逃げる以外に道はない

イングリッシュパーラー

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炎編/因果の鎖

16.迷いしもの惑わせし

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 既に日は落ち、薄暗くなった夕刻。観月の迎えは来に頼んだので、途中買い物に寄ったとしても今頃はもう帰宅しているはず。

「夕食はルームサービスを頼んであるわ」
「そりゃどうも」

 ベッドの端に腰掛けた女に、俺は口先だけの礼を言った。短いタイトスカートで脚を組んで座る彼女は、明らかにこちらを挑発している。
 五つ星ホテルのスイートルームなんて滅多に入れる場所ではない。状況が状況でなかったら、優雅な雰囲気をもっと楽しめたろう。

「女がここまでしてるのに拒否?」
「あんた、肉食系女子ってやつか。俺は奥床しい方がタイプなんだ」
「一緒にいたあの子は、奥床しいかしら」

 形の良い唇に笑みをたたえたまま、九流弥生は左右の脚を組み替えた。
 一緒にいた子とは観月のことに違いなく、きっちり否定も肯定もできない俺は仕方なく口を閉ざす。

 昼間、事務所に電話を掛けてきた九流に観月の件で話があると言われ、気は進まないながらも指定されたホテルへやって来た。ラウンジで会うはずだったのに、来てみれば、数人の黒スーツの男たちに強引にこの部屋へ連れ込まれる始末。
 部屋で待つ九流を目にして、俺は悪質な罠に嵌まったことに気付いた。

「こんな真似したら、ヤバイって分かんだろ」
「だから無理矢理じゃなく、お願いしてるの」

(怖ぇ女……)

 自信にあふれた彼女の物言いに、本気で震えたくなる。実際俺に睡眠薬を盛って裸でベッドに放置するぐらい、この女ならやりかねない。

「あなたがその気になるまで、気長に待っててあげる、高神さん」

 わざわざ一流ホテルの一室に呼び込んだのは、持久戦を想定してのこと。監禁されているわけでも、拘束されているわけでもない。この調子で膠着状態が数時間。
 いつも通り木刀は傍らに持っているが、力に訴えることもできず、こういう場合まったく無力だ。

 部屋の中にいる限り、何をしても自由だと告げられた。ただし俺が一人でホテルの外に出た場合、ルームチャージは全額事務所に請求される。そう脅しをかけられては、逃げるに逃げられなかった。
 このままでは埓が明かないと諦め、俺は部屋の隅に移動しポケットからスマホを取り出した。プライベートなトラブルで社長である同居人に助けを求めたくなかったけれど、背に腹は代えられない。

『視矢か、今どこにいるんだ』

 すぐに出た来の声音に、心配している響きは微塵もなかった。九流に聞かれないよう、俺は小さく告げる。

「……軟禁」
『南京? 中国か』
「ボケてんじゃねえ! 拉致られたんだよ、九流に」

 手短に状況を伝えると、電話の向こうで来の呆れ交じりの溜息が聞こえた。ナイであれば、「バカだ、マヌケだ」と罵るに決まっている。

「そんなわけで、ホテル代請求されそうなんだけど、事務所が肩代わりしてくれたりは……」
『幾らだ』
「八万円」
『却下。自力でなんとかしろ』

 それだけ言って通話を切られた。こちらは切羽詰っていても、向こうからしたら勝手にやっていろという話だろう。

「電話が終わったなら、食事にしない?」

 届いたルームサービスを指差して、九流が手招きする。
 がくりとしてスマホを仕舞った俺は、ローストビーフにサラダ、クリームスープ、デザートといった豪華なメニューに目を奪われた。空腹時に、据え膳を跳ね除けられる頑強な精神力は残念ながら持ち合わせていない。
 艶やかに微笑する女の姿は、また別の据え膳だ。

 食事の間、俺と九流の間に一切会話はなかった。せっかくの美食も食欲を満たすだけ。料理は、共に食事する相手によって美味くも不味くもなるのだとしみじみ思った。
 ある意味味気ない夕食を終えてしまえば、後はただ無情の夜が深まっていく。九流の方は本を読んだりシャワーを浴びたりと、俺がいないも同然に振舞っている。

「高神さんもシャワーをどうぞ」
 
 濡れた髪をたくし上げ、ガウンを纏った格好で九流がバスルームから出てきた。
 俺は椅子に深く座り、軽く手を挙げて拒否の意を示す。下着を着けずガウンの下から見え隠れする肢体に、目のやり場がない。

「……なんで、そこまで俺にこだわるかな」
「信者の女に言い寄られたのは、初めてじゃないでしょ」

 返された答えに、俺はやはりという心持ちで息を吐いた。力を手に入れたい信者にとって、俺はお手軽物件というわけだ。
 邪神と契約を交わすことは従者になることと同義で、つまりは異形に変わる。信者の、とりわけ女は、人間の姿を保ちたい欲求が強い。

「一応言っとくと、風の神性が炎の信者のあんたに合う保証はねえ」
「風と炎は相性がいいはずよ」
「運が良けりゃだ。“半” 従者になる可能性が高い。知ってっだろ?」

 信者なら俺たちのスポンサーや事務所についての知識があるだろう。俺と関係を持って今も生きている女は、誰一人いない。九流も多分承知している事実。しかし彼女の決意は頑として揺るがなかった。

「私は、『炎の精』を呼ばないといけないの」

 クトゥグアの配下である炎の精を、九流は召喚しようとしている。ある程度の資質を持った信者であれば、血の契約で炎の眷属を従えられる。俺がビヤーキーを従えているように。
 だが契約には危険が伴う。どんな事情か知る由もないが、覚悟の上でこんな犯罪まがいの手段を取った女に諭しても聞く耳を持たない。と言って、こちらも応じるのはまっぴら御免だ。

 肘掛け椅子で腕を組み、何か逃げ出す方法はないかと考えているうちに、俺の瞼は次第に重くなる。腹が膨らんで緊張の糸が緩んだのか、ついうとうとしてしまい、飛び起きた時にはまだ外は暗かった。

(やべ……! 寝ちまった)

 反射的に自分の身を確認し、まずはちゃんと服を着ていることに一安心する。
 時刻は午前二時を過ぎ、この部屋に缶詰状態になってほぼ十二時間経った。部屋の中を見回せばベッドは空で、九流は続く隣室の大きな窓辺に立って外の夜景を眺めていた。

 赤橙の街明かりが、まるで鬼火のごとく点々と灯る。
 あれほど妖艶に振舞っていたのに、少し物悲しげに街明かりに目をやる彼女は祈りを捧げる聖女のようで、俺は声もなく呆然とその姿を目に映した。

 やがてこちらに気づき、九流が静かに歩み寄ってきた。
 離れるべきだと頭では分かっているものの、俺の脚は床に張り付いて動いてくれない。

「高神さん……」

 甘い声で名を呼ばれた時には、金縛りも同然の状態。嫌な汗が全身から噴き出す。

「今回はこれで譲歩してあげる」
「……ツッ!」

 反射的に九流の腕を振り払う。払った俺の掌に痛みが走った。
 九流の右手に、部屋に備え付けの果物ナイフが握られている。鋭い刃は、掌に浅く赤い一本の線を引いた。

「そんなもん振り回したら、ほんとにシャレになんねえぞ」

 やっとのことで声が出せた俺は、数歩後ずさり、脇に置いた木刀を手に持つ。女に向けるためではなく、自らの気合いを入れるために。

「痛かった?」

 九流はナイフをサイドテーブルに置き、すまなそうに俺の手を取った。
 途端に生暖かいものが掌に触れてきた。傷口を這う彼女の舌の感触に背筋がゾクリとする。

「さすがね。もう傷が塞がってる」

 血の付いた赤い舌先で唇を舐める。その仕草を目にして、ようやく頭が正常に機能し始めた。

「九流! あんた、知っててやったな!?」
「知らないわけないじゃない」

 くすりと笑う女は、もはや悪女にしか見えない。事の次第を理解した俺は九流を睨みつけて歯噛みする。始めからこれが目的だったに違いない。
 体を重ねなくとも、俺の血を取り込むことで眷属を呼べる。他属性の者ゆえに若干リスクがあるとはいえ、身体の変異には至るまい。押し倒されることばかり警戒していたけれど、刃物を使われるという基本的な注意を怠ったのは気が動転していた証拠だ。

「ルームチャージは済んでるわ。朝までごゆっくり」

 そう言い残し、真夜中にも関わらず迎えに来た黒スーツの男たちと一緒に九流はスイートルームを引き払った。
 くそ、と悪態を吐き、俺も足を踏み鳴らして部屋を出た。朝までいていいと言われたところで、こんな有り様でゆっくりしていけるわけがない。
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