭の父親が帰宅中に私を見つけてくれたのだ。
「依子がいないから見かけたらつかまえてくれ。」
と、うちの父親から連絡を貰っていたらしく、いつもは通らない人気のない道を通ってみたらしい。すると、怪しい影があり、不審者につかまっている私を見つけてくれたのだ。
そのことがあり、私は知らない道を夜歩くことに異常な恐怖を覚えてしまう。
通勤に使う道など一度でも通った場所は不思議と大丈夫だが、知らない道は怖い。だから、結局諭から引き返すことなどできないのだけど。
諭といたくないのに、こういう部分でつい気持ちが楽になってしまう。
昔からずっとそばにいて私を見てくれていた諭は、私以上に私のことを知っているのかもしれない。

「……あいつが好きなのか?」
昔のことを考えながら歩いていたら、不意にそんなことを言われた。

「……どう、なのかな?……ただ、一緒にいたいと思う。」
これが正直な今の気持ち。高原さんといると、穏やかな日々を送れそうな気がする。意外と手が早いことには驚くけど。

「結婚したいのか?」
それは、ないと思う。
諭と離婚して、すぐに誰かと結婚するなど考えていない。
「そこまでは……。諭は?いないの?歴代の女の中で結婚したいと思えた人。あ、鴨井さんとか?彼女、必死だね。諭のこと、本当に好きなんだよ。でなきゃあんなことしないって。」
私がそう言うと、諭は立ち止まり、私の顔を覗き込んだ。目が、めちゃくちゃ怒ってる。
「何言ってんだ?お前……わからないのか?」
「な、何よ?わからないって……。いい加減すぎる諭のことなんて、とっくの昔に理解することは諦めたわ。」
「いい加減すぎるって……まぁ、もういい。俺の話よりも、お前のことだよ。
本気なのか?高原ってやつのこと。」
「……浮気じゃないって言わせたいの?」
なんだろう、夫婦であるというだけで、人を好きになることにおいて、浮気か本気かの選別をしなければいけないなんて。
目を合わせているのに、お互いの質問に応えない二人。
息をすることさえ苦しくなる。
すると、

「っん!!」

急だった。久しぶりに諭に唇をとらえられた。諭の顔が近いと思ったら、唇はもう触れていた。
後頭部を押さえられ、離れることを許さないそのキスは、高原さんとは違う。
私は今もまだ諭の妻に位置するけど、拒まなきゃと思った。
だけど、どうしても腕に力が入らない。
諭を押し返すことができない。
まるで、体は受け入れろと心に命令しているようだ。
諭は抵抗しない私に勢いづけて、舌まで絡ませてきた。

「んん……はぁ……。」
と、思いがけず、この先も続けてと訴えるような声が出てしまった。
諭は私の後頭部を押さえることをやめ、その手を使い、背中を撫で始めた。
ここが今外でなければ、本当に続けていたのかもしれない。
だが、諭は唇を離し、なぜだかわからないが、私を見て、ずっと見ることのなかった優しい笑みを浮かべた。
きっと、確信したのだろう。
答えなくとも感じたのだろう。
私が諭と離れることなどできないことを。
私自身も気づいていないのに。

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